『舞踏論』 岡村唯史
舞踏の現状
舞踏が世に出ておよそ半世紀が経った。ほとんどの日本人は、残念ながら、もはやその存在すら知らないのが現実である。舞踏に興味を持つ外国人が来日し、こちらで出会う人々に舞踏の話をすると誰も知らないことに驚くと、しばしば聞く。かつてのジャーナリスティックな関心は、あたかもわが国特有の一過性の流行現象を示すものであったかのように、今や、この独特な舞台芸術に注目する者は少ない。このような状況は、多様なものの持続よりも変化を好む、はやりすたれのことのほか激しい国民性にもよるのだろう。
他方、、欧州諸国や米国では舞踏(Butoh)は日本の代表的な現代芸術として認知されており、能や歌舞伎など、よく知られた伝統芸能と並べて扱われることもある。さらに、海外には外国人による舞踏グループも各地に登場していて、ウェブを通しても、それらの活発な活動が伝わってくる。母国における状況と対照的に、舞踏は今や地域的な文化の枠組みを超えてグローバルな芸術形態として世界に受け容れられ、一人歩きを始めているようだ。
国内では、いまどきダンスというと、昔ながらのクラシックバレエから、ベジャール、フォーサイスなどに代表されるモダンバレエまで、芸術を好む人々の関心は依然として欧州の近代舞踊に向いているようだ。また、アメリカのモダンダンスやフランスのヌーベルダンスの流れにあるといわれる、いわゆるコンテンポラリーダンスも、比較的活発に企画公演などがなされている。しかし、この領域にいれられる表現には固定した形式がないから、舞踏も現実にはこの一種とみなされる傾向がある。書籍やアーカイブの映像情報だけではなく、直接にかつての舞踏に接した経験のない一部の比較的若い批評家やキュレータにとって、コンテンポラリーダンスと舞踏の識別に困難を感じることが、容易に想像される時代である。しかし、このような状況にもかかわらず、少なからぬ舞踏家達が新たな発展の途を真摯かつ果敢に求めていることは事実だ。
前世紀の'60年代から'70年代に暗黒舞踏とともにアートシーンを飾った、いわゆるパフォーマンスやアンンダーグラウンドのイベント、実験演劇など、一群のアヴァンギャルドやカウンターカルチャーの活動は時代の推移とともに消失していった。はたして舞踏にはいかなる未来が待ちうけているのであろう。移り変わりの激しいこの国では、舞踏もまた同様に、遅かれ早かれいずれ風化し、消失する運命にあるのだろうか。この疑問を解くには「舞踏とは何か」をあらためて考えてみる必要があるだろう。
以下に順次述べることは、自らの、舞踏についての考察であることをあらかじめ記しておこう。
オリジナルの舞踏
今日では舞踏をいわゆるダンスとみなす者は多い。実際に、'70年代以前から活躍している第一世代の著名な舞踏家の舞台にも、バレーやモダンダンス的な要素を含むと思われる踊りがしばしば見うけられる。ましてや第二、第三世代の比較的若い舞踏家の多くは、暗黒舞踏など、かつてのオリジナルな舞踏の先入観念やイメージから自由なだけに、欧米産のダンスのフォルム(型)や動きを抵抗なく採り入れているように見える。このように今日の舞踏がいわば一般的なダンスの方向に傾いているのと対照的に、土方巽の舞踏作品が欧米伝来の既成の舞踊に背を向けるものであったことは重要な事実であると思う。
舞踏の創始者である土方巽は、彼の一群の作品について「暗黒舞踏」と称した。ここで彼の真に意味する暗黒が何なのかはわからない。しかし、彼がレトリックにたけ、特異な文才を持っていたことは確かである。暗黒舞踏はともするとおどろおどろしくグロテスクなイメージで人々に想い起こされる。確かに土方の舞踏は、近世ヨーロッパの宮廷で磨き上げられたエレガントな所作の典型であるバレエのイメージからは、かなり遠いところにある。しかし、言うまでもなく、土方の作品はたんに東洋の辺境の土俗的な猥雑さの表現ではない。
