一週間経って、ようやく書いている。面倒だったのではなく、作品が余りに強烈すぎたので冷却期間が必要だったのだ。
よい意味で、凄まじい出来上がりだ。素晴らしい。完璧といってもいい。
重いテーマに鮮烈な映像、ブラックで悪趣味とも思える味つけ。物凄いパワーを持った脚本があって、それを見事にかつ完璧に映像化した上に、演出家のテイストも濃厚に入っている。じつにうまい。
そして、うまくてしっかりしていて味があって、しかも中毒しそうなキャスティング。
傑作である。
公式的もしくはマスコミ的なこの作品の解釈はどうなのか知らないが、僕としては「バイオテクノロジーへの大いなる警鐘」ではないかと思う。まあ、エイリアンの繁殖を防ぐために自ら命を断ったリプリーをクローン技術で甦らせてしまった、ということ自体でこのテーマは語られきっているのだが。
しかし、僕が一番衝撃を受けて、映画を見終ったあと食事したくもなかったのは、『リプリーの失敗作』が出てきたからだ。
胎児の段階でそれ以上生きられなかった『奇形』の写真を見たことはある。それを見ると、受精卵が順調に成長して産み落とされて順調に成長する、ということは、実は奇跡的なことなのではないか、という気さえする。DNA情報をうまく受け取れないで間違った造型をしてしまう場合もある。それらの大半は機能的にうまくいかないから途中で死んでしまうことになるが、生命維持機能に問題がない場合は生まれて来る。最近、新聞紙上で障害児の中絶の是非を論じる記事が掲載されているが、そういう事ではなくて、もっと重大な事を今は言っている。
作品の中で、手が足になっている(ように見える)リプリーの失敗作が「殺して」と懇願するが、その失敗作は正常な知能を持つ人間なのだ。生命を弄ばれた結果、彼女は何も悪くないのに、生きていたくない姿になっているし、『正常に成長する事に成功したリプリー』もそう思う。
このシーンは、実に惨たらしい。
エイリアンに人間がいくらたくさん食われようが、別に何とも思わないのだが、このシーンの衝撃といったら……。
僕はこのシーンで途方もないショックを受けてしまった。
そして、否応なく、『生命の尊厳』という事も考えざるをえなかった。
ファーストシーンで、人工子宮のようなところで眠っているリプリーのクローンが登場した瞬間から、極めて重いモノを感じていたのだが、ここまでとは思わなかった。
また、リプリーの子供のようなものである「ニューボーン」を、宇宙船から吸い出させて殺してしまうシーンも衝撃的だ。なんたって、あの気持ち悪くてとてつもない力を持つエイリアンが唯一なつくのが、リプリーなのだ。見事なのは、気味悪くて醜悪の固まりなニューボーンが、リプリーに対している時は可愛く見えてしまう瞬間があるという事だ。
なんたる業!
キリスト教に「業」という概念があるのかどうか知らないが、リプリーにとっては、背負いきれない業だ。
そして、その『愛児』を惨たらしく殺すのだから……。
映画のパンフに、滝本氏が「エイリアン・シリーズは1からはじまってずいぶん遠くまで来てしまった」と言うような事を書いているが、まさにその通り。2はほとんど戦争映画で、3は見ていない。しかし、3があったからこそこの4がある。
この作品は、極めて哲学的な、というか、生物の一個体としての自分の存在の脆さをざっくりと見せ付けられたような気がした。このシリーズは、ついにここまで来たのだ。
ハリウッドの超大作映画のシステムの中で、監督が変わってどれほどの変化が出るのか、という実験でもあったような気がする。
元来、フランスの監督はハリウッドではうまくいかない。近年はそうでもないようだが、ジャン・ルノワールもルネ・クレマンも成功したとは言えなかったのだ。
が。
この作品のジャン=ピエール・ジュネは違った。このヒトの空気がフレームの一つ一つに濃厚に漂っている。これは監督の個性であって、国民性ではないとは思うけれど、この感覚というのは、イギリス人のものでもアメリカ人のものでもドイツ人のものでもないと思う。おフランスだけのもの。
