つーさんのエッセー



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ★★★
     ★☆★つーさんのエッセー
           ★★★
            ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



一覧件数

掲載一覧表
掲載日時タイトル
2009/11/29予算見直し会議に思う
2009/11/22高山観光は面白い
2009/11/08次から次に面白い本が
2009/11/01個性的な連中をまとめるのは難しい
2009/10/18年齢相応の認知症
2009/10/11自宅から見える山々
2009/10/04移動空間と情報量
2009/9/27温水式トイレに思う
2009/9/20挨拶とプレゼン
2009/9/20送別会に思うこと
2009/9/6旅の楽しみ
2009/8/23遠出の楽しみ
2009/8/16母の介護と老い
2009/8/931年前のあの山行
2009/8/2節目の年が続く
2009/7/26廃棄物処理業界
2009/7/19新しいもの好き
2009/7/12懇親会続きの日々
2009/7/05古代ギリシアの文化
2009/6/28人生は最後までわからない
2009/6/2065歳こそ再スタート
2009/6/14統計の不思議、ウソ
2009/6/07定年退職までの5年間
2009/5/31フラッシュバルブ現象
2009/5/24なぜ懐かしいんだろうか
2009/5/17効率と機能美は両立するか
2009/5/10還暦そして体力について思うこと
2009/5/03古くて良いもの新しく良いもの
2009/4/26ビールの味の不思議
2009/4/19他人の痛みはなかなかわからない
2009/4/12介護社会と格差社会
2009/4/05山岳会創立55周年に思う
2009/3/29NPOの設立
2009/3/22シニアの付き合い、世界
2009/3/15え、タクシー代?
2009/3/08山野井さんの講演に思う
2009/3/01よって立つところ、議論の基盤
2009/2/22デジタルカメラの可能性
2009/2/2260歳以降の人生プラン
2009/2/15アクティブ エイジング
2009/2/8楽しい懇親会
2009/2/1現役最後のチャレンジかも
2009/1/25「黒部の太陽」とバンザイ
2009/1/11不況は昔もあった
2009/1/4初詣とおみくじ

過去のエッセー情報(2002年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2003年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2004年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2005年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2006年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2007年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2008年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分
過去のエッセー情報(2009年)
01月〜03月分 04月〜06月分 07月〜09月分 10月〜12月分

予算見直し会議に思う

●査定を受ける側の甘えの構造がある
掲載日時:2009/11/29
 民主党になって、マニフェストを実現するために、それ以外の予算を 削減する必要があると「業務仕分け会議」で予算の見直しが行われた。こ れに対して非難の声が強い。それは当然だろうと思う。自分たちに関係 する予算が減らされるのには黙っていられない。「予算の見直し」で予 算が増えるところがないのだから、非難が多いのは当然だろう。

 でも、待って欲しい。家計でも会社でも予算がなければ、ほとんどの 費目で予算カットが行われたのではないだろうか。そのとき、みなさん は抵抗したのだろうか。「国家存亡の危機」ならば、「会社存亡の危機」 だっただろう。でも、議論もせずに「仕方がないね」と受け入れたので はないだろうか。なぜ、国家が相手ならば認めることができないのか。

 僕は、この4年間、自分の人件費以外会社から予算をいただいていな い。すべて国からの予算で必要な実験を行ってきた。それしかできなか ったのだ。獲得できなければ僕は引退せざるを得なかった。満を持して 温めていた構想をぶつけたのだ。

 予算削減会議の中で、日本未来館館長の毛利さんがプレゼンをやって 予算の削減を最小限に止めた。あれを見ても責任者の責任が大きいこと がわかるだろう。黙っていて、あるいはPRもせずに「専門知識のない 連中が査定するんだから」といっていても仕方がないではないか。

 予算が減るのは誰だって面白くない。でも減るのは成果が上がってな いかPRが不足なのだ。要求する方も反省が必要だろう。無い袖は振れ ないのだから。

高山観光は面白い

●江戸時代に栄えたことが信じられない
掲載日時:2009/11/22
 わが夫婦は、僕の母をショートステイに預けないとどこにも行けない。 昨年の4月から闖入した。以来、自分達の自由で動けなくなった。これは 大きなことだが、また別の機会にしよう。

 家人の誕生日が11月19日だったので、家人がショートステイも予約を 取った。17日〜20日ならOKとのことで。僕は、17日〜18日は代休、19 日は有給の予定だった。ところが、19日に神岡に出張が入り、急きょ遊 びも高山方面を検討した。

 で、結局、高山を観光した。まあ、古い街並みに残る一角しか興味は ないけど、面白かった。

次から次に面白い本が

●ミステリーよりも新しい知識が嬉しい
掲載日時:2009/11/08
 僕は読書が好きだが、好きなものでも好きな順番というものはある。 科学史、技術史、歴史に関する新しい知識が得られるものが一番好きだ。 別に小説仕立てなっていなくても文章がうまければいい。歴史といって 漫然といつの時代でもいいわけではない。興味のない時代もある。

 いまだに数年前に読んだ、山本義隆の「磁力と重力の発見」が一番面 白かったと思うが、それほど売れていない。退職でもしてじっくり読む と、また面白いと思う。

 最近、7月以降で拾うと、技術史は「望遠鏡400年物語」、「古代ギ リシアのコンピュータ」が良かった。社会学では「インド特急便!」、 「ルポ資源大陸アフリカ」が良かった。小説以外では他に「ゆびさきの 宇宙」、「日本語が亡びるとき」、「コロンブスそっくりそのまま航海 記」、「忘れられない脳」が面白かった。「実践行動経済学」と「世界 でもっとも美しい10の科学実験」は外れだなと。

 小説では、何といっても高橋克彦の浮世絵シリーズを上げたい。二番 目には、雫井脩介の小説を上げたい。三番目に高田郁を上げよう。「田 村はまだか」はその次で、「終の棲家」は選外だろうと思う。とにかく いくら読んでもいくら読んでも面白い本は出てくるのだ。

個性的な連中をまとめるのは難しい

●地元の活動は難しい。
掲載日時:2009/11/01
 60歳前に職場にいると、年齢差、職位の差というものが厳然とある。 社外に出たって、お互いの会社における職位に経緯を払って付き合うの が常識だ。だから、会議が大きくもめることは少ない。職位の上の者が それなりにまとめるのが常識だからだ。

 これが自治会の役員を引き受けたりすると、様子が違うのに愕然とす る。自分の職場における職位が関係ないのは当然として、年齢も関係な い。40歳くらいの方に「こちらの理屈が正しいのではないか」と思った って、向こうの鼻息が荒ければ押されてしまう。16年前に越して来た時 に頼まれて理事長をやってときには、何も感じなかったけど、今年の3月 にマンションの自治会の総会に出席した時、議論を聞いていて、とても 一緒に議論できないと感じた。僕はマンションではノンポリになったの だ。

 今年は友人たちが設立するNPOに加えていただいた。9月25日に無事に 設立した。すでに正会員が40名以上いるが主体は60代である。現在も職 を持っている方が多いのだが、ほとんどの方が現役(60歳前)のときに は功成り名を遂げた方であり、現在でもそれなりの立場にある方が多い。 このNPOの会議でも個性の強い方が多いので色んな意見が出るが、マンシ ョンの自治会との違いは、素姓のわかっている方ばかりなので、理屈が 通るし収まるところに収まることだ。

 地元の活動は難しいと思う。主婦のみなさんは偉いと思う次第。


年齢相応の認知症

●日常会話ではなかなかわからない。
掲載日時:2009/10/18
 実母が現在85歳で僕の実家にいる。58歳で中途失明して、自立の ための訓練を全くしてない。昨年の4月末に自宅に引き取ってからわか ったのは、かなり重度の「認知症」であることだった。

 実は書いたような気がするが、長男ではあるが父母とは18歳以来、 離れて暮らしていたし、近年、顔を見せる機会が減っていたのでわから なかった、といいたいのだが、実はそれは間違いであることがわかって いる。日常会話で、老人の「認知症の程度」はわからないのだ。

 家人はケアマネージャであって、母を引き取るときに一緒に札幌に行 ってもらった。彼女にしても「認知症の程度」は判断できなかったのだ。 自宅に連れて来て、近所の信頼できる懇意の医者に診てもらった。長谷 川式認知症テストというのがあって、それを受けたら30点満点の6点 だった。これは重度の認知症だそうだ。付き添った家人が落胆していた。

 この試験は、例えば「100から順に7を引いて下さい」というのが最も 難しい試験だ。母はほとんど答えることができない。最悪は、「きょう、 一緒に来てくれた方は誰ですか」と聞かれて「兄嫁です」と答えたこと だ。母には姉はいない。付き添ったのは家人である。

 僕とは、平日の場合、朝食の時くらいしか会話はしない。会話は、こ れも最初はわからなかった。問いかけると、その問いには答えることが できるのだ。ただし、それは「知恵遅れの子供たち」では既知の「オウ ム返し」の会話なのだ。つまり、「きょうのオムレツはおいしい?」と 聞くと、「このオムレツはおいしいよ」と答えるのだ。ところが、「い ま食べているのは何?」と聞くとわからないのだ。それが「オウム返し」 だ。専門的には作話タイプという。

 この作話タイプというのを知って、ほとんどの会話に合点が行った。 以降、意識的にオウム返しできる会話は避けている。母は目が見えない せいもあって「認知」が実際の年齢より10歳も進んでいるそうだ。家 人に聞くと確かに、95歳といい勝負のようだ。昼の1時に食べた昼食 のメニューは自分ではわからないし、教えても直後に忘れる。聞かれた ら、いつでも自分が好きな「生寿司」と答える。これは経験値なのだ。

 家人が先日、専門家の講習で「認知症」に関しても勉強をしてきた。 それによると「認知症が重度になると世間の話題に答えることができな い」というのがあった。帰宅して母に試したら「そんなたくさんあるん だからわからないよ」と答えた。「いいわけをして、わからない」のが 「重度の認知症の共通した反応」だそうだ。家人は「まさしく、その通 りの症状ね」といった。


自宅から見える山々

●虚実の移動量で決まるのだろう
掲載日時:2009/10/11
 相模原の淵野辺付近は標高で200m程度だと思う。そこに立つマンショ ンの13Fに住んでいるので、大体250m付近に住んでいることになる。マ ンションの外廊下から晴れた日には山が見る。ベランダは南向きだから 山は全くない。西から南西方面には丹沢があるのだが、こちらもマンシ ョンの影になって見えない。たまに見える、山の遠景は気になっていて ときどき地図を眺めたのだが、どうも良くわからない。僕は山座同定が 得意ではないのだ。それが今年だったか、奥多摩の山に行ったときに大 岳山の山容を確認してから同定がやりやすくなった。

 9日の朝、前日台風が通過したせいか遠くまで良く見えた。狙い目は 山並みの連なりが距離によって濃淡が違うのだが、それが明確に見える ときなのだ。6時頃にちょうどそのような状態になったので望遠で撮影 しておいた。

 北西で一番手前に見えるのは、刈寄山、陣馬山、生藤山、権現山、扇 山だろう。その奥にくっきりと高いのは、日の出山、大岳山、三頭山、 大菩薩嶺、黒岳だろう。さらに奥に薄く見えるのは、酉谷山、雲取山、 飛龍山、笠取山、甲武信岳、国師ケ岳、金峰山だろう。大岳山の右方向 に見えるのは武甲山などだろうと思う。

 金峰山の左側、ずっと奥に高そうな山が見えるのだが、どうも甲斐駒、 仙丈のように思えるのだが、どこの山だろう。大体100km程度先まで見え るようだ。もちろん、条件がいい場合で通常はみえない。

移動空間と情報量

●虚実の移動量で決まるのだろう
掲載日時:2009/10/04
 移動中などに気がついたこと、つまりはSNSの話題になりそうなトピッ クスは携帯電話のメモ帳に記録している。ただし、10件だけなので書き 込んだトピックスは次々と消して行く。長く書きたければ、ポメラを開 けて喫茶店などで書く。現在、二つのSNSと付き合っていて、毎日一つは 書きこんでいるので、毎週、14個のトピックスが必要になる。他人の注 目を惹くような話題を週に14個あつらえるのは実は大変なことだ。

