アザーズ
監督:アレハンドロ・アメナーバル
元来僕はホラー映画が好きではない。いろんな現象が「犯人は幽霊でしたお化けでした霊魂でした悪霊でした」と言っちゃえばナンデモアリじゃないかと思うので。これは「犯人はキチガイでした」と並ぶズルさであると僕は固く信じている。だから映画「シャイニング」のエンディングを受け入れられないのだ。
で、この作品。ゴチック・ホラーだという予備知識をまったく持たず、サスペンス映画らしい、としか思わずに見たので、あれこれ推理して、それはまったく外れ、ラストに驚き、その切なさに涙が滲んだ。まあねえ、あの映画がすでにあるんだから、今更このオチに驚くのは無知と言われても仕方がないのだが……その分、この衝撃は凄くて、ずーんときた。ホラー映画にスレていない素直な自分を褒めてあげたいほどだ。
チャンネル諸島のジャージー島。1945年。戦争は終わっているのだが、まだ帰らない夫を待つ、若い妻。光アレルギーで暗闇の中でしか生活出来ない二人の子供。そこにやってくる3人組の召使いたち。
妻は厳格で完璧主義なので、召使いたちに「この家のルール」を厳しく守らせ、子供達の教育も厳しくやる。それは実に、ヒステリックなほど。
ホラー映画のマニアなら、途中で判るらしいが、僕はずっと「ホラーみたいな雰囲気を盛り上げる犯罪映画」だとして見ていた。つまり、誰の紹介状もなく上がり込んできた3人組の召使いが、精神的にかなり参っている若い妻を「幽霊疑惑」に放り込んで錯乱させて、屋敷を乗っ取る作戦なのだと。しかしそれでは映画が単純になってしまうので、この屋敷には本当に幽霊がいて、事態をややこしくさせる。3人組はその幽霊と結託しているのか、彼らも幽霊の存在を知らなくて幽霊に弄ばれるのか……。
オハナシとしては、『気丈な若い妻が、孤立無援の中、精神的に参りながらも頑張って子供と屋敷を守り抜き、3人組の悪事が警察に露見して逮捕された、ちょうどその時に、夫が復員してきて、感動の大ハッピーエンド!』になるのかな、と思ったりもしたが、まあこの映画のトーンではそういう事にもならないかも、と思っていたら……。
うーむ。
たしかに「シックス・センス」があったのだから、『幽霊の側から見たお話』もアリだとは思うけれど、その可能性は微塵も考えなかった。だから、ヤラレタ!と思ったし、自殺して幽霊になってしまった若妻が痛々しいし、「私たちはずっとこの家に住むわ。だってここは私たちの家ですもの」という思いが、悲しくて切なくて、涙を誘う。救いがないのが余計に悲しく、怖い。ぞっとするほど怖い。
余計な事を知らないまま、この作品を見る事が出来てよかったし、ホラー映画にスレてなくて、本当によかった。
ストリングス主体の音楽と、光と影と淡い色調を巧みに使った撮影が秀逸。そして、ドア音や足音などの効果音を立たせたダビング・バランス。これらが、この作品の緊張を持続させた。始まって終わるまで、この緊張は全く途切れることなく続く。観客は、息を殺して物語の進行を見守る。なんらかの大きな破局・悲劇を予感しつつ、それは来ないで、と願わざるをえない、この緊迫。
英語を母国語としないスペイン人の監督が、英語の映画を演出する難しさ(人間に普遍的な事を扱うホームドラマとか人生ドラマじゃないんだし)を考えると、この作品の成功はとても凄い事だと思う。
ニコール・キッドマンも凄いが(あのヒステリックな感じの「いたたまれなさ」を出せたのは素晴らしい)、彼女をあそこまで追い込んで、しかも悪母ではなく、愛情深い母親であることも見せて、一人きりで屋敷を守る心細さや不安を十二分に表現していたのは素晴らしい。
子役たちが上手いのは見れば判るが、3人組の召使い、特にナニー役のフィオヌラ・フラナガンがこれまたうまい。慈悲深く落ち着いた、モノのどおりが判っている(しかし裏に何かある)老婆を、理想的に演じたのではないか。助演女優賞を上げたいほどだ。
トム・クルーズがこの監督の才能に夢中になったのも判る気がする。
我々だって、お化けを怖がったりしているが、実は自分こそ「死者の世界」に生きる幽霊ではないと、誰が言い切る事が出来るだろう。「シックス・センス」では、ブルース・ウィリスが可哀想、としか思えなかったが、この作品では、我が身の正当性にまで考えが及んでしまうほどに、強烈に怖い。