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◎ 序・ハヤとツー

 

「十代目、よくお似合いです!」

 輝くような笑顔、手放しの賛辞。
 そんな歓びの声を頭から浴びせかけられながら、けれど子どもはにこりともせず、ぶすくれた顔で真新しい制服のそでをごしごしとのりの利いたズボンにこすりつけた。黄色い通園カバンにくくりつけられた星形の名札が、あるじの不機嫌さとは裏腹に、揺すぶられてひらひらと無邪気に揺らめいている。

「……気に入りませんか?」

 頭のてっぺんまで歓び満載で浮かれていた少年が、ふくれた子どものほおに気づいて、そっと顔をのぞきこんでくる。心配そうにゆがめられた、灰と緑とを混ぜ合わせたような色あいのぴかぴかきれいな目に見つめられて、ふて腐れていた小さな顔が、ふにゃふにゃともろく崩れた。
 かちゃん。通園カバンの金具を鳴らして、子どもはぴょこんと飛び上がり、しゃがむ少年の首にしがみついた。中学も二年に進級したばかり、けれど子どもよりずっと大きな少年の体は、突然のそんな行動にもびくともしない。ただ、すこし驚いて「わっ」と言って、あわてて抱きとめ、ぎゅうぎゅうからみついて離れない細っこく頼りない体を、なだめるように撫ぜるだけ。

「こんなのきらい」

 むすっとして、子どもは言った。

「そ、そうっすか……。まだ、着慣れてませんからね。すぐに慣れますよ」

 懸命に答える少年のあごの下、小さなつんつん頭が、ぶるぶると振られる。ちくちく、さわさわ、くすぐったい。首、胸、いろいろなところがむず痒くて、少年はさらに困り顔。

「やだ。ツー、これ、いらない」
「でもそれじゃあ、入園式に行けねーっすよ?」

 顔を上げ、壁にかけられたカレンダーを見る。二匹のクマが仲良く花輪を編むイラストが印刷されたカレンダー、あさっての日付けには赤の油性ペンで大きく花マルが書き込まれている。書き込んだのは、少年だ。待ちに待った十代目の、入園式の日。これでツーもおにいちゃんなんだよ。昨日までは、そう得意げに笑っていたのに。

「いけなくってもいいんだもん」
「どうしたんすか。ずっと楽しみにしていたじゃないですか」
「やだ、やだ」
「幼稚園に行って、たくさん友達をつくるんでしょう?」
「いらないの! ツー、ようちえん、いかない!」

 ぶるぶる振るわれるつんつん頭。少年はいよいよ困り果ててしまって、みずからを『ツー』と呼ぶ子どもを膝の上に抱き上げると、小さな赤子にするようにやさしく揺すった。
 ただでさえ子どもに甘いこの世話係の少年は、こうして彼に抱きつかれ愚図られたり、ねだられたりすることにめっぽう弱いのだ。

「どうして、行きたくないんですか?」
「……」
「十代目?」

 そっと体を離してのぞきこめば、ゆるゆるとまばたきをして、むっとくちびるを突き出した、幼い顔がそこにある。

「だって……、いないもん」
「え?」
「ようちえん、ハヤといっしょがいい。ハヤ、いないの、ようちえん、やだ!」

 『ハヤ』と呼ばれた少年はようやくのこと、ツーがなにを言いたいのか、そのすべてを飲み込んだ。
 飲み込んだすべてはあまりに大きすぎて、ハヤの、つい二年前まで声変わりも済ませていなかったのどにつかえて、返す言葉をみっともなく詰まらせた。けれど幼いツーは、それを笑いはしない。同じように悲しそうに、さみしそうに、もみじの手のひらで少年のシャツをくしゃくしゃ握りしめるだけ。
 今までだって、四六時中一緒にいたわけではない。中学生であるハヤは、本人の意向がどうあれ学校に行かねばならなかったし、そのあいだ、ツーは家で留守番をしていなければならなかった。だが、帰ってくればふたりは飽くまで側にいられたし、そこに他者からの邪魔が入る余地はなかった。
 それが今度は、ツーも出てゆかねばならない。ハヤとそのほかのやさしいひとびとのつくる、この小さな箱庭から。
 正直なところを言えばハヤだって、ツーとずっと一緒がいい。四年前、ツーがこの世に生まれ出で、多忙を極める彼のご両親と、九代目直々に世話係という大任を任されて以来、親より一緒にいた二人なのだ。たとえ数時間のことであってもその完全なる別離のつらさは、想像を超えるものがあった。こうして眺める凛々しい制服姿にも、歓びと同時にどうしても涙を禁じえない。
 けれど。ハヤはじっと、考える。
 将来立派な十代目となるために、このひとは世に出なくてはならない。ずっとずっとふたりきり、大好きなツーと箱庭のような世界で暮らす。願ってもないことだったが、けれど、そんなわけにはいくはずもない。ハヤと違って、このひとには使命があるのだから。途方もなく大きな、大事な使命が……。

