キル・ビル vol.1

監督:クウェンティン・タランティーノ

 ケーブルテレビとビデオと場末の映画館でPTAが「低俗!」と攻撃するような映画ばかり見て育つと、こういう中身の脳味噌が出来上がるのか、と養老先生なら研究対象にしそうな感じ。
 小津でも溝口でも黒沢でもなく、東映のプログラムピクチャーと香港映画を浴びるように見ていると、こうなってしまうのね。
 ユマ・サーマンの「ザ・ブライド」が体育館のような料理屋「青木屋」で大勢にたった一人で立ち向かう殺戮シーンは、絶対クロサワの「用心棒」のパクリ(というかオマージュと言うか)だと思ったら、ジミー・ウォングの映画が元ネタだったとは。(でも一人許される若者は「用心棒」の夏木陽介だよね)
 碩学の町山氏が解き明かしたところによると、タランティーノは徹底して我々が考える「芸術」とか「美学」を排除しているようだ。鈴木清順だって「影響されてない」というんだから。清順映画独特の破天荒さとそれが醸し出す独特の美学すら、タランティーノの視界には入っていなかったのだ!
 梶芽衣子でも「野良猫ロック」ではなく「女囚さそり」に「修羅雪姫」(これは東宝なんだがね)だ。徹底して東映フリーク(それと「子連れ狼」)。ワイヤーワークにしても、カンフーと言うより仮面ライダーのノリ。ヤクザの手下がショッカーに見えてくる。
 いわば第1部というか前篇であるこの作品は日本テイストが強いが、後編は香港映画らしい。ならばショウ・ブラザーズのクレジット・タイトルを入れないで東映マークを入れて欲しかった。
 
 町山先生の研究によって、過去、我々がタランティーノ映画に感心したアレコレはすべてパクリだった事が判明して、格好良くタランティーノ映画を褒め上げたインテリたちは赤っ恥をかいているわけだ。
 「レザボア・ドッグズ」も「パルプ・フィクション」も、時間軸を解体して再構成すると言う、映画にしか出来ない、映画独特の表現技法を駆使した鮮烈さがあって、内容の『低俗さ』(デブ黒人のホモ行為とかひたすら殺戮とか、まったく高級でない事おびただしい)もインテリ特有の屈折した『狙い』のように受け取られて、映画をインテリ的に読み取り解釈するのが好きなヨーロッパで高い評価を受けてしまった。でも、そういう手法には元ネタがあった。
 いや、それはそうかもしれないが、タランティーノの映画感覚は優れているのだ。元ネタがあってパクったと言えども、どのネタをどう料理するかどう組み合わせるかと言う事にはセンスが反映される。僕は元ネタを全部は知らないが、タランティーノのサンプリングと再構成のセンスは素晴らしく、元ネタをはるかに凌駕しているのではないか。まあ、イイトコ取りなんだから、さもありなんかもしれないが。
 「ジャッキー・ブラウン」は地味で大人の映画だったからあまり評判にならなかったが、タランティーノも普通の映画をきっちり作れる事を証明したわけだ。あの大人の情感を描き出す手腕は極めて優れていて、タラちゃんも大人になったなあ、と感心したものだ。だがその反面、「ジャッキー・ブラウン」はタラちゃんでなくても撮れた気もする。孤高の天才としてその才能の輝きを見せつけていた森田芳光が、急に普通の監督になってしまってガッカリした感じと同じ事を感じたのも事実だ。
 が。この作品では、そういう心配を吹き飛ばし、ここまでやるのはタラちゃんだけだ! という事実を再確認させてくれた。
 見ている方が心配になるのだ。こんなに東洋のB級C級映画のディープなパクリ(マニアックでペダンティックというべきか?)をやってしまい、アメリカ人には馴染みの薄い東洋人を大挙出演させて日本語を喋らせ、日本を舞台にして、大丈夫なの? と。しかし、作品をカットするので有名で「シザーハンズ」の異名を持つミラマックスの社長ワインスタインが「この映画はカット出来ないから前篇後編で公開してはどうか?」と言ったのだから、オレが心配する必要はないのか。
 でも、ユマ・サーマンは今後、『普通の映画』に出演出来るのかと心配になる。だってこの映画は、カルトでキッチュな、無茶な映画ですよ。
 
 とはいえ。東映(深作作品や「仮面ライダー」のみならず、仁侠映画の「総長賭博」などの影響もある)や「子連れ狼」などのまったく高級でも芸術的でもない作品からサンプリングしてタランティーノのセンスで再構成したこの作品世界は、無茶苦茶だが、凄い。妙に美的感覚に優れているし、映画表現的にも、うまい。
 先人の手法をパクってるんだからうまいはずだ、と言ってしまえるが、センスがないヤツがいくらパクっても、元ネタ以上のものにはならないのも、厳然たる事実なのだ。
 ユマ・サーマンやルーシー・リューも頑張っているが、オレとしては、国村隼と栗山千明に拍手を送りたい。国村さんはこの手の芝居のパターンを繰り出したようなものだが、短い登場ながらも存在感を爆発させていたし、栗山に至っては、かつてのあの美少女ぶり(篠山紀信のあの幻のヌード写真集、持ってるもんね)はどこへやら、心底性悪のスケバン刑事がぐれたような(でもアレの元ネタは香港映画なんだって)凄い殺陣を繰り広げてくれる。そのときの表情が物凄くイイ! コイツになら殺されてもいいかな、と一瞬思ってしまう感じ。
 
 サントラを買ってくるしかないか。
 しかし、俺達は声を上げて爆笑しながら見ていたが、他の客はシーンとしてた。これは笑ってみる映画なのに、どうしたの? あまりに殺戮シーンが凄いんで、引いてしまったのか? 映画を見終わった後入った店のウェイトレスがパンフを見て「1/3しか見られませんでした〜。怖くて」と言ったから、今の若い子にはそう言う映画と受け取られたのかな? これは低俗映画を極め尽くすとこうなると言う、一種のマイルストーンと言ってもいい映画なんだが。