フル・モンティ

監督:ピーター・カッタネオ

 ああもう、どうしてこんな優れたうまい巧みな見事な笑える泣ける感動すらするリアルな映画を、今まで見なかったんだろう。公開と同時に映画館に飛び込むべきだったのだ。

 実に、うまい。

 僕はウェル・メイドな映画が大好きなのだが、この映画の監督も脚本家も、劇場用映画の経験は、始めてかあまりない人たちだ。この細部にまで神経の行き届いた描写や人物造型のリアルで巧妙なデフォルメのワザは見事というしかない。

 『失業』というと、ちょっと前まではイギリス病だ、というくらいにしか捉えていなかったが、今や日本も大失業時代。日本中がシェフィールドのようになるかもしれない。思えばイギリスではこの苦難はずーっと続いているのだ。失業の先輩として日本も大いに学ぼうではないか。

 こういう論調がプレジデントなんかの経営者やサラリーマンが読む雑誌に溢れても良さそうな作品だ。

 ジョンブル魂、というのが現代でも通用するかどうか判らないけれど、少なくともこの作品にはそれが大いに息づいている。失業、金が無い、生きがいも毎日の張りもない、という大絶望な状態を、こんなに見事なコメディにしてしまえるのだから。しかも、デフォルメが過ぎてアクチュアリティを失うという愚を犯していない。出てくる人物は全員正常で、気が良くて、平凡で、必死な人たちだ。間違ってもMr.ビーンとかドレビン警部のような笑いの天国から舞い降りてきたキャラクターではない。

 本人たちは大真面目だけれど、ちょっと歯車が狂っているがためにとても愉しい、という映画が、僕は好きだ。

 で、不況と失業の後輩・日本で、こういうテーマを扱う映画を作ったら、さぞや深刻でクソマジメで憂鬱な映画になることだろう。もしくはミョーに脳天気でくそ明るいがために不自然で人工的なもの、か。日本人は『深刻劇』が大好きだから、たぶんそうなる。たぶん、この作品のようなユーモアとペーソスが絶妙に配合された作品は出来ないんじゃないか。いや……最近では周防さんや三谷さんという逸材がいるから、お先真っ暗ではないかもしれないが。

 出てくる俳優は、僕にとっては全員未知の人たちだ。だから、ロバート・カーライルが「本当の失業者で、金が欲しいからこの映画のオーディションを受けたのだ」と言われても信じてしまうだろう。それほど、しがない元鉄工労働者で現在はバツイチの失業者、という役柄が完璧にフィットしている。デ・ニーロみたいに「役づくりを必死でやってキャラクターになりきりました」というのではない。だから、映画にリアルな空気が舞っている。

 他の人たちもそう。元上司のキャラクターは、下手をすると嫌味さが抜けなくなるのだが、このトム・ウィルキンソンはうまいから、奥さんに失業した事が言えなくておろおろしている生活レベルを落としたくないオジサンを、涙が出るほどマジメに演じていて見事だ。

 デブのマーク・アディの役どころも、この種の映画としては定番でなくてはならないものだが、「律義な失業者」(失業保険で楽して遊んでるわけじゃない)で、デブを悩み、浮気は出来ず女房に引け目を感じている(なんせ食わせてもらっているのだから)気弱な男を、これまたうまくやっている。

 この作品は、出てくる俳優のアンサンブルが絶妙で、ため息が出るほどだ。そして親近感があるから、もしも街で出逢ったら、一緒にギネスでも飲みたくなるような気になる。

 そして、忘れてはならないのは、しっかり者の子供を演じたウィリアム・スネープ。うまい子役というのは、それだけで観客の涙を絞るのだが、彼の力量には感心した。うまい子役は「うまい芝居を子供なのにしている」と感じさせる事が多いけれど、「ピアノ・レッスン」のあの子とかこの子は、それを感じさせない。本当にガズの息子で「青は藍よりいでて藍より青し」というか「トンビが鷹を産んだ」というような感じのしっかり息子、という感じを、実に自然に見せる。

 

 で……。

 たぶん、シェフィールドは、25年前のあの活気(当時のPR映画をトップに見せたのはうまい!)を取り戻す事はないだろう。イギリスの鉄鋼・造船など、『男の仕事』は、日本や韓国が奪い去ってしまったのだから。

 日本が経済大国になったのは、シェフィールドのような街を世界中でいくつもぶっ潰した成果だ。ピッツバーグだってクリーブランドだってデトロイトだってマンチェスターだってそうだ。日本、そして韓国が興隆しなければ、ガズたちはきっちり雇用されて離婚することもなかったかもしれない。そして、舞台に立ってスッポンポンになることも……。

 そう考えると、日本が不況だ失業だと、この世の不幸を全部被っているように思うのは、唾棄すべき被害者意識であって、こういうものは循環してるのよ、といいたくなる。

 以前、オランダ商務省日本代表部に取材した時、チューリップの球根の大量輸出をしたいと言うので、「そんなことをしたら日本の農家が潰れてしまう」と思わず言ったら、商務省の人は「日本だって造船とか工業でヨーロッパをたくさん潰したではないか。チューリップ農家くらいでナニを言ってる」と返されて、ハッとした事があったが、そういうことだ。

 映画のパンフで、泉麻人が日本で作ったら、という架空キャスティングをしていて、ガズ役は案外中井貴一が、と書いてあったが、その卓見に思わず膝を打った(って、古い表現だねえ)。しかし、くれぐれも松竹では映画にしてほしくないものだ。山田洋次調でくさいペーソス演出されちゃ、たまらない。だけどこの世界、あと一歩で松竹の世界なんですよねえ。

 しかし、そうなっていないのは、やっぱりイギリス映画だからだ。

 シェフィールドは昔の姿では復活しないし、彼らがスッポンポンになっても、彼らの生活が変わる事はないだろう。ガズは依然として息子・ネイサンの養育費で頭を悩ませ、元上司ジェラルドはなんとか再就職出来るかもしれないが、デブのデイブはやっぱり肥満と不能を気にして女房に頭が上がらないだろう……。

 だから、ラスト・カットが、舞台の上で帽子をばっと飛ばしたところでストップ・モーションだったのは大正解なのだ。後日談になれば長くなる。ウソの成功話は見たくない。なんせ結局、ほとんど踊りが巧くなっていない(それがいいんだけど!)6人なのだ。これでローカル・スターになっちゃ映画は台無しになる。

 脚本を読んでいないから、どこまでが脚本の指示で、どこからが演出なのかよく判らないけれど、細やかな神経の行き届いた人物造型は見事の一言に尽きる。そして、それに応えて素晴らしくキャラクターになりきった俳優諸氏にも拍手を送りたい。また、的確なキャスティングをしたスタッフにも。