(イマジカの試写室にて。10月下旬公開だそうです。書き込むには早すぎるかもしれませんが、かなりの傑作だけど小品だし地味な公開になりそうなので、宣伝の意味も込めてアップしました)
ニワトリと卵の関係なのでしょうなあ。売春というやつは。人類最古の職業といわれるだけあって、種付けが男の本能で、貢がれるのが女の社会的本能(という言葉があるかどうかは知らないが)なら、この商売は未来永劫なくならないだろう。
とはいえ。
かねがね僕は、お上品な反戦映画を100本見せるよりペキンパーの「戦争のはらわた」1本を見せる方がよほど効果があると思っているが、それと同じことがこの作品にも言えるのではなかろうか。お題目テンコモリの教育映画1000本より、この作品1本を観る方が、援助交際の孕むあれこれを考えさせられて、「うーむ。女子高生を買うのはやめよう……」「援助でオヤジから絞り取るのはやめよう」と思うのじゃないかなあ。少なくとも僕はそれを感じて、「援助交際、くわばらくわばら(というとニュアンスが違って来るが)」と思ったのだ。
この作品に登場するセックス産業を経営するヤクザ(役所広司)は、アマチュア娼婦たる援助交際コギャルの抜扈に怒り心頭だ。彼らがコストをかけて組み上げたシステムを無視して『食事してお喋りするだけで10万円』という暴利を貪れるコギャルという在り方が理解出来ないし許せない。10万儲けるには客のワガママを聞きテクニックを駆使し我慢し努力し辛い目にも遭うものだと思い込んでいるが、コギャルたちはチャラチャラしながら楽々と儲けてしまう。これが理解出来ずほぼ絶句状態。
それに対して彼の友人のブルセラ経営者(桃井かおり)は現状受け入れ(肯定ではない)派。パンツを売る事を責められて「じゃあパンツ売りに来るのはいいって訳?」と言い返せるだけ強い。この二人の会話が、監督を含めたオヤジ世代の代表的意見だろう。
一方、コギャル側は、強い。ブリッコと甘えと、なにより若さを武器に、鼻の下を長くしているオヤジを獰猛に食い物にする。法外な料金でも買い手がいるから商売が成立する。彼女たちの論理は明快だ。
そういう『現代若者風俗』(いや〜書いててぞっとするほどの古臭い表現だが)を描きながら、映画は、彼らの心情の一端も垣間見ていく。大人(桃井かおり)に言わせれば、「熱くなるものがないんだから、仕方ないじゃん」ということで括られそうだが、それだけではこぼれるものが多すぎるデリケートな部分にも触れていく。
最初は、頭が痛くなってきた。コギャルたちのとりとめのない会話をドキュメンタリー調に撮って素っ気なく編集で繋いでいくからだ。ノーテンキで何も考えてないような馬鹿コギャルに、渋谷をうろつくスカウトマンの馬鹿にいちゃん。彼らが全員無名の俳優で、その分ナチュラル(オジサンの目にはそう映る。本当はゴテゴテに作ってあるのかもしれないが、オジサンには判らんよ)だ。
が。一見サラリーマン風(シャレた「SHALL WE ダンス?」おじさんという感じ)の役所広司が登場してコギャルの一人をピックアップした途端に、映画はビシッと締まり、緊張感に包まれる。タダのスケベおやじ(なんせ彼は「失楽園」にも出てるもンね)だと思っていたら、セックス産業のモトジメでモダンな山椒太夫のような男だったからだ。
彼に逆にカネを脅し取られ(それが目的ではなく、彼はコギャルが嫌いなのだ)たコギャルは、コギャルの女神のようなコギャル(佐藤仁美)に助けを求める。
この、佐藤仁美がいい。主役を張れる器である。NHKのドラマ「うどんとビデオ」でも不良の純情というようないい味を出していたが、この作品ではその魅力が十二分に引き出されている。
それと平行して、真面目そうな女の子が意を決してブルセラビジネスをやろうとするエピソードが入る。ここでの桃井かおりが最高にうまい。というか、彼女のガラとキャラクターを生かしきっている。この役は彼女しか出来ないだろう。前述のブルセラの是非、というやり取りにしても、他の女優が演れば絶対に説教のニュアンスが入って来るが、彼女が演ると、「そりゃあさ、こっちも悪いかも知んないけど、あんたはどうなの?あんただけ潔癖だって言うわけ?」という斜に構えて価値感をまともに問うて来る迫力が出る。これは桃井かおりだけが持つ力だ。
役者のガラの話が出たのでまとめて書いておくと、役所広司も見事だ。タダのスケベな(普段はそんな事ないんだけど、ちょっと魔が刺したかのような)サラリーマンかと思ったら筋金入りのヤクザだった、という二面性を持った芝居は役所広司だからハマる芝居だろう。他の役者だと最初からヤクザがミエミエになるか、弱いサラリーマンの醜い開き直りになるか、不良サラリーマンの薄汚い脅しになるだろう。しかし役所広司は誠実なキャラクターからヤクザまでリアリティを持って演じ分けられる。その上、ラストの「かっこよく去って行く」姿が決まっている。これはもう、現在の日本の役者では、役所広司を以ってトドメを刺すのではなかろうか。
もちろん、佐藤仁美もうまい。彼女のきりっとした目刺しがいい。コギャルにしては頭が良すぎるのではないかと思えないでもないが、それは作品を支えるヒロインなんだからこれくらい冴えていないとダメだろうし。
