拳銃(コルト)は俺のパスポート

監督:野村孝

 和製ハードボイルド(今はJ・ノワールとかいうの?)の傑作、宍戸錠自選最高傑作のこの作品に、久々に再会した。この映画はスクリーンでもう一度みておきたいと思っていた。なんだか昔の恋人のような思い入れのある映画なのだ。
 古い映画ノートを探すと、僕はこの作品を81年9月に見ている。なんと二十年前だ。コーイン矢の如しですなあ。いや、そもそもは67年の作品なんだけど。
 で、二十年前はさぞ絶賛しているだろうとノートの記述を見たら、案外褒めていない。同時上映があの大傑作「さぶ」(小林旭主演の山本周五郎原作)だったので、点が辛くなっている。
 
 この作品は、マカロニ・ウェスタンの現代ギャング版である。伊部晴美の音楽がモロにモリコーネだし、ラストの撃ち合いの作戦も、ジュリアーノ・ジェンマか誰かの映画で見たような気がする。
 とにかくこの作品は、宍戸錠のためにある。幾多の作品でニヒルな役、シニカルな二枚目半の役、「エースのジョー」のイメージを逆手に取った気弱な三枚目の役などいろんな役を演じてきた錠さんだが、生来のアクション映画好きで悪役を如何に魅力的にやるかだけを追及してきた彼の、かなりの希望が叶った作品ではないかと思う。
 この二十年の間、この作品のスタイリッシュなところだけをイメージアップして記憶に留めてきたようだ。
 それほど錠さんはかっこいい。無口。笑わない。アクションにキレがある。
 僕は、日本の役者でもっとも疾走するのが似合うのは錠さんだと信じているが、ラストの大銃撃戦で走りながら相手を狙撃して弾が切れたライフルを投げ棄てベレッタに持ちかえて撃ち、一回転してすぐに立ちあがり、また疾走する、この姿に痺れないヤツにアクション映画を熱く語ってほしくない気がする。このカットは長い移動撮影がなされているが、本当なら、もっと見たかった。もっと錠さんが颯爽と走って撃って撃たれて走る姿を見たかった。が、当時というか撮影当日使えた移動レールがこれだけだったのだろう。しかし、このカットは日本映画史に残る最高の銃撃カットである。
 
 藤原審爾の原作。この人の小説は日活で山ほど映画になっている。
 日活映画に登場する暴力団は、ヤクザではなくギャングだ。ドスや義理人情よりも拳銃と金が似合う。そして、主人公は金よりも自分の信念(というか信じるもの、守ってきたもの)に殉じるのだ。渡辺武信は、日活アクションの総体は、アイデンティティの追及であると言い切ったが、確かにそうだと思う。この点で、日活アクションは日本映画の伝統から完全に外れて、異端たりえているのだ。
 ある「組」から大物フィクサーの暗殺を依頼される「上村」。彼は組の事情なんか知った事ではない。殺しのプロフェッショナルなのだ。映画史的にいえばジャッカルの先輩だ。まさにジャッカルのように、彼は仕事として事務的に、プロならではの鮮やかな手順と手際で仕事を成功させる。この部分の描写が(彼がフィクサーを狙うマンションの一室のセットがチャチなのが玉に瑕だが)カッコイイ。たばこの煙をかざして風向を計るショットなんざ、ぞくぞくする。
 暗殺は成功したがフィクサー側に追われ、国外脱出に失敗。彼と弟分のジェリー藤尾は横浜の外れの「モーテル渚館」に匿われ、死に神が取り憑いたような不幸な美女(小林千登勢……腰が抜けるほど美しい)と出逢う。彼女はこのモーテルで働いている。
 このモーテルの描写が、なんとも往年のフランス映画調なのである。ギャバンの「ヘッドライト」を彷彿とさせる。そして、「こんな境遇から抜け出したいけれど抜け出せない」女の問わず語りの部分。人生観とかけっこう理屈が混じっていて、その台詞がまたフランス映画みたいなのだ。しかし、音楽はマカロニ・ウェスタンであり、演出のタッチはイタリアB級アクション(二十年前のノートにはロバート・ウエーバーの「殺しのテクニック」みたいだと書いてある)。画面に映っているのは日活映画のセットと役者。
 と、いっても、僕は日活映画のセットは好きだ。東映現代劇よりセンスがある。東宝のしっかりしたセットとは違って安っぽいけど、ま、雰囲気は出ている。
 そして、役者。僕は、日活の悪役を愛している。自作に出てもらった榎木兵衛はもちろん、深江章喜(今回は早々に死ぬ)や草薙幸二郎(空恐ろしい幹部…たぶん三国人)、上村にライバル的感情を抱く宮部明夫、木島一郎や長弘、トラックの運ちゃんの野呂圭介など、もう、見ているだけで嬉しい。内田朝雄の悪のボスぶりは堂に入っており、さすが。しかし、佐々木孝丸は風格という意味で迫力に欠ける。彼らはいつも同じようなハナシで共演しているので、結果として見事なアンサンブルになっている。(だから彼らがみんな真面目な新聞記者になって出てくる熊井啓の映画なんかを見ると調子が狂うのだが。「けんかえれじい」じゃ中学生とすして出てくるんだぞ!)大学時代、オールナイトで日活アクションの華麗な世界にハマって以来、かなりの数を見てきたから、「いつもお馴染みのギャング軍団」は、他人とは思えない。東京サンシャインボーイズの面々が知り合いであるように錯覚するようなものだ。
 で……お話としては、「殺し屋が組織に裏切られる」というパターンだ。それに不幸な女が絡んでくるのもパターン。プロットで見せない映画の利点は、お話に費やす時間とエネルギーを雰囲気に廻せる事だ。だからこの作品は、錠さんのハードボイルド風味をたっぷり愉しめるし、渚館のどん詰りの哀しい寂しい厳しい空気を描き出す。今やああいう海にへばりついて建っているようなドライブインは東京近郊にはないが、寂寥として心に迫るものがある。運チャンたちがわいわい騒いでいるのを聞いても明るくはなれない。
 
