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元気で陽気な重度の末期がん患者 このタイトルは、言語矛盾のように見える。重度の末期がん患者がどうして元気で陽気であることができるのかと。ここにがんという病気の怖さの秘密がある。元気に働いていた人が、ある日突然、ちょっとした体調不良を感じて精密検査を受けると、すでに打つ手のない末期がんだと診断され、がんの発見から数ヶ月でホスピスに送られるというのは、決して稀ではない。ということは、その人は末期がんになった後も、そのことに気づかないままに、元気な日常生活を過ごしていたということである。 私が、「重度の」という修飾語をあえてつけたのは、別記の通り、最新鋭のPET・CT画像から科学的に確認することができるからだけではない。以下の通り、10月30日に採血した血液検査の結果をみると、赤血球、白血球の数、リンパ球の数をはじめ、極めて多くの項目が末期がん患者に特有の極度に悪い数値になっているからでもある。 腫瘍マーカーSCC329(正常値1.5以下)は記録破りに高いものであり、腫瘍と闘う唯一の頼みの綱であるリンパ球の数も519(白血球3,400×リンパ球15.1%。小さな腫瘍と闘うことができる程度でも2,000以上が必要)と、最低に近い数値であった。そのほか、総蛋白5.7(基準値最低6.7)、コリンエステラーゼ1,861(同左3,500)、カルシューム7.2(8.2)、赤血球2.48(3.76)、ヘモグロビン7.9(11.3)に見られるように、血液中のタンパク質やミネラル類の栄養分が不足し、貧血も進んでいる。 11月5日にプルミエール・クリニックにおいて採血した免疫検査から、がんと闘う免疫力、免疫のバランス状態を見ると、これも末期がん患者に特有の危機的な数値が並んでいる。ヘルパーT細胞の1と2の比率が2.7(10以上が正常、5以下は免疫力が弱い。1以下になると危険状態)、NK活性が9%(基準値20%以上。NK活性は「免疫現場の生の攻撃力」を代表。がんの初期に活性化するが、がんの進行とともに不活性化する)、インターロイキン6が20.4(基準値3以下。善玉のリンパ球の邪魔をし、悪疫質、衰弱の象徴だから患者を栄養失調にし、がんの成長を促進し、骨を脆くする。がんの病態悪化を反映。)、プロスタグランジン2が156(基準値100以下。悪い免疫反応の象徴であり、がんの局所での免疫反応抑制、キラーリンパ球抑制、がんによる痛みや発熱にも関連する。)基準値を満たしているのはTGF−βの15.6(基準値30以下。これは、「悪い免疫ホルモンの代表格」であり、リンパ球の活動を抑制し、抗がん剤や放射線治療の効果を低下させ、がんの進行と比例して増加する)があるだけという最悪の状態である。(括弧内の説明文は星野泰三著『星野式温熱リンパ球治療』第一章からの引用)。 私は私のがんの進行を以下のように、末期がんの初期と後期にわけることができると考えている。現段階は末期がんの後期の最後、最後期に位置しており、初期を軽度の末期がんと呼ぶとすれば、最後期を重度の末期がんと呼ぶことができるであろう。 02年7月末、手術の1年2ヶ月後に腹部リンパ節への転移が国立がんセンター泌尿器科の医師によって発見・確認され、「余命2年以上の生存率10パーセント以下」だと告げられた。このとき以後、私は進行がん患者になった。 03年9月2日に、PET検査の結果、予想外に急速に肝臓の腫瘍が増加していることが判明し、手術もラジオ波焼灼治療も不可能となった。この時期に私の末期がん期がはじまった。 03年、12月中・下旬に骨転移による腰痛が徐々に強まった時期からを末期がんの後期と呼ぶことができるであろう。12月初旬から年末へかけて、ルカ病院において全身温熱治療を受け、その院長の紹介のおかげでクリニカETの存在を知り、04年1月6日、クリニカETの第一回目の治療を受けた。この治療によってはじめて、腰痛の原因が腰椎2番、3番への骨転移によるものだと分かり、かつ、治療の結果、痛みがとれ、腫瘍マーカーも顕著に下がった。この治療を受けることができていなかったとしたら、土佐清水病院院長の予言の通り、「来年のお彼岸」を元気に迎えることは不可能であったことは間違いない。 