で、真面目な女子高生は怪しげなブルセラビデオの撮影中にやって来たヤクザに有り金すべてを巻き上げられてしまう。それは明日旅立つアメリカでの生活費だったのだ。で、彼女は佐藤仁美のコギャルの力を借りて一晩で荒稼ぎしようとする。
映画の本題は、この部分である。
佐藤仁美の扮するコギャル・ジョンコは、子供の頃から痴漢にあい続け、妙なおじさんから性の誘いを受け続け、キス1回1万などと言われてて、ある日、「ならばヤラズボッタクリしてやろうじゃん」と思い立つ。彼女にとって援助交際は、法外な金を出しても女子高生を買いたがる頭のキレたオヤジが作り出した奇形風俗なのだ。それは、真面目女子高生にまとわり付くイカれたスカウトの主張にも共通する。「若いとき遊ばないで受験勉強ばっかやってて、オヤジになって金が出来たからって若い女と遊びたがるヤツらなんか敵じゃんかよ」てなものである。まあここまで熱く主張する若者はそんなにいないとは思うが。シラけが蔓延してるもんねえ。燃えるものがないんだからシラけるのも無理もないんだけど。
で、役所広司のヤクザは彼女たちの活躍を徹底して阻止しようとする。ヤクザだから被害届を受理してボッタクられた金を回収する依頼を受けたのだ。で、プロの暴力集団が追う中、コギャルたちは荒稼ぎをしまくる。
その客とのエピソードもおかしい。自身の戦争犯罪をひたすら正当化するジジイ、ボッタクリに遭い続けて20年のサラリーマン、トイレ掃除を強要する官僚……。
その合間に、真面目女子高生とジョンコの語り合いのシーンがなかなかパセティックで美しく、魂に響くものがある。「日本じゃ自分の考えを言うと笑いモノになって相手にしてもらえなくなる」からアメリカに行きたい彼女。「アメリカに行って受験のためじゃない勉強がしたい」という彼女。
この作品で、輝いて見え役柄的にシャキっとしていて魅力的で感情移入出来る登場人物は、みんな、『自分』を持っている。自分の価値感、倫理感、蘊蓄、人生観を持っている。真面目女子高生、ヤクザ、ジョンコ、ブルセラ屋の女主人、そしてスカウトマン。彼らはそれぞれの局面の代弁者だ。彼らの言うことには真実がある。
逆に、『自分』というものを持たないで野放図に生きているコギャルはボコボコに殴られ片目を失明するほど痛めつけられ、オヤジ側も散々な目に遭うが、この流れで見ていると、そりゃ当然でしょう、アンタらが悪い、と思ってしまうのだ。彼らは実に醜いしカッコ悪い。
原田真人がうまい、と思えたのはこれが初めてなのだが、こういう部分があるからだ。その『真実』を語らせるのに、セリフだけを使うのではない。説得力ある絵で見せてしまう。だから説教臭さなどまったくない、ナチュラルな肌合いが残るし、言わんとする事がすっと心の中に入って来る。観念論をセリフで言われるともうウンザリだが、映像で見せられてしまうと、まず共感してしまい、理屈は後からついてくるのだ。
まあ、本物のコギャルたちがこの作品の登場人物のように考えているかどうかはオジサンたる僕には判りようもないけれども……。
絵で見せてしまう、という部分に演出の冴えを感じるし、監督の成熟をも感じる。
小林信彦がかつてワイルダーの「麗しのサブリナ」の魅力を語るのに「我々は今や子守り歌に感動はしなくなってしまったが、オオカミが子守り歌を唄えば感動するのではあるまいか」という絶妙な表現を使ったが、それはこの作品にも言える。ちょっと見では、どうしようもない不良コギャル(オヤジからボッタクろうとするのだから良心的とは言えまい)やお調子モノのスカウトたちが垣間見せる純情のかけら。僕はこれにちょっと、いや、けっこう感動してしまった。これはオジサンの夢みたいなものかもしれないけれど、ラスト、彼女たちが見せる涙に感動してしまったのだ。スカウトが見せる誠実さに感動してしまったのだ。実にいい加減で言語道断な彼らが見せるからこそ、感動するのだ。
この作品で狂言回しの役どころなのは、アメリカに行きたい真面目少女だ。彼女が触媒となって彼らの心の琴線をかき鳴らし、ついでに観る側をもかき鳴らす。真面目少女をこのように設定し狂言回しにしたアイディアは成功したといえる。ジョンコやスカウトマン、ましてやオジサンのヤクザが主役では描ききれないものが多かったろうし。
愛すべきキャラクターでお馴染の小堺一機が、実に陰惨な嫌なエロオヤジを演っているが、これが唯一のミスキャストだろう。イメージの裏をかくキャスティングなのは判るが、童顔の彼では無理があり過ぎた。
しかし、その他のキャスティングはほぼ完璧。演出もキマっている。
阪本善尚の撮影も素晴らしい。スーパー16の技術も飛躍的に向上していて、35ミリ撮影と比べても、何の遜色もない。
ふんだんにドキュメンタリーの手法で回して編集でピックアップしたコギャルたちの会話も嫌らしいほどリアルで、これがアタマ、実にいやらしくて帰っちゃおうかと思うほどオジサンには拒否反応を起こさせるのだが、これがあるからラストが際立つのだ。ここらへんの編集も見事だ。
日本映画の復調が言われているが、僕はこの作品を見て、なるほどそれは間違いないのかもしれない、と思った。