 連休に自宅にいたり、たまたま出張も社外への外出もない週に、読書、 政治、スポーツなど以外の話題を見いだすのはなかなか難しい。読書を 上げたのは、通常というかこれまでというか、読書の話題ではコメント を書いてくれないのがわかっているからだ。SNSに書き込む理由、ある いは動機は、自分の記録であると同時に文章の練習でもある。

 僕は外出時にもデジタルカメラを持ち歩くことが多い。携帯電話の写 真でもいいのだが、ズーム等が駄目だし、暗いところでは機能的に不十 分だ。外出すると、必ず目につくものがある。目につくというのは、特 に気をつけて探しているわけではない。普段の注意力で目に入るのだ。

 というような経験で感じているのは、情報力は自分が移動した空間移 動量の関数だなということだ。もちろん、単独の変数ではない。動いて も情報が入らない方もいるだろう。この移動は実際に移動せずに、虚構 の世界を移動してもいいわけだ。小説の世界を移動するようなものだ。

 地方に移り住んで変化の少ない生活を送ると、飽きが来るのは要はテ レビ、新聞以外の情報がなくなるからだと思う。インターネットは虚構 ではない世界だが、実の世界でもない。情報は入手できるのだが、生の 情報ではない。一般的な人とは、虚実両方の情報がないと満足できない ものらしい。

温水式トイレに思う

●文明に浸るのは怖い
掲載日時:2009/09/27
 今住んでいるマンションに越して来て16年目だ。越してきたときに、 今使っている温水式トイレを知り合いに頼んで安く据え付けた。その頃 から、新築マンション、新築戸建では温水式トイレが一般的になったよ うに思う。5〜10年前はビジネスホテルに泊まっても温水式でないト イレも多かった。わが社の本社と、僕は勤務する職場が温水式になった のは5〜6年前ではないだろうか。その頃から、外出しても温水式のト イレが普通になった。四谷の土木学会も新築と同時に温水式になった。

 自宅と職場でトイレに入れば、外出先でトイレ(大)を使うことなぞ あまりないが、体調の悪い時もあれば、タイミングの悪い時もある。そ んなとき、徐々に温水式でなければ敬遠するようになってきた。これが 困るのだ。駅などはもともと汚れているし、ほとんど望み薄だ。デパー トに飛び込む手があるが、試してみたら意外と混んでいる。こういう機 会が増えるとどこに温水式のトイレがあるか詳しくなってきた。

 山のトイレも環境意識の高まりで随分きれいになったし、麓は温水式 が増えている。いずれ、公共の場所も温水式になると思われるのだが、 実はアウトドアを好む人には厄介な問題だ。僕らは、大人になってから も温水式にはなじんでなかったが、今の子供たちは最初から温水式だ。 これによって彼らはトイレを克服しなければ、野外の遊びなどできない のだ。もっとも携帯式を持ち歩くという方法はあるが。

 世の中、便利で安全で快適になっているが、実は一歩外に出ようと思 うと快適に飼いならされている自分に気づくのだ。たまには、文明機器 を使わない機会も必要かも知れない。


挨拶とプレゼン

●馴れるのがいいのか悪いのか
掲載日時:2009/09/20
 山岳会の会長を20年以上続けているので最近こそないが、結婚式の披 露宴で仲人も何度かやったし、主賓としての挨拶は何度やったかわから ない。学会の口頭発表は100回以上あるし、講演会の講師もたくさん経 験した。

 披露宴の挨拶の場合は、招待状をもらったときから話す内容は考える。 プリンターで手のひらに収まるような原稿は書くのだが、大体の内容は 覚える。式まで何度か練習して、大体3分以内に収まることを確認して おく。何度経験しても、マイクの前に立つ前は緊張する。しかし、紹介 されてマイクを握ると緊張はさっと溶ける。そうなると原稿はあるが、 アドリブが入り原稿通りには話さない。

 学会発表の場合は、すでにパワーポイントなので時間があれば、パワ ーポイントができてから、何度か練習して時間以内に収まるようにする。 原稿は昔から作らない。自分がやっていることなので完全に頭に入って いる。今月19日の学会は、時間がなくて新幹線の中と会場でも練習し た。専門外の生物試験の結果だったので気を使った。やはり緊張したが 壇に上がると緊張はなくなった。現役最後の発表だったが無事に終える ことができた。

 40歳前後までは社外の大きな懇親会で挨拶をすると(しかも突然)、 年長者も多いので緊張して思ったように話せないことが多かった。でも 今はそういうことがなくなったのは、年の功なのだろうと思う。でも年 を取って緊張感がなくなって内容のない話をするより、緊張している若 手の思いがこもった挨拶の方がいいと思う。

 学会発表では、学生などが(修士も含めて)原稿を見ながら、必要以 上に背景、研究の目的を重視した発表を見ているとしらける。もう少し 練習をさせるべきだと思う。自分がこれまでやってきた研究なのに、ど うして原稿な必要なのだろう。僕らの時代はスライド、OHPの時代だ から話したい内容を十分に盛り込むことができないので原稿が必要だっ たのだ。

送別会に思うこと

●心をこめなければ楽しくない
掲載日時:2009/09/13
 昔から、社外の会、たとえば同期会、社外委員会などでの懇親会の幹 事とか旅行の幹事などは豊富な経験がある。社内の懇親会でも、定年を 迎えた方の送別会以外ならばある。社内を例にとると、役員クラス(今 なら執行役員クラス)の社内横断的な送別会はあるが、そうでなければ 社内横断的な送別会はあまり聞かない。

 昨年から何度か役員クラス、準役員クラスの送別会があって出席した。 出席したくない送別会だったのだが、主催者から「出席して欲しい」雰 囲気が感じられたので嫌々出席した。無料じゃないから、本当に出たく なかった。

 最初の会は、某ホテルで役職を書いて「送る会」となっていた。会場 が広いので人数が必要だったのだろう。それなのに「課長以上」とした のは集客に自信があったのか。幹部のつまらない挨拶があって、本人が それを煙草を吸いながら、ふんぞり返って聞いていた。最後は全員が手 でアーチを作って送り出してようだが、先に退席した。

 もう一つは、部長クラス二人の合同送別会だった。これも原則課長以 上で70名集めたようだが、会場の都合で芋の子を洗うような会場だった。 騒音に満ちた中で、感情のこもってない挨拶がいくつかされて、花束を 渡されて終わった。

 そういう送別会に出席して、「こういう送別会」ならば出たくないな と思うのだ。僕は葬式と送別会は、いなくなるのを惜しむ人に出て欲し いと思う。人数の問題ではない。本当に仲の良かった人の挨拶を聞きた い。今回、長い付き合いの同僚の壮行会を企画したのは、そのような理 由からだ。最近の送別会に対する批判としての送別会の意味もある。

旅の楽しみ

●山、景色、温泉、酒そして乗り物
掲載日時:2009/09/06
 2週間前には「遠出の楽しみ」を書いた。遠出も旅行も同じようなも のだけど、遠出には仕事の主張も入るが、出張は旅行じゃない。僕の場 合には旅行とは目的を持って計画するものだ。山に行くことが多いので 計画しなければ行くわけにはいかない。

 8月7日から9日まで北アルプスに行ったが、最初から雨で、室堂か ら入って五色ケ原を往復して下山した。下山後は、立山駅の温泉に入り、 事情でそのまま車で帰宅した。大変、味気ない旅行で、たまにはああい うこともあると思う。

 8月26日からの旅行では、26日に旭岳温泉に泊まった。翌早朝に 周囲を見てみたら他にいい温泉があったが、僕の泊まったホテルよりも 高いと思う。僕の泊まったホテルだって結構高かった。食事には満足で きなかった。27日は層雲峡に下山した。途中の黒岳小屋は感じが良さ そうだった。層雲峡から入れば近いだろう。層雲峡は温泉も食事も楽し めそうになかった。上川駅も何もないところで閉口した。これが地方衰 退だと思う。小樽まで行ってビジネスホテルに泊まった。夕食は外で食 べたのだが、これが当たりだった。「荒又」という蕎麦屋だ。あれは嬉 しかった。

 28日の朝、雨だったので早々にあきらめてゆっくり出発。ニセコで 有島武郎記念館を見学した。駅前に戻り、町の施設の温泉に入りレスト ランで生ビールを飲んでうどんを食べた。こういうのはいい。晴れてい ればもっと良かったのだが。町民の利用も結構多いようで繁盛していた。 路線バスで五色温泉郷に向かったら最後は客が僕だけで、しかもガスで 濃くて視界ほとんどなし。「山の家」をどうやって見つけようかと思っ たほどだ。露天風呂に入っても何も見えなかった。

 翌29日はガスが晴れて、ニセコアンヌプリが見えた。五色温泉は宿が 2軒だがどちらも眺めは駄目だと思う、泉質はいい。タクシーで倶知安 に出て小樽に行き、小樽から札幌に出て札幌で帯広行きの特急に乗った。 小樽駅のホームにはランプがあって、ロマンチックだった。特急内で家 人と合流した。十勝平野はやはり雄大だと思った。帯広駅から十勝川温 泉までタクシーで行ったが、僕はいた40年前とはもう道が違うそうだ。 十勝川温泉はモール温泉だそうだが、実は初めて知った。食事は全く駄 目だった。中国人が多いのには驚いた。翌朝、熱気球を上げるの見物した。

 30日の朝、駅前でレンタカーを借りて、ドライブしながら糠平温泉に 向かった。途中で入ったレストラン(他にほとんどない)は客も多く、 おいしかった。地元の文化発信点だろうと思う。大学時代を東京などで 過ごして、そして地元に戻って経営しているのではないだろうか。もと もと地元の店はないような気がする。糠平温泉は、町自体はさびしい。 しかし風呂はいい。泊まった糠平館ホテルは、露天風呂の場合、視界に 人工構造物は見えない。風呂に清潔で混まない。トイレの温水式だし全 く問題がない。夕食は、外部委託のようだが、安くて、値段の割に旨か った。翌朝の朝飯は、人数も少ないのにバイキングでしかも過不足がな かった。6時前に起きて熱気球に乗った、初めての体験だった。エキサイ ティングだった。

 糠平温泉の目的はタウシュベツ橋を見ることだったのだが、事前の調 査で水没していることは知っていた。しかも接近することもできないそ うだ。ガッカリはしたけど、その代わりに人力トロッコに乗って遊んだ。 31日の朝、気球に乗った後、風呂に入り、そして朝食。車で池田町のワ イン城に寄ってから帯広に行った。台風が接近しており、飛行機が欠航 するかも知れないとやきもきしながらの観光だった。山も温泉も、景色 も楽しんだし、気球もトロッコも面白かった。満足した旅行だった。

遠出の楽しみ

●山、景色、温泉、酒そして乗り物
掲載日時:2009/08/23
 出不精の人がいるそうだが不思議でならない。どうしてあれほど楽し いことが面倒なのか。僕の場合、遠出が山登りを指すことが多くて、山 の準備は面倒だし、重いザックを背負って山を歩くのも大変だ。でも下 界を歩くのは楽だし楽しいと思うのだが、・・。まあ、ひとそれぞれだ。

 僕も学生時代は大学院を含めて海外に行ったことなどなかった。国内 旅行だって、帰省を除いたら数回程度だろう。社会人、それも現場から 本社に異動になってから、国内外を問わず出かけることが増えた。一番 大きいのは趣味の山で、社会人になった1975年に山岳会に入って本格的 に山を始めて、以来月に2回は山に出かける生活を送っていた。それは 32歳で結婚してからも続いた。経済的にも山にかけた金額は大きかった と思う。

 山の場合は長野、岐阜、富山、山梨、静岡が多いことになる。若い頃 は地方の100名山なんぞ全く興味がなかった。如何に趣向を凝らした山、 高い山、に行くことを考えていた。下山して必ず温泉に入ることにした のもそう古い話じゃないと思う。

 34歳頃から技術研究所で岩盤・トンネルを担当することになって、全 国のトンネル現場に行く機会が増えた。わが社はトンネルが得意なもの で現場はそれこそ全国各地にあった。だから、山と仕事で全国ほとんど の県に足を踏み入れた。もっとも全国各地に行っても僕は観光にはほと んど興味がなかった。現場に行くと必ず現場の方と飲みに行くので一人 で行くことがない。僕は自分で探した地元の飲み屋に行くのが好きなの だが。

