ファイトクラブ(ビデオ)
監督:デヴィッド・フィンチャー
パンチをぶちかます。蹴りを入れる。ボコボコに殴り飛ばす。
何だかかんだといわれても、男は暴力が好きだ。
大昔はともかく、今では文明があるから、やたらと他人を殴らないし、殴ってはいけない。それは当然の事だ。
が、まったく暴力を行使しないというのは、それは男が去勢されたことにはならないか?
男どもよ、お前にキンタマはあるか?
という問いかけからスタートしたこの作品、前半は素晴らしい。たしかに、主役のエドワード・ノートンのように都会に住んで組織の中で働くサラリーマンならば、ブラッド・ピットのように自由に生き、デカい廃墟で気ままに生きて、食えるだけの収入を得れば後は好き勝手に暮らしたいだろう。
僕もそう思った。
ブラピに感化されて、顔に痣を作ったまま出社するエドワード・ノートンの気持ちもよく判るし、「宿題」として出された「他人にケンカをふっかけて負けろ」に関するエピソードは実に面白いしカリカチュアになっている。
また、演出的にも、エドワード・ノートンの「物欲の奴隷」状態をみせるのに、彼の部屋の様子にぱぱぱとカタログ風のキャプションがついて行くのが秀逸だ。
不眠症を解消するのに、難病患者の会に出て思いっきり泣くという悪趣味な事をするというのもアイロニカルで笑える。
だが、ブラピがファイト・クラブのメンバーを組織化して、あたかもナチス突撃隊みたいなものを立ち上げていくあたりから、「この映画は、どこに着地するんだろう?」と不安になってきた。このまま突っ走れば、ファイト・クラブは過激なテロ組織に変貌するはずだし、そうなると、ハナシはどうまとまるのだ?
この映画のミソは、『冴えない男』エドワード・ノートンの理想の姿がブラピだった、という事。ブラピは多重人格の片方だったのだ、ということ。これは、日本に置き換えるとキムタクの真の姿は出川哲朗か野々村誠か、と思うと、その瞬間にコメディになってしまうが、後半はファンタジーの領域に入ったように思う。クレジットカード会社のビルを爆破しても、まったくなんの解決にもならないのだから。たぶんこれはデモンストレーションでしかなくて、次が待っているような……と、考えると、実に索漠とした結末しか見えてこない。
だから……この作品は、前半の気分でうまくまとまったら、気分爽快な映画に……あ。この映画の監督は、デヴィッド・フィンチャーではないか。ならば、彼は決して「気持ちのいい映画」など撮らないだろう。「セブン」がそうだもんね。
エドワード・ノートンが実に素晴らしい。彼の作品すべてをみたくなった。彼の自作自演の監督作は一部みたけれど、コメディ演技がうまくて、達者だなあという印象があった。それに「アメリカン・ヒストリー・X」のマッチョな役もあるし……。
蛇足:以前、この映画が封切られたとき、ニフティのFMOVIEに「ファイトクラブで勃起しろ!」という書き込みのタイトルが下品だと批判されるという馬鹿な一件があった。僕はそのタイトルは、この作品の気分を素直に現した実に端的で的確でぴったりな表現だと思う。暴力衝動というものは性衝動と同じく『下品』なものなんだから、そのテイストをうまくすくい上げたこの表現に文句を付けた当時の(今はもう知らない)FMOVIEと、発言者を擁護しなかった当時の常連に愛想をつかした。なにもかも小市民的『良識』で制限しないでほしいものだ。特に、女にこの男独特の感覚は判るまい。(女独特の感覚を男は判らないんだからオアイコだ)