オケピ!(舞台)
作・演出:三谷幸喜/作曲・指揮:服部隆之

 同世代人の成功をみると嫉妬を感じるのだが、三谷幸喜には不思議とそれを感じない。ただただ、三谷幸喜を生で見られ一緒に生きられる時代に生まれた幸福を感謝するのみだ。思えば、いろんな巨匠の全盛期に乗り遅れ「ああもう少し早く生まれていれば」と歯噛みすることが多かったが、三谷幸喜に関してはほぼリアルタイムでその仕事に接することができる。どうしようもない世の中だし、最低の部類に入る時代だが、戦争がないのと三谷幸喜が一緒にいるという事は神に感謝すべきだろうと思う。
 彼自身の凝った場内アナウンスに送られて劇場の外に出ると、身も心も軽くなっていることに気づき、傑作に接した感慨を新たにした。どんなに素晴らしい映画を見ても、重さにして20キロほどの重いものが取れたという感じはしないものだが。
 
 二階の前から2列めという席の関係か、歌詞がよく聞き取れないナンバー(「ミュージカルはくだらない」という井原剛志のナンバーとか)が幾つかあり、それがとても残念だし、過去の名作ミュージカルのように幕が下りてから自然に口ずさんでいるナンバーがなかったのが惜しいが、感動的な作品だ。
 ミュージカル公演中のオケピ内部の難問奇問愚問珍問の中、指揮者がヨレヨレになりながら進めていく、という基本プロットは「ショウ・マスト・ゴー・オン」に似ているが、あの作品で西村雅彦が演じた快刀乱麻の活躍を見せる切れ者舞台監督は登場せず、真田裕之の指揮者は開幕前からメロメロだ。理由は奥さんと別居中だから。そして奥さんを寝取った相手がオケピの中にいるという事実。
 登場人物のキャラクター配置と、キャスティングが、いつもながら、素晴らしい。パルコ製作の豪華キャストでもサンシャインボーイズ公演でもテレビドラマでも、三谷作品の人物配置とキャスティングは、見事の一言だ。特に脇役にその妙が発揮されるのだが、今回も同様で、ミスをしまくるピアニスト、物を食ったら寝てしまうファゴットのキャラと不勉強にして存じあげなかった両名優の芝居には参った。特に、ファゴットの北川潤の美声には惚れ惚れした。
 
 この作品、もっと練って、親しみやすいナンバーを追加していけば、世界に出せるモノになるはずだ。ブロードウェイの成功作だって、長期間の試演による手直しの結果、ブロードウェイの幕が開くのだから、再演・再々演を強く期待する。
 なので、一回だけの観賞では、印象をメモすることしか出来ない。
 開幕して、まず、背筋がぞくぞくしたのは、なんと言っても布施明だ。彼の朗々たる歌には圧倒される。昔から歌唱力では日本有数だが、生で聞くと、その素晴らしさに感動する。
 そして、真田裕之の踊り。さすがアクションスターだけあって動きにキレがあって、決まる。背の低さをみじんも感じさせないのは、その存在感の大きさだ。
 
 昔、劇団四季や当時の市川染五郎のミュージカルを見て「……違う」と思い、東京キッドブラザーズを見て「もっと違う」と思って、ミュージカルは映画に限る、という、なんだか目黒のサンマ的な事を思っていたのだが、ブロードウェイで「オペラ座の怪人」を見て感動に打ち震え、「こ、これだ!」と思った。英語は判らないくせに、これが舞台ミュージカルの凄さだ、と思った。
 歌唱力の問題だったのである。
 今の劇団四季のレベルアップは物凄いと思うから、上記の思いは『偏見』になったのだろう。それはとてもよろこばしい事だ。
 今回は、布施明と北川潤の歌唱力が圧倒的で他の追従を許さなかったが、川平慈英ももちろんうまいし、真田裕之も松たか子も山本耕史も戸田恵子も遜色はなかった。意外だったのは小林隆と宮路雅子。この二人がこんなに達者だったとは。
 
