| ずっと昔ハワイには行ったことがあるものの、この日本を取り巻く太平洋の島々には沖縄を含めてとんと縁がなかった。 ひょんなことからパラオという島での「仕事」の話しが降ってわき6年前始めてかの地を訪れた。まずパラオがどの辺りにあるのかがピンとこない。またどこの国に属するなか、あるいは独立国なのかも一切知識が無い。かろうじてダイビングで有名らしいという知識の断片だけはあった程度。それも日本の男女のダイバーが何名か流され結局全員亡くなられた、という痛ましい事故報告がテレビで報道されたおかげか・・・。 成田をコンチネンタル・ミクロネシア航空機で飛び立ち一路グアムへ。日によってあるいは時間帯によっては2時間ほどのトランジットでパラオ行きの便が接続する。グアムを発ち南下すること約1時間、ヤップ島に立ち寄り更に1時間ほどで目的のパラオに降り立つ。パラオが位置的にどのあたりにあるかというと、フィリピンの真東ってとこか。フィリピンからだと3時間程度しかかからない。 飛行機の上空から見えるパラオは随所にリーフで囲まれた南海の楽園のようだ。海の色が信じられないくらい綺麗なエメラルド・グリーンをしている。 (ただし行きにパラオを上空から見ることが出きるのはグアムで一泊して翌朝の便で来る場合のみ。 日本からのスルーだとパラオ到着は夜となる)地上に降り立つと途端に現実に戻される。飛行機から降ろされた荷物はトラクターに引かれた貨物車に山積みにされ、空港のけっして回転しない荷台に乱暴に降ろされる。すばやく自分の荷物を自分で取り出さなければならない。 入管は以外と厳しく、帰りの航空券の提示を求める場合もある。後で詳しく述べるがここは世界でもとびきりのダイビング・スポットがあるところで、日本人のダイバーが長期に滞在する(そのために不法就労する?)ケースが多いことによるものか?。 さて今回の我がミッション?は94年9月から1年半かけて首都コロールとその周辺、更にバベルタウヴ島の送配電線網の増強工事を遂行するにあたり、事前調査をすることであった。 このあと工事完成まで出張ベースで合計6回パラオを訪れることになるのだが、正直この頃は社内でも「なんでお前だけそんな良いところへ行くんだ?」と批難ごうごうの嵐であった。 【パラオ人と日本人】 工事は当初コロール市内の電柱取り替え(木注からコンクリート柱へ)と電線張替え工事から着手された。この為には工事区間の電気を計画的に停電しなければならない。 ただでさえ暑い南洋の島。スーパーマーケットや商店街の電気を一時的に停電(一日5時間程度)するともちろんエアコンや冷蔵庫がとまる。特に生鮮食料品へのダメージが懸念される。派遣された3名の日本人をはじめ工事の主体であった約30名のフィリピン人たちに緊張が走った。どこからどのような苦情が来てもおかしくない。 これは停電工事が全て終わってから当社の若手社員が言ったものだが、『パラオの人達はみんな停電しても喜んでくれていたんです。だって今までの配電システムだとちょっとした嵐でしょっちゅう停電していたんですから。ああ、これで良くなるんだなと我々にも笑顔で接してくれました。』 ところが、あらぬところから強行にイチャモンがついたという、『それがなんと現地に住む日本人なのですよ、猛烈にクレームつけてきたのは。ここの日本人会のご婦人なんて我々日本の業者がやっていると分かったとたん酷い言葉で毎日ののしるんですよ。まいったなぁ!』 同じのんびりとした南国の陽の元に生活していても何故か“心のゆとり”を持てない日本人。かくたる理由があり、そしてしばしの我慢が必要であるにもかかわらず自分にとっては“迷惑だ、不便だ”という感情をコントロールできない日本人。戦後こんな日本人まであちこち世界中に「輸出」してしまったのか? |
