081:ハイヒール
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俺には好きな人がいる。
いやもうほんとマジで好き、好き、本当に好き、なんかもう好きとかそーいう問題じゃなくて、そいつがいないと俺が生きてる価値もないとか思い詰めたりしちまうような、ちょっと、やばいくらいの。愛とか恋とかいろんな言葉があるけれど、俺のこの感情がどのカテゴリに属するのか、正直なところ俺自身、よく理解していなかったりする。でも、あいつ見てるとキスとか抱擁とか、まあ、それ以外にもいろいろしたくなっちまうときが結構頻繁にあるから、一応そういう系統の範疇に含んでいいもんなのかね。ま、とにかく好きってことだから、なんでもいいんだが。
でも、この感情を素直に相手にぶつけるには……、うん、その、ちょっと、問題があるんだよな。
「ガイ」
呼びかけられて、俺は振り返った。真新しい寝巻きと水差しを持ったティアが、薄く微笑みながら立っていた。華奢な足首をひねって、こちらにそっと歩み寄る。ヒールが床にぶつかり、かつん、と小気味良い音をたてた。
こんなに細い棒のひっついた靴を履きながらも彼女はよろけたり、ましてや転んだりなんかしない。涼しい顔をして、するすると滑るように、そりゃもう可憐に歩いてみせる。やっぱり女性というのは凄い。それだけのことでも、尊敬に値するなと思う。
俺は微笑み返しながら、先に立って歩き始めた。「お疲れ様、ティア。様子はどうだ?」
「ええ、お疲れ様。……少しは良いみたいだけど、まだ熱は高いわね。さっきようやく眠ったところ。薬は? あった?」
「ああ。でも、やっぱりここじゃあ材料不足みたいでね。屋敷で常備されてたような上等のは手に入らなかったけど、熱さまし、頭痛薬、胃薬……このへんは調合して貰えたよ」
「のどの薬は?」
「あいにく、うがい薬くらいしかなかったんでね。代わりに、飴を少し」
「そう……」
「咳、酷いのか?」
「今朝より酷くなっているわね。ときどき、血の混じった痰を出すの。のどが切れてるみたい」
「……ジェイドは? もう出発したのか」
「ええ。ついさっき」
「上手く医者が来てくれるといいんだけどな」
「シェリダンはバチカルに次いで、医療の進んだ町だもの。大丈夫よ。シュウさんに鳩も飛ばしてあるし。きっと良いお医者さまを都合してくれるわ」
「ああ」
「私、なにか消化の良いものを作ってくるから」真新しいパジャマと水差しが、薬入りの紙袋を持った俺の腕に、そっと差し出される。
「ガイ、代わりに見ていてくれないかしら。目を覚ましたら、着替えさせてあげて欲しいの。汗が酷くて……」
「分かった、頼むよ。でも、今は眠ってるんだろう? 急がなくて良いから、……ティア、君も少し休みなよ」
「え?」
「あまり眠ってないだろ?」口もとに、苦笑が浮かんだ。出来るだけ軽く言ったつもりだったんだけど、ただでさえ抜けるように白いティアの頬、昨夜からほとんど寝ずにナタリアと入れ代わり立ち代わり、治癒術をかけ続けたせいでさらに青白くなっていた顔が、かっと真っ赤になった。ぱちぱちと目をしばたいて、意味なくスカートのしわをぱしぱし叩いて、伸ばす。俺はまた、心底から感心した。嫌味のない、素直な可愛らしさ。女性はいつだって可愛い。慌てて強がって、紅を引いているわけでもないのに艶めいて輝いている唇を、きゅっと引き結ぶ。
「だ、大丈夫よ。平気だわ」
「心配なのは分かるけどさ。無理をして君まで倒れたら、あとでそれこそあいつ、めちゃくちゃに落ち込むと思うよ」
「……」
「それに、俺も心配だ」言って、出来るだけ優しく笑ってみせた。先ほどのティアの話にちょっとばかり動揺しちまってたから、上手く出来たかどうか心配だったけど、どうやらなんとか成功したようだ。ティアの目がぱちりとまばたきをして、そのあとふっとやさしく細まったので、そうと分かり、安心して俺はちょっと息をついた。
「ありがとう、ガイ。……じゃあ、少しだけ」
「ああ。ゆっくり休みなよ」ティアは頷いてきびすを返すと、かつかつと靴を鳴らし、そのまま廊下の向こうへ消えて行った。さらさらと波打つ髪が、窓からの光を跳ね返している。
「……さて、と」
やれやれと肩を落とし、俺もきびすを返した。
ウチの困った問題児の元へ。
申し訳程度にノックをして、鍵の開いたままの部屋に、俺は体を滑り込ませた。換気のためだろう、ほんのすこし開かれた窓の隙間から入り込む秋の風が、元は純白だったと思われる古びて黄ばんだカーテンの端っこを、ひらひらとかすかにはためかせている。
