重厚な傑作。イギリス史なんて高校以来全然勉強していなかったので、「ヘンリー八世がイギリス国教会を作ったから、大陸みたいな宗教戦争はなかったんじゃないの」程度の知識しかなかったのだが、考えてみれば、そんなにあっさり割り切れれば、世に宗教戦争など存在し得ないのであって。
ルネサンスあたりまでのヨーロッパは野蛮極まりない社会で、中東や東洋のほうがよっぽど平和で洗練されて文明的であった。と言うことは、歴史関係の本を読むとすぐ判る事だけれど、こうして具体的に映像になると、なるほど、と思う。
インド人・カプール監督の歴史観・文明観は特異なものではなく、むしろ歴史に公平だろうと思う(ストーリー展開上、フランスやスペインが悪役になっているが、ドラマとしてこの程度の『イジリ』は許されるだろう)。監督がインド人、ということが話題になったり、カプール監督の「西洋の方が野蛮だ」というインタビュー発言から、ある種の予見を持つのは誤りだろう。この作品はなにより映画として素晴らしいし、歴史の歪曲や偏見から来る民族批判はないからだ。つまり、この作品は、ナショナリズムというものに乱されていない、ということだ。
悪戯になにかが強調されたり誇張されたりせず、『女性・エリザベスの苛烈な青春のドラマ』が骨太に描かれ、そのバックボーンとして歴史的事実が頑として控えている。これは映画として分厚くなる。
カプール監督の演出は、骨太だ。この感じは、日本映画からは消えてしまった感覚だし、アメリカだって骨太の監督はどんどん消えているような気がする(あ、キャメロンがいたか)し、イギリスだって、デヴィッド・リーン以降、出ていないのではないか?
そこで、カプールである。
唸りましたね。
骨太演出の極意とは、対象をぐっと見据えて目を逸らさない、というところにあるのかもしれない。この作品は、とにかく、エリザベスという女性に焦点を絞って、描き込んでいる。
歴史ドラマにすると、史実に忠実にするあまり、あれもこれもになってしまう傾向がある。しかし、この作品は、歴史ドラマではなくて人間ドラマだ。
たおやかでしなやかで優しい女性的感受性を持った女性・エリザベスが、いきなり(でもないだろうけど)政争の真っ只中に放り込まれる。当時は、暗殺拷問なんでもありだ。
その過程で、少女の面影を残すエリザベスが、国民に君臨する英国の女王に変貌していく過程の過酷さを描く面白さ。
そして、彼女を取り巻く権謀術数の数々の面白さ。
イギリス映画は、この分野には出色の作品を多数送り出している。『普通の感覚を持った正しい人物が、権力を維持するために(その権力は、彼の考える正しい事を成すために奪取した)冷酷な判断をせざるをえず、どんどん変貌していく』ドラマや、『基盤も弱く御しやすい人物だと思われていたら、あにはからんや凄い能力を秘めた人物で、権謀術数も弁舌も駆使して危機を乗り切っていく』ドラマや、『世の中の大きなものに翻弄されて、人間性を押し潰されていく』ドラマでは、名作だらけだ。それゆえに、ある種のパターンが出来上がっているのは致し方あるまい。ドラマのパターンはすでに出尽くしているのだから。
イギリス映画がこういう題材を扱うと、世界最高な作品を生み出すのは、やっぱり、権謀術数をゲームとして愉しむ風土があるからではないか?取り引きや駆け引き、計算や妥協を恥じず、逆に、知識と教養があるから出来る事として重んじられている国というか民族の感覚というものはいろんな意味で『恐ろしい』。日本人のように中学生みたいに妙に潔癖な感覚を持っていると太刀打ち出来ないだろう。弾圧されていた側が権力を握ると、もっと巧妙なテクニックを駆使して弾圧しかえす。いわゆる『善玉』だって手段として権謀術数や暗殺や汚い手も使う。かの国ではそれは常識で、しかもそういうことが出来る逸材が『善玉側』にもきちんといる。というか、かの国では政権交代(王権交代)が普通だから、どっちの側が善玉でどっちが悪玉、ということはない。
この作品の中でも、映画が始まった当初は、なんとなく『旧教=悪玉。新教=善玉』という構図で見ているが、次第に、どっちもどっちである、ということに気づいてくる。そして、ノーフォーク対ウォルシンガムの技の掛け合いが、純粋に面白くなってくる。
そして、基盤の弱いか弱さの残るエリザベスが、敵に囲まれバチカンにすら刺客を放たれる弱小国イギリスを、どうやって強国にしていくのか、という面白さ。
それらを、2時間を切るタイトな構成で見せていくのだ。すべてにいささかの食い足りなさも感じさせず。見終ったあと、満腹観の残る作品に仕上っている。
それは、凄い、と思う。ひとりカプールの功績ではなく、脚本も素晴らしかったろうし、演技陣も素晴らしかった。音楽も撮影も見事だった。インド人が監督しても、見事に、イギリス映画になっていたと思う。
カプールはインテリだから、イギリス風の教育も受けただろうし、イギリスについても肌で判っている部分もあろうかと思う。役者がみんなイギリスやオーストラリアだからトーンもまとまるだろうし。カプールの功績は、やはり、骨太な演出で、ダイナミックに明瞭に、エリザベスという人物を描き出した、ということだろう。
世界はまた、素晴らしい才能を得た、という感じがする。
そして。
ケイト・ブランシェットは、素晴らしい。無名の新人だった、というのが信じられない。嫋やかで脆そうで、権力者になるには優しすぎる若い聡明な女性、の部分も爽やかに演じきり、そして、イギリスのためにどうすればよいかとギリギリと悩み決断を下していく女王をも演じきる見事さ!その女王は、ゆっくりと権力を確かなものにしていき、どっしりとした『生まれながらの為政者』に変貌していくのだ。この役は、新人じゃないとダメだ、と判断したカプールは正しいと思うし、彼女を選んだ選択眼と決断力もスゴイと思う。しかし、いちばん凄いのは、こういうめちゃくちゃ難しい役を演じきった、ケイト・ブランシェットそのヒトだ。
そして……ウォルシンガムに扮したジェフリー・ラッシュとノーフォークになったクリストファー・エクルストンも素晴らしい。こういうクサイ役回りがこの作品のキーで、それを腹が立つほどうまく演るのだから、凄い。
「1000日のアン」とか「我が命つきるとも」とか「冬のライオン」なども、もう一度見直してみたい。見直せば、この作品の革新性がもっとはっきりと判るかもしれない。権力・陰謀ものとしては「パワープレイ」やテレビで放送した英国政治ドラマも、この作品の構造を洗うのにもう一度見直してみたい。
このところ、かつての停滞が信じられないほど、イギリス映画が素晴らしい。この作品は、大作の部類に入ると思うが、いろんな冒険をしつつ成功させていくのは、イギリス映画界全体に活気と活力があるからだろう。テレビ局・チャンネル4の積極的出資も大きいと思う。話題になったイギリス映画のほとんどにチャンネル4が絡んでいるのだから、この会社こそがイギリス映画を復興させたのではないか、と思える。