| (5) ラモーナ司令官のプロフィール |
| 1959年、チアパス高地サンアンドレス地区のスィティックで生まれる。 |
| 農民マヌエル・ディアスの娘、本名はマリア・ディアスとされる。 |
| 小学校には行かず、鶏や羊の飼育に携わる。 |
| サンクリストバル市や海岸部のアリアガ市で、家庭内労働者として働く。 |
| サンクリストバル市では、ドミニコ会の女性修道士から教育を受けた。 |
| 1980年代初期、EZLNのゲリラ兵士として徴用。 |
| 先住民女性の権利、女性の民芸品生産者の組織化に従事。 |
| 1993年、EZLN女性革命法策定の責任者の一人として、チアパス高地で活動。同法は3月8日に承認。 |
| 1994年、1月1日のサンクリストバル市の占拠に、部隊責任者として参加。 |
| 1994年、2月末のサンクリストバル大聖堂での政府との対話に参加。 |
| 8月の民族民主会議で、結核による腎臓機能低下という病気の公表。 |
| 1995年、7月、サンアンドレス対話の過程で、ビデオ・メッセージに登場。 |
| 1996年、10月の先住民全国議会創設集会にEZLNの代表として派遣される。 |
| メキシコ市南部の病院で、兄(2004年に死去)の腎臓移植手術。 |
| 市内で療養後、チアパスに戻り、地下活動に復帰。 |
| 2005年、9月19日、ラ・ガルーチャのカラコルで開催された「別のキャンペーン」準備の全体集会開会式で挨拶。 |
| 2006年、1月6日、早朝にスィティック自宅で吐血。 兄と姪4人が付き添い、オベンティックからサンクリストバルの病院にコンビで搬送中、チャムーラ地区のツァハルテティック付近で死去。 |
| 2006年、1月8日、オベンティックのカラコルで追悼式。 |
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