怒ることの共同性 2001.5.13

  この間、ゼミで学生が「雷オヤジはなぜ消えたか」というテーマで話をしてくれた。雷オヤジの概念は「非常に厳しい父親」と理解する僕とは少し違って、地域の中で他の家の子どもでも怒るような怖いおじさんを指していたが、そういう「地域の怒り役」がなぜ消えたかを考えたいというのだ。

  さっそくみんなで昔近所の人に怒られた経験談に花が咲いた。そこで怒られる側と怒る側が「怒り」について持っている期待の話になってきた。ある学生はこういう。例えば近所の家の柿を盗むとき(これ自体なんと古典的な!)、怒られるだろうなあ、という期待にわくわくしながら、その緊張感を楽しんでそれを盗ったという。また別の学生は、いつもそうやって怒る側の人から、「怒ったときにわーっと逃げてくれないと調子が外れる」という話を聞いたという。

  盗む方は自分の行為が悪いという意識を持ち、善悪のラインを超える瞬間のスリルを楽しむ。それは善を否定する行為のように見えて、実は善を絶対的に前提として初めて成り立つ行為ということになる。怒る側にもそういう善悪の基準が共有されているという感覚の中で、初めて怒るという行為が意味を持っている。怒る方も怒られる方も、そこでは異なる立場から同じ善悪の基準を確かめ合っている、そういう共同性が確保されていることに気づかされた。

  多くの小学校などで学級崩壊が問題となったように、今多くの大学で授業中の私語の問題がとても深刻になっている。私が学生の頃は、授業中に私語が出始めた頃だった。その時、教員が「私語について、注意をわざわざしなければいけないような時代になったのでしょうか?」という注意をし、それで私語は収まった。今は状況が全く異なっている。注意をしても効果はほんの数分。場合によっては全く効果がない。私語についてアンケートを採ってみるとよく分かる。そもそも「私語はいけない」という意識を持つものは極めて少数。むしろ多少の私語は授業を楽しく受けるために必要と考える学生が主流で、さらに「全く構わない」と考える学生も少なくない。

  多くの教員が自分の怒りが共有されないこの現状に、深刻な精神的ダメージを受けている。怒りはそれを受け止めてくれる人が居てこそ意味がある。怒り怒られることは、それ自体が大事なコミュニケーションなのである。ところがそのコミュニケーションが成り立たない現実に直面させられる。行き場のない怒りは、自分の無力感に変形して自己をむしばむか、あるいは学生に対する嫌悪感、軽蔑観となってますますコミュニケーションの可能性をむしばんでいくことになる。そして管理主義的発想がそこに続く。このディスコミュニケーションの悪循環を何とか越えられないか、と思い続けてきた。

  そんなこんなで悩みながら授業をしていて、最近こんな経験をした。

  あるゼミ的な授業でのことである。女子ばかりのそのクラスで、学生たちはいかにもテレビによく取り上げられるような、今風の女の子たちだ。私は最初から「教師」として「教える」という構えを捨てた。彼女たちと話題を共有し、議論し、対話することに徹することにした。「教える」べき知識は、すべてその対話の中に織り込んでいく。もちろん、予め「これだけは絶対に伝達する」というような具体的内容を設定することは不可能だ。対話の中から何を必要な知識として組み立て、彼女らに素直に伝達できるか、それがこちらの力量を問われる勝負所である。彼女らに権威はもう通用しない。

  そういう「構え」を捨てた「構え」で、彼女らに言いたいことを言わせる。その議論に僕も噛んでいく。ところどころ挑発を入れたりしながら、議論の盛り上がりを楽しみ、また議論が続かなくなってなんとなくけだるくなってくると、「今日はけだるい授業だ」とそのまま感想を言い、「沈黙はそれ自体会話だ」等と言いながら、それを肯定してしまう。

  人間関係などについて議論をさせていると、彼女たちの話は実にストレートだと感じる。それは彼女たちが自分たちの言葉で語っているからだ。そこには「嘘」がない。そして「嘘」がない分、真剣である。自分の生き方に根ざした言葉が交わされている。けだるい沈黙もまた、彼女たちの精神のけだるい部分が素直に表現されている。そのけだるさは、そして僕らも恐らく共有するものであることを感ずる。

  そういう彼女たちの「本当の言葉」を聞き、それと語り合っていると、彼女たちの中に「筋」とか、「正しさ」とか、「思いやり」とか、「対等=平等」とか、「礼儀」とか、そういう感覚が生き生きと存在している事実に出会って驚く。僕らの目には、およそそういうものの破壊者としてしか目に写らない場合も多い人々であるにもかかわらず、彼女らの強い秩序感覚に、むしろ時としてたじろぐほどなのだ。

  いわゆる「授業」の「秩序」が無い中で、学生たちはとなりとぺちゃくちゃしゃべりもし、化粧もし、一応断ってではあるが、途中でトイレに立つ者も毎回いる。机を並べ替えようと言うと、「いやだよ、そんなの」と言い、授業が終わって元に戻す時に手伝わせようとすると「そんなのいいじゃん、ほっとけば」と言う。でも、そういいながら、結局彼女らは手伝っている。それは「言われたからすべきである」という感じではなくて、ある種の「おじさん」への「思いやり」のようだ。

  そして前回、同じ様な感じで話をしている内に、時折授業中に化粧もしている一人の子が、おにぎりを出して堂々と食べ始めた。化粧をするのとおにぎりを食べるのと、どこに境があるのか、僕には分からないが、なんとなくむっとした。以前なら怒鳴りつけたところだと思う。でもそうはならなかった。「なあ、それって、ちょっとやばくない?後で食べたら?」そんな言葉かけだったと思う。激しく怒るのでもなく、でも遠慮するでもなく、淡々とストレートにそう言った。むすっとされるか、くってかかられるかと僕は思っていたのだが、その子の反応は違った。驚いたことにかすかに はにかんだ。隣にいる彼女の友達も、「あんた、それやばいよ」みたいなことを言う。そしてその子は素直におにぎりをカバンにしまった。

  その時、小さな音を立てて、でも確実に僕の中で歯車がかちっと噛み合うのを感じた。

  怒りの共同性、それをどう再構築していくのかということが、いろんなところで問われているんだと思う。

 コミュニケーションとしての授業 2001.5.20

  ホームページを開設してこれで20日が経った。国内の友人、知人のみなさんから、いろんな感想を頂いたほか、韓国の大学生の方からもHPを見てのメールを頂いた。国境をたやすく越える新しいコミュニケーションの媒体として、インターネットで何が可能か、これからもいろいろ工夫してみたいと思っている(ただし語学の苦手な私にとって、その壁はほんとに大きいが)。

