私屋カヲルができるまで。
小学生時代、クラスによくいる、絵を描くのが好きな子供。文集や学級新聞のイラスト、先生の似顔絵を描いてウケをとる。少女漫画的カワイイ女の子よりも、スフィンクスやハニワのイラストが好きだった。友達を笑わすのが好きだったので、絵も変なものばかり。
一方、幼稚園時代から足掛け7年絵画教室に通っていたほど、いわゆる「絵画」も好き。が、ある日、数件目に通っていた、街の絵画教室で悲劇は起きる。空想で描いた城を、
「なんてシブいんだ。小学生なのにこの色の渋さがわかるなんて、私ってばナイス。」と思いつつ、モスグリーンで城壁部分をルンルンと塗りたくっていたところ、先生(今思うと、売れない画家が生活のために副業でやっていたのだ)がツカツカやって来てひとこと、
「まァたキミは、汚い色を使っているねぇ。」このため「ナイスな私」は一瞬にして「汚い色ばかり使う奴」へと転落。打たれ弱いナイーブな私、黙って教室をやめる。以後、美術教師に対して不信感を抱くようになる。
中学生時代、イラスト好きは変わらないものの、美術教師に対するココロの扉は閉まりっぱなし。教師の「好み」を見抜き、それに合ったタッチで絵はがき的な絵ばかり描くようになる。「どうせこーゆーのを描けばいい点つけんだろ。」案の定いい点をもらう。世渡り的には上手だが、魂を無くした芸術にブレイクなしと気づくのは、ずっと後になってからである。
高校生時代、初めて描いた投稿原稿は、老人と孫のなんかメルヘンなお話。おじいちゃんが、丘の上の「ポックリ寺」へ「すんなり死ねますように。」とのお参りについていく孫の視点から見た、ちょっとせつない16ページ。今思い返しても少女マンガじゃない。ドキドキしながら見た発表のページ、最低ランクのC賞に自分の名前を見つけるが、雑誌に名前が載っているだけで興奮。何事もそこそこの点を取ってきた人生だけに、C賞というのは、くやしいと言うよりも「おかしい、こんなはずでは。」
三年生になった頃、私のプランは「公務員試験を受けて、卒業したら公務員で手堅く稼ぎつつ、マンガを投稿する。」という堅実なものであった。しかし、「仕事してたら漫画描く時間ないよなぁ。」と思っていた矢先、二者面談で担任の松本先生に「どうするの?」と聞かれたため、イキオイで「卒業したら漫画家になろうと思うんですけど・・」と言ってしまう。「そんな不安定な」と反対されるかと思いきや、「アッハッハ、そーお! !じゃがんばって! !」で終了。第二次ベビーブーマー世代、数十人の生徒の進学の世話で大忙しだったため、一人手間が減ってラッキーだったに違いない。
そんな夏、当時「コミックガンガン」が創刊されるにあたって、エニックスが新人漫画家を募集していた。知人が偶然、エニックスの編者になっていたため「マンガ描くなら出してみれば?」と誘われ、50ページくらいの未来探偵アクションものを描いて出す。やっぱり選外。が、一応担当はついた。「このまま下積みしていけば、卒業前にデビューなんてことも。」などと甘い夢を見るが、担当は「また連絡するから。」と言い残し、以後連絡はいっさい無いのだった。
結局なんの手がかりもつかめないまま高校卒業、どこへ出しても恥ずかしくないプーになる。
「2年投稿して芽が出なかったら、あきらめてOLになる。」と心に誓う。
さて投稿時代、実は子供の頃から全くまんが雑誌を買ったことがなかった私は、「どうしてもこの雑誌で描きたい」という希望がなかった。それほど知らなかった。ある日、本屋でテキトーに手にした雑誌をめくり、「マンガ新人賞募集」のページを見比べていると、募集要項によくある
「投稿した原稿を返して欲しい人は、切手を貼った返却用封筒を同封して下さい。」の一文が、小学館新人コミック大賞のものだけ「返却用封筒は不要です」とあるではないか。うーん、太っ腹。節約を迫られるプーだった私は、それだけの理由で小学館新人コミック大賞に投稿を決める。投稿に必要な応募券のページが欲しくて、生まれて初めて「週間少女コミック」を買う。理由は「別冊少女コミックよりも安かったから」。
小学館新人コミック大賞に初めて出した投稿作は、キツネが女の子に化けて田舎から都会へ出てくるまたもやメルヘンなハートウォームもの。応募券のついでに少女コミックを熟読したため、なんとなく「少女マンガ的なタッチはこんなかんじ」と思いつつ描いたら、奨励賞という、一番下の賞にひっかかった。もちろんデビューはできないが、賞金5万円をつかんで喜んでいると、小学館の編集者から電話があり、「次描いたら、もう一回うちの賞に出してみなよ。」と言われる。
5万で素直になっていた私は言われるがまま、半年後のコミック大賞に出す。今度は事故で幽霊になった女の子が、同じくオカマの兄さんやおばあさんのユーレイと交流しつつ、なんやかんやあって生き返るドタバタコメディであった。
その頃、世間はすでに晩秋。「プーのまま年末を迎えることになろうとは。」と思いつつ、ある日、ふと茶の間のちゃぶ台を見ると、母が書きかけの国勢調査の書類がひろげられているではありませんか。書類には家族の名前や年齢とともに、職業を書き込む欄があるのだが、私の身分はなぜか「家事手伝い」。ほんとに家事を手伝っていたならまだしも、卒業以来5万円以外の収入がない私は、生粋のごくつぶしであります。ああ、母親の世間体。「このまま2年も投稿していていいのだろうか。バイトくらいするべきだろうか。ああ、私に正月は来やしない。」としおれていた時、第27回新人コミック大賞に入選したとの知らせが届く。小学館に呼び出された私の前に、「僕が担当です。」と現れたのは、次も描きなよと電話をくれたあの編集者。
18歳の冬であった------------。



