合気勁Tに関する考察Vol.2





雑力の無い力&合気勁U(金剛合気勁)

この「雑力の無い力」という言葉は、佐川宗範の事を書かれた書籍「透明な力(木村氏著)」という言葉を意識して小生のところでは使用している。
これは、力抜き合気の偉大なる先駆者佐川宗範の使われたお言葉に対して、自分達浅学の輩の理論が遠く及ばないはずなので、恥ずかしながら似たような言葉として使うようになった次第である。
(*合気勁という言葉も造語であり、同じ理由による)

さて、合気勁というのは、あくまで相手の体内に歪みを作り出すだけの技術であり、現在の小生のところでの技術レベルでは、これのみで相手をどうこうする事はできない。これに、「雑力の無い力」という相手を具体的に崩す力というか技術が必要である。
どうして「雑力の無い力」という言葉を付けたかというと、この崩しに伴う自己の運動が伸筋を強く伴なうものであり、屈筋を使用すると相手の抵抗を誘発しやすく、せっかく掛けた合気勁Tによる歪みの修正の手がかりとされてしまう事さえあるからである。
それに対して、伸筋による力はこちらのボディーからのトルクの大きな力も伝えやすく、より瞬間的な相手の崩しなどにも効果があると言える。
また、実際に相手に術を掛けている感触が、伸筋系の力を使うと相手の抵抗などの引っ掛かり等の感触が無くクリア(透明)な感じが強くするためである。(現象的には知らぬ間に相手が倒れるなど・・・)
この様な「雑力の無い力」の研究途中において、これまでの合気勁Tとは別に合気勁Uと呼べるような技術を発見した。
これは、簡単に述べるとリラックスと伸張という、相反する存在を自己の体内でバランス化したものであり、超伸張体とも表現できるので、今回「金剛合気勁」と名付け合気勁Tと区別を計ることとする。その分類は、むしろ「雑力の無い力」のある種の方向性を持ったボディー操作法であり、その力の大きさにより、技による効果の増大化ができるようである。
詳細については、未だ検証中であるが陰陽(緩みと伸張)合一といった新しい練体がその先にはあるようである。(「秘伝」誌2000年/10月号にて詳細)

九星・合気拳法

さて、以上は組んでの体術による合気勁の効果であるが、小生は元々打突が専門であった為、早くから空間の合気勁と呼べる存在に気付き、むしろ合気勁の発見からこちらの方を練習してきた。それも、小手の合気勁がヒントにはなっているのであるが、多分にそれまで自分達が蓄積してきた中国拳法の内家拳的な練習が、九星・合気拳法を生み出す大きな下地になったと思われる。
中国拳法のように打突をメインとした武術にとっては、その上達においてタイミングが非常に大きなウエイトを占める存在であり、相手の打ち気を読んでこちらから攻め込むのに「先の先」といった技術が上げられる。
小手の合気勁に気がついた小生は、打突の練習時において相手の基底面が一瞬合気勁Tで掛けるポイントに移行してから攻撃してくる事に気がいた。またこの瞬間を「先の先」により捉えると同じ歪みが生じることも分かった。
このタイミング(呼吸)は、明らかに攻撃に移ろうとする者にとって、精神的にも空白のタイミングであり、その瞬間を押え込まれると自身の力をすべてが崩れる直前の基底面で受ける事となり、そのベクトルが逆流して作用するものであると小生は考える。

ちなみに、このタイミングを取る「先の先」(九星・合気拳法のタイミング)の技術そのもに関しては、聴勁のレーダー範囲の広範化とともに中国拳法の内功の素養が大きく関係している。

大東流合気柔術に関して

小生はこの合気勁を見つけてより、色々と実験を重ねてきたが、いくつか技の効かない状況という場合があった。また、今年の最初に幸運にも大東流六方会・岡本正剛先生の技術を間近に拝見し、また直接そのお話しなどお聞きするという貴重な機会を得たが、その時「こちらに対して攻撃する気が無い者には、(合気の)技は効きにくい」というような事を先生はおっしゃっておられた。
この言葉を元に小生のところでも試しに、相手にまったく余所事を考えた状態で手を掴ませたりすると、合気勁からの崩しが、やはり非常に掛け辛くなる事を確認した。これは、ふわりと握ってくる相手にもいえて、ちゃんとこちらを攻撃するつもりの意念を持って同じように持ってもらうのとでは大きな差違があった。

