スピード2

監督:ヤン・デ・ボン

 失敗作。
 
 と言ってしまうだけではナニなので、敗因を僕なりに分析してみる。
 まず、サンドラ・ブロック扮するヒロインのキャラクター造型の失敗。コメディエンヌではないマジなヒロインであるブロックに、あんなひどい車の運転をさせて笑いを取ろうとしてはいけない。仮にブロックの運転がヘタクソだとしても(これだけ売ったのだから、後で生かしてほしかった……ウオーターバイクの運転はいやにうまかったけど……)、彼女が必死に一生懸命運転した結果下手だった、というふうにしなければ、彼女が鈍感な嫌な女になってしまう。ガラスを運ぶトラックを電柱にぶつけたり、深刻な交通渋滞を巻き起こしているのだ。事故を引き起こして、いちいち申し訳ないという顔をしながらも暴走が止まらないというふうにするとかしないと。横に乗っている検定官だって、どうしてあんなひどい運転をさせておくのだ。これがプロローグだから最悪である。これではブロック扮するヒロインに好感を持てないからだ。ある程度のリアリティがないとシラケてしまうし。
 そのうえ、キアヌと別れて別の男に乗り換えた、という設定も決定的にマイナスだった。裏の事情があったとはいえ、あの好感度ナンバーワンだったキアヌを「危険な事ばかりするし、プレゼントに催涙スプレーをくれたセンスの無さ」を理由に振ったというのはイメージが悪い。彼女を主役にするのなら、キアヌは死んでしまった、とかそういう正当な理由を持って来ないと、この女は彼の大義も理解出来ないアホということになる。
 で、僕は、ブロックを「バカ女」と認識してしまった。
 更に言うと、サンドラ・ブロックの限界が見えてしまった。前作ではひたすらハンドルを握り続けるイキのいいネエチャンという役どころだったが、これは活躍の場が極めて限定されていたからボロを出さなくて済んだのだし、極限状態で頑張るというシチュエーションでは魅力的になるものだ。共演者のバックアップも大きかったし。
 しかし今回のように自分で作品を支えるポジションになると、彼女の女優としての魅力の乏しさ・演技力の無さがクロース・アップされてしまってなんとも無残。彼女は脇で光る女優であって、主役は無理だということがはっきりしてしまった。魅力的な表情に乏しいし、脚本に書かれた役柄を魅力的に(欠点をチャームポイントに転化されるのは女優の責任だろう)演じる力もない。プロローグで次の男の大活躍を褒めるでもなくクサしてしまうバカぶりを発揮してしまう(これは新しいヒロイン像足り得ていない)展開になってしまうのは、彼女のヘタクソさにも一因があろう。
 で、その後の無理矢理船の旅に持って行く強引さ。これはもう、『オキマリの展開』をしなければならない日本の2時間サスペンス・ドラマ以上の無茶な構成だ。ジェイソン・パトリックにイマイチ魅力が足りないのも足を引っ張っている。
 彼の魅力の無さ・役者としての色気不足は、船のシークエンスになって見事に発揮されるのだが、まあ、こういうわけで、かなり凝ったプロローグは無残な出来になった。
 で、船のシークエンス。
 ここはもう、「ポセインドン・アドベンチャー」を引き合いに出すまでもなく、豪華客船パニックもののセオリー通りの展開をしようとしているが、セオリーをきちんと踏襲していない(もしくは消化不良)ので、ガタガタである。
 まず、やたら写真を撮っているアメリカの林家ペーのような黒人。彼のような「ひょうきんでおっちょこちょいだが憎めない愛すべきヤツ(しばしば小悪党)」的人物は、もっと売っておかなくてはいけない。ただ数枚写真を撮るだけではダメ。もっと主人公に絡んでおいて印象を残しておかないと、後々効いて来ないのだ。ボーイというかスチュワードというかのニコラス・ケイジに似た男もそう。
 で、ウィレム・デフォーが今回の悪党であるが、彼の姿を見て、ああ、デニス・ホッパーがいかに偉大な存在であるか、ひしひしとよく判った。
 この手の映画の悪党は、基本的に陽性のキチガイでなければならない。その悪のパワーで多少の辻褄のあわなさ(例えば、この犯罪を仕組むのにかなりの初期投資をしているはずだが、そんな金があるなら犯罪するなよ、といいたくなるとか)を吹き飛ばすパワーがぜったに必要なのだ。前作のホッパーは、「このオヤジならやりかねん」と思わせる愉快犯特有の恐さと魅力があった。しかし、このウィレム・デフォーの悪党は、セコイ計算がミエミエのタダのバカとしか思えない。彼の筋書きは、どう考えても間尺に合わない犯罪なのである。
 で、その上、魅力がない。彼のやる悪党は、ジェレミー・アイアンズ系列(病的な悪党)だと思うが、アイアンズにはある色気がない。ウルメ干しみたいにパサパサなのだ。
 また、船内でカタストロフ的事件が起きるまでは、「お決まりの恋の迷走」シーンだが、ここはもう、ジェイソン・パトリックに魅力がないから、タダのドジ男にしか見えない。かねて用意した指輪を効果満点のタイミングで彼女の指に入れてやろうとして失敗してバカ女・ブロック(ここらへん、愛すべき女にブロックがなっていればカバー出来た)に責められるとは、もう、ヒーロー失格である。いや、今までにも、女にウブなヒーローはいた。インディ・ジョーンズがそうであったが、彼には愛敬があった。しかしパトリックにはない。ない分だけドジ男の印象が強まる。
 
