バトル・ロワイアル【特別篇】
監督:深作欣二
これは……物凄い映画だ。
特別篇で追加された部分は蛇足にしか感じないが、それを除くと、つまり、特別篇ではない前回公開のバージョンは、完璧な作品だったのではないか。
全カットに『映画魂』が溢れている。切れば血が流れる映画。画面の上では夥しい血が流れているが、映画として、パワフルで、しかも、これぞ映画だ!と叫びたい出来上がりだ。この前、ふやけた「回路」を見たばかりだから、よけいにそう思う。
深作さんはここ数作、よく言えば枯れた、悪く言えば調子が(年齢的に)落ちてきた、と思っていたが、とんでもない。まるでズレていない。アクション感覚はまったく衰えを見せず、パワフルに疾走するのは驚嘆する。
打ち合わせの時には杖をついていたのに現場では走っていたとか、スタッフがばたばた倒れていくのに監督だけは元気だった、という話だが、この作品は、比喩的に、「深作さんがヤクを打ってラリって撮った」作品ではないかと言いたいくらいに全編がハイテンション。この作品はハイテンションさが落ちてしまうと途端に失速する難しい映画だ。ガキばかりだから学芸会になってしまう。
しかし、そうなっていない。
子役が、特に女の子たちが、思いっきり死んでいく。これがいい。躊躇らったり恥ずかしがったり痛いのを避けようとしたりしていない。拳銃の弾丸を受けて、全身をがくがくと震わせ、がくっと倒れ込み、断末魔の痙攣をする。水の中に倒れ込もうが地面に激突しようが、どたっと倒れる。これがあるから、この作品は迫真性を増した。子供騙しのロリコン的学芸会映画にならず、「死ぬのは痛いゼ苦しいゼ」ということを全面に全力で表現できた。
これは、凄い事だ。並み大抵の事ではない。
ヴァイオレンスの巨匠に、サム・ペキンパーがいる。彼の「戦争のはらわた」という作品も、兵隊たちのリアルな死にざまをこれでもかと嫌になるほど描きこんで、結果的に反戦映画になった作品だ。こういうテーマは、口でお題目を言っても、美しい物語を作っても効果は薄い。感覚的な、皮膚感覚的な、「痛い」「怖い」「苦しい」という事を迫力満点に描写するほうが絶対に効果があるのだ。
それと、皮肉な設定。逆接的なストーリー。核戦争の恐怖を描くのにシドニー・ルメットやスタンリー・クレイマーは端正なお話を誠実に映画にしたが、キューブリックの「博士の異常な愛情」のようなナイトメア・コメディに太刀打ちできなかった。それと同じだ。
「子供達は『死ぬこと』の意味が判っていない」「人を殺すとはどう言うことか判っていない」というような事を熊井啓的山田洋次的木下恵介的神山征二郎的に描いても、ああそうですか、という反応しか返って来ないだろう。真面目な教育映画を見ても面白くないからだ。
しかし、この映画は違う。「さあ、みんなで頑張って人殺しをしましょう!」というノリだ。こういうグロテスクな設定だからこそ、伝わるものがある。
原作者はたぶん、すごくシンプルなモチーフを思いついて書いたのだろう。「金八先生のパロディで、中学生たちが殺しあいをするって面白いじゃん!」というような。パンフにも原作者がそういうようなことを書いていた。人類愛・兄弟愛に満ちた金八先生シリーズとまったく相容れないモノが生徒同士の殺し合いだ。これは、これだけでとてつもなく刺激的で面白いものだ。
【特別篇】ではよけいな蛇足が入ってしまったが、このオハナシは本来、シンプルなほうがいい。寓話とはそういうモノだろう。だから、この蛇足は必要なかった。作り手としては表現しきれなかったものを補ったつもりなのだろうが、必要なかった。
