LAコンフィデンシャル

監督:カーティス・ハンソン

 あまりに見事な作品で、その完璧さにほとほと感動し、見終った後、どうしようかと思うほど涙が出てきた。
 監督・脚本・撮影・編集の見事な技に驚嘆する。そして、その素晴らしさにほとほと感嘆してしまう。
 ジェイムズ・エルロイの原作は未読だが、これほど素晴らしい映画化を目の当たりにすると、原作を読んでこの映画化作品と比較対照しながら綿密にノートをとって分析して勉強してみたい。
 一つとして無駄なショットがなく、曖昧なカッティングがない。すべてのタイミングが正確無比で、カメラアングルもこれ以外のものはないと思わせるほどの完成度だ。
 脚本そのものを読んではいないが、撮影寸前まで練りに練り上げられ、撮影後も編集室で絞りに絞った結果の、名品である。
 スタッフの略歴を見る限り、メイン・スタッフは全員、この作品で大化けした、という感じがある。
 ファーストカットから、この作品には異様な力が漲り、スクリーンからはなにか言葉では言い表せない『物凄い何か』が迸っている。
 すべての感傷を排し、ギリギリにタイトで濃密な展開がなされる。ワンシーンの中ですべて何かが起こり、次のシーンになだれ込んで行く。
 その緊迫感はタダモノではない。観る側にもギリギリと緊張を強い、息を飲ませ続ける。
 カーティス・ハンソンはとてつもない仕事を成し遂げた、と賛嘆する。
 
 傑作と『超傑作』の違いは、そのジャンルを革新してしまうか否か、という点にあるのではないか、というのが僕の持論だ。ペキンパーは「ワイルド・バンチ」でそれまでの西部劇を一挙に博物館行きにしたように、スピルバーグが「レイダース」で旧来のアクション映画のテンポをのろまなものに変えてしまった(それがなにより証拠には、アクション映画の権化・決定版たる007シリーズの演出が「レイダース」以後変わってしまった)ように、この作品は、刑事モノ、犯罪モノ、ハードボイルドものといわれるジャンルを革新してしまった、と断言出来る。これ以後、どんな作品も本作と比較され続けるだろう。ただ……どんな犯罪映画もこの作品のレベルとテンションを求められると、作り手も観客もしんどいのであるが……。
 
 原作を知らないから、この脚色がどれほど見事なものであるか、語る言葉がない。しかし、込み入った事件、錯綜する人物を見事にさばき、プロットは決して迷子にならず、キャラクターは見事に描かれている。すべてのキャラクターは『役割を与えられたフラット・キャラクター』ではなく、くるくると二転三転する。青臭い正義感だと思っていたら出世欲の権化となり、また初心に帰ったかと思ったら……だし、少年期のトラウマで「女を殴るやつは許せない」という正義感を持つ暴力の権化のような刑事は愛を得て変貌するかに見えるし、「スター刑事」という虚名に満足しカッコよくラクに生きている刑事は突如(でもなく、きちんと描かれているが)刑事の本分を思い出す。酸いも辛いも噛み分けて見事な人心掌握術を見せる老練なベテラン刑事は、実は巨悪だったり。
 これにはキャスティングのうまさが強力に作用している。
 ケヴィン・スペイシーには、その色気にほとほと見惚れた。笑顔がジーン・ケリーに似ているという事もあるけれど(これは余談)、「適当に甘い汁を吸ってほどよく生きよう」と思っている笑顔の似合うナイスガイが、ガイ・ピアース扮する刑事の真摯な気持ちにほだされて、「自分の首を締める事になってもいいんだな」と問い、そうだと応じられると、さっと表情が引き締まり、ばりっとジャケットを着る。このワンカットにはほれぼれした。『よくあるキメのカット』ではあるけれど、よくある刑事ドラマの段取りではなく、生きた人物が心を変える一瞬をすくい取った見事なカットだ。これに匹敵するのは、コスタ・ガブラスの「Z」で予審判事ジャン・ルイ・トランティニヤンが今まで慎重に避けていた言い回し『暗殺』を口走るスリリングなカットに匹敵する。それまでじっくりと人物を追い描いてきたからこそ表現出来る、感情の噴出なのだ。唸りましたね。
 キャスティングの勝利といえるのが、老練な上司・ダドリー役のジェイムズ・クロムウエル。木訥で真正直な、アメリカン・デモクラシーを体現するかのような好人物を順調に演じていたと思ったら。一発の銃声ですべてがひっくり返る。この呼吸はまったく息をのみ、あまりのスリリングさにうぉーと叫びたかった。
 頭脳明晰ゆえに出世欲に取り憑かれ、しかし、事件の核心に触れると『正義』に回帰するエド・エクスリーを演じたガイ・ピアースもうまい。映画のパンフの中で滝本氏が指摘していたように、この映画の緊密な演技アンサンブルの核はこの人だ。この人がこけてしまうと映画全体がガタガタになる危険性があったが、結果はその逆。ラストの実に苦い結末も、この人のこの持ち味故のものだ。「プリシラ」で若いオカマをやっていた、というのがまったくの驚きで、この役の硬質なところを迫真的に演じきった。この人の次回作を見たい!という気にさせられる。
 真面目なミッキー・ロークというかコワモテのトム・ハンクスという印象があったラッセル・クロウは、この作品一番の儲け役だと思う。原作者エルロイのエッセンスを受け継いだようなこのキャラクターは、殺伐・索漠としたこの作品の中で唯一、愛に触れる人物だ。甘さとハードさを併せ持つこの人の持ち味も素晴らしく、これからに期待が持てる。
 この二人がオーストラリア映画界で揉まれてきた、というのが注目点だ。オーストラリア映画はこの20年、優秀な人材を送り出し続けているが、凄い人材がいるものだと、これまたため息が出る。
 男の目から見ると、以上の男優の素晴らしさに目がいってしまい、キム・ベイシンガーを正当に評価出来ない。感情を殺した『ハードボイルド演技』は、アカデミー助演女優賞を取った(僕はおおむねアカデミー賞の結果を信頼している)のだから見事なのだと思うが、ケヴィン・スペイシーに夢中になってしまったので、いろいろと見落としていると思う。
 
 ジェリー・ゴールドスミスの音楽もソリッドで、昔の「現代音楽風・不協和音のゴールドスミス」に戻ったかのような、美しいメロディを排したもので、この作品世界のムードを的確に盛り上げている。それ以上に、この音楽がついているからこそ映画が見やすくなっている。「不安のテーマ」を流して、観客の予想を助けてくれるからだ。
 
 久しぶりに、見応えがあり、見終ったあと、涙が止まらなくなるほどの感動を味わった。これは、僕としては「完璧な映画作りのテクニック」のため、だと思っていたが、それだけではなさそうだ。原作を読んでいなくても、エルロイ由来の『熱情』、いや、そんな軽いものではなく、もっとどす黒い『なにか』(原作を知らないから、『何か』としかいいようがない)が画面から迸り、深層心理に作用したんじゃないか、とも思える。哀しみとか怒りというような表層の感情レベル以上の、根源的な憤り。それはカーティス・ハンソンも熟知しているはずで、それが作品の奥深くに潜りつつも裏からこちらに強烈な信号を送っていたかのようだ。
 
 こういう作品を作るアメリカ映画は凄い。素朴に、そう思う。