  いろいろ頂いた感想の中で、私の授業紹介に関するものも割合に多かった。実はそれは私にとって予想外だった。よく準備をしていると誤解して感心して下さる方もいるし(これはほんとに冷や汗!)、中身が面白そうだと感じて下さる方も、ご自分の授業に利用したいと言って下さる方もある。それだけ皆さん、授業については多くの思いを持っていらっしゃるのだろうと思った。

  大学では授業開発研究会という組織に所属している。申し訳ないが自発的にではなく、お役目として与えられた仕事であり、いつもリーダーの方にご迷惑をおかけしている。授業評価の実施、私語対策の検討、授業技術の向上など、総じて授業改善に寄与することが求められている。大学の経営環境が著しく悪化する時代にあって、学生のニーズに合わせた授業を行えるかどうかが死活問題となっているという、強烈な圧力がそこには存在している。

  正直な話、他人の講義に「外側から」干渉するのは私にとって大変な苦痛である。それは自分の授業に外部から管理的に干渉されたくないということと同根だと思う。

  もちろん、私自身は外部に対して閉鎖的な授業をしているつもりはない。高校へ行っての模擬授業や、大学のオープンキャンパスでの模擬授業、さらには大学紹介のためにインターネット上で流すサンプル授業のビデオ撮影など、私にもぼちぼちその手の仕事が回ってくるが、仕事が増えることのしんどさはさておいて、高校生と話をしたり、学校の先生と話をしたり、外部の業者と話をしたり……そんなコミュニケーション自体は私は楽しめるし、刺激にもなる。

  授業評価にしても、私自身は昔から受講生の感想文をいつも繰り返し書いてもらっている。自分の話がどんな風に受け止められているのか、わかりにくい独りよがりの講義になっていないか、そういうことがとても気になるからだ。それに学生の感想文からいろいろ発見させてもらうこともある。そのおかげで、講義をする上でのいろんな工夫もある程度は積み重ねられて、自分なりのスタイルができてきていると思う。

  他の教員と交流しながら授業を作ることも好きだ。お互いにそこで議論をし、学ぶことが非常に多い。自分の研究にとって欠かせない刺激にもなる。大学外の人に参加してもらうことも好きで、機会さえあれば実現させてきているし、逆に学生を連れだして外の世界と交流し、現場から学ばせていただくのも好きだ。

  そういう私自身にとっての「授業改善」の小さな試みは、ある意味ですべてコミュニケーションの回復と創造という方向に向いているのだと思う。私語にしても、一番私が問題だと感ずるのは、学生が礼儀を知らない等という問題ではない。講義をする者と講義を受ける者との間で、それぞれの立場から協力して授業を作っていくという、コミュニケーションの基盤が崩れてしまっていることだ。外部との交流を大事にするのも、「知」をできるだけ広いコミュニケーションの中に開かれた形で伝え、育てていきたいからに他ならない。

  そういうコミュニケーションを回復・創造するための、内側からの「授業改善」は、決して苦痛ではない。その中で確実に自分が育ち、また他者も育ってくれているという実感がある。そこでは講義をする者であろうと、それを受ける者であろうと、あるいはその講義を見に来る外部の人であろうと、形式的な役割としての上下関係を越えて、すべての人が平等にお互いを刺激し合う関係が成り立つ。

   管理主義的な「授業改善」が破壊するもののひとつはきっとここなのだろう。それは教育にとって一番大事なものを失わせてしまうのだと思う。それを越えて、どう大学の中に新しいコミュニケーションを生み出しつつ、刺激しあって授業をお互いにとって面白くしていくか、その模索がこれからも続く。


多文化保育とアイデンティティー 2001.5.28

  仙台市で開かれた日本保育学会で、「わが国の地域における多文化保育(1):群馬県大泉町の実践から」と題するシンポジュウムが、私の属する国際交流委員会の主催で行われた。通常国際交流委員会と言えば、他国の学会などとの交流や、日本の学会・研究の海外に対する情報発信を主な役割としているところ、私たちはそれに加えて、「足下の国際交流」である、外国籍の子どもを含む保育の問題について、継続的に調査、議論を続けていこうということになったのだ。今年度の対象地域として選ばれたのは、住民の実に14%以上が南米の日系人を中心とした外国籍住民である、群馬県大泉町である。

  ちょうど私の職場が群馬県であることもあり、今年度シンポの担当者のようになって、昨年11月から企画にご協力いただける方を探すところから取り組みを始めた。群大の知り合いのつてをたどって、ちょうど多文化保育状況について調査を始められていた大泉保育福祉専門学校の林先生と出会うことができ、また前橋国際大の鈴木学部長から、大泉町国際交流課で多文化共生への施策を行政の立場から模索してこられた糸井課長を紹介していただき、さらに林先生から外国籍の子どもを受け入れて保育を続けてこられたみよし保育園の先生方をご紹介いただき、といった感じでとても順調に調査を進められた。
 
  シンポジュウムは現場の先生、研究者、そして行政担当者という三つの異なる立場から、色々な問題を提起していただくことができた。現場からは子どもを預かって、始め習慣の違いに戸惑いを見せる彼らにできるだけ楽しい園生活を送ってもらおうという様々な努力や、子どもたちの抱える問題が紹介され、研究者の立場からは園の内部だけでは見えてこない、外国籍住民である父母の思いの一端が明らかになり、また行政の側からは園を終えて小学校、中学校へと進んだ子どもたちが抱えるさまざまな問題や、50%を越える不就学児の問題、さらには共生を目指した外国籍住民へのサポートの問題などが報告された。

  保育学会としても、このように行政の方を含めてシンポを行えるのはまれとのことだったが、両親の生活や卒園後の展開までを含んだ広い視野の中で、多角的に問題を見ていくことで、多文化共生という課題をとても現実的なものとして考える大事な一つの手がかりが得られたと思う。

