役者はみんなうまい。構成もうまい。描写もディティールまで神経細やかで文句が付けられない。骨太なテーマもある。今までの伊丹映画の優秀なところが集まった感があって、実にウエルメイドで、安心してみていられる。
なのに、どういうわけか、心の中にわだかまりが出来る。これは何なのだろう。
マルタイになるのが女優だからか。
伊丹さんの事だから、あらゆる方向から考え抜いて選んだ事だと思う。一般人のほうがリアリティは出るだろうが、お話がつまらない。いや、一般人なりにドラマは作れるし、失うものもあるのだから、カタストロフも設定出来るし、葛藤だって盛り上げる事が出来るだろう。気のいい食堂の女将にだって、不倫があったりするかもしれないし。
しかし、伊丹監督は、観客をよりエンターテインさせるために(そして自らの体験を物語るために)、主人公を女優にした。
映画は、バックステージものの興味も取り込んで、話題は豊富だし派手な展開にもなって、面白いものになったとは思うが、テーマを考えると、このバックステージ的興味というのが邪魔になっているのではないか?とどうしても思ってしまう。
女優(それも売れている)には失うものは多い。しかし、それでも勇気を出して証言する、というのも大きなドラマだ。それは判る。
が、しかし……。
伊丹さんの持ち味は、躁的なことだ。今までの諸作(「大病人」と「静かな生活」を除く)は、一貫して躁的な(もしくはもう一人の主人公によって躁的にされた)女主人公が大車輪の活躍をする、という黄金のパターンを踏襲している。「お葬式」はそうでもないが、「タンポポ」以降、宮本信子演ずるヒロインはみんなそうだ。特に前作「スーパーの女」のヒロインの印象は強い。
今回もそうだ。今回は、事件に巻き込まれてしまうわけだが、ずっとテンションが高いまま、というヒロイン像は不変だ。しかし、どうなんだろう。スーパー立て直しを計る近所のパワフル主婦、というのならハイテンションは判るが、大物女優の場合、ずっと躁になりっぱなしというのは、どうなのだろうか。テンションが下がりそうな場面はある。しかし、彼女の気丈さを見せるためか、ヒロインは落ち込まないし、錯乱にも至らない。愛犬が殺されたり自分の公演が打切りになったり、キャリアに大きな痛手となる不倫が発覚したり、いやいや、生命の危機に晒されて助かった後とか、男でも女でも、気丈であろうがなかろうが、もっと取り乱すしめちゃくちゃな心理状態になるんじゃなかろうか。伊丹さんご自身の経験で、まったくみっともないほどの取り乱しがなかったのだから、ということなのかもしれないが……。
で、ハイテンションで躁的であると、いろんな面白いエピソードは作れる。ギャグも配置出来る。思うに、伊丹さんは元来そういうことが大好きだし、今回、三谷幸喜さんをアドバイザーに迎えたが、この三谷さんもこういうことには目がない。こうしたらこんなギャグが出来る、とか、こんな面白い展開に出来る、というアイディアが山のように湧いて来て、それを使いたい誘惑に駆られてしまったのではないか。
この作品、あまりギャグもなく、静かにじわじわと恐怖が迫って来るような心理サスペンスとしても構築出来たと思う。スコセッシの「ケープ・フィアー」のような。ヒロインは、持ち前の正義感と市民としての義務感から証言しようとするのだが、カルト教団はじわじわと彼女を包囲して心理的に追い詰めていく……。警護の警官ともども、『敵』の悪意に巻込まれ、翻弄される……。
それなりに、怖いものに出来たろうし、この作品とまったく同一のキャストでも、怖い映画は作れる。ラッキイ池田のような男がへらへらしながら襲ってくる方が怖いとは思うが。
しかしそれでは、嫌がる観客も充分存在する。
やはり、適度にハラハラドキドキするが、ギャグを愉しみつつ見たい、という客の方が多いだろう。とまあ、これ以上のいろんな考えをもとにして、伊丹さんは現行のタッチを採用したのだと思うが……。
面白いのは面白い。が、面白すぎて、恐くないのだ……。
江守徹の弁護士なんか、本来は物凄く怖い存在であるべきだ。たしかに江守徹は卓越した演技力で、邪悪な弁護士像をがっちりと演じきっていた。あれは怖い。ああいう弁護士に一喝され、恫喝されたら、それだけで証人の座を降りたくなるだろう。しかし、映画は、バイクチームによる実力行使をさせ、弁護士は退場する。
たぶん、僕は、この題材でここまでアクション主体の「明朗な」活劇にしちゃってよかったのか、という気持ちが強いのだと思う。伊丹×三谷、で、面白く愉しい映画になっている事は間違いないが、シリアス部分とのバランスがいちばん悪くなっているのではなかろうか。
役者は、今回も全員、ほれぼれするほどうまい。どんどん繰り出される素晴らしいキャスティングと、その選ばれた役者が見せる芝居を愉しむ、というのが伊丹映画の大きな魅力のひとつだろう。今回、西村雅彦が伊丹映画にデビューしたが、彼は同時に、アクション俳優という座も確保した。悪漢数名を相手にした立ち回りのキレはなかなかのものだ。また、三谷さんの助言があったのか、西村さんは実にいい使われ方をしている。三谷作品と同じニュアンスで西村さんを動かしているから、『今泉慎太郎の亜流』ではない、「怖そうだけどデリケートで優しい男」という、彼の持ちキャラを活用出来ていると思う。我が事のように、西村さんがメジャー俳優になったなあ、という感慨を持った。先輩でも恩師でもないのに、こういう『感慨』はおかしいのだが……阿南さんや伊藤さんの顔も見えて嬉しかった、というのはまるでTSB同窓会のノリではあるが……。
宮本信子や津川雅彦のクラスは、ほれぼれ級の芝居だし、名古屋章の名演も光る。伊集院光も味を出していたし、カルト教団側の役者集団も、気味が悪いほど感じが出ていてすこぶるうまい。伊丹映画の魅力は、優れた役者の優れたアンサンブル(これは今の日本における最高水準のものだろう)を堪能出来る事でもある。前作では憎々しい精肉の親方をやっていた六平直政の刑事も味があった。
スタッフ陣も、日本映画の最良の仕事ぶりを見せてくれて、感歎するのみだ。
だから……やっぱり……こんなにギャグにしちゃってよかったのだろうか、と、どうしても思うのだ。
(付記98/05/25:伊丹さんが死んでしまった欠落感は、未だに埋める事が出来ない。いろんな人が彼の死の意味や解釈を論じているが、虚しく響く。まったく、残念でならないのだ)