とつ風「熊野古道散策記」 Koyama Totsu


6.熊野古道のこと

出発前の下調べが不足気味だったので、これから少しづつお勉強してゆくことにしました。

<熊野古道>
熊野古道は、本宮・那智・新宮のいわゆる熊野三山へ入る参詣道で、延喜七年(907年)宇多法皇の熊野御幸に始まり、以来、上皇・法皇の御幸が盛んになり道中に数々の王子社が建てられた。総称として「九十九王子」といわれるのは王子の数が多いことからのようである。平安中期から鎌倉時代後半にかけて京の貴族が浄土を求めて訪れたのをはじめ、一般庶民に至るまで信仰の輪が広がり多くの人々が訪れた。しかし、弘安四年(1281年)の亀山上皇の御幸を最後に、平安・鎌倉と続いた御幸は終わりを告げる。江戸期に入って、紀州藩主徳川頼宣が熊野三山復興に力を注ぐことにより、再び「蟻の熊野詣」として民間の参詣が広く行われるようになった。かつては京都から往復で1ヶ月かけて参拝していた。

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<熊野大社本宮>
熊野本宮大社は那智大社、速玉大社とともに熊野三山と称され、全国に3,000以上もあるといわれる熊野神社の総本山。京の都より続く熊野古道の終着地でもある。現大社は熊野川中州にあった大社が1889(明治22)年の洪水で流失した後、いまの地に移されたものである。神門の正面に荘厳な社殿を配し、第一殿・第二殿は1棟からなり、それぞれ夫須美大神坐像、速玉大神坐像を祀り、正面に位置する第三殿が本殿で、主神の家津御子大神坐像を、第四殿に天照大神坐像を祀る。いずれも平安時代の作と伝えられる木造の神像で、国の重要文化財に指定されている。

<熊野信仰>
「熊野」には霊魂の籠もる地との意味があるらしく、日本書紀にも・・「神代上 第五段」一書に曰く、伊奘冉尊(イザナミノミコト)、火神を生む時に、灼かれて神退去(カムサ)りましぬ。故(カレ)、紀伊(キ)の国の熊野の有馬村に葬(ハブ)りまつる。土俗(クニヒト)、此の神の魂(ミタマ)を祭るには、花の時には亦花を以て祭る。又鼓吹幡旗(ツヅミフエハタ)を用(モ)て舞ひて祭る。・・・・など随所にその地名が登場する。やがてこの地に熊野三山として、霊場が開かれると、「死者の霊は遠隔地からでも熊野に行くものだ」とか、「熊野へ行けば死者の霊に会える」などの多くの伝承・信仰を呼び、山勝ちの地形にもかかわらず、多くの温泉や景勝地も手伝って、古代末期から中世にかけて多くの人が詣でた。


<熊野川・熊野杉>
近頃「新宮川」から正式に「熊野川」に改名。紀伊山地に水源を持ち、奈良県吉野郡から三重・和歌山県境を流れ熊野灘に注ぐ川。幹川流路延長183km、全流域面積2360平方km。上流の奈良県側では戸津川と呼ばれ、三重県和歌山県県境で紀伊山地東部を流れる北山川を合流する。熊野川流域は熊野杉、ヒノキなどの林産資源が豊富で、大正期以前はいかだ流しによって河口の新宮に盛んに出荷されており、江戸時代には、年貢代わりに年800本を超える杉・ヒノキ材を上納していた。1872年熊野川下流の牟婁郡が和歌山県と度会県(現、三重県)に分けられた際、県境を熊野川・北山川に定めた為和歌山県の飛び地が、三重・奈良両県の間に多くできた。(!天気予報のたびに気になっていた飛び地の謎解明!)

TOSTU-SUIGUNN

<熊野水軍>
熊野海賊ともいう。豊富な木材と良港を持つ熊野地方には古くから水軍が発達し、源平合戦・南北朝・戦国時代と中央政治の動向とも密接に関係した。熊野信仰の全国的流布に伴い、伊予・安芸などの内海にも進出、関が原の戦では西軍につき敗戦により浪人となるが、後に江戸幕府の大番衆に列した。熊野がかなり昔から水運技術に長けていたことは、日本書紀にも「・・・事代主神(コトシロヌシノカミ)、遊行(アル)きて出雲国の三穂の碕に在す。釣魚(ツリ)するを以て楽(ワザ)とす。或いは曰く、遊鳥(トリノアソビ)するを楽とすという。故(カレ)、熊野の諸手船(モロタフネ)、亦の名は天鴿船(アマノハトフネ)、を以て使者(ツカイ)稲背脛(イナセハギ)を載せて遣(ヤ)りつ。・・・」の記述がある。近世に入って水軍は途絶え、代わって太地を中心とした捕鯨業が有力となり、その進んだ技術により近世日本の漁業の指導的立場に立ったが、明治末には衰微した。




<編集後記ー工事中ー>
うーむ。最近更新してません。知識の底が浅いのがばれますが、ねた切れ気味です。
これも熊野関連と調子に乗って日本書紀など手に取りましたが、一冊終わって、残り四冊のことを思うと…文庫の癖に高いなぁ…。でも、面白いです。お薦めです。小学校の歴史の時間に「日本書記は中国に倣って作られた歴史書風のものなので、文章は硬い。」と教えられたと記憶しているのですが、それは嘘です(きっぱり)。日本昔話より30倍興味深く、聖書より?物語らしいです。日本語ですし。岩波文庫、かなり丁寧なルビと、新字体使用なので、古典のテストでえらい目にあった私でも読めます。登場人物の行動も存外俗っぽく、時には、ギョッとするようなことも書いてあって、これが私達のルーツかぁと感慨にふけっています。あと、ギリシャ神話みたいな雰囲気もあるかな。文法なんかに問題があるにしてもこの物語が、中学高校の授業でまったく取り上げられていないのは(私が眠っていて聞いていなかったので無いなら)もったいないの一言に尽きます。

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