047:ジャックナイフ
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『 わたしのお父さまは世界でいちばんすてきな男のひとです。わたしは大きくなったらお父さまのおよめさんになりたいとおもっています。でも、お父さまにはもうこんやくしゃがいるのでだめです。それに、お父さまのことがだいすきで、およめさんになりたいと思っているひとはほかにもたくさんいて、競争率がすごく高いのでむずかしいです。
お父さまのまわりにいる、お父さまのことをだいすきなひとたちはみんなとってもきれいです。
わたしも、しょうらいはアニシナみたいにきれいになれたら、どうかなあとちょっとだけ思いました。』
「…グレタ」
「ん?」
「……この、作文の、ことなんだが」グレタが顔を上げると、ただでさえ透けそうに白い顔を更に紙のように真っ白にしたヴォルフラムが、仁王立ちで彼女を見下ろしていた。手に一枚の紙きれを携えている。こちらに内容が見えるよう、文面側をぐいと突きつけてくる華奢な手をじっと見つめ、グレタはあっと声を上げた。
「だめだよヴォルフラムー! それ、明日出さなきゃならない宿題なんだから!」
「その前に僕の質問に答えてくれ。この…、……この、お嫁さん、というのは、…」
「え?」
「……一体誰のことを指しているんだ」ヴォルフラムは、ただひたすらに笑っていた。口元が始終ひくつき、眉間には深さ0.5cmはありそうな皺がぎっちりと刻まれ、鼻の穴がピクピクいっていたがそれでも、その顔は笑っていた。グレタはなぜか空恐ろしいものを感じて、小さな背中をぶるりと震わせた。
「えっと……あの、…」
「……ギュンターが含まれているのはわかっている。…まったく身分の程も弁えず、僕のものに手を出そうとはいい度胸…………とにかく、そこはいい。たくさん、の部分が知りたいんだ」
「…え、えっと…えっと」地鳴りが聞こえる。
グレタはおろおろと視線を泳がせ、眉をひそめた。
どうしてかわからないが、今ここでその質問にあっさりと答えては非常にマズい気がする。しかし答えなければそれはそれで、別な危険が降りかかりそうな気がする。困り果て、誰かいないかとそっとあたりを見回したが、残念ながらアニシナは先日研究のために自分の城へ帰ってしまったし、問題のユーリはただ今コンラッドと乗馬の訓練の真っ最中だ。
へにゃりと瞳をうるませたグレタを見た瞬間。「…グレタ」
突然、ヴォルフラムの表情が少しばかりやわらいだ。ふっと優しく微笑むと、天使もかくやというほどに美しく、慈愛に満ちた表情となる。
「僕はユーリの婚約者だ。だからこそ、彼のことを誰より知っておきたいと思う。愛する者のことを知りたいと思うのは、グレタ、お前も同じだろう?」
「……う、うん」確かにそれはそのとおりだ。グレタも、大好きなユーリのことならなんでも知りたいと思う。
「それなら教えてくれないか。大丈夫、なにか酷いことをしようというんじゃないから」
そう言いながら、グレタの視界から外れたところで彼がカチリとナイフの柄を鳴らしたことに、まだ幼いグレタは気付かなかった。少しためらったものの、もともと大好きなママがわりのヴォルフラムの言う事だ。
「…コンラッドも怪しいと思うの」
ついにぽつりと呟いた。
「だってすっごくユーリとなかよしだもん。こないだも、柱の影でね、ほっぺにちゅーってしてた」
「何!!? …そこのところもう少し詳しく!」途端に目をむいたヴォルフラムに、びくりと震える。
「え、えっと…。ユーリがね、お風呂入ってお部屋に帰る時ね、ちょうどグレタ、見かけたの。だからおやすみなさいって言おうと思ったんだけど、先にコンラッドが声をかけたの。それでほっぺたと、おでこにちゅってしてた」
「………ほう…?」ヴォルフラムの瞳の中に、確かに炎がゆらめいたと、グレタは思った。
ここ最近というもの、以前より確かに柔和になったはずの彼のコンラッドへの態度が、今夜からどう変化していくか。グレタは胸にかかえた作文を、今更ながら重く感じた。が、それも数瞬のことで、それよりも目の前で、やはり笑顔のままながらあきらかに頬の筋肉が異常に引き攣っている美少年をどうあしらうかの方が今のグレタには大問題だった。再び黙り込むと、怒れる天使はぴきぴきと固い微笑を漏らす。「それから…? たくさんというからにはまだいるのだろう。例えば…?」
「……え、ええと、ええと」
「わたしが思うにグウェンダル閣下とヨザック殿だと思われるのですけれども!」突然背後から高く響いたよく通る声に、2人は文字通り飛び上がった。
「それから双黒の大賢者様、ムラケン様も怪しいと思うのですけれどもっ!!」
「…誰だ、お前は」慌てて振り向いた先にはいつの間にか、グレタとそう変わらぬ背丈の少年が1人、にこにこと愛想を振りまきながら筆記具を片手に立っていた。くるくるとよく表情を変える瞳を覆う、小さな丸メガネを持ち上げながら、少年はにこやかに言った。
「申し遅れましたわたし眞魔国中央文学館娯楽文学部書籍課婦女子係所属の編集者フォルクローク・バドウィックと申します。あ、こう見えても成人しておりますので」
何度聞いても到底覚えられないだろう彼の役職と、成人しているという爆弾発現をみごと句読点一切なしでマシンガンで言われ、思わず目を丸くしているグレタを背後にかばいながら、グウェンダルは再びすっくと仁王立ちした。
見るからに、バドウィックは片手でひねり投げられてもおかしくない体格差だ。が、彼はひるむことなく、変わらず笑みを絶やさずに礼儀正しく会釈を返した。「お話は聞かせて頂きました。で、是非ともわたしも混ぜて頂きたいのですけれどもっ」
「…どこで聞いていたんだ」
「そこの柱の影ですけれども」
「立ち聞きしていたのか!?」
「とんでもない! ただ私は、とある方の所へ原稿を頂きに…ああいえいえ、とにかくお邪魔したところでして。そこを偶然この場に出くわし、その、出るに出られなくなっただけなんですけれども」
「……そんな話を聞いてどうするつもりだ」バドウィックのメガネの奥が、獲物を狙う獣の如くギラリと光った。
「世のご婦人方が、今、読むことの書物の少なさを知ってらっしゃいますでしょうか。わたしはいち編集者として、そのような事態を心から嘆いているのです! ですから」
「…使えそうな話題は逃さない、ということか?」
「さすがは察しが宜しい。ですがわたしもまさかタダで聞かせて頂こうとは思ってはおりません」やにわにバドウィックは、背負っていたその小柄な体には似合わない巨大な鞄を下ろし、中をごそごそ探り始めた。そしてまたさきほどの、むやみに愛想の良い笑みを顔いっぱいに広げると、ふたつの包みを取り出した。一方は大きく、もう一方はかなり小さい。不信そうに顔を見合わせる2人に、
「ユーリ陛下のお使いになった後、まだ洗っていないバスタオルとスプーンですけれども」
「で、何故兄上たちが怪しいと睨むんだ?」3人は一瞬で馴染みの友人のように顔を合わせた。言いながら、婚約者のポケットに大事に絹のハンカチにくるまれた銀のスプーンが、娘の小さな胸にバスタオルが、しっかりと抱え込まれていた。
後日しばらくの間、魔族ある意味とてもそっくり三兄弟の一番下の弟が、婚約者に近寄る男性全員を、ナイフみたいに尖っては触れる者皆傷つけたのはここに記すまでもないことだ。
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