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| 【海中、密林の中のゼロ戦】 コロールの港をモーターボートで出て30分ほど走った浅瀬に太平洋戦争中に不時着水した『ゼロ戦』が沈んでいると言うので行ってみた。 海面からほんの2,3メートルのところに、ほぼ完全な姿で沈んでいる。風防ガラスが無くなっているが、コックピットの様子が良く分かる。 なんでこんなところに着水したのであろう?機体を見る限り銃弾の跡は見当たらない。エンジン・トラブルであろうか。 それにしても良くこのままの状態で置いておいたものだ。常識的にはすぐ引き上げて見世物にしているはずだが・・・。 空港のあるバベルタウヴ島の奥の“ASAHI”という地区のジャングルの中にも墜落した『ゼロ戦』の残骸がある。こちらは地上に墜落したのでグチャグチャになっておりエンジン部分だけがなんとか形を留めている。戦争の痕跡はこれだけではない。同じバベルタウヴ島の“KOKUSAI”と呼ばれるなだらかな高台の上には4基の無線鉄塔が倒壊したまま残されている。明らかにわざと倒された様子が分かる。日本軍がこのパラオを撤退する間際に再利用されるのを防ぐ為に倒壊させたものらしい。基礎部分のコンクリートは見た限り堅牢そのものだ。 ところでこの無線塔、当社が戦前“日本海軍省”より特命で受注し建てたものらしい。70年社史編纂で古い台帳を調べていたらこの件に関する書類が出てきた。パラオの他もう1箇所マレーシア方面にも同じような無線塔を受注し、施工班を2班編成して必要資機材及びみそ、米などの食料を船積みした旨記述されている。 そして戦後半世紀を経て再び同じ高台に同じ会社の者達が、今度は小型変電所を建設しにはるばる日本からやって来た。なんという奇遇、運命だろう。 半世紀以上の昔、当社の先達らはどのような思いで施工にあたったのであろうか?さてこうした残骸のほかに全く迷惑千万な置き土産もある。 工事も2年目にさしかかりバベルタウヴ島の奥地に向かって順調に配電線工事が進んでいた。ところがある日現地の所長から本社の私宛に電話があり、『金属探知機を探して至急送ってほしい!』という。 『日本軍の埋蔵金でも探すの?』と冗談を言うと『バカ言え、地雷だよ、ジ・ラ・イ。道路の脇に電柱用の穴を掘ったら出てきたんだ。現地人曰く、この辺りはかなりの数が施設されたそうだ。』『えっ、じ、地雷??』 幸い現地の電力局が軍から地雷探査機を借りてくれて、おっかなびっくり工事を再開したという。地雷のほか40cmくらいの“不発弾”をバックホー(掘削機)で掘り当ててしまい、爆弾処理班が来る前にオペレーターがバケットですくいあげてしまったことも。 『こんなものがあったよ』とフィリピン人オペレーターがみんなのの目の前に“不発弾”を差し出した時には当社社員曰く『・・・・・・んがががぁ〜っ!』 『もうほとんどオシッコちびりそうでした・・。』 ご苦労様。 ところで先ほどから“ASAHI”だとか“KOKUSAI”などという地名が出てきたが他にも“SHIMIZU”とか“MARUKYOKU”なんていう知名もある。さらに現地人同士名前を呼び合うときに『KUNIO』、『YOSHIKO』と聞き、??と思うのだがこれがなんと本名。 そう、ここは第2次大戦以前から日本に統治された経緯がある。[南洋庁]が置かれたことからここが日本軍にとって軍事的要衝であったことがわかる。 日本軍がやって来る前はドイツ領であった。どういうわけかドイツがスペインよりこの島を奪い取り通信基地として利用していたという。 それが第1次世界大戦で日英同盟を結んだ日本が今度は敗戦国ドイツからここを割譲させた。よって前述のように同じく通信機能を持たせた軍事的要衝として第2次大戦後までここを日本領とした。 一方この島には“リン鉱石”の資源があったことから多くの日本人、朝鮮人が入植した。こうした人々のほかにも主に沖縄から農業移民が大勢入り、一時は原住民の数を上回ったほど。 コロール市内の海に面した高台に建つニッコーホテルに向かうと神社跡の階段や道路脇には灯篭が今でも残っている。 それといわゆる“皇民教育”が徹底して行われた結果この島に住む老人は流暢な日本語を話す。このあたりの事情は台湾とも共通し「教育の偉大さ」を痛感する。 パラオ島民にとって第2次大戦はやはり消し去ることの出来ない「苦い思い出」だ。第2次大戦が太平洋戦争とも呼ばれたようにここも戦禍にみまわれた。 ミッドウェー海戦そしてガダルカナル決戦に敗れた連合艦隊司令部はパラオまで後退した。1944年7月、米軍はマラカイ島及びアイライ島の爆撃を敢行し多数の日本の軍艦を沈めた。しかし、実際の戦闘はペリリュー島、アンガウル島で行われた。特にペリリュー島は激戦で守備していた1万人以上の日本兵が玉砕した。 一方コロール島にいた日本兵はバベルタウヴ島に原住民と共に隠れ住み兵站を断たれたまま放置された。米軍はもはやパラオの存在を無視して更に北上したのだが、残された日本兵並びに原住民は食糧難に陥り多くの餓死者を出したといわれる。 |