さて、ここで小生のところに無い技術が思い浮かんできた。
それが、「柔術」の部分である。
根本的に相手の関節を知り尽くした上で逆を極める柔術の技術は、余所事を考えているような相手や逃げ腰の相手には非常に良く効くのである。逆に、単純な逆技は熟練者になればなるほど掛け辛くなり、合気勁Tなどには簡単に掛かってしまう。
また、写真などで拝見する限りにおいてであるが、大東流の方々の合気上げは、それと分からない程度に指などの関節のロックをされているように見受けられる。
さて、岡本先生に関してはその触れ合気の進歩と共に伝統的な教授内容を変更されて独特なものになってきているというような事を以前耳にした記憶がある。これは、岡本先生が自分に害を為す者だけを敵と想定し練習されてきた為に、敵意を持たずして掴む者を対象としなくなったのではないかと勝手に推察するものである。
更にこの件について、岡本先生には投げられず佐川道場ではいかようにもなげられたという方が見えるが、佐川道場の方々は佐川先生より合気を継承していないという事なので、これは柔術で投げられたと解釈するほうが自然なのではないだろうか?
この事について更に検証すると、佐川道場では上級者同士においてはその技が掛からなくなってくるという事なので、あくまでその技法体系は柔術の部分がベースなのではないかと推測できる。ただ一般的に、合気の技術よりも柔術の技術の方が劣っているというような見解が多いが、小生は一概にそればかりだとは思わない。なぜなら本来柔術というものは、実戦的に人の関節構造や生理反応を充分研究して体系付けられた技術であり、これを極めた者の技術は拳法の名人達人と何ら遜色無い存在と考える。
さて話しを戻して、このような自分自身の実験研究体験より、大東流とは本来的に合気術と柔術の二側面を有し、その両方の技術の造詣に深くなる事により、より完成された武術へとなるのではないかと考えるものである。

≪関節技のポイント/各指のロック≫


梃の原理が効いているため、指を外しにくい。(実際の攻めのベクトルは、梃運動とは別になるので注意!)



まとめ

もともと小生は合気・・・それも佐川宗範の「力抜きの合気」が自分の練拳する中国拳法の化勁に役に立たないかと考え研究していた。そしてある偶然から見つけ出したのが合気勁である。
日本武術未経験者の小生が見つけた技術であるが故に、これが合気と呼べる代物なのかどうかなどは一切分かるものではない。

あくまで小生としては、もどきでも良いと思っている。ただ重要な事はせっかく見つけたこの技術を如何に育てていくかという事であり、現状においては、まだまだ試作品のようなものであるという事である。これは、現在合気勁を相手に掛けるのに要する時間が長すぎるという欠点があり、更に重心の吸い取りという技術まで行おうとすると、武術的には殆ど価値が無い程の時間を必要とする事となる。(2〜5秒必要)
もちろんこれでも発見当初に比べれば、その時間は随分短くなってきたほうである。

本当に、まだまだこれからの技術である。

追記:合気勁V

合気勁Tに気が付いてから、早いものでもう既に一年の歳月が経ってしまった。(2000年5月)
その間に何度も、この技術自体上手く掛けることができなくなり、それでも元々小生には本来の中国拳法がある為、ほったらかしの状態の期間もあった。
しかし、現在はこの技術も大いに進歩し、ついに合気勁Vと呼べるような技術になってきた。
合気勁Vは、これまで部分的にしか歪めていなかった相手の骨格を、今迄以上に意図的に狙って掛ける事が可能になった技術であり、肩なら肩の部分にのみ相手の力を上手く入れさせなくしたりも可能になりつつある。また、これまでの課題であった時間のロスも大幅にカットでき、相手が掴んだ瞬間、またはこちらに作用する瞬間を捉えるある種の共通した理論がこの新しい技術の支えになってもいる。(「月刊秘伝」2001/1号のコラムにて若干紹介)
ここで合気勁Vの詳細を書くことは残念ながらできないが、人体が力を発揮する過程に付いて、通常の力学や運動生理学にとらわれることの無い、あくまで武術的力学と呼べるような独特の運動に気が付いていくことが、より秘伝に近づく道なのかもしれない。

参考技:合気勁V「突き返し」

相手に胸部を突いてきてもらい、これを透化勁で受けて威力を消す。
同時に合気勁Vを使って相手の歪みを捉え、相手の突き技の威力をそのまま返す。この相手の大きな崩れは、自分自身の力であり、こちらは歪みを維持しているだけ。


*以上は、自分の体験にもとづく私見である。個人的に批判中傷する意図は無く、そのように読める部分があるとすれば、小生の筆力不足の為であるので念のため。
また、合気勁による技術は、あくまで当会内での実験検証に過ぎず、未だ研究半ばである。

合気勁Tの考察Vol.1

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