現代和室考』 2004年度 建築塾修了論文

 

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【2】「畳敷きの部屋」と「和室」

 住宅の中に「和室」という部屋名が一般化するのは、戦後以降と捉えることができるだろう。それまでの日本の住宅は様々な住宅改良運動があったにも関わらず庶民生活に浸透するほど普及しておらず、畳敷きの部屋で寝食が行われることが多かった。洋室を持つ住宅ももちろん存在したが、そのような住宅でも応接間などの非日常的な部屋として使われ、生活の中心は畳敷きの部屋にあったようだ。
 戦前の住宅の平面図を見ると、「和室」という部屋名で表記するよりも、「茶の間」、「座敷」、「n帖(nは畳の数を示す)」などの部屋の用途や広さによる呼称が一般的であった。つまり当時は畳敷きの部屋が当たり前だったので、あえて「和室」と言う呼び方をする必要がなかったと言えよう。

 混乱を避けるために、ここでは現在の一般的な住宅で畳の敷いてある部屋を「和室」と呼び、戦前までの畳の敷いてある部屋を「畳敷きの部屋」と呼ぶことにして、区別して話を進めたい。

 戦後の都市部の住宅不足を解消するために1950年代前半に住宅金融公庫法、公営住宅法、日本住宅公団法が制定され、「公営、公団、公庫」という戦後の住宅政策の三本柱が確立する。公営住宅は国家補助による低家賃住宅を、住宅金融公庫は中流以上の持ち家政策として、そして日本住宅公団は両者の中間層の勤労者のための住宅供給を目的としていた。
 またこの時期に集合住宅の間取りを決める大きな変化があった。「食寝分離」、「就寝分離」という明確なコンセプトに基づいた、公営住宅標準設計の51C型が提案されたのである。51C型によりDK(台所と椅子座の食堂が合体した、ダイニングキッチン)という部屋が生まれ、DKと2つの個室を持つ間取りは2DKと称された。日本の住宅における「nDK」(nは個室の数を示す)というスタイルがここに誕生した。
 当初の2DKは椅子座のDKであったが、他の二部屋は畳敷きの部屋であった。ここからも戦後も暫くの間は生活の基本は椅子座ではなく、畳座であったことがわかる。

 ではいつ頃から「和室」という呼び方が一般的になったのだろうか。ここら辺は定かではないが、高度経済成長を経て生活の基本が畳座から椅子座に移り、畳敷きの部屋よりも洋間が増えることで一般化したと考えられる。


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