
横川―百沢
2008年8月22日(金) 笠原 伸二
4:45 家を出発。
5:11 始発電車で浦安駅を発つ。
6:03 上野発高崎行き普通電車。
7:50 高崎駅着。
7:59 高崎発横川行き普通電車。
8:30 横川着。

前日の北京オリンピック女子ソフトボール優勝に深い感動を覚えながら旅立つ。
目的を持って努力する事の素晴らしさに共感。成し遂げた選手に心より「おめでとう」を送る。
今回の自分の健康状態はあまり良くない。風邪気味なのかセキとタンがからみ、かつ腰に痛みを持ちながらの旅立ちとなる。
横川駅を出ると山には霧がかかり、いつ雨が降って来てもおかしくない空模様である。
家を出る前にパンとコーヒーで朝食を済ませて来たが、これからの山越えを考え開店したばかりの荻野屋で名物の釜飯を食べる。
9:00横川をスタートする。標高400M
数百メートルも歩かない内に右に関所の門が見える。観光客もチラリホラリ。
9:35 2Kほど歩いて坂本宿に着く。標高470M
坂本宿 刎石山に向かってゆっくり登る道筋に昔の家並みが良く残されている。
宿場を外れアプトの道を横切る。この道はかっての国鉄信越線が廃線となり遊歩道として利用されている。アプトの道から階段を上ると国道18号線に出る。県道56号線と交わる角に食事処玉屋があるがこの店はこれから登る刎石山の四軒茶屋が麓に下りてきたものである。くれぐれも56号線へは足を向けないよう注意が必要。18号線を300Mほど歩くと旧中山道入り口の標識がある。横川より3.8K、標高530M
ここから本格的な登りとなり足元はガレキあるいは土砂降りの雨が土をえぐり取った穴が至る所にある。そのうえ「熊出没に注意」だの「猿に餌をやらないよう」などの注意書きが有る。弘法の井や関所の史跡などを見ながら急坂をのぼる。
スタートから4.7K標高750M地点が坂本宿を見渡す覗(のぞき)である。平日のせいか老夫婦に会ったきり人と会う事がない。登るにつれ霧が濃くなり視界が悪い。気温は10度を切って肌寒さを感じる。


12:20 スタートより11.4K標高1200M旧碓氷峠に到着する。ここは降った雨が日本海側と太平洋側に分れる分水嶺である。茶屋に入り、その昔旅人が食べたように力餅五色セットを食べエネルギーを補充する。軽井沢からこの峠まで道は舗装され定期巡回バスが走り、乗用車も乗り入れできる為比較的多くの観光客で賑わっていた。彼らと同じようにゆっくり見物したい心をおさえ、25分の休憩後、県道133号線で旧軽井沢方面に下る。あまりの急坂で靴の中で足が前に詰まり靴の紐を改めてきつく縛り直す。平日にもかかわらず旧軽井沢は人で溢れかえっていた。30数年前ひと夏ここで働いたことがあったが、その建物を見つけることは出来なかった。旅籠だった「つるや」が今も旅館として残る。
14:35 中軽井沢駅に到着。スタートより19.3K標高970M
今日の宿はここに取ってあるがまだ時間もあり、もう一つ先に進む。
15:30 信濃追分駅に到着。スタートより23.2K標高940Mここを本日のゴールとする。
16:30 しなの鉄道で中軽井沢に戻り予約した旅館いち福で旅の疲れをとる。
2008年8月23日(土) 笠原 伸二
5:15 起床
6:45 信濃追分駅をスタート。
今日も天気は悪い。小雨が降り出し傘をさしての歩き出し。国道の温度表示は12℃。
追分の一里塚を過ぎると旧道は右に入る。1Kほどの道筋に宿場の面影が色濃く残っていてカメラのシャッターチャンスが続く。「ふき飛ばす石も浅間の野分哉」の芭蕉句碑、現在も営業している追分茶屋と油屋旅館(脇本陣)、堀辰雄文学記念館そして宿場を流れる御影用水。再び国道18号線と合流する所が分去れ(わかされ)であり宿の謂れである。右は我が故郷、越後への北国街道、左は木曽への中山道となり常夜灯、道標、お地蔵さんなどが立ち並ぶ。この先数百メートル歩くと中山道69次資料館があるが早朝ゆえ開館していない。周囲に69次のミニチュアコースがあり旅の雰囲気のみを味わった。18号線とは決別し県道9号線となっている旧街道を歩く。浅間山はわずかに裾野を残し雲に姿を隠している。
8:35 御代田駅手前でしなの鉄道下をくぐり反対側に抜ける。標識を見落としの無いように進む。駅でしばしの休憩。御代田にはかって自分の親戚が在り西軽井沢ホテルと称す小さな宿を営んでいた。40年近くの結婚前、そのホテルで両方の母親を始めて会わせた思い出の地である。9号線を更に西南に2Kほど歩くと小田井宿に着く。本陣門、問屋跡、双体道祖神、筆塚などが残り楽しみがつきない。小雨に濡れた朝顔やサルスベリの花も目を楽しませてくれる。


