2002年

第1日 7月26日
第2日 7月27日
第3日 7月28日
第4日 7月29日
第5日 7月30日
第6日 7月31日

第1日(7月26日)〜第2日(7月27日) 
自宅〜黒丸PA(仮眠)〜木曽路〜大町温泉郷


午後6時に自宅を出発。コンビニで夕食を買い(簡単におにぎり)、信州に向けて出発。
今夜は、滋賀県内のPAで仮眠の予定である。
近畿、名神と乗り継ぎ、23時過ぎに黒丸PAに着いた。ここのPAは、SAに負けない
くらい駐車場が広くしかも適度に暗いので仮眠に都合がいい。

4時間ほど仮眠を取ったあと、多賀SAまで走り、下り線にあるレストイン多賀の風呂に
入る。700円で、休憩も可能であるが、今回は風呂だけにする。初めてこの施設を利用
したが、浴槽も2つあり、シャワーもあって快適。全国のSAにこのような施設が増える
といいな。

さて、さっぱりしたところで、再び高速運転。腹ごしらえのため、中央道の恵那峡SAの
バイキングで朝食とすることにした。最近の旅行では、バイキングのあるところで朝食を
とることにしている。自分の好きな食事を好きなだけ食べることができる。最近は、利用
する人が多いのか、7時からのはずなのに、人でいっぱいだった。

腹ごしらえがすんで、再び中央道を走り、中津川ICで降りる。大町までどこを走るかさ
んざん悩んだ末、木曽路を北上することにした。馬籠、妻籠といった昔ながらの宿場が残
っているが、暑いのと、この2つの宿場を回るだけで1日はたっぷりかかるので、今回は
パス。木曽川に沿って、国道19号線を北上し、約1時間ほどで上松町にある寝覚の床に
着いた。国道から少し入った町営の駐車場から遊歩道が寝覚の床近くまで伸びている。

寝覚の床浦島堂
「寝覚の床」は、木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長い年月にわたって侵食してできたもの
で、国の史跡名勝天然記念物に指定されている。浦島太郎が放浪の末、この岩の上で昼寝
をし、玉手箱のことを思い出して目を覚ましたという伝説がその名の由来である。
遊歩道を降りると、浦島堂も見える。途中の小さな滝の水は冷たくて気持ちがよかった。
関所館入口 資料館内部
資料館 関所館案内図
国道19号線をさらに北に走ると、木曽の中心地木曽福島町に着く。残念ながら当時の町並みは昭和2年の大火で失われたが、上の段地区には古い町並みがわずかに残っている。今回は、前回の旅行で行けなかった福島関跡を目指すことにする。福島関跡へは、バイパスでなく、旧国道に入ることになるので注意が必要である。バイパスの福島トンネルの出口は左折できない。

福島関跡は福島関所史跡公園となっており、現在整備中であった。福島関は、江戸幕府が
江戸防衛のために五街道の各所に張り巡らした50ヶ所にのぼる関所のうち、東海道の箱根、荒居、中山道の碓井とともに
重要視されていた。

国道そばの駐車場に車を止め、資料館に行く。資料館は、往時の関所建物をそのままの姿に復元したものである。館内は、下番所内に主な陳列ケースを設けて、関所の通行に関する資料や関所常備の武具類が展示されている。上番所には、模造資料が機能的に配置され、勝手には関所に関係した参考文献を収蔵した「関所文庫」を設けてある。

木曽とくれば、木曽義仲。木曽福島にも木曽義仲ゆかりの地があるが、義仲が平家討伐の挙兵をした旗挙げの地、また育くんだ地でもある日義村を訪ねた。
林昌寺
日義村に入ってすぐの右手に、2歳で父を討たれた義仲を幼少から養育した中原兼遠の菩
提寺の林昌寺がある。本堂脇の山の中には、兼遠の墓がある。兼遠は、早くから義仲の素
晴らしい天性を見抜き、その才能を伸ばすべく文武両道を教え、義仲に理想の武将の姿を
実現させた人物である。

