| フレンチ・パイプの資料 @:The GBD St.Claude
Story J.W.Cole 著 1976 Cadogan Investments Ltd. 発行 |
注目すべき本である。まず英語で書かれているのがありがたい。 いくつか集まったフランス語の本を脇において一気に読み込んだ。 発行元を見ればわかるが、カドガンの社史といった内容、著者の コール氏は同社の取締役であり、引退後に書かれた回顧録でも ある。私家版であるから、とびきりの希購本だ。 非常に興味深く、日本では今まで紹介されたことのない内容である。 そこで、このフランスのパイプ史の断面を数回に分けて要約していこ うと思う。 まずカドガンについて。Cadogan French Pipe Houses は1930年 代オッペンハイマーによって設立された組織で、サンクロード周辺の パイプメーカー、ヴェルゲ・フレール、マルシャル・ルション、 フェリック ス・ランソン、 ラ・ブルイエル、 デギンガン、 ロップ、シナ&シイ(C.J. Verguet Freres, Marechal Ruchon&Co.Ltd,Felix Lancon,La Br uyere,Deguingand, Ropp, Sina&Cie) などを統括していた。 ロンドンに本部、サンクロードに支部があった。 オッペンハイマーは1860年に英国で始まるパイプの輸出入会社であ る。当初よりフランスと関係が深かったことから1870年、フランスのG BDの輸入を開始、さらにフランスからのパイプ供給を牛耳るために早く も1880年代初期、サンクロードにシナ&シイを設立、のちのカドガンに つなげている。 英国のほうは、のちに Cadogan Investments となってオッペンハイマ ー傘下の英国の有名パイプメーカー(コモイ、BBB,ロウイ他)を統括す るに至り、フランスの支部は70年代に Cadogan France Ltd. に分社 発展する。 パイプ業界の巨人として現在まで君臨しているカドガンとは、すなわち 機知に長けたオッペンハイマーそのものに他ならないのであった。 以下、本書の要約(その1) 1850年、パリで創業したGBDこそがフレンチパイプの華である。 高級メアシャム・パイプで有名なGBDは1855年からブライヤーパ イプも手がける。(GBDの3人の創始者のうちの一人はメアシャム ・パイプ製造の中心地ウイーン出身と見られる)もともとフランス人 はパイプをあまり吸わないから、輸出されるほうが多かった。オッ ペンハイマーとの関係もこうした高級パイプを求める英国とそれが 売れないフランス、という事情から発展したのである。 ブライヤーパイプの一大産地サンクロードでは高級パイプは作られて いなかった。パリのGBDの工場で余った二級品以下のブライヤーは サンクロードに売却され、サンクロードは高品質ブライヤーの半完成品 をパリのGBDに売ったのである。 早くから商標権の重要さに気付いていたGBDは品質向上に努める 傍ら、商標の盗用に対しては裁判に持ち込んで取り締まった。GBP, DBG,GPDなどいくつもの模倣品が現れたのはGBDのブランドイメ ージが高かったことの証左であり、事実GBDは仏・欧・英・米の大き な博覧会で数多くの賞を獲得している。 1903年、オッペンハイマーはロンドンにもマルシャル・ルション社を 設立、GBDを買収する。GBDブランドを英国でも作るようにしたのだが 、これが本拠地パリGBDの生産量を落とすことになる。英国製GBDの 輸出が伸び、輸出に頼っていたパリ製は行き場を失うのだ。 こうして30年代後半までに、パリのGBDはサンクロードを牛耳るカドガ ンのなすがままになり、その助けを受けるようになる。カドガンもサンクロ ードの他のメーカーもGBDの高いブランドイメージを利用し、またそれゆえ 保護したのである。しかし第二次大戦はパイプ・ビジネスに深刻な影響を 与え、終戦時までにGBDパリの生産は極端に少なくなった。1948年、 初めてGBDパイプの一部がサンクロードでも作られるようになる。 1950年頃、GBDパリはロンソン・ライターの販売を手がけたりして一時 的に回復するものの、1953年末、ついにパリ工場は閉鎖、全てのフラン ス製GBDの生産はサンクロードに移されたのであった。こうして100年以 上の伝統を誇ったパリGBDは終焉をむかえるのである。 オッペンハイマーの一連の積極的なフランス進出は、なによりこの当時す でに払底し始めていた良質なブライヤーを確保するためであった。GBD吸 収の前年、ブライヤーの問屋は突然30〜40%の値上げを通告、この動き を事前に察知したニューヨークのメーカー(残念乍ら具体的名前がない。 カウフマンかディミュースだろう)は一万九千袋のブライヤーを発注して翌年 の値上げに備えた。「ブライヤー戦争」と呼ばれる争奪戦があったのである。 (なお、この本の写真で見ると一袋とは人間一人が入れそうな大きさであり、 すくなくとも数百個のエボーションを収納したと見られる) この当時、フランスのブライヤー問屋が扱うのは主にカラブリア産、すなわち イタリアン・ブライヤーであった。(アルジェリアでないのは意外)この時期サ ンクロードのメーカーはこれらのブライヤーがアメリカとドイツに買占められる のを恐れたが、結局オッペンハイマーのおかげで優先的に手に入れることが 出来るようになった。 第一次と二次大戦の戦間期の初期(20年代)、パイプ生産はピークに達する。 戦争終結の1918年、ヴェルゲの年間パイプ生産量は40万ダースにのぼって いる。 (続く) |
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