  多文化保育の問題に主体的な形では初めて触れた私にとって一番印象に残ったことは、アイデンティティーの問題だった。

  例えば大泉町では、外国籍児童に対して日本語教育のサポートを熱心に行ってこられた。しかし予想しなかった問題が起こった。一日の大部分を日本語環境ですごす子どもたちは、日本語についてはかなり早く馴染んでいく。ところが逆に共稼ぎで夜の短い時間しか一緒に過ごせず、日本語もあまりできない親との間で、母語によるコミュニケーションがうまくいかなくなる。母語の能力が幼児期以降、あまり伸びていかないからだ。それが深刻化するのは思春期を迎える頃。複雑な思いを両親に伝えたくとも、日本語でしかそれを表現できない子どもと、母語でしか対応できない両親の間に、大きな溝ができてしまう。

  母語の問題や習慣、母国の学校教育で必要とされる知識などの問題を深刻に受け止める外国籍住民が選んだひとつの選択肢は、自分たちで母語による教育の場を作ることだった。大泉には託児所に限っても数カ所、ブラジル人経営の民間施設が存在し、預かっている子どもの数も多いところでは100人を越している。ブラジルの教科書を使い、同じカリキュラムで教育を行い、卒業すればブラジルの正規の卒業資格を得られる小中学校も設立されている。そういう形で、外国籍住民は日本の施設に入って、日本の環境により近づく形で子どもの教育を考えるか、あるいは自分たちの文化を軸に据える形で教育するかという選択肢を持つことができる。

  だがそれで問題が解決するわけではない。日本の学校にもなじめず、かといって経済的な理由その他で外国籍住民用の施設にも通えない不就学の子どもたちの問題がここに加わってくるのだ。

  外国籍住民がどのような選択肢を選ぶかを左右する大きな要因に「将来帰国を考えているか」という問題がある。数年後に帰国を考える人たちは、どちらかと言えば帰国後の適応を考えて母国の教育システムを選ぶ可能性が高くなる。逆に日本で定住していこうとする志向性の高い人たちは日本の教育システムを選ぶ。そしてこれはデータからの裏付けはまだ無いが、どちらともつかない曖昧な状態で過ごす人たちの中に、不就学問題が生ずる可能性が高まるような印象を受けた。

  自分が将来「何人」として、「どこで」生きていこうとするのか、自分の将来のアイデンティティーに関わる問題がここにある。多文化共生の問題は、このアイデンティティーの問題だとさえ言えるかもしれない。もちろん逆にいえば、そのような外国籍住民のアイデンティティーの問題は、彼らと共生する日本人のアイデンティティーの問題を改めて提起する。在日の人たちの中でアイデンティティーの問題が非常に深刻であるという話を新聞などで読む機会があったが、まさにそうなのだろうと、今遅蒔きながらすこし実感するようになった。



内と外の乖離? 2001.6.14

   先日大学で学生相談に関わるスタッフと共にピアサポートに関する講演会を実施した。具体的にはずいぶん様々な形態がありそうだが、大づかみに言えばピアサポートというのはその名の通り、いわゆるカウンセラーなどの専門家ではなく、同じ境遇の仲間・同輩が、悩みを抱えた人の相談に乗るというシステムである。カナダで始まったその試みが、数はまだ非常に少ないが、数年前から日本の中学校・小学校などでも試み始められている。このホームページでも「リンクのページ」に戸田さんの研究室を紹介しているが、彼も早くからその試みに積極的に取り組んできた一人だ。

   大学でこのピアサポートを検討してみようとした理由は、全く直観レベルの話だが、学生の中で他者と関わる基本的な力が育っていない人が相当多いと感じたことにある。他者に対して自己を表現できない、関わりの中でお互いの主張を調整する力に乏しい、すぐに引きこもる……。たとえば同僚の大森さんによれば、コンパなどでも彼らは教員が一緒にいてもらわないと不安になるという。いつ、どこでやるかということを決めるときにも、自分たちで対立を調整することが怖い。それで教員に決めてもらいたがる。「先生がそういったから」という「言い訳」によってようやく対立が調整されることになる。関わり合いの力をどこかで育てていかなければ、本当に深刻な事態だと感じた。

   講演にはこの活動の日本に於ける第一人者のひとりでもある、文教大学の森川澄男先生をお招きした。高校の先生から始まって、群馬県を足場に学校に於ける相談活動について、ずっと指導的な立場で活躍してこられた方であり、本場のカナダを初めとして海外との交流も深く、率先してピアサポート活動を展開してこられた。群馬県前橋市の鎌倉中学にもこのシステムを導入され、マスコミにも広く紹介されている。そのような活動の延長上に、今前橋市は全市的にこのピアサポートの取り組みを開始するようにまでなってきた。

   講演で森川先生は、まず学生たちの気分をほぐすように、いくつかの遊びを行った。例えば隣の人と握手をし、空いた手でじゃんけんをする。勝った方は素早く握手をした相手の手の甲を叩く。負けた方は叩かれないようにじゃんけんをした方の手で自分の甲を隠す。また、5回じゃんけんしてどちらが多く勝つかというだけのたわいもない遊びも行った。そうやって5回全勝の人を立たせ、その人達だけでまたじゃんけんをさせ、優勝者を決めてちょっとしたプレゼントを渡す。そんなことでも意外にもり上がる。絵を描いてみたり、二人で自己紹介をしあうというのもやった。

   ところが、二人組になってじゃんけんをするといった、たったそれだけの遊びに応じない学生が相当の数に上った。中には机に突っ伏して、ふて寝をしているように見える学生も何人かいる。森川先生が何度か呼びかけても、その呼びかけに応じて新たにじゃんけんなどに参加する者は非常に少なかった。外目に見る限り、そういう「遊びの強制」に強く反発して、極めて非協力的な態度に出ているとも見えた。あとでその場にいたスタッフと話し合っても、やはり同様の感想を抱いていたようだった。

   ところが、最後に全員に書いてもらった感想文を読んで驚いた。否定的な感想を書いているものは3%にも満たない。ほとんど全員に近い学生が、ピアサポートという活動はすばらしい、勉強できて良かった、今日はいろいろ遊べて楽しかった、こういうのはもっとやりたい……といった、肯定的というよりも、さらに積極的な感想だった。中には自分の辛かった過去を振り返るようなものもある。

   当たり障りのない「嘘」を適当に書いただけだという可能性が全くないわけではない。中にはそういう学生もいただろう。だが、それを読んだスタッフは皆、学生の感想文にエネルギーを感じていた。本気で楽しんで、本気でそういう活動に賛同している。少なくとも普段別の機会に感想文を書いてもらうときのなおざりな書き方とはかなり違っていると感じられる。