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![]() 【明治の大砲?呉工廠と刻印されている】 |
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| 【ブルーマーリンを追って】 コロール市内の郊外で新しい変電所を建設する際、基礎工事用の生コンを地元の生コン工場から供給してもらった。 そこの工場に一人のニュージーランド人のマネージャーがおり、我々と親しくなった。最初、彼の話す英語が典型的なキウィ・イングィッシュ(キウィフルーツはニュウジーランドが原産でニュージーランド人のことをキウィと呼ぶ。これは別に蔑称ではない。ちょうどオーストラリア人のことをオージーと呼ぶに似ている)でかつ早口なものだからさっぱり言うことが分からなかった。年のころ40才くらいか。スノッブな白人とは縁遠く、何時も現場の第一線で泥クソまみれで働く男であった。名前をミックという。 そんな働き者のミックに『土曜の午後、生コン車2台分頼むよ』というと途端に機嫌が悪くなる。『なんとか金曜日にならない?夜でもやるからよぉ。ダメなら月曜にしてよ。』となかなか首を縦に振らない。なんでかなぁ〜と思って理由を聞くと『土曜、日曜はオレは海に出て行くんだ。ブルーマーリンを追っかけてさ。』 カジキマグロ。海の王者である。 ミックはこのブルーマーリンを求めて何度かパラオを訪れているうちにここがすっかり気に入ったという。現地の女性と結婚して子供も二人いる。 島民の大半はクリスチャンで日曜日の礼拝は重要な行事だ。ところがこの男にとってはブルーマーリンとのデートに忙しい。 親しくなってからよく彼をからかって『あんたは今のカミさんと結婚したのじゃなくパラオの海と結婚したんだろ』と言うと、片目をつぶって『そうさ』とうそぶく。 土曜日の朝っぱらからボートを出し暗くなるまで帰港しない。翌日の日曜日も同様だ。さすがに日曜日にはカミさんもキレかかり『あんたぁ、たまには子供の相手をしてやってよ!』とガミガミ言うそうである。そんな時ミックは首をちぢめて、そそくさと逃げる様に家を抜け出すそうだ。普段はコワモテのミックもカミさんだけは大の苦手なようだ。 現場に入った当社の社員のひとりも“釣りバカ”で、そのうち毎日曜日、彼のボートに乗りこみ一緒に出かけるようになった。ガソリン代をこちらがもつ、という条件で。かといって金を出せば誰でも乗せるわけではない。それなりに釣りバカ仲間と彼が認めない限り乗せないのだ。 そんな彼らがある日とてつもない“大物”を仕留め、その証拠写真を本社にいる私に送ってきた。 岸壁でシッポから吊り上げた“ブルーマーリン”。添え書きには370ポンドと記されている。そして傍らに立つ吊り上げた男達の満面の笑み。 僕の血が音を立てて逆流する。社員の手紙の最後には「ミックにはこんど私のボスが来るので同乗させてほしいと頼んだところOKでした」 |
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![]() これが送られた写真! |
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約1ヶ月後。僕らはパラオの洋上にいた。ミックと友人のアメリカ人そして我々日本人の4人だ。ミックはこのクルーザーをニュージーランドで購入しパラオまで持ってきたという最新鋭船だ。彼のボートにはGPSが搭載されており、彼が過去マーリンをヒットした経緯度を全てインプットしており、その地点を自動巡回させるという。 彼は自分ではけっして自慢しないがパラオで一番マーリンを釣り上げた男との噂だ。ポイントからポイントへただ巡回するわけではない。重要な目標物は先ず“トリヤマ”だ。