 小泉改革といわれるが、地方の変貌は徐々に始まっていたと思う。最 近、地方のJRの駅に行って地方の駅で降りると周辺に何もないことがあ る。バスの路線も廃止になっている。つまり、完全に車社会になってい るのだ。これはおそらく、小泉改革のせうではなくて、全国の人がミニ 東京を求めた結果なのだと思う。脱線したが、そのようなことで段々地 方に行っても楽しくなくなっている。残念なことだと思う。

 時間のあるときは、地方路線に乗るのが楽しい。下手をしたら2時間 ほども時間があくことがある。車でなければ不便なのだ。駅前に飲食店 があれば酒を飲んでもいいのだが、そういう店だってない。

 山を下りて帰宅するときは、電車に乗って酒を飲みながら帰るのが楽 しい。年を取ったらそういう生活を送りたい。

母の介護と老い

●これからの日本は大変だと思う。
掲載日時:2009/08/16
 昨年の2月19日に父を見送った。4月末に札幌に住んでいた母を自宅に 引き取った。家人の養母は15年ほど前に亡くなって、秋田に養父が残っ ているが、すでに83歳程度で今後が心配な状態だ。家人には弟も妹もい るのだがはなはだ心もとない。

 母は50代半ばで中途失明したが、失明に伴う訓練を受けていない。世 の中にこういう方は大勢いるらしい。特に糖尿病で中途失明した方には 多いらしい。母は別の病気だが。

 自宅に引き取るにあたって、手すりを設けたり、車椅子を準備したり、 トイレの温水式も操作しやすいものに交換した。こちらに来てから、家 人が病院に連れて行って検査を受けさせた。長谷川式の認知症のテスト というのがあって、それを受けたら30点満点で確か6点程度だった。これ は重度の認知症であって、通常90代半ば程度の認知症だそうだ。目の見 えないのも影響しているらしい。これはどの程度かというと、人の認識 はできるが、数字の計算などはほとんどできない。

 毎日、認知症の薬(アルツハイマーの薬らしい)を飲んでいるので多 少は進行が抑えられているらしい。でも、ここに来てからの1年と4カ月 で確実に進行しているように思う。最近では全く物を覚えることができ ない。数分前にいったことを忘れるのだが、忘れるというよりリセット されるという方が正解だ。勝手にリセットされるのだ。

 こんなことがあった。札幌からお金を持ってきた。それを勘定してい た。たまたま近くで見えたので、「お金を勘定しているの」と聞いたら 「全部100円札だろう、何枚あるの」と聞く。母が50歳代にはすでに100 円札などなかったはずなのだが、なぜなのだろう。数えたら8万7千円あ った。それを教えたら、別の袋を出していくらあると聞く。9万1千円だ った。「さっきはいくらあった?」と聞いたら、もう覚えていない。こ の二つを足すこともできない。10時半頃に、仏壇の前に置いてあったお 菓子を食べていた。聞いたら、「腹が減った」という。8時頃に朝食を食 べたのでわれわれでもお腹が減る時間帯ではない、食べたことを忘れて いるのだ。

 食事のとき特に夕食だが、引き取った頃は、目が見えなくても食器の 配置はわかったようだ。今は覚えられない。必ず手を出して探っている。 完全に覚えているのは、いつも同じ位置に置くご飯茶わんとみそ汁の位 置だけだ。特に右方向の記憶が悪い。自分が何を食べているかもわから ない、でも自分ではそういうことはいわない。こちらが「それはカニだ よ」というと「ああそうだね、おいしいね」という。そばで会話を聞い ていると何ら不自然さのない会話に聞こえるだろう。でもこれは作話な のだ。直前に、人が口にした言葉に合わせて自分で会話を作ってるのだ。 つまりは、オウム返しに会話をしている。一緒に暮らしているとさすが に徐々に理解してくるが最初は全くわからない。

 普段は毎日デイに行ってくれるので助かるが、デイのお迎えは朝の9時 だ。帰りは16時過ぎだ。会社勤めの男女が対応できる時間帯ではない。 介護するということは、夫婦のどちらかが勤めを辞めることになる。重 大問題なのだ。わが夫婦は、家人が自営なので助かっている。一人っ子 同士で結婚して両方の両親の介護に直面すると悲惨だが、それでも一人 よりはいい。独身で両親の介護となると悲惨を超えるだろう。結婚の勧 めである。

 先日、山城新伍が特別養護老人ホームでなくなった。70歳というので 驚いたが、僕の大学の先輩も68歳で特別養護老人ホームに入ったそうだ、 昨年の同窓会の通知に奥さんが書いていた。これからの人生(特に若い 人たち)は、両親の介護まで含めて自分の介護まで考える必要があるの だろう。長命の社会とはそういうものなのだろう。

31年前のあの山行

●30歳前後の山は充実していた。
掲載日時:2009/08/09
 31年前のあの山行とは、昭和53年8月2日〜6日の間、欅平〜阿 曾原〜池の平(泊)〜池の平山〜小窓の王〜三の窓〜剣〜剣沢(泊)〜 雄山〜剣沢〜真砂沢〜ハシゴ谷乗越(はしごだんのっこし)〜黒四ダム 〜扇沢、と歩いたコースのことだ。メンバーは本田夫妻、上田夫妻、中 里、佐藤(由)、稲葉の7名だった。欅平からの水平道の歩き、小窓か の剣と難所の続く道でよくぞ女性3人も連れて登ったものだと思う。池 の平らからの剣山には感動した。蟹のたてばいで、本田夫人が風にあお られて浮いたのには驚いた。30年以上も前のことなのに記憶が鮮明な のにも驚く。

 僕は「ともしび山岳会」に昭和50年の5月に入会した。大学院を終 えて入社した直後のことだ。その年の夏合宿で行った、剣北方稜線の山 行も忘れられない。自分の記録がなくてちゃんとコースを覚えてないの だが、馬場島からブナグラ谷を遡行して、赤谷山を越えたあたりで断念 して東大谷を下ったのではないだろうか。合計13人で、内新人が7〜 8人いたんだろうと思う。連れて行ってもらった山行だった。最後は懸 垂下降で降りて、馬場島で幕営して帰宅した。馬場島での食事は群がる ハエを追い払いながらの食事だった。

 確か55年だったと思うが、日光白根から皇海山までの縦走した。男 女計4名で行った山だが、途中、水を得られない、ルートファインディ ングしながらの山だった。皇海山に着いたときは感激した。途中、何度 かルートを探すのに苦労した。

 その頃、夏の湯俣温泉から北鎌沢〜槍ヶ岳を縦走した。今は、大天井 から貧乏沢を下るそうだが、当時は高瀬ダムから千天出合まで遠かった。 湯俣山荘から水俣川を遡る内に、日ごろの不摂生がたたって足が痙攣し た。途中、ワイヤが2本だけ残っている個所の渡渉があってスリル満点 だった。北鎌沢右俣にやっと取りついて登り始めたら雨が降ってきた。 北鎌コルで予定外の幕営をして日が高いので昼寝をしていたら夢を見た。 その夢まで覚えている。翌日、独標にノーザイルで取りついたのだが、 無事に登れたのは若気の至りだったとしか思えない。その日は涸沢ヒュ ッテまで行き祝杯をあげた。翌日、パノラマコースを下山した。同行は 中里だった。

 20代の後半から30代前半というのは、大きな可能性のある年代だ と思う。アラカンになった今、そう感じている。

節目の年続く

●5年に一度の行事が2年連続
掲載日時:2009/08/02
 昨年だったか、出身学科の創立110周年だったと思う。10年ごと に記念行事をやっているのだと思う。明治の初年に学科がスタートした ときの古いレンガの建物は補修されてまだ現役で使われている。また、 昨年は卒業時のコースの開設60周年だったはずだ。こちらも記念行事 には参加できなかったが、寄付だけさせていただいた。早いもので僕ら が卒業してからでも昨年で35年だったのだ。土木系の35年会は9月 末に舘山寺で開催された。衛生工学科の35年会は僕も幹事の一人で台 湾に旅行に行った。僕はどちらにも参加した。衛生工学科の40年会は 札幌で開催になっているのだが、さて、幹事のF教授は卒業のはずだが どうなっているか。土木系の40年会は、関西組預かりとなった。準備 会はすでにスタートしている。

 今年は所属する山岳会の創立55周年だ。僕は入会して34年になる。 今年はすでに会員でないOBも含めて開催することになり、僕が幹事代 表で準備を進めている。若い人を幹事に入れているのだが、いろんなア イディアが出てきて楽しい。10月24日に秩父で開催だ。僕は来年の 3月末に定年だが、27歳から付き合いがあって、結婚式の司会までや ってくれたKが9月末で一足早く定年を迎えるので、僕が幹事の一人と して送別会をやることにした。こちらは9月18日だ。50名以上集め て霞ヶ関ビルの東海大学校友会館で開催を決めている。そんなこんなで 仕事とともに忙しい毎日を送っている。

廃棄物処理業界

●知れば知るほど奥の深い世界
掲載日時:2009/07/26
 7月24日に「関東建設廃棄物協同組合」の「講演と懇親会の集い」 に参加した。昨年、アスベスト含有廃棄物の無害化処理の件で相談に伺 って、お誘いいただいた。今年も昨年に続いて誘っていただいたので仲 間3人と参加した。理事長の挨拶を聞いていると、昨年は燃料の値上げ が痛かったようだが、今年の挨拶では流通量自体も減っているようで苦 労がしのばれた。

 今年は、何とまじめなことにパネルディスカッションが計画されてい た。それなりに面白かったのだが、良かったのは「京都府産業廃棄物協 会 会長」の文盛厚さんだろう。文さんは、廃棄物一筋の人生だそうで 発言の合間に実態を鋭く指摘されていた。僕らが、関係者に話を聞いて もどうしても理解できない、わからない部分がある。個人住宅の屋根は 化粧スレートといって昔はアスベスト含有建材だった。今の製品はもち ろん違う。

 この屋根瓦を交換せずに古い瓦の上に新しい瓦を載せている、いう人 が結構いる。でも上に載せてもいつかは表に出るわけだ。また、個人住 宅は重量に対してそう強い構造ではないだろう、屋根の重量を倍にする のは疑問だと思っていた。24日の文さんの発言では、大手住宅メーカ ーが解体するなら100万円ほどかけてまじめに法律通りに解体処理す るだろうけど、通常は30万円程度でやるまじめでない業者に仕事を任 せて、他の廃棄物と一緒くたにして混合廃棄物として処分されるという。

 結局、そういうことなのだ。アスベスト含有濃度1%以上の建材はス トックが4000万tあって、その内1/3は化粧スレートだといわれ る。その1/3は当分(法規制を厳しくしない限り)、ストレートに表 に出てこない可能性が大きい。世間のまっとうな市民は、アスベスト含 有建材のいい加減な処理を許さないが、実は自分の周りにこうやってま ん延しているのを知らない。

新しいもの好き

●血は争えないか?
掲載日時:2009/07/19
 先週6日にキングジムの「pomera」を購入した。こう書いてもわから ない人がほとんどだろうと思う。その前の週だったか、日経新聞の記事 で「キングジムの収益にpomeraが貢献している」というのを読んで、早 速mixiに書きこんだ。するとすぐに3通書き込があって、それらを読んで 僕は購入することに決めた。6日の夕方余裕があったので町田のヨドバ シカメラに寄って売り場に直行してすぎに購入した。あれと思ったのは、 同じタイミングで買われた方がいたことだ。

 7日には使い始め持ち歩き始めた。何人かに見せたのだが、面白こと にほとんどの人が関心なかった。関心を示したのは1〜2名だった。実 は僕の感覚とこの反応には落差を感じた。マイミクの因さんによると、 開発元のキングジムでも開発に当たっては激論があったという。キング ジムでは賛成派が約20%だったそうだが、この20%が「すぐに買い たい」というので開発が決まったらしい。つまりには、その程度の反応 であって、だから落差は大きいのだ。

