オールド・ボーイ
監督:パク・チャヌク
とてつもなく凄い映画。
とにかく1/3までは圧倒的に凄い。監督の演出に振り回される快感!どこに連れていかれるのかまるで判らないけれども、その語り口の巧さに陶酔。
謎が謎を呼ぶ展開。緊迫してミステリアスで不条理で残酷な中に、時折、ぽつんと放り込まれるギャグ。その呼吸の人を食った見事さ。カット変わりの鮮烈な感覚。
これが、映画だ。凄い。まったく凄い。
おれが特にムチャクチャ興奮するのは、カット変わりに鮮やかな飛躍があるかどうか。
これはもう、映画だけしか持ちえない最高にして最大の特性なのだ。まあテレビドラマでもカット変わりはあるけれど、なぜか、映画ほどのパワーを持ちえない。映画をテレビで観ても、やはり、「映画」と「テレビドラマ」は似ているようで違うのだ。
この「カット変わりの飛躍」でもっとも顕著なのは、20年前の元気で怖いもの知らずだった頃の森田芳光。この人のカット変わりの飛躍のパワーと鮮烈さは凄まじかった。
品田雄吉は「川島雄三〜市川崑〜森田芳光の流れ」と指摘したが、まさにその通り。
市川崑が、何がスゴイかと言うと、フレームの中の人物配置が時に意表を突く。その常人の予想を裏切って普通の発想をはるかに飛び越えて、まるで予期しない構図を作ったり、人物を配置したり、カット頭でミョーな芝居をさせていたりする。森田の場合は途中で作風がおとなしくなってしまったが、市川崑の場合は、そう言う持ち味は晩年に至るまで持ち続けている。編集で落としてしまう事もあるけれど、やっぱりあの感覚は「天才」でしかない。
映画の天才。
カット変わりでいきなり大きな身振りで主人公に餃子を食わせているとか、主人公のアップからカメラがトラックバックすると餃子を挟んだ箸越しのアングルだったとかノノ。
いや、鈴木清順のタッチもあるな。カット変わりで、明らかに、カットが繋がっていない(ジャンプしている)のだが、それが鮮烈な感覚。
振りかぶったトンカチから相手の急所に向かって点線が走るのは完全にギャグだが、この呼吸は中平康の「危い事なら銭になる」に原型がある、と思うけど、他にも類型があるだろう。
そういう溢れるばかりの映像感覚を、ふんだんに詰め込んで、しかもテンションは高いままで維持する。こんな離れ業を見せつけられたら、誰でも感嘆し驚嘆し、狂喜乱舞するだろう。
この感覚は、タランティーノより鋭いかもしれない。
が。1/3を過ぎた辺りで、物語が転調するとともに、演出のタッチも変わる。もっと落ち着いて、映像のケレンで観客を驚かせるよりも、登場人物の心情を描く事に集中する感じになる。
おれとしては、そこまでの絢爛たる演出テクニックのまま突き進んで欲しかった。そこまで、あまりにも感嘆していたので、急に『フツーの映画』になってしまった感じがあったのだ。
過去を思い出すシーンの演出は、「バック・トゥ・ザ・フーチャー2」に影響を受けている感じがある。あの映画のラストの方で、状況を観ているマーティとタイムスリップして走り回っているマーティが入れ子になってむっちゃくちゃ複雑な出入りを見事に捌いた、あのシーンに学んでいる。と断言しちゃう。
哀切極まりない、ダムのショット。ここまでやったのなら、『あのショット』は、人形なんか使わないで、ヒッチコックが「逃走迷路」でやったように、落ちて行く少女を正面からカメラを据えて捉えて欲しかった。その方が、残酷な運命に翻弄される哀しさがもっと出たし、少女の表情ももっと判ったはず。もしかして監督は、「逃走迷路」を観ていなかった?
この作品に欠点を感じるとすれば、上記のショットの撮り方がもったいなかった、というのと、敵役が、どう考えても若すぎるだろう、と言う事。主人公とあまりトシが違わないハズなのに、主人公が老けすぎているのか、敵役が若すぎるのか。若いだけではなく、他の役者がすべて味があって巧いのに、この敵役だけ、ぺろんと薄っぺらい。芝居があまり巧くないし、存在感も気迫。あまり出てこない「室長」が少ししか映らないのに凄まじい存在感を見せていたのに。まあ、それが監督の意図なのかも知れないが。たぶん、ここまで周到に考え尽くした監督だから、このキャスティングにも、明確な意図があったのだろう。
というわけで、この作品は、監督と、主演男優のものだった。主演男優は、これまた凄まじい芝居を見せる。他の役が出来なくなるんじゃないかと思わせるほど、凄い。三枚目かと思ったらハードボイルド。抜けているようで綿密。そういうレッテルの貼れない人間像を見事に演じきって、呆然とするほど巧い。
ネット上で映画評を探したら、「『口は災いの元』という極めて日本的なテーマを、韓国風の情念で映像化したらこうなった」というような文章があって、なるほどその通りだと思った。
この原作は日本の劇画だが、ストーリーはかなり違っていて、ラストはまったく映画のオリジナルらしい。だが、この映画のテンションで観る限り、このラストしかないと思う。これじゃないと、収まらない。映画が終われないのだ。
いや、本当に、久しぶりに、映画的興奮を強烈に、鮮烈に味合わせてもらった。
これが、映画だ、と絶叫したい。
そして、音楽がまた素晴らしい。ブラームスを思わせるどこか古風なピアノ四重奏か六重奏のワルツがとにかく美しい。この殺伐とした映画に、潤いをもたらしているし、ルコントの「仕立て屋の恋」のような文学性をも付与している。
映画音楽は、いうまでもなく映画の魅力を支える大きな要素だ。溜め息が出ますなあ。
日本映画も、一時のどん底状態から回復しつつあるとは思うけれど、この作品の完成度とパワーとテクニックと熱気を見せつけられるとノノ以下、日本映画界を批判するような事を書いたが、思えば、新作日本映画を批判出来るほど観ていないおれに批判する資格はないと思ったので、削除。
ところで、ネットにはスカタンな馬鹿批評がある。素人だから何を書いてもいいってもんじゃないだろう。そんなに自分の感性のなさや馬鹿さを公にしてどうするんだろう。
この頃は、そういう馬鹿批評など読まないようにしているのだが、つい目にしてしまうと、呆れ果ててしまい、この人は果たして知的生活をおくれているんだろうかと、真剣に心配になる事がある。この作品に関しても、おれがほとほと感嘆した部分を全否定している文章を見つけてしまって、おおいに驚いた。まあ、十人十色と言うけれど、バナナを見てバナナに見えない人は、不幸なんじゃないかと思う。