義仲と生涯をともにし巴御前は兼遠の娘である。この寺の本尊釈迦如来像は有名である。
昼食後は、義仲の菩提寺を訪ねた。寺の前には大きな駐車場があり、
そばには今回は行かなかったが、義仲を中心に木曽氏20代にわたる資料を展示した義仲
館がある。
徳音寺 本堂 巴御前像
義仲御廟 義仲墓
徳音寺は、仁安3年(1168)年に義仲が母の小枝御前を菩提のために建立した寺で、自
身の菩提寺でもある。
境内を左手に進むと、一段高いところに、義仲の墓を中心に右側に母小枝御前と今井四郎兼
平左に巴御前と樋口次郎兼光の墓碑が並んでいる。境内には、巴御前の像、義仲御廟、義仲
の遺品などを展示した郷土館がある。木曽七福神毘沙門天霊場、中部四十九薬師二十二番札
所としても知られている。
巴ヶ渕 巴ヶ渕
木曽川が、山吹山の麓を迂回して形づくる深い淵を巴御前にちなんで巴ヶ淵と呼んでいる。
何の変哲もないところであるが、この渕に棲む竜神が巴に化身して義仲を守り続けたという
伝説などが残っている。公園化されているのに草は伸び、東屋も荒れていた。
治承4年(1180)に義仲が以仁王の命令を受けて平家追討の旗挙げをしたときにこの境
内で先勝祈願をしたことから旗挙八幡宮と呼ばれる。拝殿脇にそびえる大けやきは、樹齢千
年で幹の周囲は10mを越え、日本の古木のひとつに数えられている。二代目のけやきも植
えられていた。
でも、さすがにここまで足を運ぶ人はないみたいで、ひっそりとしていた。そのぶん、義仲
ファンには、その静けさがたまらないだろう。

 木曽路十一宿とは、南は馬籠から北は贄川までの宿駅を称したもの。旧中山道は信濃路自
然歩道として整備され、現在でも11の宿場跡を訪ねることも可能である。今回は、素通り
して先を急ぐことにする。

とはいっても大町まで行けばいいので、長野道には乗らず下の道を走ることにする。古本屋
に寄ったり、塩尻、松本の町並みや、梓川の流れを楽しみながら今夜の宿の立山プリンスホ
テルに16時半に着いた。
宿のある大町温泉郷は、立山黒部アルペンルートの玄関口で、周囲には博物館が多い。博物
館は、数年前に行っているので、今回はパス。さて、宿は、露天風呂自慢ということなので
早速旅の疲れを取るため、温泉へ。なんと、露天風呂が3つもある。開放的で、今日は天気
もいいので、気持ちがいい。朝風呂も入ることにした。

夕食は、半バイキング形式というもので、鍋等は用意されているが、あとは自分の好きなも
のを自由に選べるというもの。初めての形式であったが、料理もおいしくて満足。いっぱい
食べ過ぎた。夕食後は、別の露天風呂に入り、明日の白馬の八方尾根自然研究路のトレッキ
ングに備えて早めに休んだ。



第3日(7月28日)大町温泉郷〜白馬〜宇奈月

朝起きると、朝日がまぶしい。今日も快晴である。朝食が6時半からなので、朝風呂は食べ
てから入ることにする。朝食はバイキング。したがって、画像はない。最近は、高速のSA
や普通の旅館でもバイキングのところが多くなったが、食事を準備するほうも楽なのかな?

