A Field of Wisteria
世界の映画

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世界の子供たち    
サウンド・オブ・ミュージック   シャイン
秘密の花園   バグダットカフェ
あの子を探して   フェリシアの旅
セントラルステーション


 

サウンド・オブ・ミュージック   アメリカ 1965年 監督:ロバート・ワイズ チラシ:[1] [2] / パンフ
映画史にもさん然と輝く名作。楽しい楽しい、心の躍るミュージカル映画。
’65年度アカデミー賞作品賞、監督賞、編曲賞、録音賞、編集賞受賞。
トラップ一家の実話をもとにした作品、愛と勇気のヒューマニズム。
「ドレミの歌」「エーデルワイス」「私のお気に入り」等など、あまりにも有名な名曲がこの作品から生まれでたのはみなさんご存知でしょう。家族で楽しめる映画です。
尼僧修行中の身のマリア、あまりの元気のよさに彼女の将来を考えた修道院長は、彼女をある邸宅の家庭教師に向かわせます。そこには、ガリガリにお堅い退役海軍大佐と、徹底的に軍隊式にしこまれた腕白、いたずら大好きな7人の子供たちがいるのです。そこで、マリアの奮闘の日々がはじまります。マリアは子供たちを勇気づけるため、のびのびと育てるため、そして家族の絆のため、子供たちに歌を教えます。そんなマリアに引かれていく子供たち、そしてついにマリアは…
家族にはいつも歌が溢れ、固い絆で結ばれていくのです。彼らをつなげたのは、まぎれもなく歌だったのでしょう。しかし、楽しい家族にしだいにナチスの影がしのびよるのです…
実に楽しい歌の数々。すでにアカデミー主演女優賞をとっていたマリア役のジュリー・アンドリュースのすばらしい歌唱力もさることながらすばらしい自然と、ザルツブルクの街並みの中を飛び跳ねながら歌う子供たちの「ドレミの歌」、観ている方も心踊ります。パーティーのお別れに子供たちで歌う「さよなら ごきげんよう」の微笑ましいさ、子供たちとマリアとでの人形劇で歌う「ひとりぼっちの山羊飼い」の喜び一杯の楽しさ。ギターをつま弾きながら、とてもしぶく歌う「エーデルワイス」、町の音楽祭で観客と一緒に大合唱となる「エーデルワイス」は感動します。大佐の声は吹き替えらしいですが…。
実際にザルツブルク周辺を中心に撮影された、町並みや素晴らしい自然も、この映画のもう一つの主役と云えるでしょう。オープニングからいきなりマリアが山頂で歌うシーンをかすめるようにしてヘリによるカメラが、アルプスの山々をなめるように撮らえていく。子供たちが始めて歌を教えてもらい「ドレミの歌」を歌うのは、すばらしいアルプスの山々を望む丘。子供たちが歌いながら駆け回るのは、石作りのザルツブルクの町並み、噴水、薔薇のアーケード…。トラップ家の裏口もさりげなく美しい池。そして壮大な教会や、邸宅。
ミュージカルと云うのは、それまであまり好きになれませんでしたが、この映画の音楽はホントすばらしい、なんて楽しんでしょう。世代を超えて語り継がれる映画です。

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秘密の花園       アメリカ 1993年 監督:アニエスカ・ホーランド チラシ
1910年、「小公女」「小公子」で有名な作家フランシス・バーネットによって誕生した作品。そして1993年、フランシス・フォード・コッポラ制作総指揮により映画として現代に蘇った、なんとも爽やかなクラシカル・ファンタジー。「人間の豊かな愛を信じる全ての人に、この映画は贈られる…」
裕福だが、人の愛情を受けた事の無い少女メアリーは、両親の突然の死によって、会った事の無いたった一人の伯父の元に預けられる。イギリスのヨークシャー、どんよりと暗い大邸宅。そこには伯父の苦悩を封じ込めた”秘密の花園”が長い間封印されていた。そして、その苦悩を一身に背負い込んだかのような彼の息子コリン。メアリーがその花園の封印を解き、その旺盛な行動力で周りの全ての人をもまきこんで、そして皆の心の扉をも開いていくのです。
メアリーの心を映し出すかのような自然の美しい移り変わり、花園の溢れる花々の香りも漂ってくる。なにより可愛らしいメアリーの表情、たいへん凝った愛らしい服装。そして、メアリーは人を愛する事、泣くことを知るのです…
忘れかけている、心の片隅に眠っている、そんな心への旅を味わえます。