 こうして主役3人の魅力に乏しいまま、船では事件が発生する。
 ……ここで聾唖の美少女が、これまたセオリーに従って登場するが、彼女に付いても、もっと売っておかねばならない。セオリーを守るならば、彼女のお涙超第一歩手前のお話をパトリックが優しく聞いてやるなり、一緒に遊んで仲良くなるなりしなければ。食事の席での手話だけじゃ、弱い。
 こういうあたりで、ヤン・デ・ボンは派手なアクション・シーンはうまいがドラマ演出はヘタクソだという事が判ってしまった。前作では、うまいホッパーや凛々しいキアヌの魅力にカバーされて目立たなかったが、今回、豪華船が舞台という事で、ゆったりした部分が出来てしまったので目立ってしまった。前作みたいに走りっぱなしの狭いバスならバレなかったろうに。
 最近の最新鋭の船は、ここまで判り安いコンピューター制御をしているのかどうか判らないが(各所にキーボードと外部入力用の D-sub15ピンみたいなコネクターが出ているものか?)、ここまで映画用に便利にされてしまうと、御都合主義が目立ってしまって、シラケて来る。「ダイ・ハード2」でも感じた、素人はどうせハイテクなんかワケ判らないだろうという過信に基づく手抜きというか御都合主義ではないかと思ってしまう。実際にああいうシステムだったらこれはもう暴言であるけれども。
 ここで、例の聾唖の美少女がエレベーターに閉じ込められるサスペンスが用意されるが、彼女は独力でわりとあっけなく脱出してしまう。これはもったいない。カーゴの中が停電になったり、物凄い振動を受けたり、カーゴから外に出たところで急にカーゴが動きだして危険な目にあうとか、いろいろ仕込めたはず。子供を虐待してはいけないというコードがあったのならば、母親を一緒にさせるとか手はあったはず。パトリックが水責めから救い出す、というのだけでは勿体ない。
 また、順番が違ったが、例の林家ペーをパトリックが救うエピソードにしても、ペーがそれ以前にエピソード的にろくに生きていないから、あのカタルシスがまったくない。これはセオリー的には、失敗といわざるをえない。
 で、ウィレム・デフォーは、取ってつけたように登場した『豪華宝石』を金庫から奪い、船から脱出しようとするが、このあたりのネタはあまり面白くない。
 タンカーとの正面衝突を回避するエピソード。ここで、『スクリューに巻込まれるかどうか』という危険さテンコモリのネタを使えるのに(実際、はらはらした)、意外に盛り上がらない。もっとパトリックがスクリューの寸前まで持っていかれて、鼻先で巨大なスクリューの羽根がびゅんびゅん回っている、というふうにした方が怖いだろうに。
 で、結局、タンカーには接触して、港に突入しちゃうんだから、航海士や乗客があんなに喜ぶほどのハピーな結果にはなっていないのだ。このあたり、喜ばせ過ぎたんじゃないのか?
 で、船が突入するというのも、迫力はあるけど……。ああそうか。めちゃめちゃになったのは、海に張り出して建てられていた建物であったのね。よくやってるなあとは思ったけれど……。
 その一方で、ウィレム・デフォーはブロックを人質にとって(「お前は俺の人質だ」と喚くのがいじましい)ウオーター・バイク(というの?)で逃走し、ついには水上飛行機に乗り移るけど、これが弱い。バカ女・ブロックに反抗されて有効な一撃が加えられない体たらく。ホッパー親父なら、バカ女ブロックの口にダイナマイトでも突っ込んでいたところだろう。
 で、なんだかんだで、結局、回避したはずのタンカーは見事炎上しちゃうけれど(実際はこんな爆発は起こらないだろう)、これじゃ、あの決死の努力はなんだったの、ということになる。タンカーは炎上し、街は破壊され、船は大破して、被害は防がれてはいないのだ。この事実をどう考える?パトリックにブロックよ。
 
 というわけで、この作品は、作らない方がよかったのだろうと思った。キアヌが出演を拒否した時点で製作中止にすべきだったのだ。それほど前作はシンプルであるがゆえに成功していた。そして改めて、キアヌ・リーブスの俳優としてのカリスマ性と言うか魅力を再認識した。デニス・ホッパーの大物ぶりにも認識を新たにした。この二人がいない以上、ブロックだけでは完全に力不足だ。それに……船じゃあ、緊迫感が薄い。止まれないバス、で、次は止まれない船、というのは安易……。じゃあ「スピード3」は止まれない飛行機か、ということになる。
 そして……ジェイムズ・キャメロンやジョン・マクティアナンの演出力の凄さを、逆に感じた。彼らはドラマもキッチリ構築するからアクションが生きる。しかし、ヤン・デ・ボンはドラマ演出が決定的にヘタクソだから、映画全体がガタガタなのだ。前作は幸運だったのだろう。そして……ロナルド・ニームとかアーウィン・アレン、リチャード・レスター(「ジャガー・ノート」)の偉大さにも改めて敬意を表したい。彼らはやったのだ。