ハーフ・ア・チャンス

監督:パトリス・ルコント

 ルコントは僕にとって特別な監督だが、この作品を観て、アラン・ドロンも特別な俳優だったのだと、改めて確認した思いで一杯だ。もちろんベルモンドも凄い俳優なのだが、ドロンの場合、「お久しぶり」という感じもして、それが余計に感無量さを誘った。
 やっぱり、なんたって、アラン・ドロンなのである。ダーバン・セレレゴンス・ドラ・マディアンム(としか聞こえない)なのである。
 
 考えてみると、ドロンとベルモンドの共演、というのは極めて衝撃的な事であるし、大事件だ。これは三船と裕次郎が共演したとか、渡哲也と吉永小百合が共演したとか、そういうものを遥かに越えたものだ。昔からの映画ファンにとってみれば、ベルリンの壁が崩壊したのに等しい。
 彼らが共演するには、この年になる事が必要だったし、また、ルコントのような監督が台頭して来る事も必要だった。ジャック・ドレーやジャック・ドゥミ、ヴェルヌイユやアンリコやメルヴィルではダメだった。「ドロンとベルモンドが共演、それもアクション映画、そして監督はルコント」と聞いて、なるほど、と膝を打った。作品的評価も高く興行成績も上々の、独自の立場で飄々と映画を作れ、二人の価値も知るルコント以外に誰がいようか。若手監督だと妙な意識が出ちゃうだろう(もう古い、どうして今更この二人? オレは別に彼らのファンじゃなかったよ等々)。
 しかし、ルコントは、彼ら二人への尊敬の念を込めてこの作品を作っている。それがとても気持ちいいし、観ていて胸が熱くなり、目頭も熱くなって来るのだ。
 
 昔取った杵柄。
 とてもいい言葉だと思う。そしてこの作品の二人は、引退していた「現場」に戻ってきて、昔、若い頃得意だった技の数々を繰り出すのだ。
 こういう映画が見たかった、と思う。
 今の世の中、スターがいない。というか、昔のような『神話』を持つスターがいない。ハリウッドの『スター』はどんどん死んでしまって、現存するのはポール・ニューマンくらいか? あのバート・ランカスターが晩年、立っているだけで感動が起きた(「フィールド・オブ・ドリームズ」)のは、彼が神話スターだったからだ。
 で、ドロンとベルモンドは、その数少ない『スター』だ。ワシントン条約で保護してほしいくらいの存在だ。
 そんな彼らには、その存在の背後には、数多くの出演作のイメージが控えている。それらが如何に強烈であった事か。それは、老境のドロンが拳銃を構えるだけで画面に『あのムード』が充満する事で判る。同じく老境のベルモンドが縄梯子を登るカットで、観る側にびりびりと電流が走る。
 嗚呼、大スターだなあ、と思う。彼らは否応なく「太陽がいっぱい」や「地下室のメロディ」や「サムライ」や「冒険者たち」や「勝手にしやがれ」や「リオの男」や「薔薇のスタビスキー」や「おかしなおかしな大冒険」を背負っているのだ。ドロンは冷徹に仕事をこなし、ベルモンドは陽気に我が道を行くのだ。
 
 昔取った杵柄を持っている男は、幸せだ。ここぞという時に、『男』になれる。別に射撃がうまいとか金庫破りがうまいとか運転が抜群にうまいとか、そんな事でなくてもいいけれど、何の取り柄もない男の方が世の中の大半だろう。だからこそ、ドロンやベルモンドの姿は颯爽としているしカッコよく映るし、『男』だなあと思ってしまう。男に生まれた以上、老人になっても、ここぞという時に一発ぶちかませる。こうありたいじゃないの。
 
 この作品では、そういう男を、ドロンとベルモンドが気持ちよく演じていて、観る方も気持ちがいい。お互いがお互いの『イメージ』を茶化し、やり返す、というのもいい。こういう場合、神経を使い過ぎて『お互いを立てよう』なんて思いはじめたら最後、その作品は最低のものになるだろう。二人が武器を作ったり、敵に包囲されて互いに力を貸しあって切り抜けるシーン(そこには、彼ら十八番の見せ所を用意してある)を観ていると、ああなんと素晴らしい、とため息が出てしまう。まあこういうの、生臭いモノが残っている時代じゃ、無理だったでしょうけれど。
 
 ドロンとベルモンドをここまで自由に泳がせながら、自分の歌を歌っているルコントも、凄い。このおとぼけタッチこそ、ルコントだ。
 撮影監督にアメリカ人を起用しているが、映画の作りはフランス映画そのもの。派手なアクションシーンにしても、アメリカ映画だと、どんな新人が取っても「最大公約数を導く方程式」のようなものが見えてしまうのだが、なんとなくおっとりしたカッティングに構図のとり方は、フランス映画そのものだ。そう。昔々、ヴェルヌイユがハリウッドに対抗意識を燃やして撮った大アクション映画にしても、ゴダールやトリュフォが撮ったアクション・シーンにしても、フランスのオーケストラのように、もう一歩ツメが甘いのだけれどそれが逆に魅力になる。稚劣な印象を与えがちな手持ち撮影のぶんまわし(こういう場合、下手にパンをしまくるより短いカットの積み重ねをする方がプロっぽい)とか、引き画のワンショット(やはりロングショットよりクロースアップの積み重ねに時折ポーンと入る大ロングショットという構成の方が迫力は出る)などに、フランス映画の空気を感じる「御存じ」のシーンでは力を抜いて、人間描写のシーンではこれでもかとカットを重ねて来る。それがフランス映画の味だ。
 そしてこの作品は、まさしく、優れたフランス映画だ。
 そして、ルコントがますます名人の域に近づいていくのに、畏敬の念を感じてしまう。
 
 ヴァネッサ・パラディは、歯並びが悪くて……。
 それと、いかにも天才肌で組織から孤立した刑事がよく判らなかった。この刑事は、「用心棒」の三十郎のように、ワルはワル同士で自滅させようとして泳がせているようだが、なんか、事態を悪化させているようにしか思えない。しかし、とはいえ、この二人が映画のお話を引っ張っていくのだから、ま、これはこれで仕方がないのか。