その向こう側で、問題児は眠っていた。
真っ赤な顔をして、額に濡れタオルを乗せて、汗びっしょりのほっぺたを、ちらちら白く光らせて。
薬と水差しをサイドボードへ。着替えを隣の──つまり、相部屋の、俺の──ベッドに置いて、俺はひょいとその顔を覗き込んだ。
ふうふうと、息が荒い。わざわざ測ってみなくとも、高熱であることはあきらかだ。側に、温くなった水の入ったタライが置いてある。俺はタライを手に持つと、中の水を窓から外に捨てて、水差しから新しい水を移し、タオルを絞りなおした。
濡れた前髪を掻きわけて、そっと包み込むように置いてやる。
ほう、とため息が漏れて、盛大に寄せられていた眉間のしわが、するりとほどけた。「……だから、腹出して寝るのは止めろって言ったのにな」
ため息と一緒に、苦笑が漏れる。
「……んぐ」
すると、それに呼応するようにして、問題児がやたら重そうなまぶたを、どんよりと持ち上げた。
「悪い。起こしちまったか?」
「……。…………が、い」慌てて言う俺に、物凄く舌ったらずな、カタコトな声がぽとりとぶつかった。熱で赤く染まって潤んだ目が、ぱち、ぱちと二度まばたきを繰り返す。
「ティア、……は」
「大丈夫。今は休んでるよ」
「……そ、か」はふう……、と、大きくため息。
「ルーク」
俺は問題児の名を呼んだ。
「少し、起きられるか? 汗が酷いんだろ。着替えて、ベッドも俺の方へ移れよ」
「……」
「ルーク?」
「…………うぁ?」ダメだ。聞こえてない。
やれやれと、ため息。しょうがねえなあもう、と腕を伸ばし、ゆっくりとその体を抱き起こす。ティアの言うとおり、その背中はじっとりと汗に濡れている。下手をすると寄り固まって非常にやりにくい状態ながら、力の抜けた腕を引っ張り背中を回し、俺は濡れた寝巻を脱がしにかかる。「ガイ、……いてぇ……」
熱で、あちこちが痛むんだろう。ルークが顔をしかめて、俺の腕をなんとか押しやろうと、よたよたと頼りない手つきで「やめろ」というような動きを見せる。だが、このまま濡れた寝巻きのまま湿った布団に放り込んでおいては、治るものも治らない。問答無用にひっぺがしながら、俺はかぶりを振った。
「少し、我慢な」
「……」
「ルーク?」
「…………ねむ……」ふらり、と真っ赤な頭が揺れて、よれれ、と俺の肩へとのしかかる。
視線が滑る。
焔のような髪が、窓からの陽光に透けている。
無防備にさらけ出された肩口に、汗のつぶが光っている。
俺はその汗を舐めてみたくなった。
でも、我慢した。「ほら。おしまい」
善良な友人そのものの顔で着替えさせて、抱き上げて、仕上げに俺のベッドまで引越させる。ひと晩振りのさらりとしたシーツの感触が、気持ち良いんだろう。また、はふう、と大きくため息。
「……あ、」
「ん?」
「あ……、がと、……ガイ」
「どういたしまして」ああ、喜んで貰えて光栄ですとも。
見た目ばかり大きくなっても、やっぱり中身は本来の歳相応に、『ちいさなこども』のままである、この問題児。今度は旅の道中、エンゲーブで野菜採りを面白がって手伝って、はしゃぎ回った挙句の急な発熱、加えて風邪っぴきというわけだ。先を急ぐ旅だってのに、ジェイドの旦那じゃないが、嫌味のひとつも言ってやりたくなるのが人情ってもんだろう。……ま、元はといえば「たまには少しくらい休養してもいいんじゃないか」と言い出した、俺に責があるのかもしれないが。
でも、誰もこいつを責めない。
仕方がない、大丈夫か、いいから休め、そんなことばかり言って、動けなくなったこいつのために、世に名を轟かせる悪夢の死霊使いに、一国の姫君、導師守護役がわざわざ医者を呼びに飛んで行く。文字通り、アルビオールで空まで飛んで。「……大きくなったもんだよな」
ぽつりと呟く。ほとんど眠りに落ちかけていた目が、うっすらとひらいて、首をかしげる。
「……なに?」
「なんでもないよ」俺は笑って、首を振る。
俺は彼女のように、高く優雅なかかとの靴を履きこなせる、華奢な足首は持っていない。
そしてもちろん、こいつも。「おやすみ、ルーク」
でも、とにかく好きってことなんだから、なんでも、どうでも、いいんだけど。
お前もそう思ってくれるんなら俺は、心から、すごく、幸せ、なんだけどな。
まあとにかく今は、なにより健康第一。早く元気になってくれよ、ゴシュジン様。
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