   実際の講演会の場での彼らの態度と、感想文に書かれた彼らの意見と、そのあまりのギャップにスタッフはすべて驚いた。だが一方で驚きつつも、やはり普段の経験から非常に腑に落ちる感覚もあるのだった。講義をしていて、前から学生を見ていると、ほんとうにつまらなそうに見える。机に突っ伏している学生も少なくない。私語もある。話しかけてもなかなか反応が得られない。話をしている側からすれば、ほとんど絶望的な気分にすらなりかねない状況だが、その学生たちに感想文を書いてもらうと、驚くほどいろんなことを積極的に書いてくれている場合がしばしばある。

   多分、彼らが書いていることには嘘はないのだと思う。だとすればここに壮絶なギャップが存在している。彼らの感じていることと、彼ら示す態度を見て私たちが感じ取ることとが、全く乖離してしまっているということになるからだ。楽しいという気持ち、本当につまらないという気持ち、あるいは怒りや悲しみ、そういう感情が私たちに了解可能な形で全く表出されないのである。これは恐ろしいまでのコミュニケーションの断絶とも言えるだろう。

   そういう断絶はおそらく世代間の断絶という種類のものではない。私たちとは異なるコミュニケーションコードを彼らがお互いに交わしている、というのではきっとない。本当にそういう基本的な表出手段を、彼らは失ってしまっているのだと感じる。

   もしそうだとすれば、いわゆる子どもが「切れる」という現象もかなり了解可能になる。大人の目には彼らは突然に「切れる」と写る。だが実際はそうではない。普段から相当に「切れて」いるのだ。だが、その怒り、いらだちが了解可能な形で表出されない。そしてその表出されない怒りがあるレベルに達したとき、大人の目から見ると唐突にその怒りが極端な、最終的な形で表出されるのである。

   自分の感情を相手に表出することは、コミュニケーションにとって基本的な要素である。お互いに自己を表出しあいながら関係を調節し、進展させていくという、もっとも人間にとって重要な力が、彼らの中で育つことなく、お互いが内にこもっていく。だが、その状態が心地よくないこと、他者と新しい関わりができることが(じゃんけんや自己紹介などというたわいない関わりでさえ)非常にうれしい体験となることが彼らの感想文に素直に現れている。

   彼らの感じていることと、他者が彼について感じ取れることの間の恐ろしいまでの乖離をどう埋めていくか。私たちが学生と共に模索していかなければならない深刻な課題の一つだと感じた。


 杉さんのイタリアレポート 2001.7.7

私が関西にいた頃、市民運動で知り合った杉勝利さん。前は電車の運転手さんでした。そのころから毎年夏に有給休暇を固めてとって(これも普通の企業では大変な勇気)、国内を徒歩旅行したり、さらにはフィリピンを初めとして海外に出かけたりしています。今年はローマとのことで、スリにやられた体験など、メールでレポートを送ってくださいました。


  恒例の旅行。今年はローマです。「 ROMA に行く」といって出かけたはずなのに、なぜか、いま PALERMO にいます。イタリアのつま先の、石ころ(シチリア島)のほとんど先端の部分です。

  オランダのアムステルダムで、飛行機を降りて、ドイツ、スイス、アルプスを越えてイタリアへそのまま南下し、シチリアまで来てしまいました。アムステルダムで、バーゼルへ行くつもりで、ブリュッセルまでの切符を買ってしまい、車内で車掌に「間違っているから、降りろ」と言われて大騒ぎ。さいさきの悪いスタート。そして何度、予定を変更したことか。

  94年に、イギリスからベルリンまで行っているので、これで十字架の完成です。ヨーロッパは広いです。

  いま、地中海の碧い海と青い空を眺めています。思わず「オー・ソ・レ・ミオ」を歌いだす輝かしく明るい太陽です。

  今回は、電脳を持って(追加重量2.5Kg)、旅をしています。インターネットの実験を組むことにしました。。イーメールが着きましたら、拍手願います。6月20日から、7月5日までの旅行です。この期間に、返事がいただけたら、追伸します。

       イタリアのパレルモから
           日本時間 2001年6月26日(火) 04:03:22
           現地時間 2001年6月25日(月) 21:03:22

6月23日(土)
  シチリアのメッシナで、夕方、食堂を探したが見つからない。若者が街に多数たむろしているのに話に夢中。ケーキ屋ばかりで「こいつら、何くって生きてるのやろう!!」と考える。マリー・アントワネットを思いだす。「パンが食えなきゃ、ケーキを食えばいいじゃないの?」だから、ケーキばかり食っているのかね。この国は!!

  駅に教会があって、そこでミサ。日曜日の街はすべて「お休み」。ぼくは、パンもケーキも食っていないし、まだ、泊まるところも決まらない。「こんど戦争する時はイタ公ぬき」を実感している。

6月29日(金)
  バチカンに着いたらパーパの御出座。法王庁というのは、京都でいえば清水寺の位置にある。街の外で、川向こうで(テレヴェ川)元々墓地だとか。法王様は、いがいと老いぼれている。場内でTV中継されていて、大画面でご対面。肉眼では、300メートル動いているのをかろうじて確認。儀式が始まってすぐ、シャワーのような雨。

6月30日(土)
  今日、堂内に入った。211m の奥行きは逆光もあって、霞んでいる。コーラスが聞こえてきて、人垣ができている。のぞいてみると20人程の、どこかの民族衣装の人たちが、手をつないで、すばらしい歌声。なみだぐんで歌っている人もいて、感激!!法王庁に「中止」させられるまで数曲。神父も同伴の30名くらいの一団。カリフォルニアから来たとか。残響がよかったよ。こんなゲリラをやるやつもいるのだ。パーパの話よりはるかによかった。(言葉がさっぱり)。

7月1日(日)
  今朝、気がついたこと。
  うんこの匂いが、変化している。なんとなく、牛乳の匂いというか....。そういえば、もう、10日以上こちらの食事で、チーズなどを、知らずに多く摂取しているのか。一時的な現象かもしれない。

  インターネットの事情
  意外と、困難が多い。電話があると、HOTEL の料金が高い。しかし、電話機があっても、外線につながるともいえない。発信音が違うので、「部屋を見せてもらう」程度では、確認が困難。それに、1日に一度のチャンスしかない。これらの条件が、整っていても、部屋に着いたら、疲れ果てて、KEY を打つ力が残っていないなど、なかなか、思う通りにはいかない。こういうことがわかっただけでも、持ってきてよかった。日ごろの実力以上のことは旅先でもできないのだ。