オリジナル・バージョンにあったのかどうか知らないが、彼らの過去の話も一切要らなかった。現在進行中のエピソードだけで、彼らが背負っているものを想像する事はできる(正確ではないにしろ)。まあ、主人公のだけはあってもいいか。
シンプルであればあるほど観客の想像力を刺激するし、描かれていない部分を考えさせて観客の心に澱として残る。その方がよかった。
しかし、その事は、小さなことだと思わせる勢いとパワーがこの作品の中には充満している。七十才の監督がよくぞ、と心の底から思ってしまう。
この作品が衝撃的だったと証明するのは、僕の席の前に陣取った中学生か高校生か判らない女の子三人組の反応だった。映画が始まってしばらくは、彼女たちはお喋りをしながら見ていた。うるさいから注意をしようかと思ったほどだ。が……教師キタノがナイフで女生徒の額を刺し貫いた瞬間から彼女たちは沈黙し、画面に見入っていたのだ。ヤダーとかウソクセーとか言わずに画面に吸い寄せられていた。
逆接的なお話に絶対的リアリティを与えてしまったのは、やはり、身も蓋もない殺しのシーンと、殺されたものの死にざまだ。ナイフでぐさぐさ刺された少年少女は、痙攣しながら死んでいく。それは時代劇の悪役がオーバーに死ぬような芝居がかったものではなく、「本当に近い死」だ。血も情け容赦なく噴き出す。
こういう「死の演技」をやり遂げた出演者たちはすごいと思うし、それをさせた監督もすごい。
監督のセルフパロディで「女子*番なんとか子 死亡」というのを真っ赤な文字で斜めに出してアタック音楽を被せる、というような遊びをしていないのが残念に思ったが、それをしてはいけない映画なのだと見るうちに思えてきた。そういうお遊びをこの映画に入れてはいけないのだ。
ビートたけしは……なんだかんだ言っても、ため息が出るほどの存在感がある。生徒に離反されて無力感に打ちひしがれる中年教師。生徒に足を切られても、黙って水で手を洗うその姿には、説明カットを不要にさせる説得力がある。これには参った。
前田亜希は、素晴らしい。お姉さんより美形だし、はかなげでありながら芯を感じさせる。主役を張るだけの事はある。
藤原竜也も、彼だからこそ出せる清潔感と清々しさがある。この主役コンビは狂言回し(ちょっと違うけど)でもあるので、素直に演技するのが最上なのだ。
で、山本太郎。彼は凄かった。パンフにあるように、監督が彼の起用を押し切ったらしいが、その価値はある。うまい。タバコを思い切り吸うしぐさもいいし、台詞回しのニュアンスもいい。
「女子ピラニア軍団」と名づけられた女生徒たち、とくに光子役の柴咲コウは、あのポンズダブルクリームの美白の娘が!と絶句した。色気があるのはハタチなんだからズルい気もしたが、彼女も役の屈折感を出せていて、うまい。
それを言いだせば、他の脇役の生徒諸君も全員うまい。『必死感』というものを出すのはとても難しいが、全員それを出し得ていた。こういうシチュエーションなら出し易いとはいえ、下手をすれば学芸会になっていたところを、断じてそうさせなかった彼らの頑張りは拍手ものだ。
日本映画は以前から短期間で撮影するためなのか、カットの割り方を知らないのか、引き画の長回しが多いが、この作品はきっちりカットを割って見せてくれる。こういう画作りを見ると、嬉しくて仕方がない。カット割りは映画の命なのだ。カッティングの早い調子も快感で、見ていて満腹感を覚えた。それはここしばらくの日本映画では味わえなかったものだ。
エンディングには不満が残るが、ま、たしかに、今の学校生活は苦しいことも多いだろうが、その後がもっと大変なんだぞ、という台詞は、誠にその通り。
この作品は、百凡の理屈を超越している。妙な難癖をつけた議員はイモだ。あれこれ言う前に見るしかない映画だ。やっとこさ最終日の最終回でしか見なかった自分の不明を恥入る。