 ハードボイルド映画は、日常からいかに離れて非日常の空気を紡ぎだせるか、が勝負だと思う。とくに日本映画では、それが出来ないとハードボイルドには絶対にならない。
 この作品は、なんとかそれに成功していると思う。錠さんのもっている個性・バタ臭いジェリー藤尾や小林千登勢の力もあるし、美術の力もある。渚館で丼飯に焼魚を出していようが、あそこは本来、ジャン・ギャバンのような寡黙な運転手の集まる、うらぶれて人生どん詰りの空気に満ちた場所なのだろう。今なら生活がずいぶん西洋化しているから(なんとも古臭い言い方だけど)、もっとハードボイルドなムードはうまく出せるだろう。
 で、そういうムードを描き出してしまえば、多少ツジツマがおかしくても見てしまうものだ。僕はあまり気にしないで見たが、ノートを見ると、二十年前の僕は気にしてるんですなあ。日活への洗脳が足りなかったのだろう。
 上村と弟分が渚館に舞い戻るのが、おかしい。「日活アクションの華麗な世界」を読み直しても、さほどおかしくは感じないけど、たしかにまあ、言われてみればそうだ。それに、埋め立て地での銃撃戦にしても、あんな広いところの真ん中で穴を掘ってたら敵に見つかって撃たれて死んじゃうじゃないか。それに、錠さんが時限爆弾を作るシーン、あれはどこなんだ?ああいうきれいな隠れ家あるのなら渚館にいかなければよかったではないか、そもそもタイトルが『コルトは俺のパスポート』と言っているのに愛用してるのはベレッタなのは如何なものか、などなど、思うけれども、ここは、『ここまでのストーリーの展開でこの映画の世界から日常性が排除されているので、不自然さは感じられない』と思うべきであろう。いや本当は、そういう事を思わせてはいけないのだが。
 
 そして、最後の銃撃戦。
 
 いろんなキズがあり、完璧な映画ではないにしても、僕はこの映画を愛す。たまらなく好きだ。ここまでやれるんだから、あともう一歩、と思ってしまうけれど、好きだ。この映画については、一晩中でも語りまくりたいほどだ。
 
 宍戸錠老いて顔を戻してしまった今、この映画のようなムードのあるハードアクションは撮れないのか?(松田優作の「殺人遊戯」(だったか?遊戯シリーズのたしか第二作は、かなり抒情的ムードが盛り上がり、アクションも冴えて、傑作であると思うけど、松田優作ももういないじゃないか)