Hearts in Atlantis
監督:スコット・ヒックス

ノースウェスト航空機内上映(日本語吹替)

 機内上映ということもあって、初めはきちんと見ていなかったのだが、アンソニー・ホプキンスが登場してからは画面に引き込まれてしまった。あまりの素晴らしさに、2度目の上映で最初から最後まで見直し、2度とも泣いた。
 スティーブン・キング原作。少年の成長物語なのだが、「スタンド・バイ・ミー」は少年同士の物語だった。しかしこの作品は、父親のいない少年と年老いた超能力者の心の交流を描いて(というか利用して)、より深い、人間として根元的と言ってもいい感動をもたらす。
 『父親のいない少年と年老いた超能力者の心の交流』というと、下手をすると薄っぺらい人工的なものになってしまいがちだが、この作品はまったく違う。なるほどこういう手があったのか、と感嘆した。
 『子供の無垢な日々は、二度と帰ってこない』
 などという事を正面切って言われても、「そりゃそうだろうけど、だから?」とシラけるだけだ。だが、この作品のような『手』を使われると、あの懐かしくも切ない日々が、あの思い出が素直に蘇り、心を深く揺さぶるのだ。「スタンド・バイ・ミー」では、死体探しという特殊な少年の旅を描いていたが、この作品はもっと普遍的だ。誰しも、余人には代えがたい大切な人との別離を体験しているだろうし、完璧に幸福な子供時代を過ごしてはいないだろう。そういう部分を突いてきて、僕は心の琴線を激しく揺さぶられた。見終ってから時間が経っても、思い出すと涙が溢れてくる映画というのは、そうない。僕の場合は「異人たちとの夏」がそうで、泣けて泣けて困ったのだが、この作品もその仲間入りをした。
 
 ケネディ時代前夜。
 主人公・ボビーは5年前に父親を亡くして、母親と二人で田舎町に住んでいる。まだ若くて魅力的な母親は、何かというと死んだ夫の事を悪く言う。山ほど残した借金をがんばって返したのは私なんだから、ウチはカツカツなんだから、ママも大変なのよ、と言われると、ボビーは喉から手が出るほど欲しい自転車をねだれない。自分のドレスはたくさん買っているくせにと思うけれど、それは会社に行くためだから仕方がないと思うほどに、彼はとても健気でよく出来た少年なのだ。ウチが経済的に苦しいことも判ってるし、ママががんばって働いていて疲れているのも判る。けれど、隣の仲良し少年が一家で旅行に行くのを見るととても羨ましいし、近所の大好きな少女キャロルのママが優しいと、やはり羨ましい。
 ママ役のホープ・デイヴィスがとてもハマっている。適当に生活の疲れがあり、そして、美しい。まだ自分の『女』を棄てたくないと思う女心を持つ、完璧ではない母親を、リアルに造型している。もっと生活に疲れて貧乏で貧相なのもダメだし、母親失格と思わせても失敗する微妙な役を、彼女は実にうまく演じている。
 ボビーを演じるアントン・イェルチンがこれまた自然で健気な少年をヴィヴィッドに演じている。彼が好きな少女・キャロル役のマイカ・ブーレンも可憐で、ぼびーならずとも恋してしまう。

 少しでも家計を楽にしたいママは、二階を貸すことにして、その下宿人がやってくる。テッドという初老の男だ。仕事を引退してあちこちを転々としているというテッドは、正体不明で、ママは「信用ならない」と思い、ボビーが仲良くなるのを好まない。
 このテッドを、アンソニー・ホプキンスが演じているが、彼はすでに、晩年のバート・ランカスター(「フィールド・オブ・ドリームス」!)がそうであったように、『伝説の名優』になっている。存在するだけで、立っているだけで感動を与える。彼が口にする言葉は、すべてが珠玉の名言になるのだ。
 テッドは、誕生日の夕食を愉しみにしているのに母親が仕事で遅くなると聞いてがっかりするボビーに言葉をかける。「自転車がほしいんだろう? アルバイトをしないかね?」
 どうして判るの? と驚くボビーに「子供の頃は誰もが欲しがるもんさ」と答えるが、テッドは人の心が読める『超能力者』だった。彼はボビーに「老眼だから代わりに新聞を読んでほしい。それと、奴らがきたら教えてほしい」という。奴らとは?
 テッドは、しきりに「子供の頃は、何をやっても愉しい。夢の世界(アトランティス)にいるようだ。だが……大人になると、心は壊れてしまう」という。彼は、自分に備わった特別な能力を重荷だと思い、普通の暮らしを望んでいるのだ。
 テッドが何者で、誰に追われているのか、最後まではっきりと明かされないが、それがいい。テッドは、ボビーにとって父親のように抱擁してくれ、守ってくれ、彼が大人になっていくのを助けてくれる。「本を読め。名作は幾世紀にも渡って人々を楽しませてきた」「人生を楽しめ」「君はもうじき、キスをする。そのキスは、君の人生最高の、生涯忘れえないものになるだろう」
 初恋のキスなんて、と今の時代なら思うが、それはスレた感覚のなせる業であって、誰しも本当のところは、幼い初恋のキスの味は生涯忘れえないものだろう。映画の時代設定もいいし(オールディーズの名曲がふんだんに流れる)、ステート・フェアの観覧車、という舞台もいい。そして、アンソニー・ホプキンスの口から発せられると、その言葉は歴史上の格言のように品格を帯びるのだ。ボビーはキャロルと、テッドの予言どおり、甘く切ないキスをする。
 テッドの言う通り、子供達の楽しげな笑い声が緑の多い田舎町に響く。その光景は本当に夢のようで、見ていて切なくなる。僕は引き籠り的な子供だったから、この映画に出てくる子供達のように野山を歓声を上げながら走り回らなかったけれど、この屈託のない明るい笑い声を聞いていると、失われた日々を慈しむような、幻覚に似た記憶が蘇って、胸掻き毟られるのだ。これはどうして?
 だが、そんな日々は続かない。夢の日々は永遠ではないし、大切な人との別れもやって来る。『奴ら』は包囲網を狭めてくる。「フーバーは赤狩りのためにFBIが超能力者を使っているという報道を否定した」とかいう記事があるし、街中に妙な貼り紙が増えてくる。奴らだ。しかしそれを告げてテッドが家を出ていくのは嫌だ。ボビーはテッドと別れたくはないのだ。
 テッドは、予知能力で、この街から出ていかなければならないと悟っている。自分の能力を使ってボクシング試合に賭ける。逃げる資金を作るためだ。その賭け屋でボビーは、自分の父親が愉快なとてもいい男で、賭けにも強く、借金まみれのギャンブラーではなかった事を知る。ママは嘘をついていたのだ。
 そのママは昇進の夢破れ、身も心もぼろぼろになり、暴漢に襲われたキャロルを癒しているテッドを幼女性愛者と誤解して、「奴ら」にテッドの居場所を密告する。
 賭け屋に行けないテッドの代わりにボビーが大金を受け取って待ち合わせ場所に行くと……テッドは奴らに掴まって、車に乗せられていた。半ば覚悟の逮捕だったのか。
「ボビー、君と出会えてよかった。君の事は一生忘れない!」
 車の中から叫ぶテッド。それまで抑えた静かな演技を通してきたアンソニーホプキンスが、叫ぶ。感情を露わにする。それが、余計に哀切極まりなく、悲しくて悲しくてどうにもならない。
 
