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からりと晴れた空をふたつに切り裂くように、雀が二羽、ぴいぴいとじゃれ合いながら飛んでいった。それを遠くに眺めながら、二本の箸のあいだですっかり白く練りあげられた水あめの端っこをぺろり、ぺろりと舐めあげて、綱吉は縁側に深く腰かけ直した。
本当に気持ちのいい日だ。うらうらと差し込む日差しに着物のひざを暖めながら、とろんとしてきた目をまばたく。少し、昼寝しちゃおうかなあ。綱吉はさらに深く縁側に乗り上げ、深く、長い息をつく。母親がいれば、夜、眠れなくなるからおよしなさいといさめたことだろう。だが母は今、機折りのため近所の女房たちと機折り小屋に出ている。父と祖父は薪集めに村のそばの林に入って行った。
一人息子として、綱吉も手伝わなければならないのだが、朝一番からの畑仕事ですっかり疲れ果て、おまけに雑草を抜こうとしたときに勢いあまって尻餅をついて、そのはずみに手首を軽く捻挫してしまったので、家で休んでいて良い、と皆に言い渡されてしまったのだ。
村のほかの同じ年頃の少年たちならば、そんな情けないことになれば意地でも大丈夫だと突っぱねるのかもしれない。けれど、綱吉はそうしない。川魚を獲るでも水を汲むでも、仕事は疲れるし、面倒くさい。それをやらずに済むのなら、ちょっとくらい馬鹿にされる程度のこと、どうということはない。
もともと、綱吉は同じ年頃の子らのなかでは身体も小さく、石投げも木登りも、読み書きもなにもかも一切合切が苦手な子どもだった。岩飛びなど、足をすべらせたらと思うと恐ろしくてできない。いつまでたっても、草笛のひとつもうまく作れない。
今年、数えで十五になるともなれば、当然のように大人の男たちに混じって狩りもやらなければならないが、綱吉のつくる罠に、獲物がかかったことはない。弓矢で射抜くのも下手くそだし、そもそも血を見るのが恐ろしくて、いまだにまともに鳥一羽さばくことすらできないのだ。
そんな弱虫で不器用なところを笑われることなど、とっくに慣れっこだ。それなら、こうして水あめを舐めて日向ぼっこしているほうが、どれだけ気楽で、幸せなことか。
残りの水あめを舐め終えて、綱吉はころりと縁側に転がった。やっぱりこのまま、夕方まで寝てしまおう……。
箸をほうり出し、ゆっくりと目をつむる。なにをやっても苦手ばかりの綱吉だが、早寝だけは得意だ。ほんの数秒あとには、クークーと寝息をたててぐっすり眠り込んでいた。
だから、床板に裸足の足をてちてちと鳴らして少年が一人近づいてきたことになど、まったく気づいていなかった。
少年は眠れる綱吉の顔をじっと見つめたあと、不意に片方の足を振り上げ、ぐいとその胸を踏みつけた。「ぐえっ!」
「何やってんだ、ダメツナ」苦しさに潰れた声をあげる綱吉を、少年の鋭く割った黒曜石のような目が、観察するようにまじまじと眺める。そのあいだも、つるりとしたかかとはぐりぐりと綱吉の胸を踏みつける。
「村人総出で働きに出てる、こんな真っ昼間っから縁側で昼寝とはいーご身分じゃねーか」
「いいからとにかく足をどけろよ! い、いででででで!」
「……やれやれ」少年がひょい、と足をどける。大きく咳き込みながら、綱吉は苦しさに涙のにじんだ目で、襲撃者の姿を睨みつけた。
その中身はともかく、見目だけは、いつ見てもきれいな少年である。歳のころは一〇歳ほど、賢そうに尖った鼻先と、ふっくらとした頬っぺた、それにつぶらな瞳が印象的だが、その色は前述のとおり、澄みすぎていて鋭い。