土方巽が「暗黒舞踏」として提示した作品群は欧州の伝統に根ざすいかなるダンスとも異質なものであった。とはいえ、土方は前衛として叛旗を振るだけのたんなるダンス界のアバンギャルドではなかった。彼が人々に突きつけるようにして見せたものは、日本という風土に生きる者達の身体の持つさまざまな形であり、表情であり、シーンであった。それらは近代化すなわち西洋化の流れに葬られ、あるいは取り残された、この国の原風景であり、人々の姿にほかならない。土方巽の残した著書『病める舞姫』は、その原風景を類い稀な巧みな話法により、きわめて細密に描いている。それは長編叙事詩の形態を擬した、錯綜とした文脈の織りなす私的な叙景詩であり、叙事詩である。そこには、ひとつのタブロウの表面に、事々や人々、生物やモノ達が同列に、隠しようもなくスーパーリアルな具象として露出している。それは戦中戦後、そして秋田という、世界史的かつグローバルな視点からはミクロな記憶であり、生である。しかしそこではすくなくとも、モダニズムの生み出した大いなる欲望の化身に圧倒されない人々の感性が確実に息づいているのだ。
前世紀の日本人の多くは近代化の国是のもとで、いわば、アジアの「欧米人」に変身しようとした。そのとき人々が忌み嫌い、隠しおおせようとした、あるいは、無意識に忘れていた自らの特徴的な身体の所作と素顔を、土方は人々の前でいやおうなく暴いて見せた。彼は独自の卓越した構成力により、近代がそのさまざまな矛盾をさらけ出した20世紀のさなかに、近代西洋の「美のイデア」とは全く無縁の、きわめて豊穣なイメージの舞台を現前させたのだ。これらのイメージは一般の現代的な美の基準とかけ離れている。しかし人々の心の奥深くに人類共通の記憶として生き続けるものである。彼の芸術のモチーフは生まれ育った日本、とりわけ東北にあったが、その本質はグローバルな人間性に深く根ざしていたと言えよう。それは、近代の生み出した浅薄な知と身体の枠組みではなく、遥かな太古から音も無く堆積してきた、ぶ厚い層をなす心身の記憶である。
舞踏の多様性
以上のように土方の舞踏の独自な性格は明らかであるが、それでは他の舞踏はどうであろうか。伝統的な舞踊がそれぞれの固有な様式と技術により成立していることはいうまでもない。しかし、これに比べ舞踏一般には特定の様式や約束事は存在しない。土方の舞踏、特に後期のそれには、彼が創り出し、蓄積したたさまざまな型があり、シーンの構築に効果的に使われていた。だが、それらは舞踏固有の様式として定着しなかった。これらの型はたんなる一般のダンスのフォルムではなく、土方が考案し規定した複雑な条件を舞踏手が満たすことによって、はじめて実現する性格のものであった。これらの土方流の作舞法は、その後、容易に継承されることはなかった。
舞踏には一般に認められた定義らしきものはない。舞踏家と称する人達に「舞踏とは何か」と問えば、さまざまな答が返ってくるはずだ。それぞれが独自の舞踏観を持っているといっても過言ではないだろう。この多様さは舞踏の成立の経緯と継承のあり方によると考えられる。しかし、このような任意性があまりにも拡大すると、舞踏のアイデンティティーは失われ、あげくは年とともに他の舞台芸術の活動に埋もれ、消え去ることになりかねない。名ばかりの形骸が残ってゆくとしたら残念なことである。
しかし、このような、ともすると本質が見失われがちな現状にもかかわらず、舞踏には他のジャンルにはない固有のものが確かにある。舞踏はそれらによって、さまざまな舞台芸術の中でかつてない特異な領域を形成しているのといえよう。
舞踏に固有なもの ― 舞踏体
舞踏に固有の特徴は何か。例えば、一般に舞踏手の腰の位置は低く保たれる傾向があるが、これは能や日本舞踊を含め、アジアの舞踊に共通のものだ。
