69年4月

69年4月というのは実に興味深い時期である。
当初予定どおり"GET BACK"プロジェクトが進んでいれば、休暇予定の時期だったのだろうか?そしてビートルズは、"GET BACK"プロジェクトの次に何をしようと考えていたのだろうか?

69年4月、ビートルズは突如、"GET BACK"プロジェクトから約2か月ぶりにEMIスタジオに集合している。
4月14日は伝説の"THE BALLAD OF JOHN AND YOKO"のレコーディングのためにジョンとポールが集合しているが、その2日後、4月16日には"OLD BROWN SHOE"のために全員が揃っている、ようである(ジョージとリンゴだけでは、という説もある)。

その後"SOMETHING""I WANT YOUI""OH!DARLING""OCTOPUS'S GARDEN"と立て続けにアビィ・ロードのA面に収録される新曲を4曲仕上げ、さらに2年前にレコーディングした"YOU KNOW MY NAME"を引っ張り出して完成させると、アビィ・ロードの主題となる"YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY"をレコーディングし、5月6日ごろに終了している。これがいわゆる"HOT AS SUN セッション"と呼ばれるものである。(由来は後述)

ところで"GET BACK"プロジェクトは、セッションが終了してからもずいぶん時間を要していた。ステレオミックスがグリン・ジョンズから上がったのは5月の上旬であり、マスターの完成はさらに先の5月28日であった。ちょうど、"HOT AS SUN セッション"が終了する
時期にあたる。
バンドは、何とかして69年のアルバム」を完成させる必要があった。しかし、アルバム1枚分のレコーディングは済んでいたにもかかわらず、安穏としておられず見切り発車的に次の"アビィ・ロード"プロジェクトに取り掛かる決断を下したのは、やはりこのマスターが上がった頃なのだろうか。

実際、これに似たような話はビートルズ・バイオグラフィーの中にあり、74年にジョン・レノンは“ROCK'N ROLL”の完成を待たずに“WALLS AND BRIDGES”をレコーディング、先にリリースするということがあった。
その時は、フィル・スペクターがテープを持ち逃げしたとかレコーディングが進まなかったといった理由があったが、こういうのは業界ではよくあることなんだろうか。どなたか教えて欲しい。

それにしても、この"HOT AS SUN セッション"の時期にビートルズは新婚を二組抱えている。映画撮影をしているものもいる。本当は69年4月はやっぱり休暇予定だったのではないだろうか。

このセッションの後、かつ、アビイ・ロードの収録に入る前の時期に、ビートルズがニュー・アルバム“HOT AS SUN”を発表する予定である、とのニュースが一部で流れ、“PROUD AS YOU ARE”や“ZERO IS JUST ANOTHER NUMBER”なるジョンの未発表曲が収められることも言及されていた。しかし、「コンプリート・レコーディング・セッション」においてもこれらの曲の録音記録はなく、その後このアルバムのマスターテープは、空港のX線検査に間違って通してしまってすべて消去されてしまった。などという胡散臭い後日談まで聞いたことがある。しかし、実際に翌年ポールの初ソロ・アルバムに“HOT AS SUN”という曲が収録されたことと、このニュース元は、公式ファンクラブ“THE BEATLES BOOK MONTHLY”だったという話を聞いたことがあるので、もしそうだとしたらかなりの信憑性を帯びてくる。
…このあたりは「怪傑ビートルズの伝説」(絶版)が詳しく、曲順まで載っていた記憶があるが、どうも見当たらない。どなたか教えて欲しい。上記2曲以外に、タイトル曲“HOT AS SUN”、“JUNK”“WATCHING RAINBOWS”“MY KIND OF GIRL”“MAXWELL'S SILVER HAMMER”、あと“ACROSS THE UNIVERSE”“OCTOPUS'S GARDEN(が確か1曲目?)”なんかもリスト・アップされていた記憶がある。


また、このセッションではクリス・トーマスがプロデューサーとして非常に活躍している。また4月29日、30日の両日に、メンバーがクリス・トーマスと一緒に、4時間近くこの日までに録音されたレコーディングを聴きなおしているという記述が「ザ・ビートルズ/全記録」にある。これは一体何を意味しているのだろうか。
些か早計かもしれないが、クリス・トーマス・プロデュースで1枚レコードが制作できないかどうか、検討していた、と言えないこともない。

「コンプリート・レコーディング・セッション」を見ると、全期間を通じてビートルズは本当によく働いている。明確なアルバム制作が念頭にあったかどうかは不明だが、スケジュールを縫って自分たちのマテリアルを形にしようとしている時もあるようである。(例えば68年2月)
先の通り、この69年4月に録音されたのは、アビイ・ロードに収録された5曲だけではない。2年もほったらかしにしてあった“YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)”や、“LET IT BE”のオーヴァー・ダブも行っている。
先ほどのクリス・トーマスとのプレイバック・ミーティングはこの2曲のセッションと前後して行われているところをみると、アルバムにするには曲が足りないので“YOU KNOW MY NAME”を掘り出してきた、と考えられなくもない。では“LET IT BE”は、単に並行して行われていた“GET BACK”の編集作業のためだったのか?
私は、この2曲は“HOT AS SUN”であれEPであれ、先に何らかの形でのリリースを考えていたのではないか、と思っている。“LET IT BE”は非常に素晴らしい楽曲であるし、実際、この2曲は10ヶ月後、カップリングでシングルとなっている。(この作業ではじめて知ったが、これが本国でのビートルズ最後のシングルであり、“THE LONG AND WINDING ROAD/FOR YOU BLUE”は英国でリリースされていない)

この時期に録音され、アビイ・ロードに収録された5曲は、リリース・ヴァージョンでは多分にジョージ・マーティンの手が入っているからその分は差し引かないと行けないが、いずれも完成度が高く、ほぼそのままA面になっている。こうやっていろいろ考えると、それが“HOT AS SUN”かどうかは別としても、アルバムが企画された可能性は極めて高いと推測する、というのが私の結論だ。

しかし、それが明確なアルバム制作を目的としたものであろうが、シングル制作に重点を置いたものであろうが、はたまた第3スタジオが空いていたので行ったものであろうが、何曲が完成するかはわからないけれど、とにかくマテリアルとして有効なものを完成させていった。その結果、自分たちには徹底的に管理された環境であれば、まだもう1枚アルバムを制作することが可能であり、そのためにジョージ・マーティンが必要であることを認識したのではないか。

69年4月、この時期にビートルズはマネージメントで決裂したとか、B面メドレーの構想を固めたとかいうことよりも、“ビートルズの力を借りて”完成させることができる作品を効率的に完成させ、ビートルズ・プロジェクトを完結させることをビートルズに決意させた時期ではなかったのか。その結果が、“EVEREST”あるいは“ABBEY ROAD”であったに違いない。(01・9、03・12改)



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