夕刊プロレス
| GENOME TIMES 2008.11.24 愛知県体育館 |
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| 次代を担う若者達に 会うことが楽しい。 −まず猪木さんの近況から教えていただきたいんですが。 猪木 とりあえず、今回の名古屋の大会を成功させるために、もう名古屋に3回ぐらい入ったのかな? その3回っていうのも、それぞれ一晩にメシの席も3回っていう例によって過酷な・・・・・・(笑)。 −あいかわらず過激な営業活動をされてますか(笑)。 猪木 その間にアメリカにも帰って、またとんぼ返りで日本に戻ってきてイベントが何件かあったんで、大阪に飛んだりもしたね。そこでやっぱりさ、素晴らしい出会いっていうのがあるんだよね。やっぱり「一歩踏み出す勇気」という部分は大事でさ、IGFも旗揚げしてもう1年半になるけど、継続してやってるといろんな人の輪が広がってくる。そういう中で、次代を担ってくれるような若手の社長たちと出会えたりするのは楽しいね。 −猪木さんはわりと30代くらいの若い実業家の方達と交流があるみたいですね。 猪木 うん。こないだもたまたまある有名なクラブにいたら、向こうの席から若い男性が俺に挨拶に来たんだよね。「どうしても話を聞いてもらいたい。同席させてもらっていいですか?」って言うからさ、「ああ、座んなさいよ。どうしました?」って聞いたら、「じつは自分は親に捨てられた子で、自分を拾ってくれた養父に『いつかアントニオ猪木みたいに強くて有名な男になるんだぞ』ってハツパをかけてもらいながらこれまで生きてきました。私もいま事業をやっていて、もう少し大きくなったら猪木さんを訪ねて行こうと思ってたんです。それが、まさか今日ここで会えるとは」って、涙をポロポロこぽすんだよね。 −凄い出会いですね、それは。 猪木 で、その場でそのお養父さんとも電話で話をしてさ、翌朝その彼の会社を訪問したのよ。 −えーっ!? 猪木 正直、俺も忙しいんだけどさ(笑)、朝早くに行ったんだよ。そうしたら、全国に散らばってたその会社の営業マンを朝一番の新幹線で集めてて、全員で俺を迎えてくれたの。その会社っていうのが軍隊式のガチガチな、ワンマン社長が絶えずがなってるような雰囲気じゃなくて、みんながごく自然体で、それでいてしっかりと統制も取れてるっていう感じだった。ああ、出会えてよかったな、と思ったね。ほかにもいっぱいいい出会いがあるんだけどね。 −いわゆる猪木信者といわれる人達って、自分で起業する人がすごく多いですよね。 猪木 だから俺がいつも興行を通じて送るメッセージっていうのは、“平和”であったり“環境問題”であったりするんだけど、それをいわゆる猪木信者っていう人達は理解をしてくれてると思うんだよ。逆に言えばマスコミが一番理解していない。俺が何かをやるときってのは、かならずそこにテーマというものがハッキリしてるの。いまは世の中がこうして混乱してるから、そういう意味で“元気”というものにテーマを置いている。それをこれまで俺はリングの上からメッセージとして送ってきた。そのメッセージをマスコミ、そしていまの現役の選手たちがどこまで理解してくれてるのかっていう部分がひとつの問題なんだよね。 −真の意味で猪木イズムを理解しているのは、身近にいない“遠くの誰が’なのかもしれない。 猪木 そこのところは本当に損得を離れた大事な部分なんだ。だからある意味、そういう起業家達も“プロレスラー”であることに間違いないんですね。俺がこれまでの人生でチャレンジしたことをちゃんと検証して、継承をしてくれてる人達でね。そういう人達がまた力を合わせて日本を元気にしてくれたらありがたい。言葉だけじゃなくて本当の意味で、なにか日本人が置き忘れてきたものをもう一度呼び戻さないと。 俺が横田夫妻を 北朝鮮に連れて行ってやる。 猪木 なんかさ、最近なんだかわかんないけど、とにかくやたらと政治、政治ってマスコミやらいろんな人間から言われるんだけどさ。