 今年の春には、CASIOのEX-FH20を買った。衝動買いではない。エンジ ニアリング振興協会の講演会でこのカメラの存在を知ってからどうして も欲しくなった。でも、ここ2年山スキーをやってない僕としては、買 う動機がなかった。売り場を何度も訪れて、何度も考えてとうとう購入 した。でもやっぱり使いこなしていないのだ。

 昨年の10月には新しいデジカメを買ったが、これは古いカメラが壊 れたので止むをえないが買ったことは買った。昨年の7月には新しいノ ートパソコン(dynabook)を購入。理屈は、まだ使っているMebiusが駄 目になる前に購入ということだ。5月にはVaioのDeskTopを購入。これは 毎日使っている。そうそう昨年の秋に、家人が電子辞書が欲しいという ので、新機種を購入して僕のと交換した。そして、昨年の2月には新しい 携帯電話を購入した。

 僕の父は機械とか車などが好きで、今になって思うのだが、家計に影 響するような趣味だったと思う。子供が欲しいといっても買ってくれな かったが、自分ではずいぶん勝手にやっていたんだろうと思う。僕の場 合は家計に影響を与えるわけじゃないが、父の血は間違いなく引いてい ると思う。写真の腕が悪いことまで遺伝しなくていいと思うのだが。

懇親会続きの日々

●不思議と集中する週がある。
掲載日時:2009/07/12
 先週は29日にアスベスト無害化の会議があって、その後表参道のバ ルバロッサで送別会だった。1日は本社で、施工本部の懇親会があった のだが、急きょ別件で懇親会が入ってそちらに参加した。先週は外部で の懇親会はその2回だったが、今週は多かった。

 6日は「第89回の有志会」だった。二か月に一回の開催だから歴史 の長さがわかるだろう。最近は18時に始めて20時に終わる。昨年、 1名が抜けて総員で9名になった。毎年、順番に定年を迎えている、残り 3人はしばらく定年が来ない。

 7日は職場の「安全週間の打ち上げ」だった。愛川で行事のまとめの 後、納会。職場での懇親会はなぜか疲れるのだが、基本的に立っている せいだろうか。他の立食では感じない疲れがある。

 8日は、SNSのB&Gの懇親会。何回かやっているのだが僕は初参加。 大体、土曜日か日曜日に都心でやることが多く、そのせいでこれまで敬 遠して来た。新しい友人もできて、やっぱり懇親会はいいと思う。

 9日は、この週唯一懇親会の日だった。10日は21年目のマドリッ ド会。総員65名中3名、物故。したがって、62名中、19名の参加 だから立派だと思う。どこまで続くかだが、ほとんどのメンバーが定年 を迎えているし、どうなのか。

 来週は13日は会議後はおそらく懇親会だろう。14日は多分、何も なくて、15日は同期の定例の懇親会(三水会)で、16日はエン振協 で会議後懇親会(いつものように)。こちらも実は付合いが長い。15 年になると思う。

 再来週は「袋詰め脱水工法」の委員会後、これも定例の懇親会。翌日 は山岳会に出る予定で、こちらは夜遅くの懇親会。さらに翌週は、社内 の同窓会があって、いよいよ京都大学のシンポジウムだ。7月19〜2 0日に山に行く予定だが(梅雨が明けるだろう)、そして夏山のシーズ ンだ。

古代ギリシアの文化

●なぜ、彼らは優れていたのか。
掲載日時:2009/07/05
 1988年にマドリッドでITA(国際トンネル協会)の総会があって参加し た。僕は発表のために参加できなかったが、マドリッド近郊のローマ時 代の水道橋を見学に行った連中がいる。あの頃の僕はそれが羨ましいと は思わなかった。それが、1990年頃からだろうか、山岳トンネルの歴史 を興味を持ってから、俄然、ローマ史に興味を持ち始めた。その頃から 塩野七生さんの「ローマ人の物語」が始まったのだ。

 ローマが国としての形をなしたのは紀元前700年頃のことで、カエサル とポンペイウスの時代は紀元前100年から50年頃のことだろう。ローマ時 代に唯一の建築にかんする書をウィトルウィウスが残したのも紀元前50 年頃のことだと思う。ローマ時代に作られた水道橋はもちろんのことだ が、パルテノンにしても直径約50mに及ぶドーム状の建築物を作れるよう になるのは、何と19世紀になってからのことなのだ。

 ローマの建築技術はエトルリア人から来ているといわれる。ギリシア 人は思想に優れ、ローマ人は建築に優れていたといわれる。ローマ時代 はギリシアの方が文化的には優れていたようで名士の子供はギリシア人 の家庭教師をつけるかギリシア社会で学んだのだ。ローマ時代だったそ うだったし、かのアリストテレス哲学はルネッサンス時代までヨーロッ パ社会に君臨していたのだ。いかにギリシア哲学が優れていたかの証左 だが、これの大きな原因はキリスト教会にあるはずだ。

 さて、ローマ時代の巨大建築物はローマ軍団が作ったものであって、 考えてみると実は今の時代においても難度の高い構造物なのだ。建設機 械がなければ、どうやって作るのか。その解を示した先人はほとんどい ない。

 このエッセイを書こうと思ったのは、「古代ギリシアのコンピュータ」 を読んだのがきっかけだ。古代にはわれわれの知らない世界があると思 う。実は古代ギリシアの精神文明はわれわれに負けていないのではない か。

人生は最後までわからない

●どんでん返しがあるかも知れない
掲載日時:2009/06/28
 今回はわが社の人事の話題だ。6月26日の株主総会で取締役が交替した。 社内取締役が4人、社外取締役が2名になった。社内取締役4人の内、3人は 一緒に仕事をやったことがある。いずれにせよ、5年も前ならば予想もし なかった人事に違いない。

 新社長の近藤は57歳らしいが、30代の頃技術研究所に在籍したことがあ る。「このまま技研にいよう」と相模大野にマンションを買ったら東京建 築支店に戻された。以降、建築支店の看板工事を歩いた。数年前から副支 店長、支店長と歩んだのでいずれは社長もあるかなと思っていたが、予想 外に早くなったという感じだろう。期待されてなったといえる。

 bQの鈴木代表取締役は、僕が27歳で土木設計部に異動になった頃、香 港でA型肝炎になって土木設計部に異動になった。その頃、市川寮にいた のだが、成績査定で議論したことがあった。僕は自信家で「成績査定を厳 しくすべき」という立場だったのだが、彼は反対だった。「自分がそうな ったら、辛いだろう」とかいう理由だったと思う。そのような人柄なのだ。 個人的には年齢的に意外だった。同窓で僕の1年上である。

 山本取締役は、僕は小河内出張所に異動になった年に新入社員で入って きた。1年しか一緒にいなかったが、良くも悪くも意志の明確な方だった。 東北大の出身で北大出身でない札幌支店長は初ではないだろうか。僕は彼 は今回の役員に入るだろうと考えていた。

 長いことロンドンに勤務していたSさんが執行役員海外事業部長になっ たのは4年前だったろうか。確か一期で退任になった。58歳だったと思う、 つまり定年前にクビになったわけだ。その頃、四谷駅でバッタリ会ったこ とがあって、少し話をしたら、「家族のことを考えたら役員会で遠慮して 発言すべきだった」といっていたのを思います。現在は、某コンサルで海 外担当をやっている。

 Iさんは、海外事業部の副事業部長だったが、事情で技術研究所に異動 になった。その頃の技術研究所長と折り合いが悪かった。定年前に社外に 異動した。某コンサルで海外事業の担当していたらしいが、今でも健在で 先日同期会で顔を合わせたらすでに70歳を過ぎているのに、週に3回の勤 務で月収40万だといっていた。

 僕が新入社員で赴任した現場の所長は大学の先輩でSさんだった。確か 20年ほど先輩だからもう80歳近いだろうと思う。関東支店の所長から土木 課長に上がったのは予想外に遅かった。しかし、その後はトントン拍子に 出世した。土木部長、次長と上がって、関西支店の支店長になり、そこで ある事情で退職に追い込まれた。あっという間だった。所長になった頃か ら社内営業に熱心な方だった。

 先輩方を見ていると、順風満帆の人生を歩んで、定年前も後も人もうら やむ人生を歩んだ人はほとんどいないことに気がつく。案外、人生は帳尻 があっているのではないかと思う。人生はさいごまでわからない。

65歳こそ再スタート

●大会社はみな65歳で会社を去る。
掲載日時:2009/06/21
 6月の三金会(大学の同期会)で、わが社が話題になった。Kがいうの は、まだ問題は尾を引いているという、それは昨日、今日の報道を見てい ると正解だと思う。僕は今回の事件は、社内の変革には好都合だった、一 例として役員定年が、専務執行役員以上は67歳、それ以外は65歳にな ったといった。それを聞いて、某社の常務執行役員は、「何を馬鹿なウチ は社長の定年が65歳だ、お前のところはまだ遅れている」といわれてし まった。それを聞いて考えてしまった。

 50代で執行役員になる、社長、副社長になれればいいだろうが、それ 以外は、この時代責任を取らされて首になる可能性が大きいのだ。それか ら他社に職を求めるのは、60歳まで管理職を現役で勤めた連中の方がお そらくずっと有利だろうと思う。つまり、今の時代、執行役員は魅力の大 きいポストではなくなったように思う。

 抜きんでて野心的でもない限り、従業員に甘んじていた方がいいような 気がするがどうなんだろう。正確にいうと、執行役員も従業員なのだが。 といいながら優秀な社員は、なんだかんだいっても執行役員に抜擢される のだ。それ以降の人生はわからない。

 同期とも話をしていて思うのだが、別に60歳以降働かなくても生活は できるが、家庭へのソフトランディング、そして余裕ある生活のためにも 65歳までは働く必要があるだろう。65歳でほとんどが定年になる時代、 それから先が人生最後の設計が問われると思う。家族の問題も、両親の問 題も出てくるのだ。

 三金会には口のウルサイ連中しか出てこない。だから、会話も楽しいの だ。前回は、関西に移動せざるを得なかった同期が、大学の同期の協力で 再就職できたという話題が出た。彼が三金会を始めたのだ。なさけは人の ためならずを地で行っているような気がする。次回も楽しみだ。

統計の不思議、ウソ

●同じ資料を使って、なぜ結論が変わるのか。
掲載日時:2009/06/14
 中谷巌先生の「資本主義はなぜ自壊したのか」は面白かった。その中で 引用されているデータも感心して見ていた。僕は中でも、子供のいる母子 家庭で世帯主が女性の場合の貧困率に興味を持った。本当に貧困なのだ。 まあ、勝手に早く結婚して離婚して困っているんだから仕方がない、とい う人もいるだろう。しかし、人口減に悩むわが国の現状と、実際に困って いるけどなかなか適当な稼ぎ口がない世帯を放置はできないだろう。共感 したのだ。で、その本の中で中谷さんは、「いまやわが国のワーキングプ アは1,000万人を超えている」と述べているのだ。この点だけを海老沢さん の「雇用の常識『本当に見えるウソ』」から検証してみよう。国税庁「民 間給与の実態」からは、「200万円以下が1,000万人」は読み取れるのだ。こ こからが問題だ。この中には、サラリーマンの主婦、親と生計を共にする 学生、他が含まれる。農業・自営業者の家族専業者も含まれる。これらか ら推定すると、ワーキングプアは400万人以上減少すると海老沢さんは指摘 するが十分に説得力がある。また、4人家族世帯主のワーキングプアは、7 万人程度と推定できるようだが、この中には生活保護世帯、障害給付、老 齢年金の世帯も含まれるので実数はもっと減るようだ。

 高名な経済評論家とか学者が統計を用いて上っ面の数字を見せると、テ レビの視聴者の僕らには反論もできないし、資料もないのだが、実は海老沢 さんのように綿密を資料を読み込むとウソがわかる。大学を出ても仕事がな いというのも別のところに書いテレビで指摘されることはない。一番の原因 は大学全入と進学率の上昇なのだ。だまされてはいけない。

定年退職までの5年間

●2度目の挑戦を始めてからの5年間
掲載日時:2009/06/07
 今回、「平成21年度 第11回国土技術開発賞」の入賞が決まったの を機会に、専門を変えたこの5年の成果をまとめて見ようと思った。まあ、 経歴書も書いているので自分では結構理解しているのですがね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
○平成17年度

