064:洗濯物日和
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それはくしゃりと丸まって、船の真下に小さく身を横たえていた。
キュウマはゲンジからの預りものの酒と、主君からの預りものの菓子を片腕で抱えなおしてから、それをそっとつまみ上げた。位置からして恐らく、この船の誰かの落し物なのだろうと思ったからだ。が、それがなにかは分からなかった。未だかつて一度も見たことがない、奇妙な形のものだった。
淡い黄色の布地。薄く光る細い糸で織られた、いかにも繊細そうな布地が飾り付けられ、中央部分に水色の小花がちょんとあしらわれた小さな組み紐がついている。引っ張ってみると、意外にも大きく伸びた。(……これは。何に使うものなのか…アルディラ殿が持っていた手ぬぐいともまた違う…)
ちなみに彼が言う手ぬぐいとはハンカチのことなのだが、まあそれはさておき。
なんだかわからないが形状からして恐らく女性用なのだろうことは想像がついた。そしてこの船で女性と言えばアティ、アリーゼ、ソノラの3人。例外も付け加えるなら4人である。(まあ、これをお届けする時にでも聞いてみるとしよう)
そう思いキュウマはそれを手のひらに握り込んだまま、重い荷物を手に、船へ入って行った。
「わざわざすまねえなあ。ゲンジ爺さんとミスミ様に、よろしく言っといてくれよ」
ふたつの届け物を、特に酒を喜色満面で受け取ったカイルは細身の背中をばしんと叩きながら笑って言った。キュウマは叩かれた背中がじんと痺れるのに苦笑を漏らしながら、では、と早々に立ち上がった。
「おいおいなんだよ、もう帰んのか?」
「ええ。今日はこれから、少々片付けねばならぬ責務がありまして」
「んなもんとりあえず置いといてよ、せっかくだろ、茶ぐらい飲んで行けよ。ほら、ヤードの奴だってもう奥で茶葉だかなんだか用意してるしよ」
「お気持ちは有り難いのですが…」
「それにもう少しで、先生とベルフラウも帰って来るし」言った途端。
ピクリ、とその目が小さく見開かれたのを、幸いながら、多少そういった方面鈍いところのあるカイルは気付かなかった。ただ本人ばかりが、勘繰りを入れては内心おたおたおろおろしながら、ただじっと訝しげにしきりに笑顔のカイルを見ていた。「さ、準備が整いましたよ。お菓子と一緒に、頂きましょう……、…キュウマさん?どうしました、顔が酷く赤いようですが」
やがてトレイに茶を載せて出て来たヤードがなんの気なしに言い放った言葉に、キュウマはいよいよ沸騰寸前になった。慌てて、ぶるりと頭を振って、銀の髪を揺らし熱を振り払う。カイルとヤードは互いにぽかんとして、顔を見合わせ首を傾げた。
「なんだよ、暑いのか?そんな格好してっからだよ、普段はもっと薄着すりゃいいのに」
「は、いや、…す、すみません。…では、少しだけ頂いて行きます」
「ええ、どうぞ。ちょうどこれもゲンジさんから、良い葉を頂いたのですよ」
「俺は良い葉も悪い葉も全然わかんねえから、飲ませがいがねえんだよな、ヤード?やまにはじっくり味わってくれる奴がいねえとさ」咳払いをひとつして、先ほどまでの強固な態度はどこへやら、すんなりと席についたキュウマに、元来人の良い二人の男はそれぞれそれ以上無用なつっこみはしなかった。ただ朗らかに笑いながら、ミスミの差し入れの菓子を紐解きはじめた。
すると良い匂いを嗅ぎ付けてか、ひょこり、とドアの隙間からソノラが顔を出した。「あー、いいなあ、きれーなお菓子!ねね、あたしもいっこもらっていい?」
「勿論ですとも。ソノラさんも飲みますか、お茶?」
「うん、飲む飲むー」
「では席についてお待ちください。今、用意して来ますから」そそくさとヤードはまたも、奥に引っ込んで行った。まめな方だ。茶をすすりながら、キュウマは隣りに腰掛けたソノラが笑いかけて来るのに薄く笑みを返す。
やがてことんことんことん、近付いて来る足音と、ふたつの鈴の音のような涼やかな声を聞いた。どくんどくんどくん、静かに心臓が早まって行く。ごくり、口に含んだ茶が、どこか喉に詰まる気がした。「ただいま。いい匂いですわね、私も頂ける?」
金糸の、透けるような髪に赤い帽子が見え、…その、後ろから。燃えるような赤毛と細くきれいな足が、すいとドアの影から現れる。
