029:デルタ
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二人の少年がいる。
一方は名をジョウイ、もう一方はヤナという。
ジョウイは、今はただの“ジョウイ”という名の少年でしかないが、元は地方貴族の生まれであり、その後、とある姫君に婿入りし一時は一国の王だった。ゆえあってその名を捨てはしたものの、その聡明なまなざしと、うなじでひとくくりにされた腰まである淡い金糸の髪、時折見せるどことなく影のある微笑みに隠れる品の良さは、大抵の女性にうっとりと息をつかせた。
ヤナは、本名をヤナ・マクドールといい、赤月帝国では名の知れた猛将の一人息子である。今は没落してしまったマクドール家ではあるが、今だその名を敬愛する者は多く、なにより、ヤナ自身かつての解放戦争の事実上指揮を取り仕切った少年であり、なにものをも打ち倒す棒術の素晴らしさと、涼やかなまなざし、やわらかな物腰。線は細いながら、精悍な顔立ちはやはりどんな女性をもとりこにする魅力に満ちている。
こんな少年たちはそこらを探しても、そうそういるものではない。
当然のごとく、彼らを取り囲む少女たちは沸いた。そしていちように突撃した。
けれど、なぜか二人はそれに対し、ただ困ったように微笑むだけで、互いにどれだけ可愛らしい少女であろうと一人も受け入れようとしなかったのだった。
涙にさざめく少女たちは知らない。
二人の少年たちには、ごくごく一部の人間しか知ることのない秘密があるということを。
「ジョウイ、ここにいたんだね」
ひょこりとドアの脇から、豊かな焦げ茶色の髪を揺らし、小柄な少年が顔を出す。
「ラカ」
途端に、いつもは飄々としたポーカーフェイスしか浮かべないジョウイの相貌がみごとに甘くとろけた。この、幸せそうな淡い頬の色づきを城下の娘たちが見たら、思わず矯正を上げるだろう。けれど、ラカ、と呼ばれた少年はただ自分もにっこりと笑っただけで、なんてことないかのようにジョウイのもとへ歩み寄った。胸に分厚い書類を抱きかかえている。
特にどうということもない、ごく普通の少年だ。そこらにいくらでも転がっていそうな十人並みの顔立ち。成長途中の細い体躯。だが、くるくるとよく表情を変える明るい琥珀色の瞳は、言葉では言い表せない不思議な魅力に満ちている。ごく普通の少年にはない、たくさんのものを見て来た、その姿とはかけ離れた大人びた光。
その瞳が今は、親しげにジョウイの灰がかった青い瞳を見つめている。
ジョウイは、息をひとつしてからそっとその腕の書類を受け取った。「…例の、西の城壁の修繕の件かい?」
「うん。とりあえず見積のめどが立ったから見てもらおうと思ったんだけど…思ったよりは経費も削減できそうだよ。この時期なら、人材も兵士たちからだいぶ回せるし」
「そうか、良かった。我らがコルトメルク城は、万年金欠だものね」
「…痛いとこつくなあ」苦笑を浮かべる。ジョウイもにこりとやわらかく笑んで──やはりそこらの娘なら奇声を上げそうな類の微笑みだがラカは特に反応を示さない──ラカの肩を親しみをこめてはたいた。
「今だけさ。あと十何年か後には、押すに押されぬ大国になってみせるんだろう?」
「…もちろん」そうあることが、みんなの幸せを護ることにつながるのなら。
そう言外にふくめて微笑む、もと解放軍リーダーであり、世界一の親友であるコルトメルク城の若き城主、ラカを補佐官ジョウイはじっといとしげに見つめた。
その刹那、ドアがいっそ破壊音と銘打っても良い勢いで、どがんと実に力強く蹴り開けられたので、ジョウイはもちろん、ラカもびくりとして互いに見つめあっていた視線を外した。
そして一方は、思い切り苦虫を噛みつぶした、彼のような美しい顔の少年には似合わない…しかしなぜか、どこか、しっくりも来る…表情を浮かべ、もう一方は、ぱっと花ひらくように気色満面に叫んだ。「ヤナさん!」
「やあ、ラカ。元気だったかい?」みごとにジョウイへは目もくれず、ヤナはその凛とした顔立ちに優しく笑みを浮かべ、ラカへと軽く手を振った。そして、力の限り蹴り飛ばされて幾分金具がいかれてしまったドアを、優美にぱたんと閉めた。
「お久し振りです! いつ来られたんですか?」
「たった今だよ。突然すまないね、どうしても君に会いたくなったものだから」
「そんな! いつ来てもらっても、嬉しいです!」あらん限りにしっぽをふって、ラカはヤナへと小走りに駆け寄る。その髪をぽんぽんと撫でてやりながら、初めて、その深い闇色の瞳がジョウイを睨めつけた。口元は、微笑んでいる。が、その瞳の奥の赤い赤い輝きに、ジョウイはうっと口ごもった。けれどすぐにはっとかぶりを振り、平静を装って自分もつかつかとヤナのもとへ歩み寄った。
「こんにちは…ヤナさん。1ヶ月ぶりですね」
「おや、前に僕に会ったのがいつだったか、覚えていてくれたんだね」覚えないでか!