朝食後は、朝風呂に。今年は走る距離も短いので、出発もゆっくりで、のんびりできる。朝
食後に、慌しく先を急ぐ団体客をみながら、「旅行は余裕のあるものにしたい」と思った。
宿から国道148号に出て、白馬に向かう。途中仁科三湖と呼ばれる湖が見えてくる。
南から順に木崎湖、中綱湖、青木湖である。画像は木崎湖で、仁科三湖では一番賑やかな湖
でレジャー施設が整っている。

その仁科三湖を左手に眺めながら約40分で白馬に着いた。
予定では、白馬駅前からバスを利用するつもりだったが、駅前には駐車場がなく、八方まで
移動し、ゴンドラ前の有料駐車場に車を止めた。付近には無料の駐車場もあるが、すでに満
車だった。
八方駅から第一ケルンまでは、八方尾根ゴンドラリフトアダム、アルペンリフト、グラート
クワッドリフトを乗り継いで登る。往復大人2600円なり。白馬駅前の
白馬観光開発営業
部に行くと2260円と割引になる。


画像のように、下は晴れていたのに、登るにしたがって雲の中へ。視界が悪いのに、人でい
っぱい。どれもリフトであるため、ロープウエィのように搭乗の順番待ちをせずにすみ、よ
かった。リフトの下をみると、可憐な高山植物が咲いていた。
第1ケルン(八方池山荘)から八方池までは片道徒歩で約90分のトレッキングコース。晴れ
ていれば、目の前に白馬三山が立ちはだかるが、今日は残念ながら雲の中である。尾根づたい
に歩き始めたが、かなり急な道で岩場で足元が悪い。また、日ごろの運動不足を痛感。天気も
よくないこともあって、第2ケルンで引き返す。途中、真夏だというのに雪渓が残っていた。
高山植物は、あまり画像を撮れなくて残念。途中のリフトの下のほうがたくさん咲いていた。
いくつか高山植物のの画像をアップする。左上のニッコウキスゲは、同じ長野県にある車山
高原のほうがきれいだ。


再び、八方駅に戻り、駅近くの喫茶店で休憩。水が美味しいせいかコーヒーも美味しかった
が、値段にはびっくり。ま、観光地だし、高いのは仕方がないかな?


時間があれば、塩の道の一部を歩いてみようかと思ったが、暑くてパス。気候のよいときに
改めて訪れることにする。白馬を後に国道148号を糸魚川に向かって北上する。姫川沿い
にカーブを重ねながら進む。長いトンネルや隋道が多く、かなり整備されたと思うが、トン
ネル内もカーブが多く対向車には注意が必要である。姫川の流れを楽しみながら約80分ほ
どで糸魚川に着く。


糸魚川ICからは北陸道に乗り、まだ時間に余裕があったので魚津ICまで行って北陸道を
降り、古本屋へ。魚津から宿のある宇奈月温泉は、下の道を走って約40分。途中からは、
黒部川に沿って走る。宇奈月温泉が近づくにつれ、両側に山が迫ってきた。
今日の宿は、グリーンホテル喜泉で、温泉街を抜けて想影橋を渡ったところにある、お風呂自
慢の宿である。夕食は部屋食で、食べきれないほど山の幸や海の幸を使った料理が出た。ご飯
は、炊き込みご飯である。風呂は、深夜に男女が交替するため、露天風呂はどちらも入ること
ができる。窓の下の草が伸びていたのが少し気になった。



第4日(7月29日)宇奈月〜魚津〜砺波
宿の窓からは黒部川が望める。宿は、5階が玄関で、部屋へはエレベーターを降りることにな
る。午前6時からは、玄関ロビーで朝市をやっていたが、あまり買いたいものはなかった。
朝食は、食堂で、平均的な朝食であった。