  インターネット・カフェなど、何軒か見かけたが、ぼくは、使う気はなりません。なぜならば、プライバシーがそのまま、使った電脳に残ってしまうから。ご用心。

  そんな事情で、もう一回ぐらいだしたいと思っていますが、ひょっとすると、コレが最後になるかの知れません。

  水は権力者の権威の象徴を実感している。
  日に2Lも水を飲んで、全天、雲一つないローマを歩いています。法王庁にも噴水があります。からっからの街に遠くから水道を引いて、泉として(いっぱいある)市民に供する。これ「権力者の恩を感じよ」とのありがたきお情け。

  予想通り、ローマは小さい街です。紀元前後、人々が往来できるのは、たかが知れているはず。都市の機能をもっているなら、範囲は限られる。日本の都市など、壁もない、のんべんだらりと、拡大するのと訳が違う。

  七つの丘を登頂しようと決意して来たが、困難極まりない。しかられたり、どなられたり。そんなことに、くじけちゃあ いけない。エジプトでは、ピストルを向けられた。謝ってすむくらいなら、御安い御用。

  「真実の口」には、手を入れませんでした。なぜならば....

          ローマの休日。杉 勝利。
              2001年7月2日    6時40分 日本時間
              2001年7月1日 23時40分 現地時間

とうとうやられた。
  6月29日(金)朝、9時40分ごろ、ローマの地下鉄内で、スリにやられた。
  今考えると、徹底的にマークされていたようで、ローマに着いた翌日から、気になる動きが、まわりであった。そう、こんでもいない車内で、数人が、満員の状態を作り出す。何度か、そんなことがあったので、「やばい」と思っていたのだが、こちらは、防ぐうまい手だてが見つからない。

  ホテルを変更する時だったので、すべての持ち物は持っているわけで、案の定、一駅でやられた。扉が閉まった時に、気がついたのだが、後の祭。実行犯は、男と女の二人組。警察を探して、「スリにやられた」といったら、まず、電話機に案内。なれたもので、先に「クレジットカードを止めろ」と言う。電脳を取り出して、カード番号を読み出して電話する。

  それから事情を聞く。名前を言ったら、仲間を呼んで大笑い。「かつとし」というのは、「男性器が硬い」といった意味らしい。こちらも、やけくそで、大笑い。とんだ発見だった。

  かれらは、どうも、グループで行動しているようで、物乞いをする家族。これは、偵察部隊。しつように、絡みついてくる。お金のありかや、ぼくの行動を看視している。なんども、合うのだから、ほぼ間違いない。そして今度は、地下鉄内で、何度か、ちょっかいを出す。満員の時もあるし、満員状態を作り出しもする。頃合いを見て、実行する。

  ほぼ、そんな風に想像できる。

  経験からいうと、防ぐ手だてはなさそうだ。取られない工夫より、取られてもよい工夫をしたほうがよい。ぼくの場合、カードの番号などが、記録してあったし、お金も、ザック・ハンドバッグ・身体・ウェストポーチと、いくつかに分けてあったので、途方に暮れる、といった事態だけは避けられた。しかしながら、たまたま、買い物の都合で、ウェストポーチに、財布を入れていたものをやられた。便利というものは、本当にやっかいなことだ。敵さんも、よく見ている。

  結局、被害は、一回の旅行分位になるから、そうとう痛い。 お金も、カードも分散してあったので、旅行には、支障はない。「スリにあうのも、ローマの土産」と、嘯(うそぶ)いてみるが、それにしても、癪である。

  「狙われたら、避けようがない」というのが、今回の教訓である。そして、事件は、金曜日に起こる。

7月2日(火)
  ザックがほころびた。さてどうする。
  裁縫道具を取り出して、やってみたが、針が曲がる。ホテルで事情を話すと、靴の修理屋に行けという。何軒か聞いたが、販売ばかりで、修理はしていないという。もうこうなったら、片っ端から、と思って露天の靴屋に聞いたら、ちょっと奥に入り込んだところにある店を、考えながら教えてくれた。

  店を覗くと、靴を縫うミシンがあるではないか。職人風の、おっさんが、ザックの中の物を出せという。ものの5分もしないうちに問題解決。5000リラ(300円程度)、一枚をぼくの手から抜き取って、「こんなものへっちゃら」といった顔で、一件落着。とって返して、露天の靴屋に報告。丁寧に御礼を言った。当然のことながら、日本語である。

           2001年7月4日(水) 04:41:34 日本時間
           2001年7月3日(火) 21:41:34 現地時間

ローマ最終日の朝です。

  yamamoto wrote
  >  とりあえず最低限はご無事だったようでよかった!

  命あってのものだね、です。しかし、なにかしら、ルールがあるような気もします。最近の、日本での事件などと比べても、これで、ローマが、嫌いになるほどではありません。

  yamamoto wrote
  >  僕はローマで子どもたちの集団にやられそうになったことと、
  >  マドリッドで間抜けなスリに鞄から
  >  筆入れをすられそうになったことがあります。
  >  どちらも寸前で気がつきましたから何とかなりましたけど。

  ぼくの場合は、スリだと気がついているのです。気がついているにもかかわらず、有効な対処の方法が見つからなくて、やられてしまったのです。これは悔しいし、まあ言えば、ぼくの負けです。その後は、彼らを見かけませんから、完全にマークされて、今は、次のカモを探しているのでしょう。

  中国人は、えらいと思います。「信者」 と書いて、「儲かる」です。ヴァチカンにしろ、その他の寺にしろ、「ようもこれだけ、資金が続いたな」というのが、率直な感想です。この漢字の発案者は、そのことを知っていた。オベリスクも、エジプトからの到来品でしょうから、ローマは、さしずめ、盗品の展示場と言えるかもしれません。そういえば、京都も同じような傾向がありますネ。

  そう思えば、スリなんて、かわいい部類なのかもしれません。



                             杉さんに感想などお寄せ下さい。
                          杉さんへのメールは⇒


6 2001年9月11日 (2001.9.18)

