「ミラクルブラインドボーイズ」のこと
(有)トムさんの会社の企画制作による「ミラクルブラインドボーイズ」を見に行きました。ジャンルとしてはオリジナルミュージカルとなっております。ミュージカルって好きじゃないのでもうひとつ乗りきれないまま出かけたのですけど、いやほんと、実に楽しいステージでした。
見に行くことになったきっかけはニッポン放送のラジオ番組。昼間、移動中によくラジオを流している主人は紹介者であったテリー伊藤さんの全きファン。彼にそそのかされてはもう抗うことはできません。放送が終わるやいなや「今すぐチケットを取ってくれ」と私に電話してきました。ふたりともこの「トムさんの会社」がどんなもので、「ミラクルブラインドボーイズ」に誰が出るのかなんて何もわかっていません。惹かれたのは「盲目の黒人たちが赤ん坊を拾って育てる。けれどもそれは白人の子供だった」という設定。なんだかとっても素敵なお話になりそうな予感がしたのです。
舞台は1960年代後半ニューオリンズの小さなソウルバー。この店でずっと歌いつづけてきた4人の男達は黒人で盲目。ここのバーテンダーであるもうひとりの男も耳が聞こえず、話せない。お互いに足りないものを補い合いながらの暮らしの中に、親から捨てられた赤ん坊が入り込んでくるところからこのお話は始まります。
全体を通して言える事のひとつは、彼らが観客と舞台との間にある敷居を低くし、一体感をもって楽しめるようなステージ作りをしていたこと。はじめは、自分たちの歌をドラマチックに披露するために演劇的な仕掛けを取り入れただけかなと思ったけれど、観ているうちに、そういう安易な発想ではなく隅々まで丁寧に作られていることがわかってきます。役者らしい身のこなしができている人はひとりしかいなかったけれど(バーテンダーやってた野崎数馬さん)、生バンドをちゃんと入れてて、4人とも歌がとにかくうまくて、ハーモニーもばっちりでした。その上、9曲あった挿入歌も全曲このステージのためのオリジナルだというからびっくりです。バーのテーブルを囲んで披露される4人のかけあいなどはコントとして見ても楽しく、空いている椅子に腰掛ければ自分も仲間になれるかのような雰囲気です。この分だときっとものすごいハッピーエンドが待っているのだろうと思っていたら、さすがにその予想はハズれましたが。
パンフレットを見ると、このステージの原作・演出・作詞は「REAL BLOOD」という4人のグループのリーダーのトムさん。脚本や作曲などはこのグループ外の人の手も借りているけれど、やってみたかったのは「日本語でのオリジナルのミュージカル」なのだそうで、その気合の入れ具合はよくわかる気がしましたね。
カーテンコールのかわりに出演者達がピロティに立ち、帰り際の観客達にシェーカーをふってカクテルをふるまってくれるのもなかなかうれしい。いつもこうあるべきとは思わないけれど、ちょっと夢の続きが見られる感じで「へぇー」と思いました。とにかく、ここで過ごす2時間30分の間は来てくれた人たちをめいっぱいおもてなししたいというサーヴィス精神に富んだステージ――舞台でした。
〜以下、アンケート用紙に記入したことを転載〜
トムさんたちのことは何も知らない私達ですが、今回テリー伊藤さんの番組で紹介されたことがきっかけでチケットを取り、見にきました。正直、もう少しこぢんまりした平均的な内容のものかなと予想していましたが、風呂敷を広げた以上は隅々まできっちりした舞台づくりをしますよ、という気合がひしひしと伝わってくる内容でびっくりしました。
最初の、客席の間を縫うようにしながら4人の男達が登場してくるシーンですが、2階席から見ていると、4体のお地蔵さんが1階席をずるずる徘徊して回っているようで、かなり不気味でした。しかもそのお地蔵さんたちときたら、お地蔵さんのくせによく澄んだ声量のある声を持っていて、スキャットなんてしているんですから。なんだかただものじゃないやつらが出てきたなぁ、と思っていたら、4人がそろったところでその実力をきっちり見せつけるような一曲をまず披露。この時点で私達観客はこのサングラスをかけたお地蔵さん似のアフロヘアーな男達のステージにすっかりとりこまれてしまいました。黒人という設定なのに顔を黒く塗ってないのはシャネルズ似にならないようにということかな。バーテンダーが耳が聞こえず話ができない人物だという設定を、せりふでなく身のこなしだけでわからせてくれるところもいいな。それにしても、「日本語でオリジナルのミュージカル」とは聞いていたけど、のっけから大阪弁で攻めてくるとは思わなかったなぁ。きっと皆さんにとっては日本語の基本イコール大阪弁なんだろう。