想影橋のたもとから遊歩道(ロマンチック街道)があるので、散歩できないかと女将に聞いた
ら途中で崩れていて危険だというので、宇奈月ダムの駐車場に車を止めて、宇奈月温泉駅を目
指すことにした。
2001年に完成した新しいダムで、ダムの周辺には、宇奈月発電所のほか、ダムや黒部川に
ついての情報を集めた宇奈月ダム情報資料館大夢来館がある。ダムができるまでの過程を映像
で見ることができるほか、展示物を通してダムの仕組みを学ぶことができる。
宇奈月ダムからトンネルを抜けて宿のほうに戻ると、休憩所があり、休憩所の脇から下に
下りる階段がある。階段を下りるとまっすぐな道が伸びており、先にはトンネルが見える。
これが昔、黒部渓谷鉄道が走っていた跡で、現在は遊歩道になっている。トンネル内は、時
折コウモリもいて、ヒヤッとする。トンネルを抜けると旧山彦橋で、橋の真ん中からは宇奈
月の温泉街を望むことができる。
遊歩道を進み階段を上ると、そこが黒部渓谷鉄道の宇奈月駅である。少し歩いたところに富
山地方鉄道の宇奈月温泉駅があり、夏休みに入ってすぐなので、子供づれが多かった。トロ
ッコ電車も団体客でいっぱいだった。今回は、トロッコ電車に乗らないが、乗る場合は早め
の電車に乗るのがいいだろう。
再び、黒部渓谷鉄道の宇奈月駅に戻り、駅の前にある黒部川電気記念館に入った。ここは入
館は無料でヨーロッパの山小屋風の建物が特徴である。激しくも美しい黒部渓谷の自然とそ
れに挑んだ人間のドラマを紹介している。
9時21分に宇奈月駅を出発するトロッコ電車があったので、急いで旧山彦橋まで戻り、新
山彦橋を通るトロッコ電車を撮る。逆光だったのが残念。山彦橋の名前の由来は、列車が渡
る音が山彦となって温泉街に聞こえることからつけられたそうだ。川底からの高さは40m
もあり、傾斜のある橋である。黒部渓谷の一部を楽しんだ後、次の見学地の魚津に向かう。
魚津は、蜃気楼で有名だ。蜃気楼の季節は、春から初夏である。残念ながら、真夏なので、
魚津では水族館と埋没林博物館を見ることにする。

まず、魚津埋没林博物館は、入館料は大人510円、魚津水族館との共通券で1000円で
ある。今から約2000年前に地盤の沈下で海底に埋没した自然林が1930(昭和5)年
に魚津港近くで発見された。

館内は、5つのテーマ館にわかれ、樹根や樹幹を展示している。テーマ館では、蜃気楼をハ
イビジョンホール(300インチ)で上映している。ドーム館の横には、蜃気楼の丘展望台
があり、ここから蜃気楼を見ることができる。が、画像のように工事中で工事の車があり、
景観が悪くてがっかりした。
魚津では、もう一つの楽しみである、美味しい魚介類や寿司を食べることにしていたが、
ガイド本に載っている店がわからない。時間の余裕がないので泣く泣くあきらめて、昼食
はコンビニで済ました。

気を取り直して、魚津水族館へ。この水族館は、北アルプスの渓流魚、日本海の深海魚、
アマゾンの大魚など世界の珍しい魚が一堂に集められている。また、2階にある海洋水槽
は、トンネルになっており、まるで海の中を歩いているようだ。マリンガールによる餌付
や魚たちのショータイムもある。


魚津を後にして、滑川ICから北陸道に乗り、途中富山ICで下りて2軒の古本屋、再び
富山ICから北陸道に乗り砺波ICで下りて1軒の古本屋へ寄る。古本屋巡りも旅行の目的
の一つである。


今夜の宿は、5つの日本一の風呂があるという寺尾温泉である。今回の旅行で一番の楽し
みである。国道156号線から東に走り、庄川を渡ってしばらく走ったところにある。
宿に着いて部屋に入るとびっくり、22.5畳の広い部屋で応接間を含めると4つの部屋
に分かれている。夕食の前に、風呂に入ることにする。期待でわくわく。確かに広い、日
本一だというだけのことはある。

しかし、換気が悪く、長く入っていることができない。また露天風呂も、見上げると、宿
の部屋や橋から丸見え。換気だけでも、何とかならないもんかな?地下だから、露天風呂
風にできないと思うが、窓をつけるなり他に方法があるだろうに。期待していただけにが
っかりした。

夕食は、中の宴会場と思われるところで、個室。ゆっくり食べられた。画像のように、大
きなお猪口のようなものに盛られていた。味、量ともに申し分ない。だからこそ、風呂が
残念である。