10:20 岩村田宿に入り相生町の信号をほぼ直角に右に曲がり県道154号線を西に進む。皇女和宮が野点を楽しんだ地点に相生の松と石碑が残る。中部北陸自然歩道の標識に従いのどかな田園地帯を進む。ところどころにりんご畑があり、早くも赤く色づいている。
11:30 塩名田宿に入る。本陣の向かい側には大きな案内地図があり家々には屋号が書かれた木の看板が掛けられている。宿の西のはずれに千曲川が流れている。当時橋は無く舟を並べて繋いだ「船橋」で渡っていた。その船橋が流されないように大きな石に穴を開け縄で繋いだ「舟つなぎ石」が河原に残っている。今は中津橋と言う赤く塗られた鉄橋がかかり、その隣に在る立派な遊歩道橋を渡る。
12:20 3Kほどで次の八幡宿に入る。ここには八幡神社がありその中に「高良社」と書かれた旧本殿があり朝鮮半島の高麗から渡ってきた人々が建立したと伝えられている。
13:00 千曲バス百沢バス停に着く。ここで県道150号線と交差する。角に牧布施道標があり右中山道と掘られているが、あまりの古さに右の字を見落とし150号線を進んでしまう。30分ほど歩いて望月宿に既に着かなければいけない時間になって間違いに気づく。間違ったら元に戻るだけである。14:00 百沢バス停に戻り今回のゴールとする。
14:18 岩村田行きバスに乗車。15:00 長野新幹線佐久平駅着。
次回の為佐久平発望月行きバスの時刻表をカメラに撮る。
15:33 佐久平発東京行きあさまに乗車。
16:48 上野駅着。
17:50 帰宅。
百沢―下諏訪
今回は中山道随一の難関和田峠を控え山の師匠、角田先生と御一緒の旅である。
2008年9月22日(月) 笠原 伸二
5:25新浦安駅集合
5:35新浦安発
5:56東京駅着
6:24東京駅発あさま501号自由席乗車
7:41佐久平駅着
7:41佐久平発望月行きバスに乗車
このバスの発車時間はあさまの到着時間と同時になっていた為、事前に千曲バス小諸営業所に電話で私達の到着まで待ってくれるように頼んでおいた。
8:06百沢バス停着 前回のゴール地点
8:10小雨の振る中、傘をさして歩き始める。
国道142号線を200M程歩くと右に旧道入り口がある。曲がりくねった爪生(うりゅう)坂の表示板を頼りに進む。ちょうど実りの時期を迎えた栗を拾いながら歩く。
望月の宿内はとても入り組んでいて、ついに表示板を見失い先生が地元の方に旧道を尋ねる事となった。案内人失格である。間の宿・茂田井には白壁の造り酒屋が残り水量豊かな用水の音が心地良い。
10:40 芦田宿を過ぎ、笠取り峠に向かう道筋に小諸藩が植えた松並木が残っている。笠取り峠を越え学者村を過ぎると人も車もいない中山道原道を静かに歩く。ここで先生持参のおにぎりで昼食とする。長久保宿に入り横町の枡形を直角に左へ進む。
13:00依田川と大門川の合流する大和橋付近を通過する。茅葺のバス停が印象的だ。里人が遍歴の僧三千人を接待した石碑が左側にある。すでに旧和田村に入っているが宿場はまだ先である。やっと雨があがり強い日差しが射して来る。進行方向正面に和田峠に続く山並みが見える。


