トピックス


ここでは当初日記代わりに我が家で起きた特筆すべき出来事を記してきましたが、今では古い記事ばかりでほとんど意味がなくなっています。今後は日記ですでに記事としたものの中から、趣旨にあったものを加筆修正の上掲載していきたいと思います。

ハロウィンがやってきた
庇が落ちるぞ〜
バック・ゥ・ザ・ネイチャーinS小」のこと
ふってわいたダイエット
岡田正義さんがやってきた!
「ミラクルブラインドボーイズ」のこと
「祝御入学」
ふってわいた…今度は何?
指輪ホテル
別れる理由
ちょっくら帰省――2004/夏


ハロウィンがやってきた! 〜やれやれ、紛争の次は扮装の話題かぁ〜

 

 

1999.10.31

近隣にアメリカンスクールがあるせいか、毎年ハロウィンの季節になると、趣向を凝らした飾り付けをなさるお宅が現れます。飾り付けのあるお家を巡り歩いてお菓子をもらうというイベントを最初に思いついたのは、小学2年の子供とその友だち。2人で紙皿やセロテープを使ってにわかウサギに変身しながら盛り上がっている様子をみていると、安易に水を差すわけにも行かず好きにさせておいたのですが、いよいよ出発という段ともなると、いくら慣れ親しんでいる界隈とはいえ2人だけで行かせるわけにはいきません。仕方なく同行することになりました。実は、正直言ってこういうお祭り事が私はあまり好きではないのです。
変装して表を歩くのは初めての彼女たち。「どこもやってなかったらすごく恥ずかしい」と思ったより重い足取り。ハロウィンの飾りを見つけてほっとしたのはいいけれど、見知らぬ人の家のインタフォンに向かって「ハッピィ、ハロウィン」と声をあげるのは大変なプレッシャーだったようで「☆☆ちゃん言ってよ」「いーよ、★★ちゃんこそ先に言ってよ」と、美しい譲り合い。ああ、日本人だなぁ。(笑)
そんな彼女たちの姿をみて、これなら思ったより早く家に帰れそうだとひそかにほくそえんだ私ですが、その思惑は見事に裏切られました。2軒目、3軒目と回るうち、そのプレッシャーがたとえようもない面白さと興奮に取って代わったようで、「次行こうよ、次」とふたりは俄然ノリはじめたのです。
訪ねた方々の反応もおおむね良好。なかには、次はどの通りを行こうと話し合う2人のそばへ車を寄せ、持ち合わせのコインを分けてくださる方も現れて、持っていったビニール袋は戦利品のようなお菓子でずっしりと重くなりました。初めての冒険は大成功。メイドインジャパンのにわかうさぎたちは、まさに「自分たちの見た夢が叶う」夢を見たのだといってよいでしょう。

 

2000.10.31

さてさて、去年のハロウィンの収穫に味を占めた子供たち、今年は9月の声を聞いた頃から「今度は魔女になりたい」と意欲的。お裁縫をかなりの苦手科目とする私としては、残念ながらその夢に手作りで応えてあげることはできませんが、渋谷まで出れば扮装用のグッズはわんさと売っている。問題はたった700円であっという間に解決です。今年は子供の友達のお母さんも同行してくれることになったし、お菓子を入れる手かごも用意できたしで、準備は万端。そのまま実行すればよかったのですが‥‥。

直前になって「よぉし、私も扮装してみよう」と考えたのです。
お祭り事があまり好きではないはず――なのに、いったいどうしちゃったのでしょうか?
自分も目立ちたかったわけでは決してありません。
子供たちと同行するのであれば、やはり同じ夢を共有してみたいと欲するようになったのです。