大きなトリヤマになると数キロに渡り海上を真っ黒に鳥達が覆い尽くす。 それから“漂流物”海上を漂う流木とか海藻など。そしてパヤオという浮き漁礁。これらの周りや下には小魚が住みつく。その小魚をねらい中型の魚がうろうろする。それを狙うカツオや中型マグロ。最後に登場するのがこの海の王者マーリンなのだ。ちょうどアフリカの大草原の食物連鎖の頂点に立つライオンのような存在だ。 一番怖いのは同じ重要なポイントとして“雨”がある。ミックは紺碧の海の彼方に暗雲を見つけるとエンジン回転を急に上げ、黒いカーテンに向かって突進する。暗雲の下は荒れ狂う海だ。なぜか雨の海域にいる魚たちは活性が高くなり捕食活動をするらしい。それをマーリンもまた知っている。そんな事知らない僕は荒れ狂う海上で木の葉の様に揺れるボートの中で顔面蒼白になって柱にしがみつく。 ところで釣り糸は4本後方へ流される。アウトリガーといわれるロッドの先に糸をクリップ留めし、ボートの外側に張り出すかたちで流される。これはマーリン用だ。べイトとよばれる“疑似餌”(大抵タコベイトの形をしている)を先端に付けている。これを装着する時はけっしてタバコを吸いながら作業しない。匂いがついてしまうからだ。そして内側に更に2本流す。これは比較的小物用、たとえばキハダマグロとかカマスサワラなどの魚種用だ。 朝から流しつづけて一向にヒットしない。午後になってミックは生餌作戦に切りかえるという。そこでさっそく生餌のソーダガツオを捕まえることにする。 前述のパヤオに接近する。竿を小物用の手竿に持ち替え、小型のルアーを流す。パヤオを先ず一周し二周目に入るとボートの後をキラキラ魚体を光らせたソーダガツオの群れが追ってくるのが見える。 『来るぞ、来るぞ!』 ガツ−ンという手応えと共にヒット。すばやくリーリングして引き上げ、再びルアーを投げるともう“入れ食い状態”。止められない止まらない。夢中になって10本ほど上げるとミックが『お前らいい加減にしぃーよ!もうエサは十分だ。』 生餌のソーダカツオをしばらく流すがさっぱりだ。もう陽が大分水平線に近づいてきた。そろそろ帰港しなければならない時間だ。中速でボートを走らせながらコロールへ向かう。船内はダレたムードが漂う。 とその時左のアウトリガーに留めたクリップがバチンと外れ、リールが『ギャーー』と吼えはじめる。 『F〇〇K!』4文字言葉が飛び交い、船内は一瞬パニック寸前に。アメリカ人のティムがロッドを手に取り2,3度しゃくりあげてフッキングを確かなものにする。そしてやおら僕の方を向きあごをしゃくる。『よーっしゃぁー』僕の出番だ。 ファイティングチェアーに座る前に両足を踏ん張り一度大きくしゃくりあげる。ググゥーンという手応えが伝わる。 いる!確かにいる。2度、3度ポンピングして・・・。フッと手が軽くなった。それはあまりの軽さで一瞬魚がボートに向かいダッシュして糸がふけてのか?と思ったのだが、いくらリーリングしてもあの重量が伝わってこない。 『バレタ!』へなへなと甲板に座り込んでしまった。ミックが『何やってんだぁ』という目を僕にむける。 ティムがすかさず『キャプテン、すまん。間違いなくフッキングしたと思ったのだけど』 僕には発する言葉が見当たらない。ティムが慰める様に続ける。 『感触からだとまだ5,60ポンドの子供だと思うよ。今度もっと成長してから会えるさ』 結局この後帰港するまでヒットはなかった。 |
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| 【ダイバーズ・パラダイス】 パラオといえばダイビング!というほどその世界ばかりではなく、一般世間にも有名なそうな。パラオは世界4大ダイビングスポットの一つといわれているそうだが、はて、あとの3つは? 一説によるとグレートバリアリーフ・カリブ海・紅海だといわれる。’95年現在の統計によるとパラオを訪れる観光客は年間約1万人といわれた。そのうち90%はダイバーじゃなかろうかと思われるほど。そのほとんどは若い日本人ダイバーが中心だ。 パラオにはざっと数えても20近いダイビングショップがある。初心者用の“体験ダイビング”から本格派まで楽しめる。 