歌舞伎研究で知られた郡司正勝によると、「踏む」ことは、日本舞踊では動作として重要な位置をしめるという。また、舞踊の基本姿勢は「構え」にあるという。構えは心構えを身体で表したものであり、その構えの基本的な美の源泉は腰にあり、腰を入れて大地にしっかりと安定感を保つというのが、日本の踊りの美の基準になる。それに対して、西欧のダンスの基本が大地を離れて、空間の世界へ、体の自由を獲得するためにどこまでも肢体をのばしてゆくのとは対蹠的であると記している。また、姿勢をため、沈めることにより、内包的な2本の踊りの美の中心を成立せしめると述べている。
能から始まるとされるこれら特徴は、もちろん例外はあるが、今日の舞踏に基本的な要件として確かに継承されていると思われる。しかし、これだけであれば舞踏は何かを語ることは明らかに不可能である。それでは、何が舞踏を舞踏たらしめているのか。この問いに対する答えは以下のことにあると考えられる。
はじめに、舞踏に固有のものは何よりも身体のありようである。すなわち、いかに身体が特定の空間に臨在し、いかに所作をなすか、その独特の様相が舞踏にとって要となっている。舞踏はいうまでもなく身体表現によるアートであるが、基本となる身体のありようが他のジャンルでのそれと本質的に異なっているのだ。それではその相違とはいかなるものであろうか。
例えば、バレエやモダンダンスでは身体は表現のまさしく媒体(メディア)である。それは基本的には特定の型や運動を実現するためのものだ。型や運動はいわば記号としての分節的な性格を持つと考えられる。ここで、記号とは何かをあらためて議論する必要はないだろう。しいて言えば、記号とは人々が対象を認識するときの単純な標しである。作品では一群のこれらの記号が、時間経過にしたがう逐次的な配列、すなわち時系列として展開し、テキストをなしていると考えられる。観る者はそれぞれの記号の指示する具体的な内容を作品全体のコンテクストのなかでイメージとしてとらえてゆくのだ。
記号によるダンスの記録は、既にクラシックバレエの源流であるバロックダンスに「コレグラフィ」として存在していた。楽譜のような時系列の標記で記した、いわゆる「舞踏譜」と呼ばれる多くの譜面が近代初期に出版されていたのである。これらの舞踏譜には旋律とパ(ステップ)が対応して記され、ダンスの空間的な展開が記されているという。それはいわば、表現の基本的な時空構造の明確な規定といえよう。
もちろんわれわれの舞踏も、作品としての成立を可能にする何らかのコンテクストを持っている。しかしそれは記号の系列としての単純な分節構造で成り立つものではない。特筆すべきことは、そこに記号化を拒否する身体、すなわち舞踏体なるものが存在していることである。バレエやモダンダンスの身体は型や動きを実現するための、合目的性をそなえた身体であり、その意味では機能的な身体、いわば「機能体」とみなされる。これと対照的に舞踏における身体、「舞踏体」は、使い馴らされない、目的に隷属し難い身体といえるだろう。舞踏にとってこのような身体こそ固有のものであり、独自の表現を可能にするものと考えられる。理想的には、舞踏体は本質的に道具であることから解放された身体である。
オブジェとしての舞踏体
モダンアートの先駆者であるマルセル・デュシャンがかつて似たような事をやったが、たとえば、展覧会の会場の何もないフロアに「作品」と称して何らかの使い古した道具を置いたとしよう。観客はこれに何を見るだろうか。おそらく、それはたんなる道具ではなく、むしろ何か違った物体に見えるのではなかろうか。なぜならば、それは「作品」と称され、衆目に晒されることによって、それまで人々により貼り付けられてきた記号をあらかじめ剥奪されているからだ。その記号は道具の機能に対応しており、人々のこれを用いる行為のなかで意味付けられる性格のものである。