なんで? −いやあ、猪木さんにまた政治の世界でも暴れてほしいっていう気持ちは僕個人にもありますよ。 猪木 まあそう思ってもらえることはありがたいことだけどなあ。だけど俺にはもうその気はないよ。外交問題に関しては、俺自身これからも勉強していかなきゃいけない部分であるから、来年は外交をひとつのテーマにしていきたいという気持ちはたしかにあるけどね。 −猪木さんは日頃から「世が乱れ、混乱した時こそ俺の出番」とおっしゃってますよね。いま、世界中が混乱しまくってるんですけども。 猪木 だからいろいろ動いてみたいと思うけどね。それは政治家とは違った角度で。またいちいち周りからガーガー言われるの嫌だからさ。こないだ18回目の北朝鮮訪問をしたんだけど、だいたい日本人は北朝鮮なんか行かないと思うんだよ。在日の方は行かれるでしょうけど、ひと昔前だったら日本人が街を歩いてたら石ぶつけられてたよ。それを95年に平壌でやったイベント(『スポーツと平和の祭典』)のおかげでね、俺は街を歩こうがどこを歩こうが、いまだにちっちゃい子供まで最敬礼して挨拶してくれたり、バスに乗ったらみんなが手を出してきてくれる。本来はそういうスキンシップをやらない国じゃない? まあ、そういう意味で、俺がこれまで18回も北朝鮮へと行ったっていうのも、なにか俺にしかできない使命みたいなものをいただいてるのかなという気がしてるんだよね。 −北朝鮮といえば依然、拉致問題が解決しそうな空気ではないですよね。 猪木 拉致問題に関して言えば、横田夫妻がいろんなところを回られて、その思いというものは俺もよく理解します。しかしそれは、逆に言えば日本の外交の弱さを世界中に宣伝してるような面もあるんです。本来ならば外交が1対1で向かい合って勝負するべきで、アメリカに頼むことじやない。中国に頼むことでもない。あくまで日本と北朝鮮の二国間での問題であってね。ものごとというものはあらゆる角度、違う側面を見ないと。だからいま、世論はこれだけ「拉致だ拉致だ」って言うけど、世界的に見ると残念ながらこういう事件って山ほどあるんですね。イラン・イラク戦争のときや、イスラ工ルの問題であったりもそう。あるいは南北の問題も。しかし戦争は10年に一度ぐらいの頻度でずっと続いている。だからこそ平和を強く訴えなきやいけない。だけど、このままいくとこの北朝鮮の問題は、戦争という方法の外交しかないじやないですか。経済制裁をかけていって。 −はたして前向きで平和的な外交ができるのかどうかが大きく問われますよね。 猪木 経済制裁をかけるんであれば、それこそ相手がバンザイするぐらいの経済制裁じゃないと。だから思慮の深さというものが必要となってくるし、ただ「世論が騒いだから、とりあえず経済制裁で」っていうんじゃなくて。やっぱり日本の国内で胸を張って頑張ってくれる在日の人達ってのもいるわけで、この人達にとってもいまの状況は不便なんだよね。やっぱり万景峰号という船があることによって、もっと直接的に経費も安く行けてたのが入港禁止によって遠回りをしなきゃいけないとか。 −なかなかその角度でのコメントを出せる人はいないと思います。 猪木 それは、あえて言う人がいないから。これは俺なりの提言ですからね。こういうことを言うと、すぐ「猪木は在日朝鮮人なのか?」とか言う人もいるけど。 −それは非常に下衆でつまらない見方ですね。 猪木 俺は日本人ですから。まあ、そもそも国籍なんて俺はどこだっていい(笑)。北朝鮮でいえばひとつ、前から力道山の生家を訪ねる旅っていうのをやりたいと思ってるんですけどね、やりたいと思っても政府がどういう反応をしてくるかはわからない。ただし、北朝鮮側はそういう交流をしたいんです。俺は大政でモノを言ってるんじゃなくて、あくまで国民の目線で話をしてるんであって。こういう違う側面の意見を誰かがもの申さないと。日本人っていうのはどうしても「みんなで渡れば怖くない」というね。だからヒストリーチャンネルが60年前の広島の原爆の件を放送してますよ。