第5日(7月30日)砺波〜高岡〜高山

温泉も3日になると、温泉疲れもあって、朝風呂は入る気になれない。普通の風呂は入れ
なかった。朝食も夕食と同じ大きな部屋で個室だった。温泉の宿ばかりなのに、やっと温
泉たまごがでたよ。宿の画像は前日に撮っておくべきだった。逆光で見えない。
宿を出て、高岡を目指す。高岡は昨年行ったが、魅力的な町でもう一度行ってみたいと思
っていた所である。昨年行けなかった二上山に行ってみることにする。大阪・奈良府県境
にも同じ名前の山があり、親しみを感じる。

この二上山は、月と紅葉の名所として有名で、万葉ゆかりの地である。万葉の歌人大伴家
持がこの山を眺めて多くの歌を詠んだ。標高274mの二上山の頂上へと続く全長8.4
kmのドライブコースとなっており、途中には仏舎利塔、大伴家持像などがある。
高岡での昼食は、ある人からお勧めのあった高岡市民病院そばにある吉宗のカレーうどん
である。後の行動を考えて、古城公園の駐車場に車を止めて、店に向かった。この店は、
地元でも有名な老舗のカレーうどん店で、12時前だというのにいっぱいになった。

15種類のスパイスをブレンドし、じっくり煮込んだスープと手打ち麺のからみが絶妙。
また、その量の多いのにもびっくり。食べるのに苦労したのに、これにライスをつける人
が多いのにも二度びっくりした。
お腹もいっぱいになったところで高岡駅に向かう。市民病院前から高岡駅前行きの万葉線
の電車に乗る。ローカル線で、路面電車である。旅行で広島で乗って以来の路面電車であ
る。懐かしい。ついでに、電車の内部もアップ。
富山県の西部にある高岡は、富山に次ぐ県下第2の都市で、古くから政治、文化、経済が
盛んで、300年以上の歴史を誇る銅器、漆器の伝統産業は全国的に有名である。玄関口
のJR高岡駅も立派である。

8月1日から7日までが高岡の七夕まつりで、全市をあげて盛大に行われる。画像のよう
に青竹数千本にとりつけられた色とりどりの折鶴、短冊、吹流し、提灯が並ぶさまは圧巻
である。
末広町の御菓子司志乃原で銘菓名月を買い、商店街を抜けると、日本3大仏のひとつ高岡
大仏が見えてくる。

大仏寺の境内にある、坐像高7.43m、重さ63t、地上からの総高15.85mの銅
造阿弥陀如来坐像である。1745年に造られた当時は、木造金色だったが、大火により
2度焼失。再び焼失しないようにと銅器職人が30年の年月を費やして再建し、1933
年に完成した。回廊の中央部には、明治33年の高岡大火で焼け残った木造大仏の尊顔が
安置されている。
大仏の前の道を東に進むと、古城公園に着く。慶長14年(1609年)に前田利長が
この地に築城。利長はわずか5年で没し、高岡城は廃城となったが、城跡は加賀藩に守
られ、明治8年(1875年)に公園として開放された。

敷地の3分の一が水濠で、四季折々の自然の移り変わりが美しい。本丸跡には、広場と
射水神社がある。公園内には、美術館、博物館、動物園がある。毎年1月15日前後に
は、日本海なべ祭りが開かれる。


高岡から最終目的地の高山に向かう。高岡ICから能越自動車道、北陸道を走り、富山IC
で下り、国道41号を南下する。神通川に沿った道で走りやすいが、ダンプカーなどの
大きな車が多く、注意が必要。坂道では、困った。また、なぜか工事中が多く、高山に
着いたのは17時前だった。
今夜の宿は、飛騨高山温泉宝生閣。高山陣屋から徒歩3分という距離であるのが気に入っ
た。なんと、玄関、エレベーターの中も畳敷きであった。夕食は、お食事処「宝月」で、
できたての料理を、掘りごたつの席で食べることができた。風呂も、貸切状態でゆっくり
入ることができた。露天風呂からの眺めも最高であった。