10.31当日、私は午前10時の中華街に立っていました。
「自分も扮装してみよう」と思い立つきっかけは中華街でかぶりものをみかけたことだったので、他には何も考えられませんでした。並び立つ雑貨店の中の一軒に飛び込むと、その中でもっとも不気味な中国の僧侶のかぶりものを購入しました。もち手をつけてもらって帰路についたとき、自分は今までどうしてもできなかったパフォーマンスをしようとしているのだと思い、とてつもなく不安な気持ちになりました。そう思うと、なんだか人の生首をこっそり運ぼうとしているような心境にもなり、足さえすくんでくるのです。同行してくれた主人には心から感謝。ひとりぼっちでは運ぶことも買うこともーー中華街にやってくることですらーーできなかったと思いますね。

ハロウィンの主人公はあくまでも子供たち。私は後ろのほうでゆっくり手を振ったりして、あくまでも添え物に徹しましたが、ドラキュラやモンスター系統の扮装の多いアメリカ人たちにはあまりなじみのないものだったせいか、とても目立ってしまったようです。仲間うちで群れになってお互いの家を回るアメリカ人の集団とばったり出くわした時などは「ふーあーゆぅ?」の連呼を子供たちから受け、ぼこぼこなぐられたりもしました。痛くはないんですけど、ちゃんとリアクションできないせいでそうなるわけで、ちょっと彼らの言語で応えられるようにしておかなきゃいけなかったなと反省しています。
「なんて言ってるのかわからなくて悔しい」。
これは他ならぬ子供たちからでてきた言葉です。コミュニケーションがうまくとれないことへのもどかしさを感じたのだとしたら、それは知らない家を訪ねてお菓子をもらうだけで満足していた去年にはなかったこと。それだけ余裕も生まれているし、欲も出てきたのですね。それが今年の収穫かな。
蛇足になりますが、僧侶のかぶりものはその後も一週間、我が家のアイドルの座に君臨したことを申し添えておきましょう。

 

2001.10.31

三年目を迎えた今年は、同行してくれる仲間がにわかに増えた年でありました。まず、子供たちの人数が3倍に増えましたし、同行してくれる親御さんの数もひとり増し。とくに、同行に加わってくださった親御さんが「来年はお菓子を用意しておくから、うちにも回ってきて」と言ってくださったのには驚きました。このイベントへのこれ以上はない「賛同」の言葉としてお受けしたいと思っています。
今年回ったお宅は12件。増えもしなければ減りもしないということになりますが、特徴としては新たに加わる家もあればやめてしまう家もあるということです。今年の場合は特に、あのテロ事件の影響があって控えていらっしゃるお宅もあったのではないかと思います。

過去の二年についてもそうですが、実はハロウィンでお菓子をいただいたお宅にはお返しを必ずするようにしています。律儀な日本人を演出しているようでおこがましいのですが、もらいっぱなしを良しとするような家庭教育を断行するほど肝は座っていないのです。で、お返しの仕方なのですが、「クリスマスにカードをお配りする」のいうのがそのメニュー。もちろん、カードは手作りです。
過去の二年はふたりで十数件分を作っていたので正直大変でしたが、今年はひとり二枚でおっけー。子供達ひとりあたりの負担を大幅に減らすことができました。

デザインについては、毎年大手の文具店やバラエティショップに出かけてめぼしいものを購入してくるのが私の仕事。自分の好みもありますが、子供達が手作りできる程度の難易度であることも重要なポイント。今年の場合、人数が増えて頂戴するお菓子の数も多くなったこともあって、カード以外にお菓子やツリー用のオーナメントも用意することにしました。お菓子やオーナメントは参加した子供達の親御さんに用意していただき、私は子供達を集めてのカード作りに専念。材料の手配から作成する手順の確認にいたるまでが私の責任ですから、これがなかなかに手間がかかります。何よりもうれしいことは、子供達が私が教えたとおりのものではないカードを作り上げてくれること。女の子ばかりだからかも知れませんが、どこかしらに必ず自分の「オリジナル」な工夫を凝らしてくれるんですよ。

クリスマスカード配りが終わると、我が家にとっての年末がようやくやってきます。来年は男の子の参加も促してみようかな。カードばかりでなくクッキーの作り方などを指導してくれるご父兄が出てきてくれるとうれしいれど、これはちょっと欲張りな望みかもしれない。

 

02/02/20