「十代目。我が侭を言っちゃあいけません」

 ハヤはきっぱりと言った。

「大丈夫ですよ。あの幼稚園にゃ、なかなかいい保母が揃ってるらしいってのは、オレも調査した上でのお墨付きです。なにも心配することはありません。きっと、楽しいですよ。それにお帰りになるときには、必ずお迎えにあがりますから」

 下校時間や昼休みを利用すれば、不可能な話ではない。いざとなれば授業をサボってでも、ハヤは実行するつもりだった。学校なんぞより、そちらのほうがよっぽど大事なことである、とハヤは頭から信じている。

「ね、オレも、我慢しますから」
「……うう」

 小さなツーは、ハヤの強い口調に驚きはしたものの、まだ納得はしない。けれど、大好きなハヤが困った、苦しそうな顔をしているのは、ちょっといや。
 だからおずおずと、たずねてみる。

「ツー……ようちえんいったら、ハヤ、うれしい?」
「嬉しいっすよ」

 もちろん嘘だ。
 けれどもツーのための嘘なので、ハヤはあえて、笑って吐いた。

「でも、ツー、ハヤといっしょが、いい……」

 それでもツーは頑張った。腕をめいっぱい伸ばし、ハヤの首をさらにぎゅうぎゅうやって、肩口で髪をくしゃくしゃにする。ぎゅっとくちびるを引き結び、どれだけ自分が本気なのか、どれだけハヤが大事なのか、伝えようとする。多く言葉を知らない子どもの、ひたむきなまでの必死さに、結局先に根負けしてしまうのは、いつだってハヤのほうなのだった。

「わかりました」

 苦笑を浮かべ、ふかぶかと神妙に頷いて、ハヤはじっとツーの目を見つめた。くりりと大きく、白目の部分がうっすらと青みがかった、澄みきったはしばみ色の瞳。まろやかな曲線をえがくひたいをそっと撫ぜて、すっかり乱れてしまった前髪をきれいに整えてやる。

「じゃあ、すぐには無理でも、大人になったらオレ、先生になります。そうすりゃずっと一緒ですし、寂しくありませんよ」

 その響きは、どこまでも真剣そのものだった。

「せーせ……?」

 ツーはこくりと小首をかしげて、にっこり微笑むハヤの笑顔を見上げる。やさしい笑顔の奥底に、どうしてもっと早くに思いつかなかったのかと、自分のアイディアに浮かれるハヤがやはり、笑っている。
 ハヤの笑顔が大好きなツーは、つられてうきうきと笑いながら、なにやら差し出されたらしい極上のおくりものに、ぴかぴか瞳を輝かせた。

「せーせ、ツーの?」
「あなただけの、です」

 ハヤが頷いた。

「ですからちょっとだけ、待っててくださいますか? オレが大人になるまで」
「ハヤ、がんばる?」
「誠心誠意、頑張ります。だから十代目も、一緒に頑張ってやってくださいませんか」
「うん……」

 ハヤがそう言うならば、きっとそうなのだ。幼いツーは幼いなりに、もみじの手のひらのなかに決意と覚悟をぎゅっと握りしめて、こくん、と深く頷きを返す。

「ツーも、がんばる」
「男と男の、約束っすね!」

 ハヤは笑う。ツーも笑って、小枝のような小指を、そっと差し出す。その指に自分の小指をからめ、空いた手で髪を梳き、顔いっぱいにふたりは歓びの花を咲かせた。
 そして、十年の月日が流れた。

 

 

 

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妄想ドリーマー!つづきます
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