Sera


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ペーパー時代

車の免許をとったのは20にもなった頃でした。しかし、当時、東京の大学へ通っていたため、順当に「ペーパードライバー」の道を歩んでいきました。創作活動に明け暮れていたことと、少し車のことを覚えようということから、「ガソリンスタンド」でのバイトも始めました。

就職のため帰郷しました。実家の付近は「車」なしではなにもできない辺鄙なところです。そこで、親が利用している中古・鈑金屋さんを紹介してもらい、いよいよ「車」を手にいれる算段をはじめます。

SERAは「最初」の車

新車でもなんでもOKなのですが、予算がおいつきません。

とりあえず、トータル100万未満を目標に、爺さんになって「持って」いてもいい車、値打ちのある車を探します。
「若者」としてプローブ、MR2(SW20)、180SX、セリカ(ST160/185)、FD-3S(アンフィニ7)、Zなどがありますが、予算オーバーとデザイン的に「長くは乗れない」という意識がありました。
SVX、デロリアン、エスカルゴ、デリボーイなどがつぎなる候補でした。SVXはGoo!ですが、ATなので×。エスカルゴもAT。デリボーイは改装していくことになり、人生の方向性がかわるので断念。デロリアンはメーカーの倒産と入手の困難さから断念。

そこに降ってわいたのが「SERA」でした。
そして、

  • マニュアルミッション
  • シルバーオパール
  • 前期型の標準
  • 15,000km
  • 平成3年車(当時3年落ち)

となりました。ホイールは既に社外アルミで15inchにインチアップされていました。
車検、保険、タイヤ交換、納車整備(あぶなそうなものは交換)で110万円ぐらいになりました。

初めて乗った時は、操作系の軽さからなかなか挙動が安定しなくて慣れるのに随分かかりました。想像していたより、トルクがあったのも事実ですが、曲面の多いデザイン故か、車両感覚がハッキリしないというのも理由のような気がします。

車メーカーにとっては「買い替え」をしない、いわゆる回転の悪い客ですが、ずっと動体活用していきたいと思います。そんな気持ちながらも「ディアブロ」「マクラーレンF1」が欲しいと思っている単なるミーハーだったりするのでした。

購入当初の外観

外観(ハッチオープン・QuickTimeVR/231k)
外観(ハッチクローズ・QuickTimeVR/198k)

Sera Gullwing Freaksで…

1997年1月頃SGFに加入しました。2月にOPTION2の取材でイベントに初参加。ここで、その後「濃い」付き合いをすることになるSGFの皆さんに出合いました。

このまま、数ヶ月に1回程度のペースでイベントに参加して…と気楽に構えていたのですが、4月に状況が急展開。会報を担当されている長谷川さん(スープラウィング実装の白セラ)とあることから、セラを廃車。その後スープラに乗り換えたこともあって、SGFの幹部役員から退くことになり、たまたま半ばはったりで「コンピュータ全般」を仕事として書いた私に白羽の矢がたってしまいました。

会長の茂木さんから、「現状では人がいない」といわれ、断るわけにもいかず、そこから「会報編集担当」となりました。

仕事の関係でPDFの日本語対応と時期が一致したのを機に、会報のPDFによるオンライン配信を開始。インターネット環境を持っている会員のみではあるものの、会報のカラー配布を実現しました。
同時に(多少従来のモノクロコピー配布を無視した形で)レイアウトの大幅変更に着手しはじめます。
メンバーの増大とあいまって、ページ数もコンスタントに10ページ前後となりました。(みなさんありがとう!)

会報担当になったためか、はたまた偶然か、メーリングリストもしくは掲示板の設営をもとめられるようになりました。たまたま知人がプロバイダー業務に手をだそうとしていたため、Time Warp社様を拝借する形でメーリングリストサーバの設置となりました。

9月ぐらいに、今度はホームページ担当であった井田さんが仕事の多忙のため、業務の引き継ぎをしてくれる方を…ということになりました。すぐさま、SGF-MLに問い合わせたところ、SE/プログラマーの九州の長谷川さんに引き受けて頂けることになりました。メール受付担当に米須さんがつき、「長谷川」−「米須」−「山元」の3人でオンラインサポート体制をつくることとなりました。

1998年。
運営が落着き始めた時に、今度はリストサーバの挙動がおかしくなります。運営していたリストサーバは特定のメールソフトと相性がわるく、また、サーバ全体を落としてしまうことになったこともあって、別のプロバイダに移設することになりましたが、そのまま管理業務をおこなうことになりました。SGFの会報データなどの大きいデータはひきつづき置かせてもらっています。

1999年になると長谷川さんが仕事の関係でSGFを退会されます。かわって大山さんが、SGFのホームページを引き受けることとなりました。また、入会受付担当もSGFの正規メンバーの井田さんが引き受けることとなり、それまで、SGFメンバーではなかったもののいろいろと尽力していただいた米須さんに感謝しつつ、交替となりました。

2000年には会報データの方も肥大化とアクセスの増大から、サイトを移動し、これまでお世話になっていたTime Warp社様をバックアップの予備として活用させてもらう形となります。
一方運用のほうも、これまでは会員・非会員ともにオープンなスタンスで運営してきたものの、会員から会に参加していることのメリット性の打ち出しを追求されはじめたことと、非会員のマナーの悪さ(というか常識を省みない言動)があり、2001年には運営方針を大きく変更することを余儀なくされてしまいました。
こうした形で制限がくわえられていくのは本当に残念な思いですが、規制を加えねば正常に運営できなくなったという社会環境変化が大きいと思います。
会長も、茂木さんから2代目の柴田さんに代替わりしました。

2001年から2002年になると、イベントを企画するようなアクティブメンバーが結婚など家庭的な事情から会に「参加」するだけのメンバーになっていき、自然とSGFとしての活動が停滞を始めてしまいます。少しずつ若返りをはかってはいるのですが、スタッフの高年齢化と若い方との交流というかそういうのが懸念事項としてあがってきています。


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