作品を観る者の日常の時間の多くは無数の記号との対応や処理に費やされている。身のまわりのさまざまな物体には使用目的に応じた記号の不可視なラベルが貼られ、人は日常的な行為のなかで物そのものを見るよりも、習慣的にこれらの記号を確認していると考えられる。日常には対象を熟視する機会は稀にしかない。しかし、展覧会では「作品」をじっくりと眺める。使い古された道具であった作品は、われわれの前にあらためて本来の物質としての素顔のディテイルを隅々まで露呈するのだ。
舞踏も同様な状況にある。同様のことが重要な意味をもっている。先にふれたように、舞踏体は記号を拒否する身体であり、それゆえ、日常的な行為へのひたすらな奉仕から解放されており、また、身勝手な美のイデアや欲望の充足に奉仕するものでもない。観客はこの解き放たれた身体のたたずまいを凝視し、熟視するのである。観客のこのような行為を許すのは、跳びはね、回転し、駈けまわり、たえず空間をよぎる身体ではない。それは時に高濃度の密度の高い時間を抱き込んで静止し、そして緻密に変容する身体でなければならない。舞踏体とはそのような身体である。舞踏体はその存在のみで、すでにその臨場する空間を変質する。
言うまでもなく、舞踏体には迅速な所作も許される。それは耐え尽くした時間の密度により、新たな質の空間を瞬く間に開き出すのだ。
舞踏と時間
舞踏体を熟視するとき、時間は緻密な本来の構造を獲得する。すなわち、そこでの時間は、舞踊手の運動を通して、空間をよぎり流れるように感じられるものではない。舞踏に固有の時間は、オブジェとしてほとんど物質に回帰した舞踏体とともにそこに在るのだ。
舞踏が独特の性格を持つ明らかな根拠はその時間性にあると考えられる。舞踏の呈示する時間は、近代科学の創り出した幾何学的な時間概念とは全く無縁のものである。
他方、これと対照的に、モダニズムの産物であるバレエやモダンダンスは、近代の時間概念を直裁に反映している。ダンスの基本が運動やフォルムの展開にもとづくから、そこに現れる時間は一本の線のように均質で連続な様相を呈する。ここで注目すべきことは、現代科学の物理的な時間が一次元空間すなわち線で表されることである。相対性理論に代表される時空理論では、時間は現実の三次元空間とともに抽象的な四次元空間をなしている。しかし、これに対してわれわれの日常で経験する時間はどうだろうか。それが本質的に全く異なった質をそなえていることは明かである。
舞踏を例外として、近代の産んだダンスはこのような幾何学的な時間概念を前提とする近代知にまさしく従順である。これらのダンスは時空に描かれる明瞭な図式として、決定論的な把握が容易な対象であり、それゆえ科学的な分析や総合の対象ともなりうる。このような特性をふまえ、今日ではコンピューターを用いてダンス作品を創ることも可能だ。多くのダンスの動きと型の要素を複数の類型として抽出し、これをさまざまに組み合せてコンピューターの仮想空間で三次元的にシミュレートする。そして、面白そうなものを取り出してダンサーに振付けるのだ。海外の進歩的な振付家は、コンピューターによる創作を実際に行っているという。このような解析的な方法を用いれば、他者の既成のモチーフや振付を自己の作品に取り込むいわゆる「リファレンス」の手法も容易だろう。しかし、これではどこにも技術から解放された身体を見出すことはできない。かつてフランスの哲学者ベルクソンが知性による時間の空間化を痛烈に批判したことはよく知られている。すでに述べたように、確かに近代科学は時間を、本来それが経験的には現実の空間と全く異質のものであるにもかかわらず、空間的な「一次元の可分な延長」としてとらえる。しかし、これに対してわれわれの日常で経験する時間はどうだろうか。それは明かに本質的に全く異なった質をそなえている。舞踏は観衆の前に舞踏体を持ちこむことにより、時間本来のマチエールを露呈する。舞台から幾何学的な時間を排除し、物質とともにある時間そのものの地膚を剥き出しにする。このとき身体は機能体としての仮面を捨て去り、重畳した無数のイメージをたえず湧出する本来の身体へとたち戻るのだ。
