005:釣りをするひと
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「…………。」
「…………。」
「…あの。スタン?」
「うるさい。話し掛けるな。魚が逃げる」
「…………。」一体彼がこの行為を始めて、何時間が経過しただろう。
人を小馬鹿にするかのようにどこまでも晴れ渡った青空。のんびり流れるうろこ雲。ざかんざかんと涼しげに波を打つリシェロの海。ルカの横には釣り人の時間潰しのためにあるのだろう、小さな本棚、そして読了済みの本は早4冊。スタンのまわりをぐるりと取り囲むは、…ぎっちり魚の詰まったびくが既に9ヶに樽が1つ。
辺りには何事だと見物人まで現れ始める始末で、かなりの居心地の悪さにルカはあぐらをかいていた足を体育座りにしてみたり、まっすぐに伸ばしてみたり、ストレッチを始めてみたりで。とにかく、もぞもぞと体を動かした。
何でいきなりこんなことを始めたのやら。ずらり並んだ魚にふっと息をつく。
確かにスタンは名人だった。仮にも魔王を名乗る男の隠れた特技が魚釣り、なんて、どう考えても笑いのたねにしかならないと思うのだけれど。それもだ。「ふむ…おい子分。これが釣り竿と云うものだな」
「えっ…うん。スタン、釣り竿見たことないの?」
「…まあな。で、餌はどうつけるのだ。どこに行けば売っている。素早く的確に、且つ分かりやすく余にレクチャーするのだ子分よ」
「や、やってみたいの…?」確かこんな会話を交わしたのが、今朝のことだったと思うんだけれど。
それなのに一体何故、自分の目の前にはこんな大量の魚が。思った瞬間、よし、とスタンが小さく呟く。すると同時、パシャンと小気味良い音を上げてまたも水の中から魚がするりと顔を出して来た。
言ってもどうせ不機嫌になるだけで言うことなんか聞くはずもないから、黙ってかれこれ数時間、一応パラソルの下でとは言えかんかん照りの日の下で分厚い本を読みながら付き合ったけど。
…それにしたって、これはいくらなんでもやり過ぎだ。びくがついに11ヶに達した時、ルカは手をつき身を乗り出し、まわりの人々の好奇の目に少し頬を熱くしながら真剣そのものの金の瞳を覗き込んだ。「スタン、もういいだろ?ちょっと釣りすぎだよ。こんなにいっぱい釣って、どうするのさ」
「余の勝手だろうが。口を出すな」
「…僕はもう宿に帰るよ?」
「お前は余の子分だろうが。子分たるもの、いつ何時も主人の側に仕えるものだぞ」
「だって暑いんだもん。人も集まって来たし…。魚もせっかく釣ったのに、だめになっちゃうよ」
「…………。」やはり思った通り、見るからに機嫌は悪くなった。が、それでもてこでも動こうとしない魔王にルカが思わずため息をつきかけた、その時。ふ、と、二人に長く伸びた人影がかぶさり、振り向くとこの釣竿を貸してくれた漁師が一人、にんまりと笑っていた。あ、どうも、ぺこりお辞儀すると、漁師はいやいやと手を振って。
「構わねぇよ、竿ならなんぼでもあるしな。しかし兄ちゃん、釣ったなあ。こんなに一杯、売りにでも出す気かい?」
「欲しいのなら持って行け。どうせ食いもせん」
「え!!?」
「…何だ、その『え』は」
「だ、だって…」こんなに一杯釣っといて、食べもしないのはいくらなんでも魚に失礼ってものじゃないのか。
思わずぱくぱくと、それこそ釣り上げられた魚のように口を開け閉めしつつルカが唖然とスタンの顔を覗き込む。
ふいとそっぽを向いた横顔からひゅっと伸びた長い耳は、日にでも焼けたのか赤く赤く染まっていた。「ああ、そうかあ成る程なあ」
が。漁師は驚きもせず、ぽーんと手を打ち鳴らし。ただ一言、兄ちゃん贅沢モンだねぇと笑っただけだった。途端それまでそっぽを向いていたスタンががばっとこちらを振り向いたので、ルカは思わずびくりと体を揺らしてしまった。
「あれはそう簡単にゃあ釣れねぇって、今朝方教えてやったじゃねぇか」
「こ、この馬鹿オヤジが!黙れ!黙らんか!!」
「ち、ちょっとスタン!…おじさん、あれって何?」今にも漁師を目からレーザーでも出して焼き殺しそうなスタンの勢いに、慌てて腰にしがみつき引き止めながらついでにぽろり、訪ねてみる。瞬時にスタンの罵声と暴れ方が尋常ではなくなったが、これだけ炎天下の下付き合わされたのだからそれぐらい知る権利はあると彼にしては珍しく、ルカはスタンの腰を放さなかった。
「この海にゃあな、幻の魚ってのが居るのよ。ま、めったに釣れる事ぁねえがな、これがとんでもねえ美味さでな。一度食ったら忘れられねえほどのシロモノよ。お前さんがた宿に泊まってるんだろ。主人に聞きやしなかったかい?」
「…あ」言われて初めて思い出した。
確かに聞いた。とろけるような味わいの世界一の魚がこの海にいるとか言う、半ばおとぎ話ではないかというほど熱く語られた逸話。
そしてその時、相変わらずどうでも良さげだったスタンに、食べてみたいねと、笑いかけたことも。「…スタン」
「別にお前の為ではない!!」…まだ何も言ってないんだけど。思いはしたが、思いはしたが。
足元にいくつも転がるびくの山。それから一つ掴み上げると、ルカはゆっくりスタンの手に握り締められた竿に指を触れた。今度は抵抗もなかった。すいと受け取り、漁師に返し礼を言うと、魔王の手を取り当たり前のように引いて、歩き出した。「この魚、宿の人に料理して貰おうね」
「………。」
「手、マメ出来てる」
「…ふん」
「痛い?」
「こんな物が痛みの内に入るか、軟弱子分め」
「あのさ、スタン?」
「何だ」苛々もあらわな彼に、にっこり笑って握り締める力を強める。
「大好き」
「!!!」
…これだから始末に終えない。魔王が思ったかどうかは、長く伸びる影だけが知っていた。
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