末期がんの定義は三大療法オンリー主義の病院の医師と免疫療法や漢方治療をする医師とでは大きな違いがあるが、私は三大療法における末期がん、三大療法では治せない時期、すなわち、病院は治療するところだから、治る見込みのない患者はホスピスへ、と病院から追い出される時期、あるいは、僅かな延命効果を期待して患者が効果の不確かな抗がん剤の使用をお願いし、医師が「標準治療」という大義名分のもとにその患者を「実験材料にする」時期が末期がんの始まりだと考えている。この基準から見れば、その時期を私は03年9月に迎えている。私は副作用の強い抗がん剤使用を避け、「気力・体力・免疫力をたかめ、生活の質(QOL)を第一義的に重視する治療」を求め続け、再発以後1年半もベストの医院・病院の医師や治療法を探してさまよった。さまよい続けたすえに奥野式血管内治療と出会い、奥野式がん治療のおかげで04年の一年近くのあいだ「元気なままに」延命することができた。 だが、奥野式血管内治療は私の場合、骨転移やリンパ節転移において痛みを止めるような明瞭な効果があったが、4月以後、とくに肝臓については腫瘍の増殖速度をいくらか抑制する以上の効果があらわれなくなり、腹部リンパ節や腰椎の腫瘍も縮小はしても消え去るところまでいかず、その結果、宿主が死なない分、寄生しているがん細胞も増殖をしつづけ、例外的とも思えるほどに腫瘍が大きくなり、その数も増えてきたのである。 転移肝臓がんの数と大きさひとつとっても、通常の患者はすでに死んでいる大きさである。扁平上皮がんの腫瘍マーカーについての教科書を開いて、数人の医師がこのマーカーは100以上にはならないといったが、私のSCCは、04年10月19日に193.0、10月30日に329にまで上昇した。03年2月「来年のお彼岸まで元気に生きていたら俺は土下座する」と土佐清水病院院長から言われたときのSCCが10前後であったことを考えると、329という数値にまで増加しても生きているということは我ながら不思議に思える。 つぎに「元気で陽気な」という修飾語の説明に入ろう。 私は、これまで一度も副作用の強い抗がん剤を全身に注入したことがない。したがって、手術から3年半たつが、通常の治療を受けるがん患者と違って、吐いたり、食欲が落ちたり、髪の毛が抜けたりということを一度も経験していない。歩く気功やヨーガなどをすることさえできない状態、日常生活に支障をきたすような病人状態になったのは、01年5月の手術のときと、04年10月20日以後、急速に下半身が浮腫んだときだけである。日常生活にまったく支障がない状態を私は「元気な」という修飾語で表現した。「元気な」ではなく、「元気で陽気な」という表現を選ぶのは、私の末期がんからの生還戦略において「最も重要なものは、患者本人の気力・精神力だと信じ」元気であることが前提になる。末期がんになっても強い気力・精神力を維持し、元気であることは大前提になるが、それだけでは不十分である。「元気で陽気な」というのは、末期がんからの生還の闘いを生きがいとし、滅多に体験することができない機会を陽気に過ごすという私の決意を表現するものである。気功やヨーガだけではなく、毎日の日課として歌と笑いの時間を作り、その時間を増やし、自分のがん体質・がん気質の改善、がんを招きやすい性格を変革してゆく決意を表現するものでもある。 10月30日の治療後11月初中旬には、すでに「元気な」状態に復帰することができた。11月25日に第10回目の血管内治療を受けた。10月30日の治療によって、下半身の浮腫みがなくなり、危機から脱出することができた。11月25日の第10回目の治療はさらに効果がでると期待できる。 「治療の翌日(26日現在)、すでに足の浮腫みの度合いは4月時点くらいにまで軽減してきている。10月30日の治療が成功し、効果が高かったことは、すでに11月17日の血液検査においてもSCCが10月30日の329.0から三分の一弱の115.0に急減していたことに表現されていた。プリミエール・クリニックのスパークシャワー治療は11月8日からはじまったばかりであり、その効果はまだ今回の数値減に寄与しているとしてもごく僅かなものであろう。しかし、11月25日の血管内治療に週二回のスパークシャワーと週一回のリンパ球療法が加わるようになったので、12月初旬の血液検査の結果を見るのが楽しみである。」(「危機進行と危機脱出の顛末」末尾) |