 僕は、この年に技研に戻りました。この年は春から辛かったですね。こ も2年前からやっていたAMP工法での問題が噴出して、辞職覚悟の毎日 だった。K副社長と相談して6月1日に技研に戻していただいた。

 この年の春から、高知のD社と「過熱蒸気を用いたダイオキシン類汚染 土の浄化技術」の開発を始めた。確か5月の連休明けに、京浜河川事務所 の鶴見川のPCB汚染土の浄化に手を挙げた。確認実験の募集だったのだ が、この時点でわれわれ独自の実験は一切なし。考えてみたら大胆だった と思う。

 その後、まずはベンチスケールの実験を始めて性能を確認した。6月末 に環境省の委託事業に応募した。夏になって、パイロット規模の実験を実 施することになり、土壌の調達、パイロット機の製作に入った。10月頃、 委託に採用されないことが決まった。この年は、2戦2敗だった。

・平成18年度 環境省の委託事業採択(5,500万円)

 独自の試料土、装置での実験を効果があったか、この年に応募した環境 省の委託事業には10月の初旬になって採択が決まった。やっとの第一歩 だった。翌年、3月までに実験は終了した。秋に、D社のフロン分解技術 でD社に土木学会の環境賞を取らせようと応募した。

 前年から、D社ではフロン分解後の廃液でアスベストの分解実験をやっ ていたが、環境省に認められないので断念、過熱蒸気を用いた方法に方向 転換した。それに僕も加わり、再資源化、セメント化を目標に加えた。N EDOの緊急課題に採択されるのを最大目標にしたが、危ないの国土交通 省の研究助成にも応募した。

・平成19年度 土木学会環境賞受賞(応援、書類作成)
・平成19年度 NEDOアスベスト事業採択(8,400万円)
・平成19年度 京大環境衛生工学シンポ PJ賞受賞

 土木学会でのヒアリングも済ませ、4月末に環境賞の受賞が決まった。 5月末日の総会で表彰された。国土交通省の研究助成は、この年初めて出 したのだが、3月にヒアリングの通知があって出席すると最終選考に残っ たのは23組で、大学の教員でないのが僕だけだった。席上「実用段階に あるのではないか」との反対意見があった。結局、この件は5,000万円だ ったが駄目でNEDOに採択された。

 NEDOの方は2〜3月に説明かとかあって、書類の提出は確か5月の 連休後だった。これに関しても、用心のためにNEDOの他の助成に応募 しておいた。結局、可能性は低いと思っていた、NEDOの緊急課題に採 択された。新規はたったの2件だった。その段階で、保険の助成はかなり いい成績で通過したのだが、取り下げた。

 7月末に京都大学で京大環境衛生工学シンポジウムが開催された。D社 のSさんに原稿を書いてもらって、それを僕が修正したものだった。Sさ んは事情で退職したので、Tさんが発表した。これはプロジェクト賞をい ただいた。

・平成20年度 発明協会発明賞(応援、書類作成)

 僕は過熱蒸気でフロンを分解する技術も面白いし、その展開に魅力を感 じていた。それで、フロンの分解技術は、D社のK本部長と東北電力の方 が発明者になっていたので、やはり僕が書類を書いて、発明協会の発明賞 に応募した。これは最終選考に残って、何かの賞をいただけることはわか ったのだが、残念ながら「入賞」だった。

・平成21年度 NEDOアスベスト事業継続決定(3,000万円)
・平成21年度 第11回国土技術開発賞入賞

 NEDOのプロジェクトは2年間だったが、「個別認証」のハードルが 高く苦慮していた。でも、これまでの成果を評価していただき、1年間延 長していただいた。

 3月に秋葉原の土木研究センターに行ったのだが、「第11回国土技術 開発賞」募集のパンフレットを見つけた。丸で天啓のように応募が閃いた。 で書類を4月6日の締め切りに間に合わせた。すでに書いたように6月初 旬、入賞のお知らせが来た。

 退職まで、すでに1年を切ったのだが、最後の褒美が何になるかわから ない。今回の国土開発技術賞かあるいは京大シンポで何かあるか。アスベ ストでの賞に間に合わなかったのは残念だ。来年度から受賞が始まると確 信があるのだが。退職後の楽しみとしよう。

フラッシュバルブ現象

●鮮明に覚えている記憶がある。
掲載日時:2009/05/31
 ダウエ・ドラーイスマの「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」 を読んでいる。まだ全部は読んでいない。すでに読んだ部分に「フラッシ ュバルブ現象」がある。これは、例えば、米国であれば「ケネデイ大統領 の暗殺を知ったとき、あなたかどこで何をしていましたか」というものだ。 僕は当時確か中学校の3年生だったが、米国人ほど印象的には覚えていない。 しかし、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決したときは別だ。京都で浪人 中で、下宿中で同じ下宿にいた京大生からニュースを聞かされて衝撃を覚 えた記憶がある。

 例えば、自分のことで恐縮だが、2007年9月7日の出来事はといわれても 全く何も思い出せない。「高知に行ったんでしょ」といわれても同様だが 僕のHPにある「近況報告」を読むと、あのときの映像がよみがえるのだ。 不思議ではないか。記憶は頭の中のどこかに格納されているのだ。それは 何かのきっかけがあれば取り出せるのだ。これをフラッシュバルブ現象と いうらしい。僕らはこの手の記憶をたくさん持っている。簡単なメモ状の 日記を残す意味はそこにある。

 記憶でいうと若い頃には、もっと若いころのことは思い出さないものな のだそうだ。研究的には60歳前後になると急に若いころの記憶を思い出 すものなのだそうだ。その理由はわからない。そのあたりは、僕らは体験 中である。

 僕らは、画像はデジタルで記録している。それは自由自在に逆方向にも 見ることができる。脳の中の画像はどうやって記録されているのか。逆方 向に見ることはできないのだ。果たして全部記録されているのか。

 この本には匂いの記憶についても書かれているのだが、ある匂いととも に過去の記憶がよみがえる。例えば、特定のオーデコロンからは過去の恋 人の記憶が蘇るとかである。僕は草いきれの匂いで高校時代の記憶がよみ がえるのだ。脳の世界は不思議だし、フラッシュバルブ現象は非常に面白 く不思議である。

なぜ懐かしいんだろうか

●33年前のたった1年半の経験なのに
掲載日時:2009/05/23
 第14回「豊かで住みよい国づくり」フォトコンテスト、なるものがあ ると秋葉原の土木研究センターで知った。別に腕に自信があるわけでもな いのだが、内容が内容だけに「テーマ」で応募してみようと思った。まあ、 特選以上は10点だから見込みがないだろう。入選、佳作、激励賞の合計 が120点もあるのだから、コンテストの目的がわかるだろう。参加する に意義ありで3点出すことにした。なぜ、3点かというと、この時点で好 きな3点があったのだ。きょうはタイトルから小河内ダムについて書く。

 このダムは重力式で堤高が約150m、堤長が確か350mだったと思 う。意外と大きなダムなのである。東京都の水がめとして戦前に着工され、 一時中断して昭和31年に完成を見た。本体と余水吐きが31年の完成だ。 本体は鹿島の施工だが、余水吐きが西松建設の施工。で、取水庭も西松建 設の施工となった。わが社の年間売上高が約1,200億円の時代に施工 金額は50億円だった。今の時代なら150億円程度はあると思う。

 その後、ダム表面を水を取水する必要が出て、取水庭、取水塔、取水ト ンネルの工事が計画された。昭和50年の冬に着工されて、僕は51年の 3月に赴任した。2つ目の現場で、ここに1年半いて本社の土木設計部に 異動した。

 不満を抱えた時代だったが、土木技術者としての基礎はここで叩き込ん でもらった。若い遊ぶ仲間もいて楽しかった。5月23日に何度目かの訪 問をして、建造物を見るたびにあの頃を思い出す。その前の現場のことも 思い出さなければ、本社のあれこれもさほど印象に残ってない。それなの に、この現場だけは懐かしいのだ。

 最初の写真の右側に見えるのが取水庭で直径1.5mの鋼管が地下50 mまで入っている。掘削機は、両側は三菱重工が初めて製作したマシンだ った。中央の列は石川島播磨の機械で、もちろん、これも初めての機会だ った。こちらは直径2.5mだったろうか。この庭の山側に小判型の竪孔 を深さ50m掘った。三菱重工のマシンで周囲を掘ってから、中央を静的 破砕した。一番下まで掘って、TBMで余水吐きの水叩きまで200m掘 った。

 まん中の写真はダム側から見た。取水庭だが、中央にはゲートがある。 今は渇水期で水面が10m近く下がっていると思う。この取水庭のセンタ ーの測量とか杭の測量は僕が担当したのだ。下の写真の中央に見えるのが 余水吐きで、現場にいた頃、一度だけ放水したことがある。大雨が降って どうしてもゲートを開けざるを得なかった。滅多に開けないものだそうで、 水道局の職員も滅多に見たことがないとのことだった。毎秒1500tで 溢れんばかりに、奔流そのものの流れは迫力を通りこして怖いばかりだっ た。右に水の流れが見えるが、その流れは水根沢の流れだ。取水庭から取 水するときはもっともっと水量が多い。夏場に、表面の温かい水を多摩川 に流して、水遊びし易くすると聞いた。

 地上にあって、住民に親しんでもらえる構造物を作ることができて、と きどき自分でも見え行けるのは嬉しいことだ。僕がやったことなどほんの 少しのことなのだが、なぜか、自分で作ったような気になっている。

左からダム本体、余水吐き、取水庭(2009年5月23日)

僕が担当した取水庭(2009年5月23日)

中央が余水吐き、右から取水庭の排水が来る(2009年5月23日)

効率と機能美は両立するか

●効率を求めて機能美は忘れたのか
掲載日時:2009/05/17
 5月16日に大分県竹田市にある「白水溜池堰堤水利施設」を訪ねた。 僕はこの存在を知ったのは、日経新聞が掲載した「日本の近代遺産50選」 で見たからである。通称「白水ダム(はくすい)」というそうだが、20 年前に日本大学の伊東教授が紹介するまでは無名の存在だったという。1 999年に国の重要指定文化財に指定されている。


目を奪われる白水ダム(2009年5月16日)
 このような、あるいは近代遺産50選に選ばれるような土木構造物をわ れわれはほとんど知らない。われわれの時代の設計は基本的に標準的な設 計方法が決まっており、技術者の判断が必要とされることはほとんどない し、またあってはならないことになっている。それは低コストにつながり 効率につながったのだ。そこにはデザインの入り込む余地はなかっただろ う。

 最近は、環境に適合した構造物ということで、設計に美的な観点も求め られているが、まだまだ少数だろう。話を、白水ダムに戻すと、このダム を設計したのは当時35歳の小野技士であり、エリートではなかったのだ。 小野技士が自分の能力を発揮して、このきれいなダムを設計した。左岸の 階段状の設計も右岸の武者返しも減勢工だというのだが、そうだろうか。 中央の部分は確かに曲線に沿って流れて減勢すると思われ、水叩きも不要 に思われる。これらを小野技士が設計したのだ。

 翻ってわれわれの35歳ではどれだけのことができるのだろうか。標準 化が進んでデザイン能力を失っているのではないか。途上国に行ったら、 われわれには何ができるのか。さまざまなことを感じさせられる構造物で ある。このダムは、1935年から1938年にかけて建造されたそうだ。 セメントが不足する中で、できるだけセメントを使わないで建造したそう だ。


還暦そして体力について思うこと

●基本的に年は争えないものだ
掲載日時:2009/05/10
 先日、約10年前の自分の写真を見る機会があった。別人のように髪 が黒く、また多かった。なるほど、これが10年の歳月なのだと思った。 周囲にどれほど「若いですね」といわれようと、僕だって10年分老けて いると思ったことだった。

 厄年の頃だろうか、少し目が見えにくくなった。「やっぱり厄年かな」 と思ったし、その頃、上も下も白髪が出てきたように思う。とてもショ ックができごとだった。でも、それから進行は止まって、ニ焦点のメガ ネを使ったのは40代後半だった。メガネをかけて帰る途中で本屋に寄 った。本の背表紙の字が異常に大きく見えて感激した。