シナリオとして最初心配していたのは、自分たちが育てているのが白人の子供だという事実に気づかないという設定をどこまでひっぱるつもりだろうということでした。早々にそれが明かされてからは、それじゃここからはどう展開させるんだろうということで、また心配をしていたわけですけど、これは全く余計なお世話でしたね。
後で気づいたことですが、この舞台は「白人の子供を拾った黒人達がいた」という歌詞に始まり「生きるとか死ぬとかっていうのはみんなリズムなんだよ」〜「そりゃみんないつか死ぬけれどきっとまた会えるさ。待ち合わせ場所だってきまっているんだ」〜「目の見えない俺達にもたったひとつ見える光がある。それが恋だ。おまえは恋をしているんだよ」いう具合に、子供の成長に合わせた歌詞が書き加えられていくような部分があって、その歌詞がお話を次の場面へ牽引していく仕掛けにもなっていることです。まるでCDには決して入れるこのできない隠し玉のような一曲がバックグラウンドで流れているようで、なかなか素敵な計らいだと思いました。
仕込んでいるといえば、生バンドを客席からは見えないところに仕込んでいらっしゃいましたよね。別の日に見に行ったという友人は、最後までそれに気がつかなかったみたいですよ。それに、バーにやってきた客を装った最初の登場人物たち。彼らは持ち場につくのにわざわざ表舞台を通ったミュージシャンたちだったのですね?う〜ん、もう少しでだまされたままになるところでした。
そういえば、私達の隣の席には介助者たちといっしょにやってきた白い杖の男性が手拍子や拍手をしながら「もう手が痛いぞぅ」と野次をとばしていらしたのですが、あの方も――盲目の観客が紛れ込んでいるという――仕込みだったのでしょうか。まさかね。
さて、ラストに近づいた頃、トムさんが花束を手にして「白」に対する万感の思いを語るシーンがありますが、ここまできてようやく「白」がこの物語の中で果たしている意味がわかった気がしました。ラストシーンに向けてもうひとつ盛り上げておく上でも印象的。そういえば、通してみるとトムさんってかっこいいせりふや場面をけっこう独り占めされてましたよね。
バーで4人の男達が囲むテーブルでの掛け合いにもこの舞台の楽しさが仕込まれていたと思います。たぶん、普段から楽屋などでさんざんあのような会話をされているのでしょう。交わされる話題はぜんぜん違っても、きっとそれぞれのキャラクターや会話のテンポなどは存分に生かしてせりふを決めていかれたのでしょうね。空いている椅子に腰さえ掛ければ、私達観客だって4人の仲間になれるような気安さや、そうしてみたくなるようなテンションがずーっと客席の間にあったように思います。
そうそう、カーテンコールをやめるかわりに出演者達がピロティに立ち、帰り際の観客達にシェーカーをふってカクテルをふるまってくださいましたよね。舞台はいつもこうあるべきとは思わないけれど、見終わったとたんそれまで流れていた音楽――リズムが断ち切れ、現実にひきもどされるつらさを思うと、この趣向はちょっと夢の続きが見られる感じでうれしかったです。とにかく、来てくれた人たちを楽しませてあげようというサーヴィス精神とエンタテイメント性に富んだ舞台だったと思います。
注文としては、ジュニアの子供時代の役をしていた男の子の身のこなしとせりふのおぼつかなさをもうちょっとなんとかっていうこと。また、ジュニアの青年時代の役の方はせっかくマグマ大使のように美しいのですから、もう少しだけ減量をなさるとなおよいのではと思いました。
それから、客席の人に赤ん坊のおしっこがかかってしまったり、手を取って踊らせたりするのはちょっと疑問でした。やりすぎるとミュージカルではなく、ディナーショーになってしまう気がするんですよ。ここまで作っているのだから、それじゃちょっともったいない――ですよね。
最後にもうひとつだけ。赤ん坊の泣き声がちょっと大きすぎ(多すぎ?)、耳障りで舞台に集中する妨げになっていたように思いました。これももう一工夫できないものでしょうか。
以上、思いつく限りを遠慮なく書かせていただきました。
余談になりますが、当日は中学生の息子も一緒でした。彼はなかなかこういう機会にいっしょに来てくれません。この日も無理やり同行させたせいか、始めは「俺はずっとねてるからな」と、ふくれっつらをしていました。でも、思いっきり楽しめたようです。帰り道には「もう一度みたい」と言い出しましたし、買って帰ったCDを最初に取り出して聴き始めたのも彼です。主人は主人でブルースブラザーズのビデオを近々借りてきて見直したいと言っていました。ふたり共まだ消え残っている舞台での興奮を、なんとか自力で維持したいということのようです。
ではでは。
次回の4月27日の原宿でのライブを楽しみにしています。02/03/25