 子供の時間は、いつか終わりを告げる。いつとはなしに大人になる人もいれば、あることが契機になって、少年時代に別れを告げる人もいる。
 人はそれぞれだし、すべての人が望み通りの幸せを満喫しているわけもない。人はそれぞれに不幸であり、幸福であるのだ。
 そういう人生の諦観のようなものも漂わせるから、この作品はより深い感動をもたらす。
 テッドという超能力者は、特に奇跡を起こしたりしないし、騒ぎを起こしたりもしない。ボビーという少年に人生の真実の幾分かを教え、そして、彼の人生から退場していく。
 
 子供というのは残酷なもので、その日その時を生きるのに懸命なあまり、過去を忘れてしまう。だから生きる力もあるのだろうが。引っ越しをして、初恋のキャロルから来た手紙に返事を出さないで、過ぎてしまった過去として封印してしまう。もちろんテッドの事だって。
 この作品がより余韻を残すのは、大回想形式で描かれている事だ。今は大人となって写真家として成功し家庭も持っているボビー(ロバートというべきか)のところに、古ぼけたグローブが送られて来るところから映画は始まる。それで、彼は幼い頃に仲良しだった少年が軍人となり、戦死した事を知り、封印していた(忘れていた)あの頃を思い出すのだ。
 この形式は「スタンド・バイ・ミー」に似ているが、より完成された形になっている。原作は5つの短篇からなるそうだから、功績は脚色したウィリアム・ゴールドマンにあるのかもしれない。ああ素晴らしい、と思ってラストのタイトルをみると、名手・ゴールドマンの名前をみて、なるほど、と納得したのだ。
 監督のスコット・ヒックスは「シャイン」などの名篇をモノしている(僕は未見)人だが、実に誠実で丁寧な演出で、子供時代の夢のような日々や哀しいあれこれを情感豊かに描き出している。ちょっとした表情を捉える事でよけいな説明を省き、それを余韻にまでしている繊細さは特筆すべきだろう。
 この作品が素晴らしいのは、母親を悪女にしていないところだ。彼女は若く美しいゆえに、女を棄てきれず母親に徹する事が出来ない。子供に愛情はあるけれど自分を犠牲にしてまで子供に尽くそうとも思えない。そういう母親は多いし、褒められはしないにしても否定できない人間の真の一面だろう。
 そして、『超能力者』を脇にして、少年の物語にした事も素晴らしい。テッドという人物を「ちょっと風変りだが少年に影響を与える人物」として、物語の触媒にしたアイディアは、さすがキング、と思わせる。
 そのキングは、やはり、悲しい事も多かったであろう少年時代を過ごしている。もちろん身近に超能力者はいなかったろうが、これだけ情感深い物語を生み出せるのは、少年時代のいろいろな思い出があるからだろう。
 人は、子供の頃の記憶や体験に一生縛られてしまうのか? とも思うが、「縛られる」と思うか、「可能性を養う土壌だった」と思うかで、その人の成功不成功は決まるとも思える。少なくとも、この作品の主人公は、成功して幸せそうだ。だから、最後にしみじみと癒されるのだろう。
 
 この作品は現時点では日本未公開。原題を直訳して「アトランティスのこころ」としている人もいるが、この訳じゃ原題のニュアンスは伝わらない。