 50代に入って徐々に、徐々に変化が出ているように思う。思うに、 50代の前半の変化が大きいのではないだろうか。個人的には、60近 くなってやっと低下が落ち着いて来たように思うのだ。以前から僕は体 力はサイクル的なものがあって、40代前半の次は50代後半だろうと 思っていた。次は70歳前後であって、僕の場合はそれが最後かなと、 あるいはそれを乗り切るのが最後かと思っている。

 山にも登れるし、長距離も走れる、でも若いころのような爆発的なス タミナはない。徹夜をしてでも報告書を書こうという気力はない。それ は50代半ばまでだろうと思う。昔の定年とは無意味はものではなかっ たのだと思う。

 こう書き進むと悲しいようだけど、実態は違う。年を取るとは「年を 飼いならすこと」だろうと思う。中高年が活躍する秘訣は無理をしない で頑張ることだと思う。それでもちょっと違う、頑張る必要はない。マ イペースでいいと思う。中高年が頑張りすぎるとろくな結果にならない と思う。

古くて良いもの新しく良いもの

●古い物を大事に使って偉いのは場合による
掲載日時:2009/05/03
 僕が持っているピッケルは昭和50年に買ったものだ。ウッドシャフト で大事に使ってきた。山岳会で手入れも教わった。そのとき、アイゼン も買った。当時は、一本締めだった(詳しくない方はごめんなさい)。 ピッケルはそのままだったが、アイゼンは固定式になった。ピッケルは メタルシャフトは主流になったのだが僕はそれで貫録あっていいと思っ ていた。

 もう10年以上前になるのだが、都岳連のC級講習を受けた。そのとき に実技の講習を受けた。冬山入門だった。都岳連の当時の僕より年配の 講師に「ベテランほど装備が古い」といわれてはっとした。たとえば、 アイゼンなどは装着スピードが違うのだ。他の装備にしても間に合えば いいではないのだ、と悟った。

 最近は中高年の登山ブームだという、それは結構だと思う。でも、駅 で彼らの装備を見るたびに感じるのだが、一番肝心な靴への投資を怠っ ていると思う。ひどい連中は、ほとんど防水もない、底もすり減った靴 で平気で山に入っている。頻発する中高年の遭難はそのあたりに原因が あるのではないか。僕は中高年登山者が性能のいい登山靴をはいている 例をほとんど見たことがない。

 古いものは大切に使いたい、でも新しくなくては駄目なものも多いの ですよ。僕は今着用している、ジョギング用のシャツ、CW−X、山靴 を着用する度に思うのだ。昔はいずれもなかったものだ。

ビールの味の不思議

●なぜあれほど色んな種類があるのか。。
掲載日時:2009/04/26
 家庭を持ってから自宅では、長いこと「サッポロ黒」を飲んでいた。 ついでながら、読売新聞を愛読していた。サッポロを愛飲したのは僕が 北海道出身だからである。ビールはそれからバドワイザーに代わった。 新聞は毎日新聞に代わった。新聞は家人の弟が毎日新聞に職を得たから である。虎ノ門の本社の近くに「グルメ亭」という歴史の古い居酒屋が ある。会社の女子社員に紹介されてと記憶する。グルメ亭ではうまいバ ドの生ビールを出すのだ。軽くて旨い、僕にも同行者にも評判が良かっ た。それでがビールを代えた理由である。

 僕は昔から自己主張が強く、自分で決意の強いことは意志を通す主義 でそのように生きて来たと思う。逆に、そうでないことは何も意見をい わない。自分が強く願い努力してきたことは、大体実現すると思って生 きてきた。でも、そろそろ定年だ、サラリーマン社会の終点だろうと思 う。若い時、「つーさん、みんながあなたのように努力すると思ったら 間違いだよ」と同窓にいわれたことがある。


他人の痛みはなかなかわからない

●若い頃にはわからないことばかりだ。
掲載日時:2009/04/19
 僕は昔から自己主張が強く、自分で決意の強いことは意志を通す主義 でそのように生きて来たと思う。逆に、そうでないことは何も意見をい わない。自分が強く願い努力してきたことは、大体実現すると思って生 きてきた。でも、そろそろ定年だ、サラリーマン社会の終点だろうと思 う。若い時、「つーさん、みんながあなたのように努力すると思ったら 間違いだよ」と同窓にいわれたことがある。

 定年を1年前にして、転進を考えているこの頃、実は心境に変化が訪 れている。基本的な変化ではないのだが。確か、まだ27歳の頃だった と思う。香港から病気で戻ってきた2年上の同窓と話をした。僕は今で も昔でも競争主義なのだが、仮にSとしておくがSさんは「つーさん、 競争に負ける人のことを考えたらそうもいえないぞ」といわれた。僕は 当時の彼は病気で弱気だと思っていた。いま、彼は支店長だ。

 20代後半に社内で勉強会をやった(主唱は別の男だが)のだが、僕 を最後にすべて退職する。大して業務に役に立ったとはいえないだろう。 当時、5名いた内の2名が退職した。残り3名中2名は定年を迎えた。最 後は僕である。勉強会の効果はあったのだろうか。

 技術士試験になかなか合格しない男がいた。同期ですぐに合格した男 がいて、課長にはこちらが早かった。でも、苦労して技術士に合格した 男の方が先に部長になった。委細はわからない。でも、両人に心中はど うだったろうか。

 以前の僕は、先に書いたようなことはあまり気にしなかった。実力が 解決するべきだと思っていた。でも、定年を1年後に迎えてやっと、僕 の考えが正解ではないことがわかった。今の会社ではもう遅いのだが。

介護社会と格差社会

●60歳前後が集まれば介護の話題ばかりだ。
掲載日時:2009/04/12
 僕らの親は僕らを25歳〜35歳で産んだのだろうから、僕らが還暦 近い今、85歳〜95歳になっているのだろう。90歳になれば、まず 間違いなく介護が必要だ。しかも長男(長子ではない)であれば、余計 に確実だ。

 僕の弟は僕より二つ下で現在57歳になったばかりだ。先日、高校時 代の悪友2人と酒を飲んだ。その席で悪友二人は介護で苦労している話 をしたそうだ。もっとも僕の弟は母を訪問するが介護で苦労はしていな い、苦労しているのは長子ではない長男の僕であり、もっと苦労をかけ ているのは、血のつながっていない妻だ。僕は最近、妻に頭が上がらな い。札幌にいる僕の幼馴染は、帯広にいる両親の内、実父の認知症が進 んできて札幌の施設に引き取る検討をしているようだ。とても書きにく い話だが、昨年春に亡くなった父を含めて僕の両親は二人の介護に必要 なお金は最小限持っていた。だから、お金の面で苦労がないことは、ま だ救いなのだ。これからおそらく、わが国のあちこちで介護難民が出て くることだろうと思う。

 僕は以前からわが国の「悪平等社会」には疑問を持っていた。スポー ツ、芸能、等の要はサラリーマン以外の場合、能力に応じた収入を得る ことができる。しかし、サラリーマンはほとんど年齢に応じた収入であ って、大きな個人差はなかった。もちろん、業界によっては非常に格差 が大きい。それは、最近の「実力主義」とやらで変わって来たらしい。 変わってきた頃に、僕らは中高年に入ったので実態がよくわからない。 でも、先日、中谷巌先生の本を読んで驚いた。僕は格差問題には興味が あって大阪大学の大竹先生の本を読んでいる。中谷先生によると、わが 国は先進国の中ではすでに「格差の大きい」国なのだそうだ。年収200 万円以下の給与所得者が1,000万人いるそうだ。そして、非正規労働者 の占める割合が1/3だそうだ。

 実は僕はそれらはやむを得ないような気がする。しかし、驚いたのは シングルマザーの貧困率が先進国で断トツの一位なのだ。これはいかな る理由があるにしてもいただけないではないか。貧乏を無条件に子供に 引き渡すのは絶対にまずいと思う。中谷先生が同書中で提案している、 国民全員に一律に50万円/人給付する案も面白いとは思ったものの、 付加価値税が高いのは国民が受け入れないな、と感じた。構造改革と格 差社会はいまでもときどき考える問題である。


山岳会創立55周年に思う

●僕が入会したのは21周年目だったのかな、と。
掲載日時:2009/04/05
 僕は、大学院を昭和50年に修了して、その年の4月にいまの会社に 入社した。入社したら関東支店の配属で、今の「船の科学館」に近い現 場だった。今でこそ、近代的な施設の並ぶ都会だが、34年前には船の 科学館以外には何もなかった。虎ノ門の関東支店から所長と車で現場に 向かったのだが、何もない埋立地に入り、ゴミ回収車だけが行き交う、 有明地先13号埋立地に着いた時には本当に驚いた。ここにずっといた ら、確実に世間に遅れると思った。それで考えた末に、「山と渓谷」を 見て、社会人山岳会に入会することにした。それが、今の山岳会だった。

 だから、入会したのは昭和50年の5月頃だったと思う。わが山岳会 は当時、会員数が30名ほどだった。そこに28名が入会した。その理 由は覚えていない。今に至るまで、昭和50年入会組が最大の人数だっ た。ただし、いまだに現役なのは僕だけなのだが。わが山岳会の創立は 昭和29年で、東京都山岳連盟の創立に遅れること5年だったようだ。 東京都山岳連盟の60周年は3月に行われた。日本山岳会のマナスル登 山の刺激されて登山ブームが起こったそうだ。

 僕が入会した頃、山岳会の主力は20代だった。前半も入っていた。 30代になると結婚して、「特別会員」になったり、退会するのが普通 だった。結婚しても残っていたり、会員同士で結婚して、そのまま山岳 会に残るという例もなかった。女性は看護婦さんか学校の先生が多かっ た。土曜日が休みでない人も多く、両夜行の山行もよく行われた。

 僕が入会したのが21年目だったので、創立25周年からの記念行事 にはすべて出席してきた。45周年頃から、古い元会員と現役会員の距 離が大きくなり、記念行事もOB会と現役で別々となった。それが、5 5周年の今年、新人会員の声もあって合同で開催する方向で進んでいる。

 僕は自分が20代の後半の頃、50〜60歳以上の会員がいないのは おかしいと思っていた。なぜ、既婚の会員がいないのか、なぜ、夫婦会 員がいないのか、と考えていた。いまは、50歳以上の会員もいれば、 既婚者が普通になったし、山岳会の会員同士で結婚して、そのまま続け るのも普通になった。残るのは、会員の子供さんと一緒に山に行くこと かなと思っている。

NPOの設立

●意外と活躍できていないようだ
掲載日時:2009/03/29
 あるセミナーで「定年後は3つの名刺を持ちなさい」と教えられた。 一つは「飯のタネ」、二つは「趣味のタネ」、最後は「社会貢献」だ。 「飯の種」はもう活動を始めているのでここに書くのはやめておこう。 「趣味」は僕の場合、山登りとマラソンだがこれも継続中で、山の友人 は100人を下らない。問題は「社会貢献」なのだ。僕は何とか趣味の 山をベースにできないかと考えていた。自分でNPOを作ろうとも考え ていた。

 もう1年以上前になるのだが、ある委員会で某準大手ゼネコンを退職 して自分でコンサルをやっているM氏と知り合った。大学の後輩でもあ る。彼が中国の大学で客員教授をやっているというので、その大学でア スベストの無害化について講義するという話が出てきた。それがきっか けで、定年後の仕事に話が及び、さらに某先輩を紹介された。

 結局、某先輩が同期を中心に長年温めてきたNPOの設立に加わるこ とになった。某日、その設立総会に出席してきた。コアメンバー40名 の内16名が出席したのだが、それらのメンバーの経歴には驚いた。経 歴で社会貢献するわけではないが、実力を語る一つでもあるだろう。名 称は、「社会基盤ライフサイクルマネジメント研究会」と長いのだが、 何をできるかはこれから議論していく必要がある。

 設立総会に出てから、やはり定年後の基盤の確立の必要性を感じた。 退職後にはやはり「三つの肩書」が必要なのだ。自宅を中心に暮らすな ら何もせずともいいだろう、しかし、定年後の人生を精神的にも充実さ せたいなら、「三つの肩書」は必要だろうと思う。もっとも「飯のタネ」 に関しては個人差があると思う。

