059:グランドキャニオン
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「やあ、こんにちは」
その瞬間、ツナは床へと撃沈した。
学校から戻った途端目に入った映像が、母とかつての仇敵がのんびりにこにこリビングで茶ァなどしばいているものであったなら、ツナに限らず大多数の人間がそうなるだろう。ツナは跳ね起きると、蒼白になって、母と痴れ者の間に割り込んだ。きゃあ、と母が可愛らしくも平和な悲鳴をあげた。「なによーツッ君。お客さまに失礼じゃない」
「なにじゃないよむしろこっちの台詞だよ! ……なな、なんであんたがここに!」
「へえ、ボンゴレ10代目はお母様にツッ君、と呼ばれてるんですか。可愛らしいですねえ」
「でしょー? なのにこの子ったら、人前でそう呼ぶと怒るのよ、ツッ君はツッ君なのにねえ。あら、また言っちゃったわ、私ったら」
「ははは、思春期のお子さんはどこもそんなものですよ」
「そうなのかしらねー。見た目は昔とそう変わらないのに」
「悪かったないつまでたってもチビで……って今はその話はいーから!」
「変わらないんですか、昔と? それは見たかったなあ。今でもこのお姿なんですから、子どもの時はさぞ、天使の如き可愛らしさだったんでしょうね」
「そうそう、今と違って素直でね〜! 本当に可愛かったわ、懐かしいわね〜……。そうだ、良かったらアルバム出しましょうか」
「ええ、是非……」
「ひ・と・の・は・な・し・を、聞けーーー!」ばあん、とテーブルを引っぱたくと、ようやく二人がこちらを向いた。
ぜえはあ息を荒げるツナを、いかにも不思議そうに、きょとんと無垢な瞳で見つめる。「どうしたんですか、ボンゴレ10代目?」
「ツッ君のぶんのお菓子なら、心配しなくても冷蔵庫にとってあるわよ」
「違ーう! ……母さん、なんでこんなやつとお茶してんの! 知らない人を家に上げたら駄目だって、いつも言ってるだろっ!」
「だって〜てっきりツッ君のお友達なんだと思って……。それに、母さん好みの素敵な子だったんだもの〜」
「……そろそろ本気で怒るぞ……」
「まあまあボンゴレ。そう頭ごなしに叱りつけては、お母様が可哀相ですよ」
「うん、そもそもあんたのせーなんだけどね!」ツナはカッと目を見開き、ギロリと音が鳴りそうなほど強く骸を睨みつけた。
けれど骸は、青と赤とのオッドアイを秀麗に細めてみせるだけで、けろりとしたもの。母が淹れてやったらしい紅茶を薄いくちびるに流し込みながら、ふっと息をつきなどしてみせる。挙句に、そっと目頭をぬぐうふりをしながら、「悲しいな……。僕はただ、あなたに会いたくてお邪魔しただけなのに、そんなふうに言われると。確かに先日のことは、申し訳なかったと思っていますが」
こんなことまで言ってのけるのだから、タチが悪い。
途端にどこまでも気のよいツナの母は、息子そっくりにまんまるな瞳を涙にうるませて、きっとツナを睨みつけた。
世間一般の男子同様、母の涙には弱いツナの背が、ぎくり、と強張る。「酷いわよ、ツッ君! なにがあったのかは知らないけど、ケンカをいつまでも根にもつだなんて、男らしくないわ!」
「さてこの場合、どっちがほんとーに酷いのかな……」微笑みを浮かべつつも口もとが引き攣る。ダメだなあボンゴレ、これがお手本ですよと言わんばかりに、骸がにっこりと美しい微笑を浮かべる……。ツナは、ゆっくりと室内を見回した。リボーン、どこ行った、リボーン。今すぐに、オレに死ぬ気弾を撃ってくれ。明日にはふたたび地獄の全身筋肉痛、だけどそんなの構うもんか、絶対に追い出す、我が家の平穏を取り戻す。
「とにかく、ケンカしたなら、仲直りよ!」
「……はあ?」呆気にとられるツナを尻目に、母は冷蔵庫からケーキをふた切れ取り出した。加えて午後の紅茶とグラスを二つ、ツナの手の中に押し込める。
「これでも食べながらキチンとお話しなさい! 母さんは買い物に行ってくるから」
「ちょっ……母さん!」どうせ出て行くなら、ついでにコレもゴミ出しして来て!
だが叫んだときには既に、母の姿はリビングになかった。いつものんびりほわほわなくせに、こんなときだけ無駄に機敏な母。ツナの肩が、がくりと落ちる。
背後の男が、にっこりとやさしく微笑んだのが、見ずともわかった。「優しいお母様ですね」
「……何しに、来たんだよ」振り返る。相変わらずにっこりと甘い笑顔の、宿敵がいる。
「い、言っとくけど、オレだってシュギョーしてるんだ。こっ今度だって、負けたりなんか、しないぞ!」
「おや。お一人で、ですか?」
「……う、」
「見たところ、正気のようですが。トランス状態でもなしに?」
「……」
「それとも、アルコバレーノの助力なしでも、トランス出来るようになったんでしょうか。さすがはボンゴレ……随分と短い間に、素晴らしい躍進ですね! クフフ」
「……オ、マ、エ」
「はい?」
「……わか、ってて、……」
「ええ。勿論」
「性格悪いな相変わらず!」
「いやあ、お恥ずかしい」てへっ、とばかりに照れ笑い。その顔はどこまでもさわやかで、どの角度から見てみても、いっそ清廉と言えるほどに無邪気で、無害だ。ツナは背筋に盛大に悪寒を突っ走らせながら、こっそり、じりじりと後退した。全身の肌が、ぴりぴりと粟立っているのを感じる。ああ、リボーン、ホントマジでどこ行っちゃったんだリボーン、もーこうなりゃ獄寺くんでも山本でもいい、誰か来て。死ぬ気もなしでは、オレにこいつは手に余り過ぎる。憎む気持ちだけでは、どんなに強くても相手をブチのめすことは出来ないということを、生まれて初めてツナは真の意味で理解した。
「そんなに構えて頂くことはないですよ」
骸が軽快に言った。
「僕はただ、貴方のことが忘れられなくて、一目会いに来ただけですから」
「……はあ?」なに言っちゃってんだ、こいつは。
思わず、その青と赤とのオッド・アイをガン見してしまった。きらきらと底知れぬ輝きを秘めた二色の瞳が、やんわりと細まる。あからさまに見てとれるほど、やさしげに、……甘く。
ぞわああああ。
ツナの背中の毛が、いっぺんに逆立った。「どうしました? 顔色が優れないようですが」
骸が一歩近づく。ツナが一歩引く。
「……お前」
「はい?」
「なんか、なんか……、……き、きもちわるい、ぞ」
「おや、傷付きますねえ」骸が一歩近づく。ツナが三歩引く。
「でも、そんな貴方も、僕は好きですがね」
「…………へ……、……はあ!?」骸が一歩近づく。ツナはさらに五歩引こうとして、残念ながら既に壁際まで追い詰められてしまっていたことに、今さら気付いた。先ほどまでの威勢はどこへやら、目を可哀相なほどにひん剥いてぐるんぐるんにうずまきにして、あわわとあごを震わせる。それを見た骸の背中に、何故だかぞくぞくと寒気に似た電流が走った。
骸はにっこりと、微笑んだ。「ではとりあえず、互いの相互理解を深めるべく、……仲直り、といきましょうか?」
「ひっ……、えっ……、え、わ、……いやああああ!!」真昼の沢田家に、悲痛な叫びが響き渡った。
二人のあいだにある溝は、今だどこまでも、深い。
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