057:熱海

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「新婚旅行は熱海にしようと思うのだが」

 真顔で言われた俺は、即座に手元のシャープペンシルで奴の眉間を狙っていた。
 もちろんそんな攻撃如き、こいつには通用しないことは分かってる。案の定即座にがっきと鷲づかまれ、恐ろしいことにそのままばきばきに割られてしまった。ああ、俺のお気に入りのシャーペン。中学の時から愛用してるやつだったのに、まさかこんな非業の死を遂げようとは。
 たった今殺されかけたにも関わらず相変わらず無表情のままの変態を、俺はきっと睨み上げた。

「なにすんだよ、これ気に入ってたのに!」
「お前が突然攻撃して来るからだ」

 論点を逸らそうとしている。そのとおりだ、それが狙いだ。でなけりゃ昼休みの教室でこんなたわ言聞いていられるか。答えは否、断じて否。ほら見ろクラスの連中だって軒並み引いて心なしか壁際に下がっちゃってるじゃん。
 それもこれもこの、『堅物』って単語から生み出されたような野郎が突然妙なことを口走ったからだ。
 俺はぶつぶつ言いながら床にちらばったシャーペンの破片をかき集めた。そんな健気な俺をいつもどおりの威圧的な視線で見下ろしつつ、

「それとも北海道にすべきだろうか」
「知らないよていうか知りたくないよ!」

 ああもう全く。俺の友愛に満ちた行動をあっさり無にしやがって!!
 俺は進の首根っこを引っ掴むとそのまま廊下へ出た。皆に薄ら笑いを浮かべつつ。大丈夫だから、そんなに真っ青になんなくていいから。ただちょっと、

「どこへ行くんだ桜庭」
「…とりあえず部室」

 ただちょっとアタマに花が咲いちゃってるだけだから。
 まったく、こいつがねえ…。俺は宣言どおり部室へと向かいながら深々と息をついた。いや、別に、いいんだよそのこと自体はさ、むしろ友として安心さえしているし、…気持ちは分からないでもないし。
 だってあの子可愛いもんなあ。それは認める、大いに認める。いつもおどおどしててなんていうか、気ィ小さそうな感じだけど時々すごくやわらかくにこって笑う顔見てると、こっちまでホワンとなってくる感じ。癒される。小動物を慈しんでるような気持ち。
 だけどさ。
 ドアを開けた。首筋を少し冷たい風が吹き抜ける。でもそれも一瞬で、入ってみればとりあえずシャツにベストでも平気なくらいの暖かさはあった。俺はドアを閉めて、一度深呼吸し、そしてゆっくりと吐き出しながら、

「……で、なに、サイパンだって?それともバリ?」
「熱海か北海道だ」

 まだ目覚めてない。

「…お前さ、……そゆこと教室でいきなり口走んなよ」
「何故だ」
「何故じゃねっつのお前はー!TPOってもんがあるだろ!大体クラスの皆はお前があの子と付き合ってんの知らないんだぞ、恋愛感情どころか喜怒哀楽も存在してるのかすら疑わしい奴が脈絡なく新婚旅行のハナシなんか持ち出してみろよ、皆引いてたろ!」
「そうなのか」
「そうだよ!…しかも何、さっきのあの会話じゃまるで俺とお前が行くみたいな口振りじゃん」
「……俺はお前と結婚するつもりはない」
「安心しろ俺も絶対に嫌だ却下だ申し訳ないけど丁重にお断り致します」

 ワンブレスで言って、なんだか疲れ果てて、俺はぐったりと手近な椅子に座り込んだ。
 ていうか結婚。…結婚て。
 俺の心境はと言えば、一言で言うと色んな意味で『わあ』という感じだ。

「…直接聞いてみりゃいいじゃんよ」
「………。」

 至極当然のことを言ったつもりだったんだが。
 進は、数秒固まった。そして俺をじっと眼光鋭く…つまりは睨みつけるように見ながら…ふ、と視線を外し、ふと息をついた。

「…なにその反応」
「…いや…」
「お前、…まさか」
「………。」
「まだ小早川君自身には何にも言ってないとか云う話?」

 進は沈黙した。
 つまりは肯定した。
 …なんで、
 ……だからなんでこいつはこう、一人で脳内補完してからじゃないと……
 色々、言いたかった。叩き付けたかった。が、結局、

「……まあ、頑張んなよ…」

 当り障りのないことだけを呟いた。

 そしてこれ以上妙なことを…具体的に言うと式はどこでにしようかだとか、新居についてのアドバイスなんかを求められないうちに…俺はポケットに手を突っ込み、携帯を取り出した。あー、メールがっちり溜まってる。とりあえず今日の仕事時間のチェックを。
 俺は至極冷静に、前を見据えていた。
 だからこの頬に流れる熱いものは涙じゃない。鼻水だ。いや目から鼻水は出ないな。じゃあ汗だ。そういうことに、

「桜庭」

 …させてくれ。
 哀願したところで、眼前に迫るごつい手の中の結婚式場パンフレットは遠ざかることはない。

 

 

 

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