  以下、あるメーリングリストに投稿したもの2通です。今回のアメリカでの悲惨なテロとその後について、私なりに考えてみました。

9月13日深夜投稿********************************

みなさま

 山本です

 2001年9月11日が世界の大きな変わり目を象徴する日となることはもうあきらかでしょう。鉛を飲んだような、陰鬱な日を過ごしました。

 私は全く新しい質の世界戦争が始まったと感じています。それは国家と国家、同盟国と同盟国同士の陣取り合戦の形を取りません。正規軍同士の戦いの形も取りません。 国境といった固有の領域をまるで無視して成立する、国際的なテロのネットワーク型権力と、国境を保ちつつ、アメリカを中心にシステム化されていく、領域的な権力の間の、質的に全く異なる力同士の戦い。
 宣戦布告もなく、固定された戦場もなく、日常と戦争との区別も曖昧で、思い出したように時折深刻な被害が生じ、いつ終わるとも分からない。

 唯一の超大国アメリカを中心とする権力構造を前に、近代国民国家同士の戦いの図式は、湾岸戦争を最後としてもうリアリティーを失った。その時代における戦争のあり方を恐ろしいほど「見事」に示したのが、今回の出来事だったわけです。

 私が今回の戦闘に関して一番象徴的なシーンと感じたのは飛行機がつっこむところではありませんでした。自爆テロの成功を知って喜ぶパレスチナの人々の姿と、そのパレスチナ人の代表であるアラファト議長が沈痛な面もちでテロを非難する姿との矛盾でした。
 前者には、現在のグローバル化の方向で救われない人々の蓄積された激しい情念が示されている。ところがそれを代表する位置にあるアラファト議長は、国民国家をベースとする世界秩序に沿って発想せざるを得ない。両者の乖離が、今後の世界における異質な権力の二重化した「共存」のあり方を象徴的に表していると思うのです。
 
 アメリカが再び多国籍軍を構成して報復を行うのはもはや確定的なことでしょう。けれども、それが問題を解決しないということも私には火を見るより明らかなことと思える。
 相手は固定的な領域としての国家ではない。鵺(ぬえ)のように広がるネットワークなのです。ブッシュのミサイル防衛計画が如何に「近代」を引きずった時代遅れの発想によるものかも露骨に明らかになりました。そして叩けば叩くほど、蓄積された恨みはそのネットワーク型権力をより柔軟で、より強固で、より広いものへと育て上げていく。
  
 私は87年に、アルジェリアに行ってアラブ世界とその人々に触れたとき、アメリカ的なアラブへの対処法が根本的に誤っていると感じました。そして湾岸戦争のやり方とその後の処理を見たときに、
 これは将来への大変な火種を作り、育てたと思った。それが今現実になりました。
 これからもまた「領域的権力」としての国際社会が、その方向性をさらに押し進めて行くでしょう。しかしたとえラーディンを殺したところで、ネットワーク型権力はまた簡単に復活していく。「国を負かす」式のやり方は、もはや対処療法以上の意味は持ち得ない。

 とはいえ、見えない敵に恐怖心を募らせた領域的権力としての国際社会は、他の選択肢を持たないままこの方向に進まざるを得ないのでしょう。その方向に自分が進むのか、それともネットワーク型のテロリズムによる権力に対して、別の次元で向かい合っていく道を探るのか、(その道がいったい具体的になんなのか、私にはまだおぼろげにしか見えない)それぞれの人がシビアに態度決定を迫られるようになる気がします。前者は対処療法の意味しか持ち得ないけれども、後者もまた即効性を持たないものとなるでしょう。
 どちらを選ぶにせよ、あるいは両方を組み合わせる道を探るにせよ、近い将来に問題が解決することはまずない。どちらを選ぶにせよ、また膨大な死が積み重なっていく。

 なんと陰鬱な世界に私たちは生きているのでしょうか。けれども、私たちはそこを生きていくより無い……

 ほとんどまともに仕事が手に着かない日々でした。


9月15日投稿(部分)*************************************

(前略)
 小林よしのり的議論に対しては、従来からもたとえば「国連中心主義」その他の「国際主義」のような形の対案があったのかなと思います。でも、今回の事件はその「国連中心主義」という国家を前提として国家を徐々に「地球という国」の「県」にしていくといった方向がそれ自体もこの問題を解決しないことを明らかにしたように思えるのです。おそらく今後の展開の中で、世界秩序は「国際的テロへの対抗」という問題を軸に、ある種の「世界連合」の方向へ急速に進んでいくような気がします。
 アメリカ一極的なグローバル化の方向に対しては、ヨーロッパばかりではなく、核の力を背景としてロシアも、そして政治力を背景に中国もそれぞれ多極化を目指した抵抗を繰り広げてきましたが、今回の問題については両者共にアメリカと完全に利害が一致しました。どちらも厳しい民族・宗教対立の火種を抱え続けているからです。そこまで行かない国でも、潜在的には同じ立場を共有できる。
 ですから、そういう形で利害が対立しつつ一致している国家間が、<一極主義>対<多極主義>の間の緊張関係の中で、いずれにせよ国際的に組織化された武力の秩序を形成していくことになるでしょう。それに対抗する勢力はもはや国家としては存在し得ないことが湾岸戦争における「見せしめ」的な破壊によって確定した。でも、そういう現実の上に進行する「国際主義」でも今私たちが抱えているこの問題は解決しない。
 問題は「一国主義」か「国際主義」かという次元を越えてしまった。その意味で、おそらく小林の「仮想敵」はナンセンスなわけです。

> ここまでは山本さんと似たようなことを考えているのかなとも思いますが,では僕ら
> はどうすべきなのだろうか,というところが僕にはわからない。山本さんが書いてい
> ることもその点については抽象的でちょっとぴんと来ないのです。

 私もようやく自分なりに「とりあえずの」視点が定まりつつある段階なので、それが具体的にはどういう形で可能なものなのかについて、まだはっきりとは見えてきません。でも、何か感覚的な手応えがあります。

 私は「国家」というものは当面無くなることはもちろんないし、また私たちにとってもどうしても必要だろうと思います。今回のテロの問題については、同種の事件の発生を防ぐ対処について、国家はやはり責任がある。国際的テロに対しては国家間の国際的協力を前提にした対応が必要であると同時に、国家というものが排他的な領土をそれぞれ持っている以上、その領土内での安全についてはそれぞれの国家がまず責任を持たざるを得ない。その限りで国家に責任があります。
 けれども、そこで国家ないし国家の連合体としての世界的な権力は、その目標を「テロ勢力の殲滅」に置くことは誤っている。それが負うべき責任はあくまでも「テロの防止」と、「テロ実行の責任の追及」です。微妙な差ですが、この差を取り違える限り、問題はいつまでも続くでしょう。