ここに現れる時間は物理時間ではなく、ベルクソンがかつて思索をめぐらしたような、生きてゆく人々が実際に経験する時間である。ここでもし、現代の時間概念を支配している物理的な時間に、「現在」という概念がどこにも存在しないことを知ったならば、驚く者は多いだろう。しかし、それは事実である。物理時間では、時間を表す直線の上に「時点を」任意に記すことができる。そして、そのどちらかの領域を人々は過去あるいは未来と呼ぶ。しかし、それはたんに便宜上のことだ。確かに、奇妙なことではあるが現代のわれられの文明が依拠している物理理論には、過去も、現在も、未来も、どこにもない。特定の、どの時代や月日にも属さない、現存するいかなる人や事物にも接することのない、時間と称する量が想定されているだけだ。
舞踏を観るとき観客は「今」を強く実感するだろう。何故ならば今は舞踏体の緻密なマチエールにあるからだ。その時、おびただしい、互いに重畳したイメージが記憶の暗黒から湧き出してくる。その領域を人は過去と呼ぶ。
身体のイメージは身体ではない。舞踏体は観客のまえに汲み尽くせぬ限りないイメージを生成する。それは時間の素顔である。物質である身体の表皮に限りなく近接する、あるいは物質の本源に限りなく遡行する時間がそこにある。
瞬間と今は同義語のように聞こえる。だが、瞬間は観念であり、あるいは、われわれの意識の或る状態である。
ところで、今はどうであろう。今はリアルで、しかし、ミステリアスだ。なぜならば、過去も未来も決してここにはないのだから。
舞踏における表現
舞踏の表現について語るとき、何よりも初めに言うべきことは、その表現は情感を含めた単なる特定な対象の表出としては成り立たないということである。それは対象の指示的な描写ではなく具体的な模写でもない。表現者が観客に何かを具体的に伝えようとするなら、その身体は単なる伝達の媒体にすぎない。先に述べたように、舞踏体は媒体でも記号でもないのだ。
さらに、いうまでもなく、舞踏には美術表現におけるような具象ないしは抽象という形式上の区別もありえない。しかし、舞踏体として観客の前に立ち現れるのは、ハイパーリアルな、きわめて細密な具象だ。しかしそれは絵画のように何らかの主体によって客観的に表現されるものではない。
それでは、舞踏手の内面はどうだろうか。仮に彼らが何を感じようが思おうが、もちろん、それらは観客に伝わらない。もし、表現主体としての意識が主権を持つと、その途端に舞踏体は消え失せ、その替わりに、いわば意識の奴隷としての「普通体」が復活するであろう。舞踏手にとって、普通の意味での意識的な表現は真の舞踏表現と矛盾する。それゆえ彼らはその矛盾に絡み捕られない表現者として観客の前に立つのだ。
舞踏の表現者は、表現しようとしたときまさしく固有の表現から見放される。小賢しい自己意識、格好良く、いわば美しく見せようとする勝手な美意識は表現の障害以外の何ものでもない。そのような時空の地形に屹立し、そして越えて行く。身体こそその試練の場である。舞踏体の臨場によって多数のイメージが観客の内面に湧出する。舞踏手にとってそれは様々な多くのイメージが自由に出入りできる器でなければならない。そこで彼らの経験するのは自己と観客を包んだ静寂で透明な世界である。表現者のこのような内的体験は芸能のジャンルを越えて、舞踏の表現をユニークなものにしている。
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