みんなのいえ

監督:三谷幸喜

 実は、三谷さんの第一作「ラジヲの時間」を褒め過ぎたような気がしていた(って、映画評論家でもないのにね)。フレームの中がスカスカなような気がしたのだ。特に巨大なスタジオの中のシーン。何にもないのがスタジオなんだから仕方ないのだが、それは、フレームの取り方というか、サイズの取り方に問題があったんじゃないかと思った。引き過ぎの長回しだからであって、もっとカットを割って寄ったりアップを挟んだりすれば、そういう印象は消せたはずだ。
 で、三谷さんは「カットを割れない」「今回もワンシーン・ワンカット」と書いていたから、不安がよぎった。
 大体に於いて、ワンシーン・ワンカットというのは、映画として責任を放棄している、と僕は思う。映画の魅力は、カッティングだと信じるからで、『丼』(ワンシーン・ワンカットをこう呼ぶ……会社によっての方言だろうけど)だと、カットが切り替わる映画ならではの快感がないではないか。そういう理由で、溝口健二は苦手だし、相米慎二は嫌いだ。
 しかし。この作品の三谷さんは、前作から格段の進化を遂げた。アップを撮る勇気を得た、という感じなのだ。
 ワンシーン・ワンカットが全然気にならない。それは、的確にキャメラが動くから。作為的にキャメラが動くと、キャメラの存在を感じさせて逆効果だが、うまい移動はカッティングや編集と同じ効果を生む。今回は長玉85ミリをメインに使ったそうだが、移動してどんどん人物に寄っていく。かと思うと、ここは、と思う部分ではきっちりカットが割られている。
 思うに、ビリー・ワイルダーもあまり映像に凝らない、芝居をきちんと見せるためにアングルを決め、ショットを決めて撮ったひとだ。そういう部分を引き継いでいる。キャメラは必要な場所にあればいいのだ。(しかし僕は市川崑の映像美に魂を抜かれているから、あのトリッキーな映像にシビレるのだ)
 
 家を建てる話、というのは、もしかすると僕のような「一生賃貸派」からすると「そういうお金持ちの話なのね」てな事になる可能性があるが、この映画のテーマは、「職人とはなんだ!」という事だ。
 三谷さんは職人の仕事、ということに拘る。職人こそ真のプロフェッショナルであるからだろう。
 プロは、与えられた条件の中でベストを尽くしてクライアントを満足させ、そして自分の意欲をも満足させる。
 劇中で、ずっとへらへらしている弱い主人公が、一回だけデザイナーにびしっと言葉を投げつけるところがある。
 「プロならやれよ!」
 痺れましたね。かの名作舞台「笑の大学」においても、喜劇の座付き作者は、プロゆえに、検閲の枠の中で笑える台本を書いて、それが深い感動を呼ぶ。それだ。
 その後、デザイナーという芸術家と大工という職人は、実は根っこは同じなのである、というところに行きつく。デザイナーにも職人の部分はあるし、職人にだって芸術家の部分はある。それを見せるのに、イギリスのアンティーク家具を大工の棟梁が日本の伝統技術で見事に直してしまう、という素晴らしいシーンを用意した。
 物事には違うアプローチがある。しかしそれは、正しいアプローチであれば同じところに行きつくはずだ。嵐の夜、ともに建てている家が心配になって駆けつけるデザイナーと棟梁の、邂逅の一夜。
 もちろん邂逅には、いろいろ細かな工夫がなされていて、竹割りタイプの古いタイル、というアイテムもある。これには、棟梁の右腕の大工が活躍する。
 
 三谷作品の魅力は、周到な人物配置、そして周到な伏線だ。ドラマとして、「職人」ということが前面に出、クラフトマンシップ賛歌が盛り上がると、これはもう、『三谷幸喜成功の方程式』だ。作者・三谷がクラフトマンシップに対していかに敬意を持っているか共感しているか憧れているか、それが滲み出るから見る側もそれに共感し、感動する。
 そしてそれは同時に、『緊張と緩和』『不信と理解』というドラマの基本でもある。
 
 自分の家を建てていて、「これは最高の題材だ!」と狂喜したのもよく判る。古典的普遍的ドラマがあり、しかもそれは身近であり、小市民が共感できる。
 
 デザイナーの運転が荒くて同乗した人間はみんな吐く、というランニング・ギャグを多用してシーン頭で爆笑させるアメリカ喜劇のテイストがキマり、シーン終わりでギャグを噛ましてオチをつけるのもシャレた感じで効いている。シーン終わりのオチ、というのは下手をするとシーン全体がコントみたいになるが、本作品で三谷幸喜は下手をしていない。
 今回、ていねいに役者のアップを拾っているから、人物描写もよく判るし。吉村実子のお母さんなど、頑固な棟梁、気が強い娘の間で気苦労が多いだろうなあという感じを、ワンカットで表現しているし。この「ワンカットで表現」というのが、映画ならではの醍醐味であり、これがないと映画に切れ味がない。
 
 出演者は全員うまいし、上記の吉村実子以外にも、懐かしくもテダレの役者が大挙出てくるから嬉しくなる。「ドリームチーム」の江幡高志・井上昭文・榎木兵衛というラインナップをみてじんとくるのは日活ファンだ。特に江幡高志の芝居の切れ味は往年のままで、この人じゃなきゃという味がある。貨物船の船長で裕次郎の人生の先輩、という役柄のイメージがある井上さんをもっと見たかった。榎木さんは、出てくるだけで嬉しい。
 
 とはいえ、この映画は、なんと言っても、八木亜希子の魅力に負う部分が大きい。こういう嫁さんがいたら、彼女の思い通りの家を作って上げたくなるよなあ、と思うし。きっと、三谷さんは八木亜希子が物凄く好きなのだ。
 その気持ちを託されたココリコ田中は、誠実にくそ真面目にやっている。彼の右往左往は嫌みがないからいい。
 そして、田中邦衛。この人はもう、近日中に人間国宝になってもいいんじゃないか。現存する役者では、高倉健と並んで、どんな役をやっても田中邦衛、という地位を確立している。「一途な職人はオレじゃない」と本人は思ったそうだが、花沢徳衛と並んで頑固な職人が最高に合うヒトだと思うがなあ。
 
 三谷作品は脇役が凝っている。今回も山寺宏一や彼の実娘(新居にさっそく落書きする!)、清水ミチコを実にうまく使っている。中井貴一まで出てくるのだ。
 
 こういう作品には『特別出演』が多くて、それがお祭り気分を盛り上げるのだけど、それはちょっと、反則な気もする。「パリで一緒に」とかああいうお祭り映画はカメオ出演があればあるほど楽しくなるが、この作品のように、映画本体だけでも充分によく出来ている作品の場合、シャレなのは判るが、こんな特別出演はなくてもいいんじゃないか?と思う。この点が、この作品に対する唯一の「一言言いたい」事か。
 
 「家を建てる」という事にテーマを絞るために、近隣とのトラブルということを排除したのは、現実離れしているとは思うが(だって敷地の周囲には何もないのだ)、それは映画のウソだ。こういう家を建てられたらなあ、という願望を見せるのも映画なのだから。実際、「一生賃貸派」の僕も、一戸建てオーダーメイドに憧れてしまったのだから。