少年の小さな口が、呆れたようにふっと息を吐く。「まったく、こんな餓鬼が次の村長候補とは、村の存亡が危ぶまれるな。家光と奈々ママンは、今からでももう一人、やや子を作りなおしたほうがいいんじゃねーのか」
「リボーン……おまえなあ!」
「なんだ。何か言い訳でもあるのか?」あまりといえばあまりな物言いに、綱吉は食って掛かりかけたが、結局なにも言えずに悔しさに顔を歪めただけに終わった。確かに、たかが軽い捻挫ごときで皆の好意……というよりは、諦めの言葉にこれ幸いと乗っかって、さぼっていたのは確かなのだ。
少年──リボーンは、黙り込む綱吉をちらと見て、きびすを返し、縁側をひょいと飛び降りて脱ぎ捨ててあった草履を足先に引っ掛けた。もう一度振り向き、ふところからなにか橙色のかたまりを取り出して、綱吉へ投げて寄越す。
受けとってみると、ビワの実だった。つるりとすべらかな感触を指の腹で確かめながら、綱吉は訝しげにリボーンを見つめ返した。この餓鬼……いや、天上天下唯我独尊な気質のオコサマが、間違っても、たとえばお見舞いなどといった甘っちょろい理由でこんなものを寄越すはずがない。「奈々ママンに頼まれたんだぞ。かごに入れて、玄関に置いてある」
「はあ?」
「捻挫したのは手首で、両足は立派なモンなんだろーが」まるで幼子にでもそうするようにゆっくりと一語一語つむがれる言葉は、いっそ優しげにすら聞こえた。思わず背すじをおののかせる綱吉ににっこりと微笑みを贈り、リボーンは続けた。
「寝惚けて、ゆうべの月のかたちも忘れたか? いつものお役目だ。地獄寺に、お供えを置きに行って来い」
からりと晴れた空には雲ひとつなく、それゆえに、木々の合間を縫って照りつけてくる陽光は容赦のないものだった。縁側で水あめを舐めていたときには心地良かったはずのそれだが、こうして山道をゆく火照った身体には、やたらと強く感じられる。鼻の先をじりじりと焼かれながら、堪らずに綱吉は道ばたの木蔭に逃げ込んだ。息をつきながら手のひらで額の汗をぬぐう。そうすると、手のひらにしずくが移ってくるほどにびっしょりと濡れていた。手近な幹にもたれかけた着物の背が、汗を吸ってじっとりと貼りつくのが気持ち悪い。
目的地である地獄寺までは、そう遠くはないが道がけわしい。村のはずれの石段を登りきり、そこから伸びる街道を西へ進んだら、途中に積まれた三段石を目印に山道に入ってゆく。沢田村の村人しか知らぬこの道はそこからが大変で、急な傾斜の坂道を渡してある荒縄を頼りに登ったり、よそ者が見ればただの獣道としか思えないような道をひたすらたどってゆかなければならない。
時だけをいえばほんの半刻ばかりで着ける場所でも、その道のりが道のりだけに、こうしてすっかり疲れ果ててしまうのだ。「あ、あいつ……帰ったら、見てろよ……!」
疲れた腕にずしりと重いビワのかごをしげみのなかに置き、ぜえ、と肩をいからせながら、綱吉は吐き捨てた。
だが実際のところ、人知れずそんな憎まれ口を叩いたところで、彼になにができるわけでもない。口喧嘩でも腕っぷしでも、綱吉がリボーンに勝てたことは一度もないのだ。年齢だけをいえば綱吉のほうが年かさなのだが、リボーンはそれを理由に彼を敬おうだとか労わろうだとかいういう気持ちは、まったく持ち合わせていないらしい。
けん、と咳をひとつして、綱吉はやれやれと立ちあがった。すっかりのどが乾いてしまった。先を行く前に、あそこに寄っていこう……。
ふらふらと、綱吉は道を横に逸れた。いくらも進まないうちに、水が流れては落ちる清い音が聞こえてきた。
あたりの空気が、わずかに湿り気を帯びる。だが、べたべたと肌にまとわりつくような不快なものではない。冷えた風の流れが、頬の上をやさしく撫で、浮かんだ汗をさらってゆく。
そこはこぢんまりとした、泉となっていた。