  今日の朝日新聞にもそういう論調がありましたが、「敵」は厳格な命令系統のもとに受動的に動くこれまでの近代的軍人ではなく、「殉教」という覚悟において個人が主体となり、作り上げているネットワークです。ラーディンに直接結びつく「証拠」がなかなか得られないというのは、隠しているからではなくて、それが彼らの組織の本質だからでしょう。どこにも真の中心はなく、どこを叩いても決定的な意味はない。
 「テロ勢力の殲滅」をもし本当に目指すのだとすれば、それは原理主義的イスラムを支持するすべての人々に対するジェノサイドを行うより無いでしょう。(実際湾岸戦争は事実上そういう性質も併せ持った)

 そういう情況の中で、逆に本当に重要になっていくのは、「個人」の対話のネットワークだと思うようになってきたわけです。私たちの観点からは一種のカルトのようにも見える彼らと、具体的な個人と個人としてネットワーク的に対峙していく。「敵」は彼らの「殉教」の精神を支えているなにものかです。武器は様々なレベルでの「対話」です。
 これまでなら「何を理想主義的な寝言を」と一笑に付されてきたような話ですが、それが実は今回リアリティーを持ってしまったと感じます。もちろん、国家・国家連合のレベルでの対応も前提にした上での話です。

 前にちょっとご紹介した「謝罪の文化論」(引用注:雑誌「心理学ワールド」10月号掲載予定の拙文「謝罪の文化論:対話の中のアイデンティティ形成をめざして」)ですが、友人の日本史家に意見を聞いてみました。というのは私の議論の傾向として、「個人」の分析からいきなり「国」や「民族」に跳ぶ形をとるので、それはまずいんじゃないかということが私自身いつも気になっており、そのあたりの意見を聞きたかったんです。(たとえば電車の中で足を踏まれたときの対応という個人レベルの話をいきなり国家間の戦争責任問題への謝罪の分析に使う)
 彼の意見はとても印象的でした。現代社会は個人のもっているものがダイレクトに国家に反映される構造をもつのかもしれない。そういう新しい社会構造の中では、そういう「個人」と「国」をダイレクトに結ぶ議論に一定のリアリティーが生まれる可能性があるというのです。

 私にとってこの問題も同じシェマの中で理解できそうです。戦争はもはや国家対国家の対決ではなくなった。彼らの攻撃対象も軍人ではなく、異質な価値観を持つ人々全体です。戦いは国家のレベルでは成立していない。戦いの主体も近代的な組織的軍人ではなく、個人をベースにしたネットワークなのです。それに向かい合うことが唯一可能なのは、個人(ネットワークの中での)でしかない。

 だいたいそんなイメージで考えてみようとしています。どうでしょうか?

               関連する文章が「テロと戦争」にあります。





7. 自尊心ということ (2002.1.27)

 社会心理学に「自己評価維持モデル」というのがあって、心理学の講義で説明しながら面白いなあと感心していました。要するに人間は自己評価を維持したり高めたりするために、友人との距離を縮めたり離したり、あるいは努力したりしなかったり、そういうことを無意識にやっていて、それがどういう場合にどんな方向に向かうかを予測するモデルです。

 たとえば友人と同じクラブでテニスをしているとします。もしテニスが自分にとってとても重要であり、また友達が自分よりは成績が悪ければ、この友人関係を維持する方向で進む。なぜならその友人によって自分が「優れている」ことを確認でき、自己評価が高くなるからです。逆に成績が悪ければ、成績を良くするように努力するか、それでもだめであれば友人から心理的に距離をとるようにするか、あるいはそれ以前ほどテニスが大事だとは思わなくなる。「自分が劣っている」という評価を強く感じないための工夫をするわけです。

 もし、もともとテニスというものが自分にとってそれほど重要でない場合には、相手が自分より優れていても、さほど自分の誇りが傷つくことはない。そこで優れた相手から遠ざかるより、むしろその能力の高い友人に心理的に接近していく方向に進む。なぜなら、優れた人とつながりがあるということで、虎の威を借る狐ではないですが、自分も努力せずに偉くなった気持ちになれるからです。これは「栄光浴」と呼ばれています。

 ことほど左様に、人間というのは自分の評価を低めないように、あるいは高めるように、自尊心を守ろうとし必死の努力をしているということになります。講義をしていても、結構みんな思い当たるらしくて、受講生に面白がられるテーマの一つになっています。

  なかなかしゃれたモデルだと思います。そしてこの自己評価を維持し、高めるということ、自尊心や誇りを守るということは、人が健康に、そして幸せに生きていくためには不可欠な、あるいは基本的といっても良いような重要性を持っていると思います。実際今、「新しい教科書を作る会」周辺の人々が必死で訴えているのもこの「誇り」の問題ですし、そして沢山の若い人たちが小林よしのり氏に心酔したり救われた思いを持つのも、同じようにこの「誇り」の問題が絡んでいると思います。今日のアサヒコムの記事にも、日中韓の比較で日本の中学生が「誇り」を持てないでいる様子が大きく報じられていました。

 私は自尊心の危機とでも言えるような状況は、現在確かにあるのだと思います。 それがいろんな問題に噴出しているように感じる。私は「新しい教科書を作る会」周辺の人たちとは全く対立する立場ですが、この点の状況認識や危機感は大体共有します。問題は「自尊心」や「誇り」の回復は如何に可能か、如何に達成されるべきかというそこの問題です。

 自己評価維持モデルに戻って考えてみます。私はそれを講義で説明しながら、やはりアメリカ的なモデルだなあといつも感じます。そして「自己評価」とか「自尊心」について考える際には、このレベルに留まらずにもう一歩つっこんでその構造を探るべきだと思うのです。

 そこで問題になるのが、自己評価を高め(低め)るものとして何が想定されているかということです。あるいは「自尊心」を支えているものは何かということです。このモデルの場合、基本的には「他者と能力を比較して優位であるか否か」ということに行き着きます。それ以外にないと言ってもいい。でもここで、もう一歩踏み込んで考えてみます。なぜ「優位」だと自己評価が高まるのでしょうか?(未完)

 

8. ワールドカップ雑感 (2002.7.5)