シニアの付き合い、世界

●年寄りは付き合いにくい。
掲載日時:2009/03/22
 世間でいうシニアとは何歳以上のことを指すのだろうか。本来、ベテ ランを指す言葉なんだろうけど、ここではまあ、定年退職された60歳 から70歳程度までとしておこう。僕がお付き合いしている若い方の年 配の方ということにしておこう。

 mixiともう一つのSNSに加わって書き込みをしている。もう一つの SNSは原則として本名公開で、顔写真も公開だ。以前は紹介の基準が 高かったようで、ほとんどの方が60歳以上で、会員数もまだ300人 前後だ。このSNSは年齢が高いのでほとんどがシニアといえるだろう。 そこでの書き込みで多いのは、自分の知識を開陳する方が多いのと、昔 の経験を語る方が多いことだ。それはmixiもそうで、「僕の頃はこうで したね」と書かれることが多い。別に昔のことを語っても全く悪くなく て、問題は昔話で終わることだろうと思う。

 SNSを離れて、シニアの多い会で懇親会をやったとしよう。現在、 特に活動していないシニアは昔のことを語るケースが多いのではないか。 自分の現在について語るべきことのある方は、昔のことばかりは語らな い。

 現在、継続するべきかどうか迷っているのだが、「新現役クラブ」と いう元外務省の岡本さんが始めたNPOがある。会員数約1万5千人と かで一時期活発だったように思う。僕もそのときの雰囲気で「バスに乗 り遅れるな」とばかりに入会した。最初は賛助会員だったのだが、「独 りビジネス」に関するセミナーがあって、それに参加するには正会員に なる必要があって正会員になった。これはタメになった。他にも何度か 面白い見学会があって参加した。それで感じたのは、毎回同じメンバー が出席していることだ。セミナーのときにも趣旨に合わないメンバーが いた。

 シニアの中には現役を止めても、年下に偉そうにしたり、君づけで読 んだりする人がいる。元同じ職場でもどうかと思うのだが、元の職場が 違ってもそういう方はいる。

 SNSでも暇そうなシニアが頑張るSNSは距離を置きたくなる。要 は「小人閑居して不善をなす」のとおりであって、暇ならば暇つぶしに 参加したり発言したりしない方はいいようなのだ。僕らは暇だから「そ れ」をやっているわけじゃない。暇つぶし以外の「何か」を求めている のだから。

え、タクシー代?

●人は何を覚えているかわからない。
掲載日時:2009/03/14
 13日はN氏とY氏の定年退職の壮行会だった。狭い会場で芋の子を 洗うようま混雑だった。そんな中で、ある方に「以前、タクシー代を払 っていただきましたよね?」といわれた。顔に記憶はない、一瞬、どこ かの飲み会で一緒になって記憶のない中、タクシー代払ったのかと不安 な気持ちになった。十分資格があるのだ。

 聞いてみてさらに驚いた。何と当社に入社したそのとき、つまり入社 式に指定されたホテルから数人でタクシーで本社に行ったのだが、これ は場所がよくわからなかったからだ。今の金で1,000円かからない。そ の金を僕が払ったというのだ。いや、驚いた。まずは、僕がお金を払っ たということ、次には僕を覚えていていたこと。当時は、大学院を出て 入社するというのが少数派だったので、僕は最年長の部類だった、それ で払ったんだろうと思う。もともと「小金」には甘いし(^^;)。

 僕は彼に話しかけられて、実は人生はどこで帳尻が合うかわからない な、と思ったのだ。僕にとって、あそこで話しかけられたというのは、 運命だろうと思う。そしてその源は入社式にあったのだ。人生とは不思 議だ。そして因果応報だ。


山野井さんの講演に思う

●羨ましいような挑戦意欲だと思う
掲載日時:2009/03/08
 3月7日は「東京都山岳連盟の創立60周年」記念行事があった。僕 が会長を務めている「ともしび山岳会」は、1954年創立なので、今 年が創立55周年だ。わが山岳会は記念行事はやるが、内輪だけの行事 だ。

 都岳連の記念行事で「山野井泰史」さんの特別講演があった。野口健 さんとか長谷川恒男とか高名な登山家はいるが、山野井さんは彼らとは ちょっと違うようだ。彼は商業主義を排して、ほとんど自力で活発な海 外山行をこなしているようなのだ。講演の最後に彼はいう「世間では年 収が200万円ないと生活できないそうですが、僕ら夫婦は10年以上も年 収200万円以下で生活しています。車も5万円の車、家はぼろな借家で す。」と。

 山野井さんは1965年生まれだというからもう44歳になるわけだ。 10歳から登山を始め、20歳頃から第一線のクライマーだったようだ。 主に単独、無酸素、軽量スピード登山で次々と世界の山を登った。いや、 世界の壁を登った。講演を聞いていて、体力と意欲には全く驚いた。彼 が世間を騒がせるのは2002年ギャチュンカンのアタックで悪天候に捕ま り九死に一生を得たときのことだ。彼は手と足で指を10本失い、奥さ んは両手の指をほとんど失った。

 二人は以前から奥多摩に住んでいたのだが、以降も奥多摩に住み、自 活する内に徐々に復活の意欲がよみがえってきたそうだ。いま、山野井 夫婦は完全に復活している。自分たちの登山をマスコミに売ることもせ ずに、わずかの収入で好きな山にアタックして、自活する、彼らの生活 は尊敬に値する。山野井さんはスライドを見ながら、「美しい壁でしょ う」という、彼にとって美しい壁がアタックの対象なのだ。彼によると 一番体力があったのは35歳だという。今後体力は落ちる一方だろう。 今後の山野井夫妻の活躍を祈りたい。


よって立つところ、議論の基盤

●同じ現象を見ても、表現は全く違う
掲載日時:2009/03/01
 小泉元首相の頃は、構造改革路線ばかりが目立って、構造改革しない と経済は回復しないとされていたように思う。小泉さんの元である程度 株価も回復したので構造改革路線は成功したと思っていたら、「いやそ うじゃない」という人もいるのだ。

 小泉さんの頃は竹中平蔵先生が財政金融相だったんだろうか。経済学 の教授である。この方が、理論武装したわけだ。僕が先日読んだ、大前 さんの本では、「構造改革は失敗だった」とされている。大前さんは経 済の専門家であって、御自分が作った大学の先生だ。

 タイトルに「議論の基盤」と書いたのは、こういうことだ。大前さん も竹中さんも同じデータを見ているのに、主張は全く異なる。野球のゲ ームをやるのにゲームを始める時の選手は同じで、ゲームの結果もわか っている。で、采配、選手の活躍を評価するのが全く異なる、という感 じなのだ。

 経済格差についても同じような議論があったが、学者先生達は結論が 一致していない。大勢は、老人人口が増えて、老人間は経済格差が大き いのでその影響だとするものだと思うのだが、そうではないとする意見 も根強いと思う。

 大都市圏に経済が集中するのは良くないとする意見もあるし、集中し た方が経済効率がいいとする意見もある。大阪大学の大竹先生達のよう に理論的に東京集中が経済的とした方々はほとんどいなくて、感覚的な 議論が多いように思う。

 同じデータを見て、同じ場で議論することはできないのだろうか。先 日、温暖化に関する学会がメールで議論する試みをやったのだが、やは り、最後はかみ合わなかった。それほど同じ土俵での議論は難しいのだ。


デジタルカメラの可能性

●先を見通すことは難しい
掲載日時:2009/2/22
 きょう22日、新しいデジカメを買ったのだが、初めて使った頃から 考えると夢の製品だ。40万画素の頃だったか、シャープのzaurusでト ンネルの切羽の亀裂の観察に利用することを思い立った。でも、岩の亀 裂は1mm以下のことも多いし、とても当時のデジカメで撮影して2値化し て線情報を得ることは無理だった。それで、zeurusでスケッチすること を思いついた。確か400万円出して外注で設計した。ほとんどできたのだ が、出力が貧弱なことが判明して実用化には至らなかった。

 デジカメではトンネル坑内の写真測量にも京大の大西先生たちとチャ レンジした。これは成功裏に終わり実用化されている。このときは研究 会を組織して3年ばかり活動した。懐かしい思い出だ。

 で、今回のカメラだ。最大の性能が3456×2592だから、1枚で10m幅の トンネルの切羽を納めることは無理だろう。しかし、4枚程度にすれば 可能だと思う。10m幅のトンネルのわずか1mmの亀裂を写真で判別できる 時代が来たのかと思った。

 トンネル内では携帯電話も使用できなかったが、ずっと以前から配線 をしてPHSを使っていた報告もある。今では、携帯電話用の配線をして 使っている例は多くある。だから、トンネル内で携帯電話で撮影した画 像をメールで送ることが可能なのだ。

 建設工事あっても、IT化(情報化)にはアンテナを張っておかない と置いて行かれると思う。


60歳以降の人生プラン

●遊び心が必要だろうと思う。
掲載日時:2009/2/22
 18日は同期の定例会だった、3水会と称している。僕はわざわざ都 心まで行かなければならないので、ほとんど出席していなかったのだが、 定年も近くなってきてこれからは出てみようかと思っている。いつも市 ヶ谷のワインバーでやっているのだが、予約もいらないのだ。そこにS が、年金の計算書を持ってきた。まあ、65歳までは働かなければ苦し いね、というプランだ。きょうの午前中計算してみたら、マンションの ローンがなければ、食費を除けば、駐車場の料金、マンションの管理費 を加えても毎月、同じように出て行くのは、約6万5千円に過ぎない。高 齢者2人の生活費なんて知れているのだ。ローンと子供の学費がなければ、 60歳以降は人生を楽しむために働くのだ。

 20日は、何度か書いたがもう15年以上も続く、ゼネコンの知財担 当者の懇親会に出た。(元)担当者が多いのだが。この会は1名が定年で 去ってメンバーは9名になった。順番に定年を迎えている。昨年の8月 に某社を定年で辞めて去ったメンバーがいて、彼は働いていないようだ し、働く気もないようだ。「俺は働かない」と宣言する人は結構いるの だが、その内8割は、奥さんに嫌がられ、自分も暇を持て余して、結局 働くようになるそうだ。

 といって、雇用延長あるいは再雇用で同じ職場で働くのはどうか。も し幸いにして役職が同じならば、若い人の機会を奪っているし、老害だ ろうし、役職がなくなっても若い上司の邪魔をしないでいるのは至難の わざのようだ。頭脳労働者は辞めるべきなのだ。とすると、現役の内に 次の仕事を探しておくことだろう。

 僕も昨年から努力しているが、実は思うに任せない。そんなとき、M 技術事務所のMから電話がかかってきた。もう半年ほど前のことだが、 大学の先輩を中心として、新しいNPO法人を設立しようという話にな った。大学の同窓を中心に実力のあるシニアを集めて、シニアのパワー を生かして社会貢献をしようというのだ。設立総会を開催する日程まで 決まったから、約束通り加えてやるというのだ。こちらの話に加えて、 そろそろ自分の会社も設立する必要があるかなと考えている。あと1年、 時間があるようでないのだ。待っているだけでは、楽しい人生は送れな い。


アクティブ エイジング

●実態はお嬢様芸だと思うが
掲載日時:2009/2/15
 13日は日本知的財産協会の建設部会設立30周年に招待されて特別 講演を拝聴し、懇親会で楽しく酒を飲んできた。特別講演は、朝倉匠子 (しょうこ)さんが「アクティブ エイジング」という題で講演された。 これからは老後の人生が長いので、美しく年を取りましょう、そのため にはどのように人生を過ごしたらいいでしょうか。てな内容だった。彼 女がご自分の事務所のパンフレットを下さって、それには年のころ30 前後の素晴らしい美人の写真があった。20年以上前の朝倉さんらしい。 彼女はモデルだったとかで、元々美人なのである。夫について米国に行 き、もともと美貌だった彼女はアンチエイジングに目覚めたらしい。そ こからが彼女のすごいところで、おそらくは女性を中心にアンチエイジ ングで商売を始めたのだと思う。講演は面白かったが、擬態語の多い表 現で、表現力は稚拙だと感じた。