ジョウイは言いかけたが、賢明にも喉を出かけたところでなんとか押しとどめた。「執務室をたずねたら、シュウさんがここだと教えてくれてね。はい、おみやげ」
「えっ……、…あっ! 僕が食べたかった焼き菓子!」
「今度来るとき、買ってきてあげるよって約束したろう?」
「覚えててくれたんだ…。ありがとうございます、嬉しいです! ねえジョウイ、早速一緒に食べようよ。ちょうどおやつの時間だし、お茶の用意してさ、あっ、ナナミも呼んで来たらきっと喜ぶよ!」
「……そうだね」その「一緒に」にはやっぱり、目の前のこの人もふくまれているんだよね、ラカ?
ジョウイは心底、いっそすがるように、問い掛けたかった。
だが聞くまでもないことなので、黙って頷いた。
一ヶ月間平穏そのものだった胃が、きりきりと痛み始めている。「ナナミにならさっき会ったよ。彼女にも渡したら、暖かいうちにみんなにもわけて、それからすぐ来るって言っていたけど」
「あ、そっか。じゃあ、とりあえず3人で先に頂こうか。今、お茶の準備して来ますね!」
「おかまいなく」言いながらもヤナは笑顔のまま、悠々とソファに座りテーブルについた。ジョウイは立ち尽くしたまま、菓子を持って部屋を飛び出していったラカの足音が遠ざかるのを聞き、ただ呆然としている。ヤナはそんな彼をちらと見て、微笑む。
「君も座ったら?」
「…、…はい」どちらが部屋の主かわかったものではない。ジョウイはおずおずと、ソファの端に腰掛ける。
ヤナと、少しでも距離が空くように。
そして、沈黙が降りた。
壁の柱時計が指し示す時刻は10時15分。秒針は、いつもと変わらず職務をまっとうしているが、ジョウイにはそれがとてつもなく遅く移動しているように感じられた。1秒、2秒、…3秒。ラカがお茶を用意して戻ってくるには、どんなに早くても10分はかかる。つまりはイコール600秒、残り586秒。…21、22、23。「……羨ましいね」
「………はっ?」真剣になって秒針を追っていたので、突然声をかけられた時、思わず声が裏返ってしまった。
慌てて口元を押さえたが、もう遅い。けれど、ヤナは特に意に介した様子もなく、ただ黙ってじっとこちらを見据えた。みごとなまでの漆黒の髪がさらりと同色の瞳にかかり、その額に透けるような影を落とす。「君はラカとナナミと毎日一緒にいられて、羨ましいな、と言ったのさ」
「…………。」ゆるゆると、微笑む。きれいな顔をしている、と、ジョウイは思った。
思っただけだ。「だからさ」
「…はい」
「たまに僕が来た時くらい、ちょっとだけ貸してくれてもいいと思うんだけどな」
「…嫌です」
「…狭量だね」自分を褒め称えてやりたいと思うほど、ジョウイはめずらしくきっぱりとつっぱねた。ヤナは、おや、とばかりに軽く目を見開いて、困ったように笑った。けれど、そんな顔をされても、駄目なものは駄目だ。なぜなら、
「あなたに二人を貸したら、…どんなことをされるかわかったものじゃない」
「人聞きが悪いな……。ちょっと頭を撫でたり、抱きしめたりするくらいじゃないか。ナナミは女の子だからある程度自粛しているし、なにより本人たちも嫌がっていない訳だし、君にそこまで目くじら立てられることじゃないだろう」
「それだけじゃない! 一緒に眠ったり入浴したり、ほ、頬に、きっ……キスしたりしているでしょう!!」
「それはラカだけだよ」
「言い訳になっていません!!」むしろジョウイにとっては、相手がラカだからこそ…例えナナミだったとしても非常に複雑な心境になるだろうが…問題なのだ。この聡い少年、…否、それは見た目だけの話であってこの男の中身は既に立派な青年だ、が、気付いていない訳がない。どうしてかはわからないが、いつも冷静沈着なはずの自分がこの青年の前では酷く心を乱される。弱い、と自覚している部分も、無自覚の部分も、ビシビシと突きまくって来るやっかいなこの青年に、常日頃憎からず思っている親友兼想い人が色々とやらかされてしまう。…考えただけでも胃がねじくれそうになる。
日頃、そう声を荒げることなどそうない少年は、たったこれだけの言い合いをしただけで既に心臓を破裂しそうなほどばくばく言わせながら、(つい数ヶ月前まで、さまざまな策略をめぐらせて戦争の指揮すらとっていたというのに)それでも隙を見せるものかと背筋だけはしゃんと伸ばして、涼やかな青い目でじっとヤナを見ている。
ヤナの口元がふと持ち上がった。
面白がっているのだと気付き、ジョウイはかっと頬を染めた。
左手の、剣の紋章がぼんやりと熱を持つ。幻聴だろうか、どこからか、地鳴りが聞こえた気がした。ヤナがそっと左手で、右手の甲をさする。引き込まれるような感覚が、ジョウイの体に満ちる。「…ボディだけにしようね」
「…ええ、ラカたちが心配しますから」雷鳴が轟いた。
タイムリミットまで、残り320秒。
コルトメルク城は、今日も平和である。
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