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フェリシアの旅       イギリス・カナダ 1999年 監督:アトム・エゴヤン チラシ
「エキゾチカ」「スウィート・ヒアアフター」に続くエゴヤン監督の癒し系3部作の完結とも云える作品。
「生まれて初めて自分を美しいと云ってくれた青年を愛した少女フェリシア。彼女は住所も電話番号も告げずに去ってしまった恋人を探すために、アイルランドからイギリスのバーミンガムにやってくる。そして、見知らぬ土地で途方にくれる彼女に親切に声をかけたのが、大きな邸でテレビの古い料理番組にしたがって、ラムの王冠型ローストを料理する中年の独身男ヒルディッチだった。しかし、太って気のよさそうな彼は誰にも知られたことのない秘密の顔があった。そして、一度も愛されたことのない男は、自分を救ってくれる少女を待っていた。」
「苦痛は洗い流され、癒しが訪れる」。この映画の紹介の中で、キーワードのように癒しという言葉が使われてました。その言葉だけを聞けば、心洗われるような癒しがあるのかと思ってしまいます。でもエゴヤン監督の前2作を見ているだけに、そう単純な癒しでないことは覚悟。予想通り、たっぷりとサスペンスを見せられてしまいました。男がかかえるトラウマと、表には見せない裏の顔がなんともそら恐ろしい。フェリシアとの出会いで始めてそのトラウマから開放されるけど、それが癒しと呼べるかどうか私にはわからない。
映画の題名だけをみれば、単純に少女の成長を追うものかと思いきや、フェリシアはひたすらに男に振り回されてしまって、探す彼は見付からず、自らの心を癒すにまたいくつも傷を負ってしまい、癒しを探す旅となってしまってました。
エゴヤン監督の独特の演出、過去と現在の時間をころころと交差させ、ノスタルジックな不思議な気分にさせられます。主人公二人に癒しが訪れても、観る側にとって癒しになるわけではありません。なんだか後々まで何か心に残る映画でした。

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セントラルステーション       ブラジル 1998年 監督:ヴァルテル・サレス チラシ
’98年、第48回ベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)、銀熊賞(主演女優賞)、エクメニカル審査員特別賞受賞。
「リオの中央駅(セントラルステーション)で出会った、代筆屋を営む女と、父を探す幼い”依頼人”。二人の心が触れ合う感動のロード・ムービー」。と、この宣伝文句を聞くと、とっても心やさしいおばさんが、母親を亡くした可愛そうな子供のために、奮闘する感動物語を思い浮かべてしまいましたが、とんでもない。この女性ドーラ、疑い深く、嘘つきで、手癖も悪い。今までのこういう手合いの物語は人のいいおばさんとかが多いですけど、なかなかにアクの強いおばさんです。少年ジョズエに同行するようになったのも、お金がらみから逃げ出すように。ブラジルの埃舞うような町、厳しい日差しがどこかけだるく、ラフな服装と、そういった雰囲気がドーラの性格をより印象強く感じさせてくれます。ドーラ役の女性の演技がまたすばらしい。ホント信用ならない表情と性格ながら、ジョズエを突き放しきれない優しさも持ち合わせている。ジョズエとの触れ合いの中で、ぎこちなく次第に心を通わせていく姿が、それまでのドーラのいやらしさと相反するだけによけい感動させられます。
ブラジル映画なんて、そう云えば今まで観たこと無かったと思います。独特の南米文学の雰囲気を思い浮かべさせられながらも、以外と云っては失礼ですが、映像がとっても美しい。ブラジルの町並み、風景、叙情溢れる音楽の流れる中なかなか魅せてくれます。また、ドーラが代筆屋というのもあって、代筆する手紙にこめられる人々の思いが、またじんわりときます。最後、ドーラとジョズエがたどり着いた地でも、心を結んだのは父からの手紙でした。デジタルの軽い文章が溢れる昨今にあって、字を書けな
い人々が送る手紙はなかなか重みがあります。
ありがちな物語ながら、個性あるキャラにブラジルという雰囲気、そして手紙を交え、素朴ながらしっかりとした感動が味わえます。

