オープン・ウォーター

監督:クリス・ケンティス

 ファースト・カットを見て悪い予感がした。
 ビデオをフィルムに焼いた作品。
 低予算だとは聞いていたが、ビデオ撮りだったのか。今のトランスファー技術は進んでいるから、もっと綺麗な画面に出来たんじゃないかと思えるのに、スクリーンに映し出されるのは、暗くて解像度の悪い、色も悪い「不快」な映像。
 そうか。この映画の不快さはここから始まっているのか。
 
 この映画は、稲垣吾郎が「不快ですね。カップルで見に行く人は居るんでしょうか」などと言っていた。そこまで言われる不快さとはどんなものだろうと、見る前にアレコレ想像した。

1)過酷な環境で、カップルが口論の末、修復出来ないほど険悪になって(どっちか一方だけが助かろうとするなど『醜い人間性』を露骨に見せるとかして)、助かっても、カップルは崩壊、とか。
2)カップルは助かったが、二人とも足がなかった、とか。
3)助けに来たボートの目の前でサメに食われてしまった、とか。
4)海の落雷に当たる、とか。
5)すべて夢だった、とか。(これは映画の作劇法の幼稚さゆえの不快さか)

 しかし、正解はこのどれでもなかった。うーむ。
 
 ダイビングして海面から顔を出すとボートがいなかった、というのは、石原慎太郎一家も経験しているらしい。「開放水域」というのがどういう意味なのかよく判らないのだが、とにかく陸地が見えず、通る船も飛行機も気づいてくれず、海の中にはサメがいる、となればもう、オレなら発狂するかもしれない。実にイヤなシチュエーションだ。
 ダイビングする人なら肌で判る恐怖だし、ダイビングの趣味がなくても、少し想像力を働かせれば、それが如何に恐ろしい状態か、判る。
 映画としては極めてシンプルな構成で、直球ど真ん中だ。ダイビング・ツアーの連中がいい加減な管理をしているのを見せ、馬鹿な客が事態を混乱させるのを見せている。こう言うのを何も見せず、完全に海に放り出された二人の視点で描くよりも、この方が観客のフラストレーションは溜まって不快度は大いに増す。オレが役者なら、あの我が儘な男を演じたいが。
 
 サメの恐怖を描くのに、もっと予算があればスピルバーグ的な事もあれこれ出来たと思う。綺麗な海が赤く染まっていくの鮮やかに捉える事も出来たろう。
 サメ以外にも海の恐怖はたくさんあるから、これでもかと繰り出す事も可能だったはず。雨が降ってもいい。雷だって凄く怖いはずだ。夜の雷鳴のシーンがあったが、あれならもっと怖く出来たはず。

 しかし、この映画には、このスタイルがあって、それを崩すと、映画の統一感がなくなってしまう。ビデオをトランスファーした汚い画面、照明を使わない冴えない画面、大ロングショットがない「お手ごろ感」。サメは来るけど、判り安い画面構成ではない。
 しかしそれが、ドキュメンタリーのような、臨場感を醸し出す。実際に海にいるようなじめじめ感がしてくるし、息苦しい。
 それで……あのラストなら、いや〜、不快だよねえ。

 低予算を逆手に取った、ワン・アイディアの勝負。それに成功した。この映画は、フィルムできちんと撮ったら、これほどの不快感は出なかったかもしれない。
 
 世の中に不快な映画は数あれど……と思ったけれど、この映画のような不快感が残る作品はいくつあったろう?

 プロダクション・ノートを読んだが、俳優たちには保険を掛けなかったそうだ。無事で良かったが、これで撮影中に事故でもあったら「無謀な低予算撮影で俳優が死亡」とか惨事になっていたはずだ。惨事と賛辞は隣り合わせなのだ。

 しかし……ビデオでも映画は撮れるとはいえ、こんな画面は映画への冒?のような気がしないでもない。不快な演出に貢献はしていても、映画に対して失礼だなあという感は拭えないのだ。もっとシャープな画面で勝負してみろよ!

 この映画のモデルになった実際の事故のケース(98年オーストラリア)は、遺品しか見つからなかったんでしょうかね?