みなさま

 久しぶりに投稿させていただきます。山本@共愛学園前橋国際大学(発達心理学) です。

 公共性をめぐる議論を少しはずれますが、ワールドカップではテレビにかじりつきながら、やっぱりいろんなことを考えさせられました。今もいろんな情報に接しながら考えさせられます。

 特に気になり続けたのはやはりナショナリズムの問題です。それぞれの国のナショナリズムがどんな形で現れるのか、それがお互いの関係にどう影響しているのか。

 今回、日本人のナショナリズムは間違いなく激しく高揚しました。「文句無しに(国民が)一体感を持てる幸せな時間」というような言葉がマスコミにも溢れました。

 それは日本人の多くが今どれほど「個」を越えたものに対してある種の渇望感を強力に持っているかを示したように思います。

 個人の心理レベルで考えると、若者を中心に多分日本人の相当の部分が、自尊感情をとても脅かされながら生きている。非常に低い自己評価に苦しみながら生きていて、それを補ってくれるものを潜在的に渇望している。そんな気がします。いじめの現象も、いじめる側の低い自己評価が問題になるという議論があります。

 その渇望感は、一方において「新しい教科書を作る会」や、小林よしのり(今は「作る会」とケンカ別れしてしまったようですが)の「国のために死ね」といった主張にほんとに「救われている」多くの若い世代の渇望感にもきっとつながります。

 このような渇望は当然のように、強烈な排外的ナショナリズムを押し進める力にもなっています。
 実際、今回の韓国の勝利に対しても、日本のネット上では誤審問題などを絡めて韓国による謀略説を主張する議論が相当横行しているという記事も読みました。

 ナショナリズムということでいえば、韓国も中国も、日本の侵略などを受けて、ナショナリズムを強化せざるを得なかった。たとえば中国の抗日戦争記念館に掲げられていたスローガンの一つは「勿忘国恥、振興中華(国の恥を忘れるな。中華を振興せよ)」でした。外国によって生命、財産、そして人間としての誇りを激しく傷つけられた人々にとって、ある意味でそれは当然の反応だろうと思います。 

 他方明治以降の天皇制ウルトラナショナリズムで「世界制覇」をめざした日本は、結局それを成し遂げる物理的・精神的「実力」もなくぼろぼろになって破れ、国際関係上もナショナリズムを押さえ込まれるだけでなく、日本人自体があの苦い経験からナショナリズムに嫌悪感を抱いてきた。

 日本人はナショナリズムを積極的に育てることを放棄し、その結果、現在新国家主義者が危惧して止まないような、「国を守る気概を持たない、利己的な、危険な社会」ができあがってきたというわけでしょう。その危機感が多くの若者の逼塞感にも訴えて力を持っている。そして教科書問題や靖国問題への拝外主義的な主張の横行になる。

 ただ、その一方でそれとはかなり異なる日本人の姿も今回のワールドカップでかなり広く示されたように思えるのです。日本が負けた後、韓国まで行って一生懸命に韓国を応援する日本人サポーターの姿は、韓国の人々にも驚きを与えたのか繰り返し韓国のマスコミでも報道されたといいます。
 
 新国家主義者が蛇蝎のように嫌う戦後教育の中で育った若者達が、自分の国でもないいろんな国のユニフォームを着てサポーターになり、大喜びで外国チームを応援している。それが韓国の人にとってどれほど驚きかを全く理解しないまま、赤い服を着て、太極旗すら身にまとって喜んで韓国を応援している。

 そこには新国家主義者が求めて止まない「健全なナショナリズム」の論理を越え、世界的に限界性を露呈している「ナショナリズム」をはみ出して拡がっていく新しい可能性がかすかにでも垣間見えるのではないかと感じたのです。

 あるいは新国家主義者は「それこそ健全なナショナリズム」と言うかも知れないけれど、それを育てたのは明らかに「ナショナリズムの愛国主義教育」ではないのです。では戦後民主主義教育の理念が育てたのかと言えば、そうとも言い切れない。

 あえて言えばそれを育てた力は、運動会の万国旗に象徴されるような、極めて日本的な「なんでもありのほんわかインターナショナリズム」かもしれません。そういう感覚が良くも悪くも日本の教育には随所に顔を出して、むしろそちらの方が実態としての「戦後日本民主主義教育」の重要な基盤を為していると思うからです。

 加害者であるが故に「正義のナショナリズム」を掲げられない日本だからこそ、また、原爆の大虐殺を受けながらアメリカに軍事的報復を考えない日本だからこそ、声高に正義を訴えて他国に押しつけるようなあり方とは別のスタンスで、この混乱する世界の中で果たしうる(果たすべき)大事な役割があるのではないかと、そんな気がしています。
 
    2002年7月5日 山本登志哉 (共愛学園前橋国際大学)

(これは公共哲学ネットワークに投稿したものですが、このあと、黒住真さんとの対話になり、公共性の問題や文化の問題にまで発展していきました。ご興味のある方はこちらをどうぞ)


9. イスラームにおける罪と罰 (2001.10.20)


池内恵さま

  小林さんがHPに掲載された池内さんの「非対称戦争とイスラム世界」を拝見しました。イスラムに関して全く素人の人間にも、宗教的世界観の軸を含めて今回の事態の展開がもつ危険性を非常にわかりやすく説いて下さり、本当に刺激的でした。最後に「罪と罰」という観念でテロを捉えたときにはイスラムの一般の人たちと我々が観念を共有しうると語られているところ、とりわけ重要だと感じましたので、よろしければイスラムの人々にとって今回の事態がどのような意味で「罪」であるのかということを、お教えいただけないでしょうか。その観念をどこまで私たちが彼らと共有しながら議論できるのか。どこでずれてしまう可能性があるか。そのあたりです。アメリカ的な物欲的なグローバリゼーションを越えて、異質な価値観同士が現時点においても最低限共有可能な規範は何か。その問題が今非常に
重要であることが、池内さんの論考で強く意識されました。

                                  山本登志哉

(これは公共哲学ネットワークに投稿したもので、このあと池内恵さんとの対話になり、その対話が少し手を入れた形で「イスラーム世界の『罪と罰』:対話,非イスラーム世界と意味を共有する可能性」というタイトルで小林正弥編「戦争批判の公共哲学:「反テロ」世界戦争における法と政治」 2003, 勁草書房に掲載されました。元の対話はこちらで読めます)