ビッグ・リボウスキ

監督:ジョエル・コーエン

 コーエン兄弟の映画は、本当に一筋縄ではいかない。映画を売る方も分類に困るから、『人生は楽しい』と、なんだかジャン・ルノワールの映画みたいなコピーをつけてしまう。
 この作品は、コーエン兄弟なりのチャンドラーへのオマージュらしいが、コーエン兄弟が作るとハードボイルドもこうなってしまうという見本のようだ。
 ネジが緩んだおかしさ、というのはタランティーノの映画もそうなのだが、コーエン兄弟の場合は狂的といってもいい独特の迫力がある。それが、人によっては「これはもしかして芸術映画なのではないか」と思い込んでギャグに笑いもせず畏まって見てしまう。今日の客も、ほとんど笑っていなかったけど、こんなおかしい映画に、どうして笑わないのかなあ。まあ、笑いのツボは人それぞれなんだけど。
 コーエン兄弟は、役者の使い方が抜群にうまい。特に「コーエン一家」とでも言っていいような常連が、とんでもない役で出てくるのが楽しい。今回は、ジョン・グッドマンとジョン・タトゥーロにウケた。ジョン・グッドマンは以前からファンなのだが、今回の『ベトナム帰りの危ないオヤジ』という怒りっぽいキャラクターは初めてなんじゃないか。いつもはその人懐っこい笑顔で善人ぶりを強調するが、今回はサングラスと髭で、人当たりが悪くなっている。タトゥーロに至っては、ここまでやるか、というほどの腰の動き。いやあ、役者やのう。
 僕は、フィリップ・シーモア・ホフマンという脇役役者を偏愛しているのだが、「ブギーナイツ」では暑苦しいホモ青年だったが今回は気の弱そうな(しかし勉強は出来て学歴はいいんだろうなと思わせる)秘書。
 スティーヴ・ブシェーミは何かというとジョン・グッドマンに「おまえは黙ってろアホ」と言われる役で、とても気の毒(^_^;)。
 脇役がもう、全員個性出しまくりなぶん、主人公のジェフ・ブリッジスが弱いかというと、そうではない。キャラクター的には「フィッシャー・キング」に通じるものだと思うけども、実に脱力感たっぷりに、カルーア・ミルク(ロシアン・ホワイトって言ってたなあ)大好きのドロップアウトの元がちがちのリベラルの、今はマリファナとボーリングだけが人生の、しかしこういう人生送れたら楽だろうなあと思える男を、悠々と演じている。この人もタダモノではない。
 
 作品としては、ストーリーはあってないような感じ。だって、探偵役のリボウスキがジェフ・ブリッジスなんだから、きびきびと展開していくはずがない。その上、彼と『ローレル&ハーディ』みたいなコンビになっているジョン・グッドマンが事態を余計に混乱させていくから、まともな展開になるはずがない。
 モノゴトにはすべて裏があって……というハードボイルドの御約束には忠実だからこそ笑えるし、事件の絡んだ糸を解していこうとして、盗まれたクルマにあった点の悪いテストの答案用紙をガキに見せて「これはお前のだな!」とハードボイルド調に凄むあたりはコントとしても最高だ。
 マジに展開しはじめるかと思ったら、スカされてコントみたいなギャグが飛び出すあたりの独特の呼吸は、コーエン兄弟でしか味わえない。他の人がやったら作為がミエミエになってしまう。
 真犯人(今更判ってもなーんの意味もない)が元テクノポップのドイツ人グループだったり(彼らのガールフレンドの指を律義に切り落として脅迫に使っていたのは泣ける)、まるで存在感のなかったドニー(ブシェーミ)が突然心臓麻痺で死んでしまったり(その遺骨の灰は金がないのでコーヒー豆の缶に入れられるというトホホ加減)、すべて意味があるようで(たぶん、ない。ウケ狙いというか、そのほうが面白いと判断したのだろう)深いようで、しかしその描写はコントだから、大いに笑ってしまう。
 主人公が酔わされて見る夢が、ボーリングにまつわる大レビューというのも最高におかしい。バイキングの兜のようなツノつきの衣裳で、ボーリングのボールを持っての舞い踊り。レーンの上にはバスビー・バークレー風のガールズが脚を広げて並んで立って、カメラはその下をすべっていく(ボール目線)。
 
 結局、ナレーターだったのは老カウボーイ風の天使で、リボウスキを案じた天使が彼を見守っていたのよ、というお話なのでしょうな。だからナレーションで「ロサンゼルスというのは、天使の街という意味だ……」というフレーズが数回出て来たんだし、ラストでこの老カウボーイがカメラ目線で「これでもう彼も大丈夫だ」と言うのだ。
 
 ハードボイルド風なプロットは用意されてはいるが、これはあくまでお話を展開させるための『アヤ』というか『道具』のようなもので、このお話を描くためにこの映画が存在するのではない。じゃあナニを描きたかったのか、というと、特にないんじゃないか、と思う。
 プレス用にはいろいろ理屈のついたコメントを喋ったのだろうけど、コーエン兄弟の本音というか、発想の真相は、「面白い思いつきだったから」に尽きるのではないか。彼らの映画の基本には、これしかないように思える。逆に、だからこそ、自由な発想で、先が読めないアレヨアレヨ映画(スラプスティックのようでシリアス。シリアスなようでナンセンス。ナンセンスなようで辛辣に批判・諷刺がある。かと思うとやっぱりコントだったりする)を作る事が出来るのだ。
 まさに、異才。妙にエラくならないで、このまま映画を作り続けてほしいものだ。