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あの子を探して         中国   1999年 監督:チャン・イーモウ(張芸謀) チラシ
’99年ヴェネチア映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞。
「山村の貧しい小さな小学校。1カ月間学校を離れることになったカオ先生の代わりに、代用教員として13歳の少女ミンジがやってきます。可愛いけれど、やんちゃで生意気な28人の生徒たち。「生徒が一人もやめなかったら褒賞金をあげる」というカオ先生の言葉を信じて、子供たちを懸命に見張り続けるミンジ。しかしある日、いつもミンジを困らせてばかりいた少年ホエクーが都会へ出稼ぎに行ってしまいます。ミンジはホエクーを連れ戻そうとしますが、町に出るバス代すらありません。みんなで協力して、なんとか先生を送り出しました。けれど、都会に着いたミンジを待っていたのは、ホエクーが行方不明になったとの知らせ。ホエクーを探して奔走するミンジ。はたして、彼女はホエクーをみつけ出すことができるのか?」。
なんて素朴な映画でしょうか。素人丸出しの飾り気の無いあるがまま自然な姿。その素朴さが胸にせまります。
物語としては、前半はミンジと生徒たちとの学校でのやりとり、そして後半が町でホエクーを探す少女の姿を描いています。特に前半の学校での少女が実にいい。真っ赤な頬の田舎の子、中学校も出てないミンジ、黒板にただ教科書を写し、それを生徒に写させ、自分は外で生徒が逃げないよう監視。やる気の無い、どうしたらいいのか分からない、歌も途中で忘れてしまうし。だけど、ホエクーを探すためのお金を工面しようと生徒たちと協力していく中でいつのまにか算数の授業になっていったり、なかなかユーモアも漂わせてます。後半はミンジとホエクーそれぞれの孤独な姿が描かれています。初めは、生徒が少なくなるとお金がもらえなくなるからって頑張っていたのに、最後はそれだけでない少女の姿。そこらの少女の孤独感や心の動きをもう少ししっかり強く描いたらもっと良かったとは思いました。
中国の経済成長の中で、都市部と田舎との経済格差、子供達にまで広がる拝金主義、すぐお金がらみになるのはちょっとなあ…。物語の最後の展開もちょっと安易だったかな、プロパガンダの匂いが漂うのもちょっと気になりましたが、しかしそんなところも消し去ってしまう感動がせまります。子供達が頑張ってかせいだお金でたった2缶のコーラを皆で一口づつ味わうシーン、お金を稼ぐにしてもホエクーを探すにしても若いがゆえの浅はかさ、テレビの向こうのホエクーに向かって涙ながらに話し掛けるミンジ、そして最後に色とりどりのチョークで生徒たち全員一文字ずつ書いていくシーン、子供を理想化せずそのありのままの現実感、力強い感動にやられ久しぶりに素直に泣けてしまいました。しかし、子供で泣かせるのはずるいぞ…。
この素朴さはイラン映画にも通ずるものがありますが、中国映画をもっと観てみたいと思わされたとってもいい映画でした。

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Last Update :28 Jun 2002