 白井晃は、とにかく芝居のおかしさが絶品だった。楽器4つの兼任で、誰かがピンチになると代わりに演奏してしまうスーパーマン。サックスとトランペットを同時に吹く、という無理なことも自信ありげに「やってみよう」と言い切るおかしさといったら!
 ピアノの小日向文世の軽妙さも印象に残る。持ちこんだペットを要所要所に使う小技も効いているし、「いつも間違ってばかりいる」というキャラクターの生かし方も抜群。
 山本耕史の、「この日限りの学生エキストラ」という設定は巧いと思う。よく知られていないオケピのシステムを説明するのにも、こういうキャラクターに教えていけばいいのだから説明臭くなくなる、というのは作劇の基本だとは思うが、その彼の、『プロを夢みるアマチュアならではの疑問・失望・怒り・尊敬』が、まったく臭くならない。彼の成長物語であったり、オケピに集うミュージシャンの素晴らしさを歌い上げるなら、とても匂ったかもしれないが、賢明な三谷幸喜はそう言うスカタンをしない。オケピの人間もタダの人間だし、お話の中で多少の成長はするが、それは本当に微々たるものだ。それが逆に作品を爽やかなものにし、温かなものにしているのだ。
 三谷幸喜は、けっして誰かを切り捨てたりはしない。ばっさりぶった切ることをしないで、逆に、その人物がそうであることを肯定し、ちょっぴり弁護みたいな口添えをしてやる。これがいい。これが心の琴線をかき鳴らす。これは、見よう見真似で他人がやっても失敗する。嫌なヤローがいたら悪口を言うような人間が否定的人物を受容するようなお話は書けない。三谷幸喜だって他人の悪口を言うだろうけれど、たぶん、その悪口の内容が常人とは違うのだろう。
 そういうところを見事に見せたのが、松たか子の役柄。ハーピストという「いかにも箱入りのお嬢様で育ちがよくてお上品で淑やかで貞節で気立てのいい女性」という(松本人のものでもあるかもしれない)イメージをひっくり返して、「私はそうじゃない!」と歌い踊る。松はいつもに増して可憐でヴィヴィッド。まさに、とても可愛い猫のように愛らしく演じる。彼女みたいな女がいれば、たちまち男たちは三角四角関係に陥るよなあ、という説得力が凄い。「ひとつの愛には満たされず、変わらぬ愛より新しい愛を求めて、いつも誰かに新鮮に愛されていたい」という(可愛いから余計に)困るといえば困る人物を、まったく否定しない。布施明に泣かせる台詞をひとつ言わせるだけだ。
 その布施明。この作品は、実は布施明のためにあるのではないかとすら思える『立ち方』をしていた。彼の歌手として役者としての存在感をして役を大きくさせたのかもしれない。気難しくて神経質なキャラにまず笑わせ、一人娘との20年ぶりの対面のエピソードで泣かせ、松たか子への一言で、じんとさせる。映画「ラヂオの時間」での布施明の使い方も秀逸だったが、今回の布施明も、布施明が素晴らしいだけに、余計に素晴らしい。この舞台の感動の多くは、布施明に負っていると言っても過言ではあるまい。
 真田裕之は、バラバラになっていくばかりの登場人物を束ねて、孤軍奮闘獅子奮迅。うまい。ワイルダーの「お熱い夜をあなたに」のホテル支配人のようなキャラだが、コンサートマスター・戸田恵子との『復縁』がこの作品の一方の軸だから、ハナシ的にも立っているし……なにより、バラバラで指揮者などハナからバカにしてるようなメンバーが、実は、深い敬意を指揮者に抱いている、というあたりが、実に泣かせる。「人間、どこかで報われる」というと、これまた臭いのだが、こういうふうな巧みな作劇で、お話の最後でそれをさりげなく見せられると……もう、素直に感動してしまうのだ。そして、見終った後の印象もすこぶる爽やかになる。
 この中で、ドラマーの菊地均也が、霞んでしまった。設定自体がそうなのだが、その場を掠うエピソードがなかったこともある。他のメンバーには、それぞれの人生を語るエピソードがありナンバーがあるのに、彼だけにはない。たぶん用意されていたけどカットされたんじゃないか、と思わせる感じもある。再演の際には復活するなり追加していただきたい。ドラマーじゃ将来不安でアムウェイもどきにハマッてしまう人物というのは描き方でもっと面白くなるはずだし。
 戸田恵子は、「サバの罐詰め」というナンバーが凄い。この歌は独立しても聞きたい曲で、歌詞が見事。「みのもんたの言ったことをやってみる幸せ」というのはまさに小市民的実感に溢れた秀逸さ。
 
 オケピだから、当然、舞台もある。足だけしか見えない舞台も、きっちり見ていないと、女優が宙を舞ったり突然車椅子になったりして、ときどきとんでもないことをしているから気が抜けない。
 
 歌抜きのストレートプレイとしては、もう完成の域に達していると思う。小技が見事に効いて、三谷マジックは衰えるところを知らない。これで歌詞がもっときちんと聞き取れれば最高であった。開演前の場内アナウンスに作者が登場してジョークを飛ばし、終演後の「追い出しアナウンス」でもジョークを飛ばす、というのは(大劇場公演においては)前代未聞ではないだろうか。
 
 とても幸福になる、見事な作品だ。前売チケットが1時間で完売するには訳があるのだ。