パラオのダイビングスポットは主なところだけでも30ポイント以上あり、なかでもブルーコーナーというポイントが有名だ。ここはかなりのベテランじゃないと潜ることが出来ない上級者用スポット。ギンガメアジの大群、マンタ、サメ、バラクーダ、ナポレオンフィッシュ等々想像が出来ないほどの数の魚達がダイバーの目を楽しませてくれるという。 パラオのダイビングは主流がいわゆるドリフトダイビング(潮流に乗って流されながらダイビングを楽しむ方法)といわれ、海上のボートはダイバーの気泡を見ながら後を追う方法をとる。 我々が行った前年に日本人ダイバー数名が流され行方不明になった事故もこのドリフトダイビングをやっていたという。 ただしこの時のダイビングショップは無許可営業の業者だったといわれ、更に使用するボートの船外機は2基という規定にもかかわらず、1基のみで、このエンジントラブルの修理をしているうちにダイバー達の行方を見失ってしまったという。 僕の知人にかなりのベテランダイバーがいるのだが、彼曰く速い潮流に乗るとまるでス−パーマンになったような気分になれるという。しかし一歩間違えれば前述のような結果になる。 パラオを訪れるダイバー(自称?)は現地の日本人インストラクターの指導の元、比較的に短期間でCカードを取得できるという。ロックアイランドというコロールから二十数マイル南西の素晴らしく風光明媚な島々がある。 途中湖面のような滑らかな水面を石灰岩で下の部分が削られた奇妙な形の島々をすり抜けながら、モーターボートは文字通り飛ぶように疾走する。 ここへは何度か小物釣りに行ったのだが、ダイビングスポットもこの辺りに集中しておりよく昼時には休憩小屋のある小島(ゴミ処理の問題で一つの島のみ、上陸して休憩したり食事できる)でダイバーの連中と一緒になった。話しを聞くとほとんど初心者とのこと。釣った魚を船頭さんに刺身におろしてもらい皆で醤油とわさびでいただいたりした。 さて、このサシミにおろした魚の残骸をもってこの島の海に入るととたんに小魚がそれも信じられないほど多くの小魚達が寄ってくる。ほとんどが色鮮やかな熱帯魚だ。なかば“餌付け”されている状態。ハワイのハナウマベイの比ではない。 シュノーケリングだけでも十分楽しめるポイントだ。とにかく水がきれいである。海中に漂うニゴリらしきものが一切無い。まるで小川の清流のような清らかさだ(なんか比喩が適切ではないが・・)。たとえばコロール島の波打ち際でさえ水の透明度は抜群で、北海道の支笏湖の波打ち際を見ているようだ。 あとダイビング三昧にどっぷりとつかりたい向きには、ダイビング専用船がある。大抵のダイビングはコロールからやって来て何ダイブかした後再びコロールに帰港する。この専用船はそうした行き帰りの時間を惜しむ面々のために、酸素補給ポンプからコックに至るまで全ての必要資機材及びスタッフを搭載、夜は波を避け島影に停泊しダイビングにのみ集中できるという。フィリピン船籍の船もあり価格的にもリーズナブルといつか専門誌で読んだことが有る。なんともうらやましい話しだ。 【再び釣りのこと】 数あるダイビングショップのなかでも大手で、日本人女性の手で運営されていお店で聞いた話しでは、最近はダイビングのお客に負けないくらい釣り客によるボートチャーターの申し込みが増えているという。 確かにお店に掛けてある黒板のボート予約表をみると釣りそれもルアーフィッシング客の予約でいっぱいだ。狙いはGT(ジャイアント・トレバリー)日本名“ローニンアジ”だ。 大きいものでは体長約1メートル、体重40kgを越える大物がいる。この魚のファイティングぶりはルアーマンを魅了して止まない。 GTは普通ポッパーという海面を泳がせるルアーを使用してGTを踊り出させる釣法であるが、水面を走るポッパーめがけて海中から大口を開けて襲いかかるGTの迫力は凄い! この水平的な動きとは別にバーチカルジギングという垂直方向のルアーフィッシングがある。対象魚はカンパチ、マグロ類だ。重さ300gを越えるメタルジグを海中100m以上沈めてからあおりながら高速でリールを巻き上げる。それを何回も何回も繰り返す。とてつもない重労働だ。 これよりもはっきり言って楽なのは電動リールを使用したエサ釣り。これは“ボトムフィッシング”=底釣りと呼ばれる。 水深は100mから200mの海底付近の根魚を狙う。あまり日本近海ではお目にかからない魚もいておもしろい。それとビギナー用には前述のロックアイランドの浅場で釣る小物釣りもある。 |