「デリカテッセン」も特異な感覚が溢れた秀作だったが、この作品は、監督の力量というかスケールというか演出力が物凄くパワーアップしている事をひしひしと感じる。つまり、時代の先端をいく鋭い感覚で作ったとんがった作品ではなくて、もっと多くの人を共感させられる普遍性を持ちつつも、特異な感覚を鈍らせる事なく作品全体に反映させられ、なおかつ俳優をコントロールし把握している様子が画面から伝わって来る。
これは、凄い事ではないか。才能が先走ってしまい、観客が置いてけぼりを食わされることもあるし、ひどい時には俳優すら取り残されている事もある。
しかし、この作品にはそれがない。平易な語り口であるにもかかわらず特異な感覚は横溢し、俳優はその状況を愉しんで演じている。もちろん、たぶん、監督も愉しんで現場で指揮をとっている。
実に素晴らしい幸せな現場が垣間見える。もちろん、本当の現場は地獄だったのかもしれないが……。
もうエイリアンはイヤだと言っていたシガニー・ウィーバーを引っ張り出す事に成功した脚本は、たしかに凄い出来だと思う。3を引き継いで、なおかつ、こんな重いテーマを内包させ(SFアクションには、ある程度テーマがないと、作品のヘソが無くなって安っぽいものになる場合もあるんだし)、見せ場も存分に作り、カタルシスを感じさせてくれる巧みな展開。これには舌を巻く。ハリウッドには、とてつもない才能がひしめいているのだ、という事を実感する。
で……。
見てから時間が経ったこともあって、この作品に参加しているフランス軍団について興味がある。キャメラマンは「セブン」とかも担当していて、もはやフランス映画のキャメラマンとはいえないだろうが、編集もフランス人だしSFXにもフランス陣が多く参加している。たとえば金子さんが抜擢されてハリウッドで映画を作った場合、メインスタッフを日本から連れていくという感じではないか。フランスの映画界もハリウッドに負けてないんだなあとなんだか意味もなく嬉しくなったりした。
シガニー・ウィーヴァーは、もう、やっぱり、この人無くしてエイリアンなし、という感じだ。今回は、自分という存在の危うさを実感しているクローンであり人間とエイリアンの混合生物というおぞましくも哀しい存在を、痺れるほどの力で演じきっている。この役は、モデルもないんだからこんなムズカシイ役もないんじゃないかと思う。しかも、彼女の役の造型が失敗したら、この作品は駄作になってしまうのだ。それを演じきった、ということで、彼女の女優としてのスーパーさは証明されたようなモノだ。願わくば、他の作品にももっと恵まれてほしい。
ウィノナ・ライダー。いやー、彼女の魅力には惚れますな。ヴィヴィッドな表情がいいし、その存在だけでも作品の花というか息抜きになるというか清涼剤になるというか、しかもそれだけの存在ではなく、映画の根幹に関る「人間そっくりロボット」であり、その哀しみを持っていて、リプリーと共感しあうという、これもまたとても難しい役だ。やはりライダーは大物監督に軒並み重用されるだけあって、凄い女優だ。唸りましたね。
その他の脇役がこれまた、嬉しくなるような超個性派ぞろい。貨物船の面々(ドミニク・ピノンはやっぱり怪優だ!)もいいし、科学者のブラッド・ダーリフ(エイリアンとガラス越しのキスをするあの男!)のぬめぬめ感もいい。
また、エイリアンを植え付けられてしまった男を演ったリーランド・オーサーもなんだかいい。若い時のリチャード・ギアみたいな感じがよけいに影の薄い可哀想な感じが出ていた。キム・フラワーズも妙に色っぽかったし。
重くて大きな課題であるテーマをショッキングに見せて観客を掴み、なおかつ「エイリアン」シリーズの御約束の気味の悪いサスペンスも忘れず、いや、確実に観客の食欲を失せさせるほどの迫力で描ききったこの作品は、SF映画史上のエポックメイキングな作品であり、かなりの地位を占めるであろう。
また、ジュネ監督には、ハリウッドで今度も映画を作り続けてほしい。
とにかく……こんなに気持ち悪くなった映画を初めて見たという感じである。「ソドムの市」でも「イレイザーヘッド」でもどんな映画でも見たあと平気でメシを食ったものだが……やっぱり、卓越した演出のなせるワザだろう。
この映画は、すごい。