079:INSOMNIA
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「ねえ、シリウス」
「んー…?」
「目の下、なんだか黒くない?」
「…ああ…」俺はハリーのきらきら光る新緑の瞳を呆然と見つめながら、そんな問い掛けにほとんど惰性で頷いた。
我ながら由々しき事態だと思う。大切な、大切な大切なハリーのことばをこの俺が適当に受け流すなんて、いつもの俺なら有り得ないことだ。ハリーもそれを察したらしく、心配そうにひそめられていた眉が、少し悲しみを帯びる。嫌だ。…けど、でも、…もう、
フォローして笑顔を取り戻させる。そんな気力すら。
俺はぐったりとテーブルに突っ伏した。「え、…シリウス?」
「……ねむい…」
「え、え、…それならベッドに行って眠った方がいいよ、ここ、寒いよ?」
「……あー…」
「シ、シリウスってば」ぺたん。
背中に、ちいさな手のひらの感触。「おわあ!!」
「うわあ!?」途端、俺は文字どおり飛び上がり、ぐわたたたたと騒々しく椅子から転げ落ちた。
「シ、シリウス!」
「いいいいっ〜〜…!」右の脛と左腕と後ろ頭をしたたかに床に打ち付けた俺は、小刻みに震えながら悶絶した。あまりの格好悪さに顔を赤らめた俺を、ハリーが慌てて覗き込む。
新緑の瞳と、やわらかそうな黒髪と、ふわりと桜色をした唇が、眼前に突き付けられた。「……………。」
「シリウス、…シ、シリウス?どうしたの、痛いの?シリウス?」唇が俺の名をつむぐ。
頬はみるみるうちに赤く、赤く……「……ハ…」
「っ僕、薬箱とってくるね!」俺が腕を伸ばし、その細い腰に回そうとした瞬間、
ハリーはすっくと立ち上がり、大慌てで部屋を飛び出して行ってしまった。
ぱたた、
床に散った彼の足音を呆然と見つめ。
数秒、沈黙。
その後、…ばたりと床に倒れ込んだ。「……あっ…危なかった…」
ぶるぶると震える手のひらをぎりりとつねり上げてやりながら、ぜえはあ、息を荒げる。
反則だいきなりあんな目の前に来るなんて、…いや、ていうか触るとかナシだってただでさえ寝不足で理性なんてちょっとの刺激でブチ切れそうだってのに!!
…ああ。「つかれる…」
ぐったりと床に死人さながら転がっていると、半泣きの悲鳴が家中に響き渡った。
別に、今更。という気持ちと、
馬鹿言うな、この子が一体いくつだと思ってるんだ。という気持ちと。
いやそれ以前にあくまで俺は彼の保護者で、そんなこと、ジェームズとリリーがどれだけ悲しむか、怒り狂うか。…見当もつかない。罪に罪を重ねてどうする、…いや、でも、ハリーが可愛い、心底、という気持ちにも嘘を吐けず。俺は、
…毎朝毎晩そんなことばかり考えているせいで、
ちっとも眠れず。すっかり寝不足となってしまっている。「シリウスが貧血なんて、なんだか似合わないね。…風邪かな…」
くすりと笑って、けれどすぐに、表情を曇らせて。
いいと言うのに無理矢理に俺をベッドに寝かせ、必死に看病してくれるいたいけな子。
…こんな良い子に。俺という奴は、俺という奴は、なんて下衆な欲を……、
…わかってはいる、けれど。
それでもこの腕に触れる手は優しく、やわらかく、
俺はまたも咄嗟に逃げ出そうとする体を押し留めるのに必死だった。「大丈夫?なにか欲しいものある?」
じっと見つめられ問われて、瞬時に『君』とか口走りそうになり俺はこっそり布団の中で、太股を思い切りつねり上げた。
「いっ!…いや、何もないよ、だ、大丈夫」
視線を逸らそうにも目が言うことを聞かない。
せめてもせいぜいゆったりとした表情を顔に貼り付けながら、俺はさり気なく息を深く吸い足りなくなって来た酸素をじりじりと補給した。「そう。じゃあ、なにかあったらすぐ呼んでね」
言いながらすっと立ち上がるハリーに、俺は胸の奥が少し痛むのを感じた。
…小さな子供じゃあるまいし、…おいて行かれて寂しいだなんて、………重症だ。
俺は目を閉じ、なんだか隠すのも面倒になって来て素直にため息を漏らした。
ああ、でも、いい加減これを機会に眠らなくては。
食べられないより眠れない方が格段、ダメージを受けることはアズカバンに居た時に重々身に染み教えられている。…そうだ、あの頃のことを思い返せばこの程度の苦難が何だ。要は彼がまだほんの少年なのがいけない、…いや、もちろん男の子だとか親友の息子だとか他にも問題はあるが一番はそこだ。もう少し、もう数年待てば良いだけの話だ、彼も俺のことを好いていてくれることだし、…けれど彼が心変わりしないともいえないだろう。ましてこの年頃の心などうつろい易いものだ。…ハリーを信じないのか?いやそうじゃない、そうじゃないけれど、……ああだから考えるなと言っているだろうが!「…シリウス」
名を呼ばれ、
驚いて俺はハッと瞳を見開いた。と、
その、瞬間、
「…へへ」
「…………。」白い頬を染めて、照れて少し笑う。
そんな彼を見上げながら、俺は、
「じゃ、じゃあ、おやすみ!晩御飯は僕が作るから、心配しないで寝てて!」
くるり、踵を返し風のように走り去る。
それでもひかえめにパタンと閉じられたドアの向こうで、かすかに彼が息をついたのを耳にし、
…今だやわらかな感触の残る、唇を。
俺は手のひらでそっと覆い、「〜…ぐああ〜〜〜…」
また…眠れなくなるじゃないか!
ベッドの上、1人、悶絶した。
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