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| 【KBブリッジの崩壊】 コロール郊外で発電された電気は新設のマラカル変電所を経てバベルタウブ島の3ヶ所の変電所へ送られることになる。 コロール島とバベルタウブ島は約250mのKBブリッジという橋で結ばれている。橋の両端までは架空電線が張られ、海峡横断部分はケーブル線で橋の内部(中は空洞となっている)を通すことになった。 このKBブリッジは2つの橋脚で支えられたゆるいアーチを描いた格好の橋であるが、中間のジョイント部分がたわんで下方に下がっているのが分かる。 橋脚の一つが何らかの理由で沈下したのが原因ではないかとも言われていたが真偽の程は明らかではない。 通行する車両はこの部分で徐行を余儀なくされる。通過制限重量は当初15tであったがその後たわみの度合いが増し10tになってしまった。 橋の内部でケーブルの敷設作業をしていると大型車が通る度にいやな揺れ方をする。 どうぞ落ちないで!と祈りながら施工速度が自然と早まった。 この橋は19年前米国の援助で某韓国の建設会社が落札して工事を行ったという。我々がパラオにやってくる2年程前韓国のソウル市内で橋が崩壊して大惨事になったことがある。原因は典型的な“手抜き工事”だったといわれる。 聞けばなんとその当事者である某建設会社がKBブリッジを施工したというではないか!全員いや〜な予感を抱いたのは言うまでも無い。とにかく無事工事は終わり96年3月に竣工した。 それから半年後の96年9月28日、とうとう運命の日が訪れた。 本社に送られてきた現地新聞のコピーのファックスにはあのKBブリッジが真っ二つに折れ崩壊している衝撃的な写真が。工事関係者一同背筋に戦慄が走った。 もしもあの中で作業している時に・・・と思わずにはいられなかった。 崩落したのが平日の午後ということで通過中の車両数が少なかった為犠牲者の数が少なかったものの1名の尊い命が失われた。これがもし朝夕のラッシュ時であったならば更に多くの犠牲者が出たと予想された。 事故発生後しばらくの間、両島はおんぼろフェリー(一体何処で手に入れたのだろうと思うほど年季が入っている)によるピストン輸送が行われた。 国際空港がバベルタウブ島にあるため全ての観光客がこのフェリーの世話になった。 現在は仮設橋で2つの島は結ばれ車両も通行できるようになったようだ。 昨年、日本政府の無償援助で新しく橋が架けかえられる事が決定した。日本としてはもっと早くに援助してやりたいところであったらしいが、どうも米国の顔色をうかがっていた節がある。 というのもここ十数年ある事情で米国がパラオにかなりの援助を行っていたため、日本が勝手に先走ることを恐れたと思われる。 第二次世界大戦後パラオは他のヤップ、トラック、ポナペ、コスラエと共に国連信託統治領として再出発した。他の島々がミクロネシア連邦共和国の名のもとに独立した後もパラオは独自路線を歩んだ。 国連信託統治領といっても実質的にはアメリカの支配下に置かれたともいえる。1994年10月1日米国と 「自由連合協定」を結ぶことにより独立。現在の大統領は第4代のクニオ・ナカムラ氏。両親は沖縄の出身の日系大統領である。 在比米軍の撤退によりこの地域の米軍の軍事的プレゼンスが弱まることを懸念した米軍は古来より地形学的に軍事的要衝であるパラオの存在価値を再評価しているようだ。 ただアメリカ軍の配置を承認させる代わりに多額の金を払いつづけることは決して住民には良い影響を与えない。 援助づけに慣れると自立への意欲がそがれることは否めない。そして最もアメリカ的な“病”麻薬が氾濫している現状はさらにパラオの未来を暗示する。 “南海の楽園”は安易に楽園であり続けることは難しい。旅の者には一瞬楽園と映るのだが・・・・。 |
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