あの原爆投下ひとつをとっても、ようするに「原爆を落とされた!大変だ!死んだ!被ばくした!と。大変なことには間違いない。ただし、そのときの日本の指導者がどうやって日本国民を指導していたか?1億玉砕ですよ。「竹槍を持って、とにかく闘って死ねよ! って。それが当時の日本の指導だったんです。それが原爆を落とされたことだけにフォーカスして……、まあこれにはいろんな意図がありますけどね。そこをね、誰かが言わないと。善玉な部分だけの話になってるけど、悪玉だったんだよ、かつて日本は。だから、60年前にそういった戦争やいろんなものを経験した日本としては、北朝鮮を理解しろとまでは言わないけど、その国が持ってるものを一面的じゃなくて違う側面からも見てやって、そこから「どうやったら平和につなげられるだろうか」っていう考えかたを持ったほうがいいんじゃないかと思うんです。 −あらゆる側面で見るっていうのは、それこそ90年にイラクでの邦人人質解放に成功した際のきっかけにもなってますよね。 猪木 あのときはイラクで人質になった人達の奥さん方が議員会館の俺の部屋に果たんだよ。当時、あんな新人議員のとこに行ったってしょうがないと思ったと思うんだけど、もうほかに行くとこがないよっていう状況で。それでいろいろ事情を聞いたら、「国は動いてくれない、外務大臣もやってくれない、誰もなんにも動いてくれない」と。だから俺が「じゃあみんなで取り返しに行きましょうよ、大事な旦那さんを自分達の力で取り返しましょう」って言ってイラクに飛び込んだんだ。だからね、俺が横田夫妻を北朝鮮に連れて行ってあげるよ。 −横田夫妻を北朝鮮に……。 猪木 俺のところに果てくれたらいい。ほかの方もいれば、その人達も一緒に。それで直接行って勝負すればいいじゃん。みんなが俺に聞くんだよ、「ホントはめぐみさん生きてるんですかね?」って。俺に聞かれたってわかんないよ。俺が聞いたぐらいじゃ向こうも「死んでます」って言うしかないもん。だから横田夫妻が直接行かれてみたらいいんですよ。それぐらいの金は俺が出します。ご招待しますよ。とにかく1日も早く平和的に前に進めるように、この間題も解決の方向に向かえるようにね、政策を考えてあげるといいんじゃないんですか? ちょっと、政治のほうの話になっちゃったけど、これは猪木のファン、IGFを観に来るお客さんなら理解してもらえるお話ですから。 IGFをやってる目的っていうのは “過去”じゃない。 −そこでプロレス業界の中にもひとり、猪木イズムというものを把握していると思われる人物がいまして。今回、IGFのリング・ゼネラルマネージャーに就任した宮戸優光さんという方なんですけど(笑)。この名古屋大会から宮戸さんがソフト面のディレクションをされるということですが、猪木さんの宮戸さんに対する印象っていうのはどういうものですか? 猪木 まあ俺にしてみればいい青年というか若者だね。いい若者であり、ひょっとしたら馬鹿者かもしれない。プロレス馬鹿というか。彼に対して率直なことを言えば、これからもっともっとでかい人間に出会っていったほうがいいような気がするね。俺自身がでかい人間かどうかじゃなくて。プロレスに関して言うならば、やっぱり「夢」と「テーマ」をしっかりと掲げてほしい。「どういう絵を描きたいのか?」ということをね、ここでもう1回いままでの常識を破って、IGFとの関わり合いの中で成長していってもらえたらいいなと思うんだよね。 −宮戸さんは過去にUWFインターナショナルという団体に所属をしていて、それこそ「猪木イズムの継承」みたいな形で活動をされてきてまして、ここにきてその宮戸さんが猪木さんと合体するということがファンとしては非常に注目するところなんですよ。 猪木 うん。だからこうして彼と出会えたことは俺にとってもラッキーであるけど、それ以上に彼らは俺らのようなチャレンジをしてきた人間を若い頃から見てこられたっていうのはよかったんじゃないかな? まあ、これまでいろんな先輩がいたと思うんだけど……、って俺が彼の人生を決めつけるわけにはいかないね(笑)。 −また、意味深な(笑)。 猪木 まあ、彼みたいな奇人変人がいたほうがいいんだよな。いまの世の中、あんまり変人もいなくなっちゃってるからさ。そういう部分をうまく活かせよ、と。猪木という看板を使ってもらうのはおおいにけっこうだから。過去のこの業界って、猪木の名前を利用して金儲けをしようという人間が多すぎたじゃん? −そうですね。 猪木 猪木の看板を使って、猪木のイメージをもっともっとアップさせようなんていう人間は誰ひとりいなかったじゃん。自分でこういうことを言うのはおこがましいけど、俺自身は一生懸命闘ってきた結果として、いまの地位や名誉というものをいただいてると思う。それを横から利用して、端っこをかじってやろうという輩が山ほどいるじゃない。 −そういう部分では宮戸さんはピュアな人間だと思います。 猪木 だから会って話す機会も少ないけど、チョロっと話してるかぎり毎回素晴らしいと思うよ。ただし、ある部分に関しては「ピントがズレてるよ」ってこともあるし。俺がIGFをやってる目的っていうのは“過去”じゃないんだぜ。新しいものに向かっていま走ってるんだよ。次の時代に繋げていくための何かを作るために。ところが、業界内にいるとどうしても“過去”のものに目が行ってしまうんだよね。プロレスというもともとあったジャンル、それは俺達が作ってきたものなんだけど、そこをまったく新たな視点で見ると、もの凄く斬新に見えたりして、また新しいプロレスファンを開拓してるんだよな。そこを宮戸君も理解してくれてるといいなと思う。 −そういう意味で、さっきおっしゃった「もっとでかい人間に会ったほうがいい」という発言につながると思うんですけど、宮戸さんにはあらゆるものをもっと広い視野で見ていってほしいということですね。 猪木 そうそうそう。だからこれは批判じゃないよ。 −期待のあらわれということで。 猪木 これから常に一歩一歩、前進また前進でね。おおいに期待してますよ。 −それと、もうひとつニュースとしては藤波辰爾さんがまた猪木さんのもとに戻って果たという(後日、初代タイガーマスクの参戦も発表された)。 猪木 いや、俺のもとにってわけじゃねえけど(笑)。いいじゃん、今回彼が決断をしただけでも。どこかで転換期というものをね、「いまからでも遅くないぜ」って。でも藤波にかぎらず、決断できないっていうことがやっぱりいまの世の中の−番大きな問題でさ。何事も決断ができない。「やる」って言ったんならやりゃあいいし、嫌ならやらなきゃいいし。藤波に関しては俺はなんのコメントもしてないけど、「俺の背中を見てたんなら、なんでもっとすげえことやってくれないの?」っていうのが俺からの注文。で、IGFのリングに上がるんであれば、スカーッとね、秋空の抜けるような爽やかさを出してほしいよね。やっぱり本来藤波が持っているイメージは“爽やかさ”なんだよ。 −本来はそうですよね。そういった、あらゆる意味で今回の名古屋大会っていうのはIGFにとって重要なひとつの転換期というか。 猪木 ある意味で、ほかのいろんな団体と比較対象されるからね。我々はできるだけそこに意識を持ってかないようにしてるけど、今回これだけ我々の周りにいる人たちが燃えてくれて、それを燃えさせるには俺も相当なエネルギーというか、自分自身が本当に燃えないと周りまで火が点かないから。だから興行には「セールスの基本」であったり、「人間の生きかたの基本」であったり、いろんな要素があると思う。そういったいろんな要素が絡み合った中で、興行自体の価値観を上げようという発想を周囲が持ってくれるとね、本当にありがたいなと思うんだけどね。最近、俺もちゃんと言葉を選んでるでしょ?(笑)。 −はい。素晴らしい言葉のチョイスだと思います(笑)。 猪木 だから今年のIGFの締めくくりは名古屋ということで、100%とまではいかないまでも、そういうメッセージが伝われば幸いです。元気がなくなった日本にね、もっといっぱい知恵を絞って、みんなで力を合わせて名古屋から“元気”を発信しましょう。 |