 若さを保つには、基礎力、食事、睡眠、運動の4つが大切ですといわ れてましたね。基礎力とは多分に個体差のあるもののようです。例えば 男であれば男性ホルモンが多いほうが若さを保てるようですが、この男 性ホルモンというのは、その出かたに個人差が大きいとのこと。また、 骨のカルシウムを保つには女性ホルモンが大切とのことだった。女性が 若い内にダイエットなどで食事療法を誤ると大切な女性ホルモンが減っ て、将来骨がもろくなるとのことだった。女性の場合、男と違って、高 齢になると足の骨を折って寝た切りになる可能性が高くなるそうだ。

 朝倉女史は毎回同じような話をするのだと思うが、データが次第に豊 富になって話に膨らむのだと思う。話の内容は大変に勉強になった。講 演の最後にご自分が主催のパーティに誘われるのだが、その内容はダン スパーティだったり、ゴルフだったりするわけで、それだけだった。最 後のお誘いはない方が良かっただろう。

 アンチエイジングというと、年を取るのに抵抗するイメージがあって さらには老人に対する否定的な考え方を助長するのだが、アクティブエ イジングという言葉は、その点いいと思う。人は生きている限り必ず年 を取るのだが、どうせ年を取るのならば、上手に若々しく年を取りまし ょう、という趣旨だろう。生きている限り体を動かしてアクティブに棺 桶に入る寸前まで人生を楽しもう、ということだろう。朝倉さんの活動 はどうもお嬢様の遊びに偏っていて、インテリジェンスに欠けるような 気がしたが、それは交友範囲の問題だろうと思った。


楽しい懇親会

●酒は気の合う連中と飲むのが一番楽しい
掲載日時:2009/2/8
 僕は酒は人並み以上に飲むが酔うのも結構速い。最近は、早く飲んで 早く帰宅することにしている。宿に泊まったりして飲むときには、酩酊 したら遠慮なく先に寝ることにしている。おかげさまで翌日体調が悪い ことはほとんどない。

 幸いなことに飲むメンツには事欠かない。しかも飲んで楽しい方ばか りだ。グループでいうと、ASMA(形状記憶合金協会)の常務会のメンバ ーが楽しかった。会合のたびに飲んだし、年に2回は温泉に出かけて飲 んだ。温泉を探すのは僕の役割だった。宿代より飲み代の方が高いとい うのが通常だった。いつもの飲み会でも、すぐに熱燗になって、みなコ ップで飲むのだ。コップで飲むのは注ぐ必要がないからだ。全員、手酌 なのだ。あのメンバーとは海外にもしばしば出かけた。

 次に楽しいのは、今も進行形のNEDOプロジェクトのメンバーとの 酒だろう。会議のときは、いつも時間設定が15時〜17時で、終わっ たらすぐ飲みに出る。また、ASMAのメンバーに負けず良く飲む。生 ビールを飲んだ後、一人で焼酎半分は飲むだろう。それで全員ちゃんと 帰宅するらしい。一人として酒を飲まないとか嫌な奴がいないのがすご いと思う。まあ、それはASMAも同じなのだ。話題が面白い、誰でも 何でも俎上に上げてしまう。

 ここ3年ばかり行っている、土木研究所の袋詰め脱水処理工法の会議 の懇親会も楽しい。ここのリーダーが、なんと僕の高校の後輩だと知っ たときは驚いた。この会はメンバーが多いのでさすがに個人的には気に 入らない人もいるのだが、それを割り引いても楽しい。こういう会は、 自分が先に熱心に参加しなければ駄目だと思う。

 土木学会の委員会活動の土木情報利用技術委員会の懇親会だって楽し い。この委員会は滅多に懇親会がないので残念だが大学の先生が多く、 いつもと違う話題が多いのもいいと思う。この会は、それほどみな飲ま ない。

 同じく、土木学会のトンネル工学委員会のトンネル技術史部会の懇親 会も面白い。この会の委員長は早稲田大学の赤木先生で、赤木先生はと にかく酒が好きで強い。この部会の山岳部会のメンバーは不思議と僕の 母校のOBが多く、その点でも面白い。昨年の秋に仙台で開催された土 木学会の後に、僕が幹事をやって福島の温泉で委員会を開いた。そのと きも赤木先生の酒豪ぶりは遺憾なく発揮された。僕は例によって途中で 寝た。

 もう一つ挙げておこう。僕はもう15年間になると思うのだが、エン ジニアリング振興協会の情報システム部会に顔を出している。この部会 には僕は前任者の引き継ぎで出るようになったのだが、最初は行くのが 嫌だった。でも、不思議なことに徐々に会議の内容に慣れて、その内コ アメンバーになってしまった。懇親会が楽しくなったのはそれ以降であ る。

 要は、自分が楽しく参加して楽しく飲まないと周囲も楽しくないのだ ろう。いつも楽しく飲ませてくれる友人たちに感謝している。

現役最後のチャレンジかも

●平成17年度からのチャレンジの掉尾であろう。
掲載日時:2009/2/1
 現役というのは60歳までの職場での現役ということ人生の現役では ない。以前書いたことがあるけど、僕は平成17年の6月に出向先から 技研に戻った。まあ、新規事業を整理したわけです。平成17年の春か ら次の目標は温めていた。その以前に実は準備ができていた。ここで書 くのは、新しいビジネスと外部競争資金、各種表彰の受賞についてのチ ャンレンジについてだ。

 平成17年の3月に国道交通省の京浜河川事務所が公募した「鶴見川 PCB汚染土」の確認実験に応募、20グループほど応募したがこれは 選考外。5月に環境省のダイオキシン類汚染土の浄化事業にも応募した。 こちらも選考外。ついでに書けば、それまでにD社と一緒に実験を実施 したこともなかった。後でよく考えて呆れたものだった。この年に、両 社で小規模試験を実施し、パイロット機を製作した。連戦連敗の年だっ た。

 平成18年も環境省には再度チャレンジした。11月だったか、待ち に待った選考の通知が来た。JABEEの審査で某大学で聞いた。予定 した金額の倍額だった。この年の暮に、僕の推薦でD社のフロン分解技 術を土木学会の環境賞に推薦。翌平成19年3月に環境賞を受賞した。 連戦連勝の始まりだった。

 平成19年春にT社を加えて、NEDOのアスベスト無害化事業に応 募。アスベストの無害化技術では、国土交通省の研究助成金制度にも応 募した。3月に実施されたヒアリングに23グループの一つとして残っ たが、僕以外はすべて大学の教授を中心とするグループだった。この年 の6月になんと新規採択2社に入った。2年計画だった。平成19年の 春にD社の本部長が発明者の特許で発明協会の発明賞に入賞。平成19 年3月末に環境省の委託事業は終了。

 翌平成20年3月、D社が神戸市の浄化工事をわれわれの技術で受注。 この工事でダイオキシン類土壌浄化技術は本工事まで進み、完成となる。 次はアスベスト含有建材の無害化事業である。

 2年前にヒアリングまで進んだ、国土交通省の研究助成金にもう一度 チャレンジしてみようと考えている。詳しいテーマは公開できないが、 産業廃棄物の不法投棄防止システムだ。最新の技術を応用したシステム を考えて提案したい。現在、技術の細部を可能かどうか検討中だ。現在 の職場における、外部研究資金を狙った最後のチャンレンジになると思 う。連戦連勝で終わるかどうか、興味深い。

「黒部の太陽」とバンザイ

●難工事だけに感激だっただろう。
掲載日時:2009/1/25
 1月16日に土木学会の行事で「黒部の太陽」を見た。実は3度目な のだが、今回が一番感激した。2年前から土木学会の委員会活動で「ト ンネル技術史」を調べている。いま、記録を残そうと考えているのは主 として昭和25年〜昭和50年頃の記録なのだ。

 戦争が終わって昭和20年代後半から戦後復興の土木工事が盛んにな って来た。機械化土木の先駆けとなった佐久間ダムが昭和30年頃の施 工で、関電トンネルも昭和31年に着工されたのだ。アメリカからジャ ンボが導入されたのが昭和27年頃だという。関電トンネルを施工した のは熊谷組で、下請けは笹島建設という。昨年、当時の状況を笹島建設 の会長と当時の熊谷で施工担当だった方からうかがうことができた。

 映画にも大出水が出てくるが、あれは熊谷組の豊川工場にセットで作 ったものだという。想定外に水があふれて裕次郎が流されて指にケガを した迫真の撮影だったらしい。映画を見ながら、昨年のインタビューの 内容とセットの話を思い浮かべて興味が尽きなかった。

 トンネルの貫通の場面と貫通式では感情移入して涙が出そうだった。 こちらまで嬉しくなるのだから大した映画だと思った。出席した全員で 何度もバンザイを繰り返すのだ。あのバンザイは万感の万歳だと思った。 バンザイはああいう万歳であって欲しいと思ったことだ。

不況は昔もあった

●今回だけが異様に騒がれているが。
掲載日時:2009/1/11
 トヨタが大幅減益になったので、にわかに「不況」が騒がれているが われわれの建設業などはしょっちゅう不況で、構造不況業種になって久 しい。大学を現役で受験したときは電気工学科を受けたのだが、しばら く考えて土木系学科に変更した。当時は、官僚と政治にも関心があった せいだ。学部の4回生のときに当時の国家公務員一級試験を受けて合格 はしたものの順位が悪かったので、こちらはあきらめてあっさり民間に した。大学院に進学したのだ。大学院で青木教授の「公共経済学」を受 講して、ケインズ経済学を学び「土木は永久に安泰だ」と僕は信じ込ん だ。思えば知識がなかった(^^;)。

 昭和47年〜49年に学部を卒業した連中は、世間も好景気でわが社 でも200人以上採用したと思う。僕は大学院を出たので昭和50年の 採用で一転して採用をしぼり70名だったと思う。翌年は原則採用なし だった。採用をしぼったのは3〜4年続いた。この影響が後年出て来た のだ。残業は原則としてしないとか、サービス残業になったとか、支店 に行くと5時を過ぎたら真っ暗だった時代だった。不況だったのだ。だ から後輩の学生も一部上場の大企業には入れず、同じ一部だが規模の小 さい会社地場企業に入った連中もいる。この頃に広く散らばっている。

 その後、就職氷河期という時代もあって、世間一般が不況だった時代 がある。バブルが弾けた時代だったろうか。あのときも今回のように騒 いだのではなかったか。あの頃と今回の違いは、大学進学率の違い、派 遣労働者の存在、が大きいのではないか。

 先日、中西れいの自伝的な小説を読んだが、彼も薄汚い日の当たらな い3畳間から学生時代をスタートしている。僕らは中西れいの時代より は裕福だったと思う。それでも皆、3年程度はじっと我慢することがで きた。今の若者は我慢しない、できないという。おそらくそれも理由の 一つだろう。だけど、いつの世代だった不況と就職難はあって、みな耐 えて来たのだ。

初詣とおみくじ

●久しぶりに引いてみた
掲載日時:2009/1/4
 実父が昨年2月19日に亡くなったので、喪中欠礼で年賀状を出さな かったのだが、この喪中の期間っていうのは現代的にはどの程度なんだ ろう。これまでの経験だとみなさん、1月に亡くなろうと喪中とされて いるようだが、考えてみるとどうも個人的なもののようだ。だから、 「喪中欠礼」のハガキを出すのだなと思い至った次第。

 正月元旦に家人が「明日、2日に母を連れて神社に初もうでに行こう か」というので「喪中だから止めておこうか」と僕が言って先に書いた 議論になった。3日の夜に、結局、「明日行こう」ということになって 淵野辺駅に近い神社に車で3人で行って来た。お参りしてからおみくじ を引いたのである。山岳会恒例の新年山行で初詣はするのだが、もう1 月の下旬だし、おみくじは引かない。だから、久しぶりだった。

 僕の運勢は、「大吉」で母と家人は「中吉か小吉」だった。僕のおみ くじの御託宣は、願い事は叶う、失せものは見つかる、待ち人来る、と いうことなしの内容だった。まあ、楽しい気持ちで信じておこう。多分、 心配事があれば引いていないと思う。そう心配していないかた引いたん だろうと思う。だから、当たるさ(^^)。




お問い合わせはこちらまで

@nifty ID:GAC00312