ぐるりを囲む岩壁のそこらじゅうから涌き出た清水が、そこここにある大小のくぼみにささやかな溜まりをつくり、それらが寄り集まってさらに大きな泉となり、傾斜の部分から何本もの小川となって山肌を渡ってゆく。ぽかりと開いたその場所は、まるで生い茂る木々たちが、さあどうぞ、ここで休んでゆきなさいと、場所をあけてくれたようにも見えた。
今日のような真夏の日中でも、ここの水はいつだってきんと冷えて甘く、通りがかる人や獣ののどをうるおしてくれる。そうだ、お供えだってどうせならきちんと冷えていたほうが、きっと喜ばれるはずさ。溜まりのひとつにビワのかごを浸けて、誰へともなく言い訳しながら綱吉は岩のひとつに腰を下ろした。
折り重なるようにして伸びた木の枝のおかげで、太陽の光もこの水場までは届かない。吹きつける風に前髪をそよがせ、綱吉はやれやれと息をついた。
そのとき、ひゅう、と袂をなにかがすり抜けた。綱吉は疲れに濁っていた目をあけて、驚いて袂を見下ろした。
指先でそっと触れてみると、右の片方だけ、氷でも当てたようにひやりと冷えてしまっている。
どうして、なぜと理解するよりも早く、とぽん、と背後で音がした。
水音だ。川へ向かって皆で石投げをしたときのような、あの。
はっとして振り向くと、そこには一人の童がいた。
綱吉は息を飲んだ。
その童が、生まれてこのかたまるで見たこともないような相貌をしていたからだ。
歳のころは、やっと七つを数えたころだろうか。剥いたばかりの卵のようにすべらかな肌。頬はふっくらとして、まだまだ子どもらしい曲線を描いてはいるが、目元はきりりとして、どこか大人びている。その上、肩ほどまで伸ばされた髪は、(……ぎんの、髪)
打って磨き上げたばかりの刃よりもきんと鋭い、見事な鋼の色をしていた。
それだけではない。聡そうなその目の玉を染める色は、萌出たばかりの緑にそっくりだった。
そしてそれらは、見慣れぬものであっても……掛け値なしに、とても美しかった。
思わず綱吉は呆けたようになって、突然現われたその童を見つめた。
水遊びをしているふうには見えない。驚いて凝視してくる綱吉にもかまわず、ただじっと、濡れ鼠となった身体を流れる水のなかに座り込ませたまま、こぽこぽと涌き出ては流れる水先を見つめている。この泉は流れも速くなく、深くもないので溺れる心配はないが、それゆえに、固い岩肌がでこぼこと露出している部分がたくさんある。転げて打ったりしたら、ましてやまだやわい子どもの肌だ、どんな怪我をするかわかったものではない。童は、その相貌とは裏腹にすそがすっかり擦り切れたぼろを身にまとっていて、そこから飛び出す白い手足は剥き出しのままだった。
妙に乾くのどにぐびりと唾を飲んで、綱吉はおそるおそる、呟くように話しかけてみた。「きみ、何してるの? 寒くないの。風邪をひくよ」
「……」
「あの、足下も、苔で滑るし」
「……」
「……ええと」童の口元はきゅっと結ばれたまま。長い睫毛の先すら、ぴくりとも震えない。
見かけない顔だ。綱吉の暮らす沢田村に、こんな変わった毛色の童はいない。このあたりのことは、村のみんなしか知らないはずなのに、どこから迷い込んできたのだろう。それに、迷い子にしては、どうも様子のおかしな子だ……。
と、視界の端に、あざやかな橙色がふと横に流れたのがちらと映った。「あ!」
ビワのかごが、あふれる水に下流へと押し流されて行きかけている。
「あ、あ、やばい!」
あわてて飛び出しても、もう遅い。ぐらりとかしいだかごから、ひとつ、またひとつとビワの実は飛び出し、岩肌を滑り落ちてゆく。……ああ、大変だ、リボーンに殺される! 泉に膝を突っ込み、流れるビワを腕で受けとめながら叫んだとき、ぱしり、と小さな手のひらがかごの持ち手をつかまえた。
