うまい映画。
『ごく普通の悪党がいて、ごく普通にマフィアのお金を横取りしようと思い、ごく普通に実行しました。ただ違うのは、この悪党はレズだったのです』
と、書くと、レズが主題の映画のようだが、違う。主人公二人はレズではあるが、それは普通の恋するカップルと同じように描かれる。その熱っぽさ、甘さ、切なさがリアルに表現される。その上での横取りである。
プロットに目新しさはない。犯罪映画にまったく新しいものを求めるのは、もう不可能だろう。それだけネタは出尽くしていると思われる。となれば、キャラクターの斬新さと演出の新鮮さが求められる。この作品は、その二つを満たすどころか、映画好きには堪らない刺激をバチバチと与えてくれる。それが嬉しい。
構成は凝っている。時間の流れを分断して逆流させるような、しかし回想ではない、うまい構成だ。これを使えば計画は判っているのに同じことを犯行場面で見なければいけないというもたつきが省ける。計画する声にWって実際の犯行が見せられる。この辺りの呼吸は見事で、これぞ犯罪映画だしサスペンス映画だ、と嬉しくなって来る。
主人公・コーキーはプロの泥棒で出所したばかりというのがぴったりの、砥ぎ澄ました鋭利なナイフのような女。タンクトップがこれほど似合う女優はジーナ・ガーション。本能ですべてを見通してしまうような『危なくて切れる女』を実に好演している。うーん。ジーナはいい。
その相方たるヴァイオレットは娼婦でマフィアの幹部の情婦。むっちりタイプで女女していて香水の塊という感じ。まさにコーキーと好対照。この女をジェニファー・ティリーがこれまた好演。
話は、この二人がお互いを裏切らずに目的(二人して手に手を取って逃げる)を完遂するかどうか、というのが軸になっている。もちろん、横取り作戦が成功するかどうかも軸なのだが、それはアクション・サスペンス的な軸で、心理サスペンスの軸は『裏切り』にある。
男から見ると、女という生き物は、自分の快楽・苦痛を逃れるためならけっこう無原則な裏切りが出来ると見られている。それは古来のハリウッド犯罪映画の影響かもしれない。ギャングの情婦はころりと裏切ったり寝返ったりして犯罪は失敗に終わるのだ。
この作品でも、コーキーがムショに入ったのは仲間の裏切りが原因。彼女は「セックスと犯罪は似てる。お互い熱くなれる。でも、セックスは初対面でも出来るけど犯罪(盗み)はお互いが信頼で結ばれてないと出来ない」という印象的なセリフも吐く。ヴァイオレットがいかにも金と宝石と虚栄に転びそうな印象に描かれているから、コーキーが裏切らないにしてもヴァイオレットがいつ裏切るか判ったもんじゃない、というふうに状況が規定される。これが実にうまい。最後の最後まで、裏切りのドンデン返しが来るんじゃないかというテンションが持続するのだ。観客の固定概念を逆手に取ったと言えなくもないこの構成は、頭がいいというしかない。
で、この二人が対峙するのは、頭脳のキレと残忍さで頭角を現しつつある男シーザー(ジョン・パントリアーノ)。パントリアーノは、ウィリアム・ディベイン系というかサム・ニール系の顔立ちで、粗野な精神と爬虫類の気味悪さと天才的悪知恵の持ち主たる役柄に、これまたピッタリ。二人の仕掛けた罠にまんまと填まってからの、頭脳をフル回転させての大逆転は、絶妙の一言。まさに、マフィアで頭角を現しつつある男なら、これくらいの頭の冴えはあるだろうし、不屈の精神力(まあ、失敗すれば死が待っている訳だから必死になるだろうけど)も凄い。これくらいの迫力ある悪党を相手にしなければ、コーキーの女が廃るというもの。
映画の見所は、このシーザーに計画を見破られてからの大サバイバルだ。ヴァイオレットはいつコーキーを裏切って助かろうとするか判らないし、ヴァイオレットにしても、安全な場所に金とともにいるコーキーが自分を見捨てて(裏切って)逃げてしまうか判らない。シーザーにしても、信頼しきっていた、というか甘く見ていたヴァイオレットの裏切りと頭の回転に驚き、それゆえ激怒する。
映画は、コーキーの考えた筋書きを、シーザーの頭の冴え故にどんどん変えていき、新たな展開になる。思いがけないマフィアの大ボスの射殺と皆殺し。コーキーとヴァイオレットも、なんとかそれに対抗しなければ、彼女たちが抹殺されてしまう。この展開も、セオリーといえばセオリーだ。がしかし、この作品には『女の裏切り』が底流にあるから、サスペンスは倍加する。この仕掛けはうまいではないか。サスペンスを高めるための取ってつけた設定ではなく、キャラクターから自然に生まれ出るこのサスペンスは、実に有機的にエピソードに絡み合って緊張を高める。
この作品は、役者がうまいのが特色の一つだが、マフィア側にも味のある役者を揃えている。僕のお気に入りはミッキーに扮するジョン・ライアン。ヴァイオレットの別れ際のあの『この女をモノにしたいけどおれは紳士だから我慢するか』みたいな葛藤を押し殺した表情は絶品だ。また、マフィアの大ボスは監督のリチャード・C・サラフィアンだというのに驚いた。この人も味のある芝居をする。
この作品、カメラワークが派手すぎる印象がある。「カメラの動きを意識させてはいけない」と黒沢は言ったが、ちょっと鼻に付くところがある。しかし、コーエン兄弟も派手なカメラワークが好きだし、新人監督の作品だし、そのカメラワークが足を引っ張ったり作品のムードを壊している訳ではないので、いいとしよう。
そういう事を補って余りあるのが、サスペンスのミスディレクション演出でも言うべきアップの多用だ。警官の足が踏みしめるカーペットからは
血が滲んだり、警官が用を足すトイレの横のシャワーカーテンからは血が滴っていたり……。その度にワクワクしてしまう。こういう呼吸はうまい。
この作品、主にアパートに舞台を限定し、臭いけど豪華ではないキャストを組んでいるから、案外金はかかっていないはずだ。それでもこんなに面白い作品を作ってしまうのだから、アメリカ映画の底力は、やっぱり、凄い。派手な壊しをすれば当たると思ってるチームもいれば、考え抜いた脚本と演出で質素な素材で傑作を作り上げてしまうチームもある。
ウォショウスキー兄弟の、今後の活躍を愉しみにしよう。