「ただいまー、ああ、ほんとにいい匂い。…うん?あ、キュウマさん!こんにちは」
そしてアティは、にっこりと微笑んだ。
キュウマは胸の奥がぐいと握り締められた気がした。それでも、無様なさまは見せたくないと、懸命に平静を装いながら、こんにちは、とだけ低く言った。「皆でお茶会ですか。いいですねえー」
「先生も一緒に飲もうよ!キュウマがね、ミスミ様からこんなきれーなお菓子預ってきてくれたんだよ」
「わあ、ほんと!ピンクと青が淡ーく交じり合ってて…、きれいですね。ありがとうキュウマさん。いつもほんとに、頂いてばっかりで、ごめんなさい」
「い、いえ、…ミスミ様も、楽しんで里の娘たちとこしらえているものですから」
「今度は私達もなにか作ってみましょうね、ベル?なにがいいかな」
「私、マドレーヌとクッキーなら作れるわ。ケーキは、ちょっと、苦手だけど…」楽しげにはしゃぐ。上手に出来たらお持ちしますね、にっこり、微笑む。
キュウマは彼の心の内を知らぬ者が見たなら多少妙だと思うような、困り果てたような、けれど幸せそうな、おかしな表情になってアティをじっと見た。けれどこと、アティに限ってはそんな胸の内などかけらも気付くなどということはありえないのだった。いたたまれなくなって、キュウマは一気に残りの茶を飲み干すと、急いで立ち上がった。「あれ、もう、お帰りですか?」
「え、えあ、はい。その、自分はこれから、片付けねばならぬ、責務が」
「そうですか…、じゃあ、また今度お暇な時に、ゆっくりお茶を飲みましょうね」
「はっ?…はっ、はい、承知しました。では……」額に汗をびっしょりかいて、ひたすらにこにこと笑んでいる彼女へ頭を下げて、ぎしぎしと軋むような動きで室内を出て、…行こうとして、はた、と思い当たり、懐から例の拾い物を取り出す。そして振り向き、そっと差し出した。
「? なんですか?」
「先ほどそこで拾ったのです。恐らく、どなたか…この船の女性の物ではないかとお見受けしたのですが」
「そうですかー、わざわざすみません。えーと、誰の……」そこまで言って、受け取りかけて。
アティは見事に、がきりと、硬化した。
何事かと覗き込んで来たカイルもソノラもベルフラウも、うおっと妙な声を上げて目を血走らせ、もしくはいっぺんに真っ赤になり、更にもしくは、頬を引き攣らせて思わず一歩後ずさり、キュウマの顔をまるで物の怪と出くわしたかのような目で見つめた。ヤードに至っては電池が切れたかのように笑顔のまま固まり、せっかく淹れた茶をどぼどぼと全てローブに吸い取らせている。
キュウマは「え?」と一言呟き、あからさまに狼狽した様子で、目の前で相変わらず硬化したままのアティを見た。「あ、…アティ殿?」
「…え?え、あ、…はい、あの…」名を呼ぶ。びく、と小さな肩が震えた。思わずキュウマも身を竦ませる、目が合う、見る見るうちにその顔が、耳どころか首まで真っ赤になって汗まみれになった。
ぶるぶると震える手が、そっと、そっとキュウマの手に伸び、差し出されたそれを摘み上げる。そしてそれと同時、先ほどまでとはうって変わって目にも止まらぬ速さで胸元に抱き込んで隠す。最早アティは涙目だった。きれいな青い目に今にもこぼれそうなほど涙が浮かぶ、キュウマはいよいよ恐慌状態に陥る。
カイルが、ぽつりと呟いた。「…それ、もしかしてお前の、パン」
「きゃあああ!!」がばりとアティに口を塞がれ、カイルは苦しげにもがいたが、今のアティは容赦がなかった。華奢に見えても抜剣者の力でもってぐぎぎと口を押さえつけられ、じたばたともがき仕舞いに悶絶する。けれど今のこの状況で、介抱してやろうなどという心に余裕のある者は誰一人いない。
「ア、アティ、殿、…、…」
「……きゅ…」
「は、い?」
「キュウマさんの…キュウマさんの、ばかーーーっ!!!」声高に、叫ばれ。
止める間もなく逃げ出され。
キュウマは。「!?キュ、キュウマー!」
丸太ん棒を突き倒したかのような硬化ぶりで、どたーん、派手な音を上げてその場に倒れ込んだ。
その日は雲ひとつない快晴の日、
洗濯物を片付けるには、最適の日だ。
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