驚いたような顔をした童が、つい、と水からかごを引き上げる。「あ、ありがと……」
ばしゃばしゃと水を蹴って近づき、受け取りながら、綱吉は童の顔を真正面から見据えることとなった。
射るような視線だ。礼を言う綱吉に、なにを答えるでもない。まばたきもせずに、ただ、じっと一心にこちらを見つめている。綱吉の目玉を通し、頭の裏側や胸の底、心のなかまで見透かそうとしているようだ。
すねと腕とを洗う水の流れが、いつもよりずっと冷たい。痺れて、刺すようだ。どうしてだろう。日差しはこんなにも明るく、綱吉たちを照らしているのに。
「ええと」いくつかは取り逃がしてしまったものの、つかまえた残りのビワの実をかごに戻して、綱吉はてっぺんにちょこんと乗っかっているそれを手にとり、童へとそっと差し出してみた。「良く冷えてるよ。はい」
くるりと童の目が見開かれる。
そうするとなんてことはない、見た目は多少変わっていても、ごく普通の、村の子どもらとなんら変わりないただの幼子に見えて、綱吉はようやく、ちらと童に微笑みかけてやることができた。なんだ、ちょっと毛色は変わってるけど、無邪気で素直そうな子じゃないか……。「つかまえてくれた、お礼だよ。流しちゃったらおれ、リボーンや母さんに大目玉食らうとこだったんだ」
「……」
「ビワの実は嫌い?」すこし考えるような間があいたあと、童は小さく首を振った。
そろり、ともみじの葉のような手が伸ばされ、綱吉の手からビワを受け取る。したたる水が、つるりとした彼のひじの先まで伝い落ち、細い川すじを引いた。「……きみは、この近くの村の子? 迷い子にでもなったの?」
またすこし間があいて、小さな頭が左右に振られる。
もしかして、口がきけないのだろうか。「じゃあ、帰り道はわかるんだな?」重ねて問いかけると、今度は迷いなくこくんとうなずきが返った。こちらの言うことは、間違いなく伝わってはいるらしい。「それなら、いいけど」
水の流れから上がりながら、綱吉は釈然としないながらもうなずいた。こんな小さな童が、こんな山奥にまで一体どうやって来たというのだろう? ヒトの領域であるとわかっているから、お寺への道なりにはめったに顔を出してこないが、山には獣も出る。よしんば狩りか山菜採りにでも来て迷ったのだとしても、両親なり兄弟なり、大人の保護者が一緒にいるはずだ。
だが、本人が迷い子などではないと言う。
ならば事実がどうあれ、そんなことは綱吉には関係のないことだ。
関わるべきでは、ないことだ。「あ、あの、」やけに息苦しいような感覚に襲われて、綱吉はあえぐように言った。
「おれはおつかいがあるから、もう行くね。きみも、気をつけて帰りなよ。じゃあね」
なにをあわてる必要がある。日はまだ高く、そこにいるのは幼き童子。しかし綱吉は、濡れた足をぬぐうのもそこそこに、急くようにして泉を後にした。両の手のひらでビワを包み込み、じっとこちらを見るその目が、自分の背を追ってくるのがわかる。逃げるようにして立ち去ってゆく、この背中を。
不意に、背すじがぞくりと震えた。
触れてみると、汗のせいか、跳ねたしずくのせいか──先ほどの袂と同じように、着物の背が氷のように冷え切って、まるですがりつきでもするように、綱吉の背にぴたりと貼りついているのだった。
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奇妙な縁がゆくさきは。ひゅうるりひゅるり、つづきます
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