14:40今日のスタートから6時間30分,距離22.1K本亭旅館に到着。この旅館は旧庄屋で和田宿唯一の宿である。明治以降交通の発達で取り残されたこの宿場町を訪れる人は少ない。
誠実そうな主人の出迎えを受け、近くの温泉を案内される。ふれあいの湯・湯遊パークで二人旅の疲れを取る。
2008年9月23日(火) 笠原 伸二
朝食前に朝の和田宿を散歩する。標高約800M、淡い霧に包まれた通りを歩く。皇女和宮の宿泊が決まった直後に起きた火災で宿のほとんどを焼失し幕府の援助と村の努力で再建された本陣がりっぱに残っている。
7:45朝食を済ませ、お昼用に頼んでおいたおにぎりを持って2日目のスタート。今日は予報どおり天気に恵まれ傘をさす必要も無く道も比較的わかりやすい。快適な歩きを楽しめそうだ。和田宿を過ぎるとほぼ国道142号線に沿って歩く。途中で古い(40年以上も前)バイクに乗った青年?に出会う。峠から下りて来たようであるがバイクの調子を気にしながら何回も私達の前後を行ったり来たりしていた。
9:20観音橋に到着。スタートから1時間35分、距離6.2K、標高1140M。ここから国道を離れ静かな山道の観音坂を歩く。三十三体(千手13、如意輪4、馬頭10不明2未発見4)観音を右に見て進む。
9:55接待茶屋に着く。2時間10分、歩7.6K、標高1270M。ここでわずかに国道と合流。江戸の豪商が1千両を幕府に寄付しその運用利子で貧しい旅人に無料で粥を、馬に麦を振る舞い助けたとされる。近くに名水が湧き今でも水を汲みに訪れる人が多い。
10:45東餅屋に到着。3時間、9.5K、標高1500M。峠を挟んで東西に餅屋があり峠越えを控えた旅人が最後の腹ごしらえをした所。今はドライブインが営業している。残り1Kで峠になるが数箇所でビーナスラインを横断しなければならない。一度はカーブから急に飛び出して来た車に危うくぶつかりそうになった。
11:10和田峠到着。スタートより3時間25分、距離10.5K、標高1600M。
旅館で作ってもらったおにぎりでお昼ご飯にする。タクアンとキャラブキが添えられている。ススキの間に旧中山道の石碑と案内板が建っており、遥か彼方に木曽御岳を見ることができた。一組の老夫婦と少しの語らいを楽しんだ後、下諏訪を目指して下りに入る。登りの穏やかな土の道から一変してガレキ混じりの急坂になる。かって和宮降下の際に4日間で8万人の人がこの道を通行したのが信じられない山道だ。


12:20西餅屋に着く。4時間35分、12K、標高1300M。いにしえの敷地跡だけが確認できる。旧道は国道を横切ってから草薮の中に分け入って崖伝いに進む。案内書ではこの旧道を避け国道を進むように書いてある。江戸から53番目の垂木坂の一里塚を過ぎると崖崩れ箇所もあったが山も登る私達には大きな問題では無かった。垂木坂を過ぎるとほぼ国道沿いに歩く事となる。歩道の無いこの道を歩く事のほうがどれだけ危険な事か。
13:40木落し坂に到る。5時間55分、18.4K、標高900M。7年に一度諏訪大社御柱祭りで男達が100メートル下の国道めがけ樅の木にまたがり転がり落ちる。
14:35下社秋宮到着。6時間50分、22.2K、標高790M。2007年5月16日、甲州街道の最終日に訪れて以来の再訪であり、とてもなつかしい。
15:10下諏訪駅到着。今回のゴール。本日の歩行距離23.3K、7時間25分。
16:10下諏訪発あずさ26号に乗車。
18:34新宿着。
20:00帰宅。
今回2日間で歩いた45Kは電車の無い区間であり前回のゴール地点まではバスを利用したがその便もはなはだ不便なものだった。それだけに古い道が多く残り角田先生と共に和田峠を無事越える事が出来、おおいに満足のゆく旅であった。