第6日(7月31日)高山〜自宅
旅行最後の朝であるが、疲れが出てきて朝風呂どころか、7時に起きることができない。
ようやく7時半の朝食には間に合った。朝食の場所は、昨夜と同じ場所で、朝だというの
に画像のような豪華さである。
昼過ぎまで高山にいることができるので、車を宿に置いたまま高山市内を散策する。
まず、高山陣屋からスタートする。陣屋前広場の朝市は、ほとんど農家のおばさんたちが
売り手の素朴な市で、生鮮食料品や漬物、生花、味噌などが売られていた。が、ほとんど
観光地化していた。
高山陣屋は、全国に唯一現存する郡代、代官所である。元禄5年(1692年)、徳川幕
府は飛騨を幕府の直轄領とし、明治維新にいたるまでの177年間に25代の代官、郡代
が江戸から派遣され、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務をおこなった。この役所
を「高山陣屋」という。

明治維新後も主要建物がそのまま地方官庁として使用されてきたが、昭和44年飛騨県事
務所が移転し、270年余り続いた役所の幕を閉じた。今は、旧陣屋をそのまま復元して
一般公開されている。入場料は、大人420円である。

中に入ると、御役所、御用場、大広間、使者ノ間などがあり、御蔵群には年貢米を収容。
また、各蔵には伝統品や書簡、古文書などが展示されている。
陣屋から広小路通りを駅のほうに歩き、高山郵便局を右折し、国分寺通りに入ると、飛騨
国分寺の三重塔が見えてくる。飛騨国分寺は、741年(天平13年)に聖武天皇が国の
平和を願って各諸国に国分寺と国分尼寺を建立するように命じた5年後に建った。当時高
山の町の誇る唯一の建物だったが、打ち続く兵火に焼かれ、現存する本堂は、室町時代に
再建されたものである。

高山城から移された鐘楼門を構え、境内には重要文化財が多い。安産祈願の信仰を集めて
いる樹齢1000年を超えるイチョウの巨木、並んで三重塔がそびえる。市内で最も古い
本堂は、垂らし幕で彩られ、神妙な趣を持っている。内部には、薬師如来坐像と聖観世音
菩薩の2体の本尊を安置している。
国分寺から国分寺通りを東に歩くと、宮川に出る。この宮川にかかる鍛治橋と弥生橋の間
には約85店ものテントの露天が並ぶ。陣屋前とならぶ朝市である。6時から12時まで
やっており、野菜、漬物、果物をはじめ民芸品、玩具なども売っている。
朝市から宿に戻る途中に上三之町という最も古い面影を残している町筋がある。商人の町
として栄えた城下町は、大きく一之町、二之町、三之町の3つに分かられ、古い町並みを
総称して「上三之町」と呼んでいる。

軒の低い家々が狭い道を挟んで並んでいる。当時看板代わりに下げた杉玉を吊るす造り酒
屋、白壁造りの背の高い屋台蔵、味噌屋、漬物屋などさまざまな店が、今もそのまま生か
されている。そのうちのひとつ喫茶店で小休憩をして、宿に向かった。
これで、高山は終わりであるが、まだ時間があったので少し足を伸ばして、1998年4月
に誕生した祭りの森に寄ってみた。地中ではこのようにいつでも豪華絢爛な高山祭りを見る
ことができる。自然の森や、茶の湯の森もあり、また、お祭り広場や食祭館も併設しており
とても一日では回りきれない。入場料も蝶の館との共通で大人1500円とやや高いが、仕
方がないだろう。

祭りの森を出たのが12時過ぎ、後は家に帰るだけである。東海北陸自動車道が高山の隣の
清見村まで延びているので案外楽である。今回の旅行では、雨にも全然あわず、楽しい旅で
あった。予定より早く21時半までには家に着くことができた。




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