これほどまでに哀しく切ない怪獣映画があったろうか。
エンディングのあまりの哀切さに、僕は絶句してしまった。
失敗作だのなんだのという判ったような論があるらしいが、僕はそれには一切組みしない。
この作品は、傑作である。裏でどんな事があろうが、スクリーンに映し出されたこの作品は、すべての怪獣映画を超越した、と信じる。
この作品は、前田愛ちゃんに感情移入出来るかどうか、ではないだろうか。ガメラに両親を殺され幸せだった家庭を壊された、途方もない『喪失感』。これを共有出来るかどうか、そういう感情を理解する想像力があるかないかで、この作品への態度が決まってしまうと思う。
その意味でこの作品は観客を選ぶのかもしれないし、今までの怪獣映画を超越したといえるかもしれないし、怪獣オタクたちを満足させるものから大きく足を踏み出して、もっと高次元の作品たり得た、と言えるかもしれない。
では本作がそういうアートフィルムになってしまったのかといえばさにあらず。
渋谷のシーンの凄まじさを見よ。
僕は長年怪獣映画を見、怪獣映画で産湯を使ったと言ってもいいが、これほど恐い怪獣バトルのシーンを見たことがない。
迫真性が十二分にある。
そもそも僕は、怪獣映画をパニック映画の一種であると思っている。金子監督は戦争映画のメタファーと捉えて「ガメラ2」を作ったようだが、僕の興味は、いい怪獣も悪い怪獣も、怪獣がいる限り街は破壊され人は死ぬ。これはもう、災害disaster以外の何者でもないではないか。
僕はゴジラもガメラも別に怪獣個々への思い入れはまったくない。そういう状況を如何にうまく描いてくれるか。それだけに興味がある。これは昔からだ。だから怪獣が3匹以上登場するともうマンガになってしまって緊迫感のカケラもなくなる。子供心に「南海の大決闘」で匙を投げたのは、パニック映画たるべき怪獣映画がバラエティショーに堕落したからだ。
で、本作である。
平成ガメラの特撮は、日本における本家・東宝を大きく凌駕し、リアルな事では世界有数である。「ガメラ1」の東京タワーで眠るギャオスのカットは美しくさえあった。
渋谷のシーンは、その場所が慣れ親しんでいるという事もあろうが、火の玉と化したギャオスが天空から降ってくるという美しくも恐ろしいところから始まって、これほどの阿鼻叫喚を表現し得たという事に驚嘆する。
パニックが起きる場所の選定がいい。
また、墓穴を掘らないために寄り気味のサイズでショットを重ねていくのがいい。ロングで引いてしまうと、笑いながら逃げている銃殺刑もののエキストラがどうしたって写ってしまうから(東宝の怪獣映画にはこの手が多い)。
孤独な少女が、奈良の山奥でイリスと出逢い、「私が育てなきゃ」と思い込む。家族を喪った少女らしい感情だ。また、幼虫(というのですかね)のイリスは保護が必要な感じがする(この幼虫イリスの造型にだけはちょっと文句を言いたい気持ちはある。生物としてのぬめぬめ感が足りない)。
そして、「ガメラが憎い」という気持ちで、この二者は一体となっていく。
イリスの設定の巧みさは、僕は感心した。なるほど、日本の古代史に残されているほど強烈な怪獣の攻撃が過去にあったのだな、と本気で思わせられるほどだ。
日本政府お抱えの妖しい巫女、という設定もおかしいとも思えない。なんせ歴代首相が占師を重用してた(してる?)日本だし。
そして京都駅での、大スペクタクル。
今回、自衛隊の登場と活躍が少なかったが、お話の性格上それは仕方ないだろう。しかし描き方はやっぱりリアルで、嬉しくなってしまう。航空自衛隊が「ペイトリオット」というのだと初めて知ったし。
また、政府方面の描きかたもリアル。今回は主人公たちの味方になる環境庁審議官の在り方も、怪獣映画だから、という嘘がなくて、好きだ。
で……。
ハイパー・ギャオスの大群が日本めがけてやって来る。
少女を救って誤解を解いたガメラ。
「どんな生物も、最期は自分で選ぶ権利はあるはず」
「最後まで頑張るのよ。ガメラは最後まで頑張るはず」
という言葉を背に、立ち向かおうとするところで、この作品は終わる。
凄い!
まるで「七人の侍」の、最後の合戦シーンをすっぱり落としたようではないか。
しかし、だから、この作品は素晴らしい。言い様もない深い余韻が生まれた。
僕は、このラストは衝撃で、落涙した。
まさにガメラは、ガーディアン・オブ・ユニヴァース(人類にとっての)である。
まさに、力技。
脱帽である。
この終幕の鮮やかさは、映画史に残るのではないか。
市川崑の「おとうと」も、すぱっとぶった切ったように終わるからこそ、どきりとし、いつまでも記憶に残る。この作品もそうだ。しかし、そうするについては大変な勇気が要ったろう。
金子修介監督と、伊藤和典の両氏にはいくら拍手を送っても送り足りない。
もちろん、特撮陣の素晴らしさも絶賛したい。もう、ハリウッドに遅れてはいない。ビデオからフィルムへのトランスファーも実にうまくいっているし、CGの精緻な事といったら!
クレジットを見ると、なんだか日本のすべての特撮関係者が噛んで、幾つもの撮影所を使い、かなり凄い体制だったのではないかと思う。
前田愛ちゃん。この子は素晴らしい。演技派だとは聞いていたが、うまい!この作品の切なさは、この子の演技にかなり負っている。
共演の、奈良の男の子(の役を演じた)もいい。
中山忍は、やっぱり線は細いけど、1作目からガメラにつき合って、すっかり日本におけるガメラとギャオスの権威という感じで、貫禄が出て来た。
脇役陣もうまいキャスティングだ。のっけに三田村邦彦が出てきたのには驚いたが。
が、この作品にリアリティを与えているのが、日本テレビのアナウンサーや出演者たちだ。アナウンサーたちが、通常のニュース番組のような感じ(これが大切。セットも何も通常じゃないといけない)で怪獣関係の情報を流す。これが痺れる。「ザ・ワイド」が出てきたのには笑ったが(しかし場内は皆さん真剣なのか悲愴感漂う怪獣オタクがが集まっていたのか、笑い声はまったく出なかった)。
ピアノを生かした、音楽もこの作品を盛り上げた。どうも今まで怪獣映画というと、重厚で粗野な響きが魅力的な伊福部サウンドじゃないと満足できなかったのだが、この作品のこの音楽は、内容に完全にマッチしていて、素晴らしかった。
USゴジラには、この作品の詩情は、ない。どんな映画もハリウッドに渡るとニュアンスを失うのは通例である。しかし、必要以上にUSゴジラを貶めるセンスのない言動にも組みしたくない。あの作品は、その描写において、リアルである迫真性があった。
USゴジラが駄作でこの作品が失敗作ならば、東宝の怪獣映画はゴミ以下であろう。それくらいの品質の差がある。そしてその差は今後どう逆立ちしたって埋まらないであろうと思う。東宝の怪獣映画上層部が、ガメラ映画に真摯に学ばねば、東宝は怪獣映画の超駄作を作り続けるしかないだろう。
この作品は、全世界の怪獣映画の中でも、ひときわ、孤峰に位置するかもしれない。そして、今後は、この作品を抜けるかどうかという尺度になるかもしれない。
この作品は、それほどの価値があり、凄味がある。